メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
時速60キロでのトレッドミル走行という、人間離れ……いや、文字通り「馬並み」の測定結果は、即座に警察庁および内閣官房の一部の上層部へと報告された。
その日の夜、警視からマックイーンの元へ今後のスケジュール変更が伝えられた。
『スポーツ庁やNTC(ナショナルトレーニングセンター)での身体測定は白紙撤回となった。人間のトップアスリート用の施設や測定機器では、君のスペックを正確に測りきれないどころか、機材を破壊しかねないという判断だ』
『当面の間、君の身体能力の調査は、サラブレッド用の耐久設備が整っているこのJRA競走馬総合研究所に一任されることになった』
それを聞いたマックイーンは、「当然の判断ですわね」と静かに頷き、しばらくこの施設に腰を落ち着けることを承諾したのだった。
■
そして、翌朝。
太陽がようやく顔を出し始めたばかりの、早朝午前5時。
一般の職員が出勤してくる前の誰もいない時間帯を狙い、研究所の敷地内にある育成・調教用のダートと芝の複合コースに、こちらの世界に迷い込んだ時に来ていたジャージ姿のマックイーンの姿があった。
朝露に濡れた青々とした芝生。
ひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込み、マックイーンはウマ耳を心地よさそうにパタパタと動かした。
「やはり、人工的なゴムのベルトよりも、大地の匂いがするこちらの方が落ち着きますわね」
コースの脇には、ストップウォッチと速度計測用のレーダーを構えた近藤理事と、数名の選ばれた研究員たちが固唾を呑んで見守っている。
「では、マックイーン君。準備ができたら、君のタイミングでスタートしてくれ」
「承知いたしましたわ」
マックイーンは芝の上に立ち、軽く足首を回して準備運動を終えると、スッと腰を落として前傾姿勢をとった。
その瞬間、彼女がまとう空気が一変した。
優雅な令嬢の顔が消え、ターフの支配者としての研ぎ澄まされた「アスリート」の顔が覗く。
「――っ!」
そして、短い呼気とともに、マックイーンの体が弾け飛んだ。
■
ドンッ!
という鈍い踏み込みの音が響き、蹴り上げられた芝の塊が宙を舞う。彼女の小さな体のどこにこれほどのエネルギーが眠っているのか。初速から一気にトップギアに入ったマックイーンは、美しい白銀の尾を風になびかせながら、朝霧の残るターフを文字通り「飛ぶように」駆け抜けていった。
「は、速い……っ!」
「コーナリングで全く減速していないぞ!? どうやってあの遠心力を二本足で制御しているんだ!?」
研究員たちの悲鳴のような歓声が上がる。
サラブレッドの巨体が生み出す豪快な走りとは違う。空気抵抗を極限まで減らした小さな体が、無駄の一切ない洗練されたフォームで芝を刈り取るように進んでいく。
やがて、規定の距離を走り終えたマックイーンが、涼しい顔でペースを落として戻ってきた。近藤理事は、手元のストップウォッチと計測器のデータを見て、ワナワナと手を震わせていた。
「信じられん……。現在この研究所に繋養されている、どの競走馬たちのタイムよりも……速い。圧倒的じゃないか……!」
四つ足の馬たちよりも、二足歩行の少女の方が速くターフを駆け抜けた。物理法則すら無視したようなその結果に、大人たちはもはや畏怖の念すら抱き始めていた。
「素晴らしい! 素晴らしいよマックイーン君! 君はまさに――」
興奮冷めやらぬ近藤が駆け寄ろうとした、その時だった。
「…………はぁ」
当のマックイーンは、額の汗を拭うこともせず、ひどく深いため息をついて肩を落とした。そして、自分が履いているスニーカー、トレセン学園指定の練習靴の裏を恨めしそうに見つめる。
「……やはり、練習用の靴では本気は出せませんわ。芝の掴みが甘すぎます」
「ほ、本気が、出せない……?」
「ええ。それに……」
マックイーンはウマ耳をしょんぼりと伏せ、さらに不満げにブー垂れた。
「そもそもこの靴に打ち付けてある蹄鉄も、そろそろ交換時期でしたのよ。これでは踏み込んだ時に微妙なズレが生じてしまって……ああ、本当に歯痒いですわ」
「て、蹄鉄……!? 君の靴には、蹄鉄が打ってあるのかね!?」
「ウマ娘の靴に蹄鉄が打ってあるのは当然でしょう? ああ、わたくし専属の装蹄師の方が恋しいですわ……」
これほどの驚異的なタイムを叩き出しておきながら、機材の不備を嘆き、「まだ本気ではない」と心底悔しそうに肩を落とす少女。
(こ、これでまだ本気ではないと言うのか……!?)
近藤理事と研究員たちは顔を見合わせ、ただただゴクリと息を呑むしかなかった。
未知の生物「ウマ娘」の底知れぬポテンシャルは、この世界の馬の専門家たちの常識を、いとも容易くぶち壊し続けていくのだった。