メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
ドアを開くと同時に、交番特有の少し埃っぽい、しかしどこか安心感のある空気がマックイーンを包み込んだ。
煌々と照らす蛍光灯の下、事務机に向かっていた初老の警察官がゆっくりと顔を上げる。白髪交じりの短髪に、丸い眼鏡をかけた温和そうな男性だった。
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「おや。どうしたんだい夜分遅くに。お嬢ちゃん。何かお困りかい?」
その穏やかな声色に、張り詰めていたマックイーンの肩の力が少しだけ抜けた。
「……はい。お仕事中、突然申し訳ありません。少々、道に迷ってしまいまして」
「道に迷った? それは大変だ。どこに行きたいんだい?」
マックイーンは背筋を伸ばし、できる限り冷静な声で答えた。
「メジロ家の本邸……はここから少し距離がありますので、ひとまずはトレセン学園までの道順を教えていただきたいのですわ」
「メジロ家のお屋敷? トレセン学園……と」
警察官は丸眼鏡を少しずらし、机の上の広域マップに視線を落とした。そして、困ったように首を傾げる。
「うーん……おじさんねぇ、府中には長く勤めてるけど、そういう名前の学校は聞いたことがないねぇ。お嬢ちゃん、身分を証明できるものは持ってるかい?」
「はい、こちらですわ」
マックイーンはウェストポーチから生徒手帳を取り出し、丁寧に手渡した。
警察官はそれを受け取り、パラパラとページをめくる。しかし、そこに記載されている文字を見た瞬間、彼の動きがピタリと止まった。
「……『メジロマックイーン』?」
警察官は顔を上げ、目の前に立つ芦毛の少女の顔と、生徒手帳の顔写真を交互に見比べた。そして、少し言いにくそうに口を開く。
「お嬢ちゃん。……これは、なんていうか、その……コスプレの、名刺みたいなものかな?」
「コスプレ……? いいえ、正真正銘、わたくしの本名ですわ」
マックイーンは心外だと言わんばかりに、凛とした声で言い切った。
耳としっぽをピクリと動かし、真っ直ぐに警察官の目を見つめ返す。そのあまりにも堂々とした態度と、一切の淀みがないアメジストの瞳に、警察官は圧倒されたように瞬きをした。
「ほ、本名……。外国とのハーフか何かかな? しかし、手帳の作りも見たことがない様式だ……」
頭を掻きながら、警察官は再びマップとパソコンの検索画面に向き直る。キーボードを叩く音がしばらく響いた後、彼はふうっとため息をついた。
「ごめんよ、お嬢ちゃん。やっぱり『トレセン学園』ってのも、『メジロのお屋敷』ってのも、この近くには無いなぁ。日本中探しても、該当する学校はないみたいだ」
「…………そんな」
わかってはいた。自分の目で確かめたのだから。
しかし、警察という公的な機関から明確に「存在しない」と突きつけられると、足元から崩れ落ちそうなほどの絶望感がマックイーンを襲った。
「そういえばお嬢ちゃん、いったいどうやってここまで来たんだい? どこかの駅から?」
警察官の問いかけに、マックイーンは力なく首を振った。
「……信じていただけないかもしれませんが。つい先ほどまで、わたくしは府中の街を走っておりました。そして、あそこにある大通りの……路地裏に入り、通り抜けた先が、この場所だったのですわ」
「路地裏を抜けたら、ここに着いた……?」
荒唐無稽な返答。普通であれば「からかっているのか」と怒られてもおかしくない。
しかし、警察官はマックイーンの蒼白な顔色と、今にも泣き出しそうに俯く顔と、大きく震える指先を見て、怒ることはせずに深く唸った。
「うーん……お嬢ちゃんが嘘を言っているようには思えないしなぁ。ただ、お嬢ちゃんの記憶の中では、この近くにその『トレセン学園』と『メジロのお屋敷』があるんだよね?」
「ええ……。おっしゃられた通りなのですが……記憶の中の場所にはなくて……」
困り果てた顔で俯くマックイーン。何とか手がかりを見つけようと、彼女は再び自身の「ウマホ」を取り出した。
「あの、わたくしの端末はなぜか圏外になってしまっていて……そちらの通信網で、何か調べることはできませんでしょうか?」
差し出された端末を見た警察官の目が、再び丸くなる。
それは、ウマ娘の耳の構造に合わせてスピーカーの位置が異なり、独特の少し縦長な形状をしたウマホだ。スマートフォンとは似ても似つかない。
「うーん? スマホに近いが、なんだい、これ。スマホ……じゃないねぇ? 見たことない形だ。おもちゃ……にしてはやけに精巧だけど……」
「おもちゃではありませんわ! 最新型のウマホですのよ!」
思わずムキになって反論してしまうマックイーン。警察官は苦笑いしながら、ポンポンと彼女の肩を軽く叩いた。
「わかった、わかった。とにかく、君が迷子になって困っていることだけは確かなようだ。ちょっと、地図とか近隣の事情に詳しい応援を呼んでみるから、少しあっちで休憩してて」
そう言って、警察官は交番の隅にあるパイプ椅子を勧めてくれた。促されるままに椅子に腰を下ろすと、張り詰めていた緊張の糸が少しだけ緩み、どっと疲労感が押し寄せてきた。
「はい、お茶。不安だろうけど、ひとまず体を温めるといいよ。ゆっくり飲みなさい」
コトッ、と。
小さなサイドテーブルに、紙コップに注がれた温かいほうじ茶が置かれた。湯気と共に広がる香ばしい匂いが、冷え切ったマックイーンの鼻腔をくすぐる。
「まあ、日本にいる限り、なんとかなるよ。大丈夫だ」
警察官の何気ない、けれど温かい言葉。何か違う世界に放り出され、孤独と恐怖に押しつぶされそうになっていた彼女にとって、それは何よりの救いだった。
「……ありがとうございます」
両手で紙コップを包み込むように持ち、ゆっくりと口をつける。じんわりと広がる温かさに、マックイーンは小さく息を吐いた。
(……ええ。わたくしはメジロのウマ娘。これくらいの逆境、乗り越えてみせますわ)
ひとときの安堵の中、彼女は静かに闘志を燃やし始めていた。
しかし、この後やってくる「応援の警察官」によって、彼女の想定外の事態がさらに加速していくことなど、この時のマックイーンは知るよしもなかった。