メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
翌朝。カーテンの隙間から差し込む朝日に微かに瞼を刺激され、マックイーンはゆっくりと目を覚ました。
昨夜、あれほど泣きじゃくったにもかかわらず、目覚めは驚くほどスッキリとしていた。胸の奥に澱のように溜まっていた重たい不安が、涙と共にすっかり洗い流されたような感覚だった。
ふと背中に感じる、確かな重みと温もり。振り返らなくてもわかる。佐藤の腕が、マックイーンの華奢な身体にしっかりと回されていた。背後からは、規則正しく穏やかな寝息が聞こえてくる。
(……ふふっ。本当に、温かい方ですわね)
異世界という冷たい海で、唯一見つけた安全な浮き輪。
その温もりに心地よく包まれながら、マックイーンはウマ耳をペタンと伏せ、もう一度だけ静かに瞳を閉じた。あと少しだけ、この優しい時間の中で微睡んでいたかったのだ。
■
そして、その日の昼。
すっかり身支度を整え、いつもの気高く優雅な「メジロの令嬢」としての顔を取り戻したマックイーンは、VIPルームの応接スペースで近藤理事と向き合っていた。佐藤も、少し離れたところで真っ直ぐに背筋を伸ばして控えている。
「……以上が、この数日間で行われた全ての医学的、および生態的検査の結果です」
近藤は手元の分厚いファイルから視線を上げ、どこか晴れやかな、それでいて畏敬の念を含んだ顔でマックイーンを見つめた。
「結論から申し上げましょう。マックイーン君、君の身体能力と生体構造は、我々人間の常識から見れば『全てが規格外』です。……まさに、名馬メジロマックイーンが人間サイズに圧縮されたような、サラブレッドそのものですね」
「サラブレッド……。この世界における、最高峰の競走馬の品種でしたわね」
「ええ。美しく、力強く、走るためだけに洗練された究極の芸術品です」
近藤の言葉に、マックイーンは扇子を開くような優雅な仕草でふわりと微笑み、小さく頷いた。架空の存在だと言われて一度は絶望したが、この世界の「馬の専門家」から科学的に『本物のサラブレッドである』とお墨付きをもらえたことは、彼女の誇りを少しだけ満たしてくれた。
「君の検査データは、すでに全て内閣官房へと回してあります。彼らもこの結果を見て、君という存在の重要性を再認識したはずです」
近藤はファイルを閉じ、少しだけ声のトーンを落とした。
「早ければ、今日の夜にでも国としての正式な処遇が決まると思います。それに伴い、ここから別の施設へ移送される可能性が高い。……荷物などは、まとめておいてください」
「承知いたしました。短い間でしたが、近藤様をはじめとする研究所の皆様には、大変よくしていただきましたわ」
マックイーンは深く、美しいカーテシーで感謝の意を示した。そして、顔を上げた彼女は、少しだけ言い淀むように視線を泳がせた。
「……あ。ただ」
「何か、懸念事項でも?」
「佐藤さんは……その。これからも、一緒にいていただきたいのですが」
マックイーンは、後ろに控える佐藤をチラリと見やりながら、少しだけ頬を染めておずおずと切り出した。
国家の決定に対して、個人的な我が儘を言っている自覚はある。しかし、今の彼女にとって、佐藤はただの警護の警察官ではなく、心細い夜を救ってくれた大切な「お姉様」のような存在になっていたのだ。
近藤は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに優しく目尻を下げた。
「……その点については、私からは今はなんとも申し上げられません。管轄が違いますからね」
「そうですか……」
「しかし、君の警備は引き続き警察庁が合同で行うはずです。君の精神的な安定は、国にとっても最重要課題の一つ。……警察の上層部へ、私からも強く要望は出しておきましょう」
近藤の粋な計らいに、マックイーンの顔がパッと明るく輝いた。
「感謝いたしますわ、近藤様!」
マックイーンは花が咲くような満面の笑みを浮かべた。その背後で、佐藤も「よかったね」と口パクで伝えながら、こっそりとウインクをして見せた。
未知の恐怖に怯えていた異世界での生活。しかし、彼女の気高さと、時に見せる年相応の素直さは、確実にこの世界の大人の心を動かし、味方を増やしつつあった。
やがて訪れる夜。
国家の中枢が下す決断に向けて、マックイーンは静かに心を整え始めていた。