メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
深夜の東京。
案内された帝国ホテルの最上階スイートルームは、これまでのVIPルームすら霞むほどの豪奢な空間だった。しかし、マックイーンの目はマホガニーのテーブルに置かれた分厚いファイルだけに向けられていた。
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静まり返った部屋の中、ペクリ、ペクリと紙をめくる音だけが響く。佐藤が息を潜めて見守る中、官僚はソファーの対面に座り、マックイーンが書類を読み込むのを静かに待っていた。
(……確かに、物理的な苦痛を伴うような実験はないようですわね)
書類に目を通しながら、マックイーンは冷静に分析する。
筋繊維の測定、定期的な血液採取、最新のMRIによるスキャン。どれもアスリートの精密検査の延長線上にあり、「被検体の心身の健康を最優先とする」という文言も明記されていた。
しかし、ページを進めたマックイーンの手が、ピタリと止まった。
懸念していたデリケートな部分に関する同意書。そこには、生殖器官の超音波・カメラでの検査と、『研究目的での卵子の提供』に関する条項が記されていたのだ。
「……お伺いしますわ」
マックイーンは顔を上げ、官僚を真っ直ぐに見据えた。
「この、卵子の提供というのは……具体的に、どういう手段で行うのですか?」
「全身、あるいは局所麻酔を施した状態で行います。超音波画像を確認しながら、腟から非常に細い針を刺し、卵胞液ごと卵子を吸引・回収します。……人間の不妊治療などでも一般的に行われている手法であり、術中の痛みは伴いません」
官僚は、まるで明日の天気を告げるかのように、淡々と医療的プロセスを説明した。横で聞いていた佐藤が息を呑むのがわかったが、マックイーンは表情を一切崩さずに問いを重ねた。
「……採取したわたくしの細胞は、その後どう扱われるのです?」
交配実験か、クローンの作成か、それとも兵器への転用か。しかし、官僚はその問いに対して、ピシャリと冷徹に言い放った。
「国家の最高機密ですので、お伝えできません」
一切の交渉を挟む余地のない、鉄の壁。
マックイーンの背筋を、薄ら寒いものが駆け上がった。自分の遺伝子が、全く知らない異世界の人間たちの手によって、密室で切り刻まれ、分析される。それがどれほど恐ろしいことか。
書類を持つ手が、微かに震える。サインをためらう彼女の前に、官僚は内ポケットからもう一枚、和紙で作られた厳かな封筒を取り出し、テーブルの上へと滑らせた。
「マックイーンさん。我々の研究に協力していただければ……貴女が元の世界に帰るための手段、その探索と研究について、日本国として全力でご協力させていただきます。こちらは、その念書です」
「……念書?」
マックイーンが封筒から取り出したその一枚の紙には、彼女の衣食住の完全な保証、そして『別次元への帰還手段の究明に国家資源を投入する』という約束が明記されていた。
そして、その書類の最後には――。
「……『内閣総理大臣』の、印……」
朱色で押された、本物の国璽(こくじ)。それは、一個人の少女に対して、一国のトップが直々に交わした「契約」の証だった。
「貴女の身体的・生物学的なデータを提供していただく代わりに、我々は貴女の安全と、帰還への切符をご用意する。……悪い取引ではないはずです」
官僚の言葉が、静かに部屋に響く。
それはつまり、『帰りたければ、身体を差し出せ。それがこの世界のルールのなのだ』と強烈に告げていた。
マックイーンは、朱色の印鑑と、自分のウマ耳を交互に視線でなぞり……やがて、ひどく深いため息を吐き出して、書類をテーブルに置いた。
「……少し待遇の良いモルモット、ですわね」
自嘲気味に呟いたその言葉には、抗いようのない運命への諦観と、それでもなお折れないメジロの令嬢としての皮肉が込められていた。
官僚は、その言葉を否定しなかった。ただ、深く、恭しく頭を下げてこう告げた。
「否定は致しません。ただ、貴女の尊厳を守るため、可能な限り配慮いたします」
用意された万年筆を手に取り、少しだけ溜息を吐く。そして、マックイーンは流れるような筆記体で同意書にサインを記した。
こうして、メジロマックイーンは日本という国家の「最も高貴な実験体」として、帝国ホテルの最上階という黄金の鳥籠に収まることになったのだった。