メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
ターフでの驚異的な走行テストから数日が経過した、ある日の事。
マックイーンは引き続きJRA競走馬総合研究所のVIPルームで、佐藤と交代制の警護を受けながら、外部からは完全に隔離された生活を送っていた。
その日の午後、ティータイムを楽しんでいたマックイーンのもとに、佐藤が警察庁からの定期連絡、つまりは、タブレット端末での暗号化通信、を終えて戻ってきた。
「マックイーンちゃん。本庁から、例の『路地裏』についての報告があったよ」
「まあ。何か進展がありましたの?」
ティーカップをソーサーに置き、マックイーンは身を乗り出した。
「ううん……残念ながら。あの日、あなたが迷い込んだ府中の路地裏には、すぐに公安の監視カメラが設置されて、24時間体制で見張りがついているんだけど……今のところ、何の空間的変化も異常も確認されていないって」
「……そうですか」
期待の灯火がふっと小さくなるのを感じながら、マックイーンは小さく唸った。
一度通り抜けただけで、二度と機能しなくなった一方通行の入り口。やはり、ただ待っているだけで扉が開くような生易しいものではないらしい。
「やはり、そうやすやすとは帰れませんわね……」
「ご、ごめんね。でも、日本の警察機構が総力を挙げて調べてるから! きっとなんとかなるって!」
苦笑するマックイーンを、佐藤が慌てたように励ます。その不器用で優しい気遣いに救われながら、マックイーンはふと、あることを思いついた。
「あ、そういえば……佐藤様」
「ん? なーに?」
「以前、わたくしたち『ウマ娘』について、ネットや資料で相当お調べになってくださいましたわよね?」
「う、うん。まあ、徹夜で公式サイトとかWikiを読み漁ったくらいだけど」
マックイーンは少しだけ声を潜め、真剣な眼差しで尋ねた。
「その中に……誰か一人でも、『こちらの世界(現実世界)』に迷い込んだ、あるいは干渉してきたようなウマ娘の話は……見つける事は、できませんでしたでしょうか?」
架空の存在であるウマ娘。しかし、これほど膨大な設定が作られているのなら、もしかすると「次元を超えて現実世界にやってきた」というような設定を持つキャラクター(ウマ娘)が存在するのではないか。もしそうなら、元の世界に帰る何らかの手がかりになるかもしれない。
しかし、佐藤は困ったように眉を下げ、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いやー……さすがに、そこまでは分からないかな。全員の細かいキャラクター設定やストーリーまで理解してるわけじゃないから。……ごめんね、力になれなくて」
「いいえ、お気になさらないでくださいな。無茶をお伝えした自覚はありますから」
マックイーンはふわりと微笑んで首を振った。
「それに……わたくしの知り合いの中にも、そのような芸当ができる方はおられませんでしたし。……ええ、おられませんでしたわ」
そう口にした瞬間。
マックイーンの脳裏に、なぜか『赤い帽子を被った、芦毛の破天荒な友人』の姿が鮮明にフラッシュバックした。
(……)
思い返せば、あの方はいつだって常識の外側にいた。
目を離せばどこからともなくセグウェイに乗って現れ、謎のルービックキューブを秒で完成させ、時には物理法則を無視したドロップキックをかましてくる。あの型破りな彼女なら、次元の壁など「おっ、マックイーン見ぃつけた!」と笑いながら、あっさりと蹴り破って迎えに来てくれるのではないか――。
(……こういう時に限って、あの方は現れてはくれないんですのよね)
紅茶の湯気越しに、マックイーンは脳内でこっそりと愚痴をこぼした。
……いくら彼女が規格外だとはいえ、ここは「ウマ娘が架空の存在として扱われる世界」。そんなご都合主義な奇跡が起きるはずもない。
(流石にそれは、ゴールドシップさんにとっても。……無理難題、ですわよね)
自分の思考のあまりの飛躍っぷりに、マックイーンは小さく息を吐いて苦笑した。
しかし、そのほんの少しの「もしも」を想像しただけで、胸の奥にあった不安が少しだけ軽くなっていることに、彼女は気づいていた。
■
その日の夜。
JRA競走馬総合研究所のVIPルームは、深い静寂に包まれていた。
日中の慌ただしい検査や、大人たちとの張り詰めたやり取りが一段落し、ふっと『ひとごこち』がついた瞬間。マックイーンは、これまでメジロの令嬢としてのプライドで必死に押さえ込んでいた「絶対的な孤独と不安」が、ひたひたと足元から這い上がってくるのを自覚してしまっていた。
(……わたくしは、本当に帰れるのでしょうか)
広いキングサイズのベッドを見つめ、彼女はギュッとパジャマの胸元を握りしめた。
そして、リビングのソファで警護のために起き起きていた佐藤に、おずおずと声をかけた。
「あの……佐藤様」
「ん? どうしたの、マックイーンちゃん。眠れない?」
「……もしよろしければ。その……一緒に、寝ていただけませんか?」
普段の気丈な彼女からは想像もつかない、消え入りそうな心細い声だった。
佐藤は少しだけ驚いたように目を丸くした後、インカムに手を当てて部屋の外にいる警部に短く事情を話し、すぐに柔らかく微笑んだ。
「いいよー。私もシャワー浴びてくるから、ちょっと待っててね」
数十分後。照明が落とされた薄暗い寝室で、二人は広いベッドに並んで横になった。
隣から伝わってくる佐藤の確かな体温と、規則正しい寝息。それが、異世界でたった一人ぼっちになってしまったマックイーンにとって、どれほど大きな救いになったことか。
「……普段は」
静寂の中、マックイーンの震える声がぽつりと響いた。
「普段は……トレセン学園の食堂で、美味しい夕ご飯をいただいて。お部屋に戻ったら、同室のイクノディクタスさんと今日あった事を話したり……」
語りながら、愛しい日常の景色が瞼の裏に鮮明に浮かび上がってくる。
「ゴールドシップさんと、他愛もないことでじゃれあったり……チームのみなさんと連絡をとりあったり……そうやって、過ごして、いるの、です……っ」
強がりで覆い隠していた感情の堰が、ついに決壊した。
ポロリ、ポロリと、マックイーンの大きな瞳から熱い涙がこぼれ落ち、シーツに小さな染みを作っていく。声を上げて泣いてしまわないよう、必死に震える唇を噛む彼女の体を、佐藤はそっと、優しく抱き寄せた。
「うん……うん」
佐藤は気の利いた慰めの言葉を探す代わりに、マックイーンの華奢な背中を、一定のリズムでぽんぽんと軽く叩き始めた。
「……みなさんに……お祖母様に、会いたいですわ……っ」
「……うん。そうだね」
ただただ、彼女が涙声で語る『当たり前の日常』の思い出に軽い頷きを返し、温かく耳を傾け続ける。
国家の保護、極秘の調査プロジェクト、人智を超えた身体能力。
どれだけ大層なものに囲まれていても、彼女はまだ親元を離れて夢を追う、たった十代の少女なのだ。
異世界の冷たい夜の中。佐藤の不器用で温かい腕に包まれながら、マックイーンはこれまでの緊張と不安をすべて溶かすように、静かに、そして長く涙を流し続けたのだった。
■
そして、その頃。
同施設の一室では、近藤達による極秘会議が開かれていた。
「さて、メジロマックイーンの検査結果だが……ひとまず、血液、口内細胞、唾液からは未知の病原菌やウイルスは発見されてはおりません。加えて、免疫細胞はどうやら既存の人間とほぼ同等、ないし、馬に近いもの、と推察されております。ひとまずは人間と関わっても大丈夫だとは推察されます」
「左様ですか。でしたら、このまま護衛をつけて、様子を見ましょう。もし、護衛の体調に異常が出た場合は隔離、という判断を下します」
「承知いたしました、官僚殿」
「……異世界からの存在。検疫に関してはよくよく気を付けませんとね」
「しかし、それであれば。メジロマックイーンに協力を素直に仰げばいいのではないですかな?」
「お互いに信頼がないのですよ。今は特にだ。彼女は今日の検査で人間以上の力があると判明致しました。それに、今は、色々なショックが大きい事でしょう。御機嫌を損ねるようなことは、とてもとても」
官僚と近藤によるそれは、つまり異世界の病気などによるリスクの話。今のところはどうやら被害は無いようだし、マックイーンの免疫細胞も現世に対応していると言える。
「まぁ、近いうちにリスクリターンを提示して、精密検査を実行致しましょう。それで、リスクが無くなれば御の字です」
「そのほうが良いでしょう。我が設備では人間は隅々まで見れませんからな……。それで、その間の彼女の処遇は?」
「……難しい所ですね。速く動かなければ異世界の痕跡が完全に消えてしまうかもしれません。とはいえ、急ぐとマックイーンさんから謎の感染症や菌が広がる可能性も……。まぁ、その点はバランスを見て、総合的に判断いたします。その時は、どうか、ご協力を」