メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
その日の夜。
JRA競走馬総合研究所の地下駐車場に、数台の黒塗りのハイヤーが滑り込んできた。
VIPルームの重厚な扉がノックされ、警部たちに案内されて入ってきたのは、仕立ての良さがひと目でわかるスーツを身に纏い、銀縁の眼鏡をかけた男だった。
内閣官房から派遣されたというその若手官僚は、ソファーで静かに待っていたマックイーンの姿を目にした瞬間、足をピタリと止めた。
「……これは、驚きですね」
官僚は、目を丸くしてマックイーンの頭頂部の耳と、そこから続く美しい芦毛のしっぽを食い入るように見つめた。
「ああ、いや。写真と検査データにつきましては事前に閲覧させていただいておりましたので、存在そのものは認知しておりましたが。いざこうして『現物』をこの目で見ますと……ふむ。見事なものです」
知的好奇心を隠しきれない様子の官僚。ここ数日で「馬の専門家」たちから似たような反応を何度も受けてきたマックイーンは、小さく苦笑いを浮かべた。
「ふふっ。いくら探していただいても、人間の位置にはありませんよ」
そう言って、マックイーンは白魚のような指で、はらりと側頭部の髪を掻き揚げて見せた。つるりとした滑らかな肌があるだけのその空間を見て、官僚はハッと息を呑む。
「……本当だ。人間の耳が、ない。……ああ、いや、これは失礼いたしました。無遠慮にジロジロと見るものではありませんね」
「お気になさらないでくださいな。わたくしの存在が珍しいのは、重々承知しておりますわ」
軽く頭を下げる官僚に、マックイーンは優雅に微笑んだ。しかし、官僚の視線は依然としてマックイーンの頭頂部でピンと立つウマ耳に釘付けになっていた。少しの逡巡の後、彼は真面目腐った顔で尋ねた。
「その……職務上の確認のため、頭の上の耳に触れてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
すっかりこのやり取りにも慣れたマックイーンは、嫌がる素振りも見せず、どうぞとばかりに少しだけ頭を下げて耳を差し出した。
官僚は恐る恐る手を伸ばし、その白銀のウマ耳にそっと触れる。
―――ピクッ。
「……ああ」
指先から伝わる、柔らかな毛並みと確かな体温。そして、筋肉の微細な脈動。
決して精巧な作り物などではない、生きている別種の生物の証。それを直接感じ取った官僚の口から、感嘆とも驚愕ともつかない深い吐息が漏れた。
国家の最高機密である「ウマ娘」の現実を肌で理解し、官僚は完全に圧倒されていた。彼は顔を赤らめ、誤魔化すようにコホンと一つ咳払いをする。
「ひ、ひとまず、これから移動します。都内の『帝国ホテル』にスイートルームをご用意しておりますので、暫くはそちらで生活していただくことになります。……今後の詳細につきましては、移動しながら車内でご説明いたします」
「帝国ホテル……都内の中心部ですわね。承知いたしました」
日本を代表する超高級ホテルの名前が出ても、マックイーンは顔色一つ変えずに頷き、立ち上がった。その堂々たる振る舞いは、一国の王女のようでもあった。
部屋を出ようと歩き出したマックイーンの背中に、官僚が付け加えるように口を開く。
「なお、貴女の警護につきましては、引き続き同じ人員で行われる予定ですが……何か不備やご要望はありますか?」
その言葉に、マックイーンの足が止まった。彼女は振り返り、後ろで控えていた佐藤と、入り口に立つ警部たちの顔を順番に見渡す。そして、パッと花が咲いたような心からの笑顔を見せた。
「何もありませんわ。むしろ、その方が安心いたします」
「……そうですか。それは良かった」
官僚が安堵したように頷く。マックイーンの背後では、佐藤が「よっしゃ」と声に出さずに小さくガッツポーズを決めていた。その様子を横目で捉え、マックイーンのしっぽが嬉しそうにパタパタと揺れる。
「では、参りましょうか。メジロマックイーンさん」
「ええ。エスコート、よろしくお願い致します」
夜の静寂に包まれた研究所を後にし、一行は車列に乗り込んだ。
目指すは、東京・日比谷。
国家権力という強固な盾と、信頼できる「お姉様」を味方につけたメジロの令嬢は、見知らぬ大都会の中心へとその足を踏み入れていくのだった。