メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
警察署の一室に座らされたメジロマックイーン。
無機質なグレーの壁に囲まれた取調室――、とはいえ、犯罪者として扱われているわけではないため、手錠もなく、パイプ椅子ではなく少しだけ座り心地の良い椅子が用意されていた。
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机を挟んで向かい合うのは、先ほどの警部。
ひとまずの現状確認という名目で行われたすり合わせは、互いの常識が全く噛み合わないまま平行線を辿っていた。
「……つまり。貴女は『トレセン学園』から夕方の自主練に出て、府中の街の路地裏に入った。そして、不意に名前を呼ばれて立ち止まった。すると、そこに気になる路地があり、その路地に入り、数分歩き、路地を抜けたら、突然この街に立っていたと」
「ええ。その通りですわ。目の前には『東京レース場』がありました。ですが、ウマ娘が走るための専用レーンも、トレセン学園の施設も、跡形もなく消え去っていました」
マックイーンの整然とした説明をノートに書き留めながら、警部は深く、本当に深くため息をついた。
「マックイーンさん。信じられないかもしれませんが……この世界には、そもそもトレセン学園も、ウマ娘専用レーンも存在しないんです。更に、強いて言えば……」
そこで、警部はふっと言葉を言い淀んだ。手元のペンを置き、ひどく言いにくそうに視線を彷徨わせる。
「どうされましたか?」
真っ直ぐなアメジスト色の瞳で見つめられ、警部は覚悟を決めたように居住まいを正した。
「……ああ、いや。マックイーンさん、今から貴女にとっては、非常に衝撃的なことを言います。少々、お覚悟を」
「……どうぞ」
マックイーンの耳が、緊張でピンと張る。
「『ウマ娘』とされる、貴女のような存在は……この世界では、架空の存在なのです」
「……はい?」
予想外すぎる単語に、マックイーンは思わず間の抜けた声を出してしまった。
「架空、なんです。アニメやゲームの中で作られた、物語の中だけの存在というか……。とにかく、現実の歴史上には存在しない生物なんですよ」
「いえ、しかし……」
わたくしは今、こうして生きて息をしていますわ。
そう反論しようと口を開きかけたマックイーンだったが、その言葉は喉の奥でピタリと止まった。
(……架空の、存在?)
その言葉を起点に、彼女の優れた頭脳が、今日起きたすべての異常事態を猛スピードで論理的に結びつけ始めた。
――なぜ、誰もが自分の姿を見て「コスプレ」だの「クオリティが高い」だのと言ったのか。
――なぜ、ウマ娘のためのインフラが一切存在しないのか。
――なぜ、交番の警察官すら「人間の耳がない」ことにあれほど驚愕したのか。
ここがただの「別の街」や「別の国」ではなく、自分という種族そのものが『物語の中の作り物』として扱われている世界なのだとしたら。
ウマ娘が存在しない、世界なのだとしたら。
(確かに……それならば、すべてが完璧に納得がいってしまいますわね……)
あまりにも残酷で、しかし抗いようのない真実。
論理的な思考が導き出した答えの前に、マックイーンは完全に言葉を失い、静かに俯いた。
■
沈黙が降りた取調室。
ただ黙り込んでしまった少女を見て、警部は痛ましそうに目を細めた。彼女がどこから来た何者であれ、今、途方もない孤独とショックの中にいることだけは間違いなかった。
「……ひとまず、お疲れでしょう」
警部は立ち上がり、取調室の重い鉄の扉を開けた。
「こちらの部屋へどうぞ。少しは落ち着けるはずです」
案内されたのは、取調室の隣にある、来客用と思われる清潔なソファーが置かれた応接室だった。
「鑑識や他の連中、それに上層部など、この事態を判断できる人間が来るまでには、まだ少し時間がかかります。ひとまず、ここでお休みください」
「……ご配慮、感謝いたしますわ」
ふかふかのソファーに腰を下ろしても、マックイーンの表情は晴れない。しっぽも力なくシートに垂れたままだ。
「ああ、お飲み物や食べ物はどうしますか? 署の近くにコンビニがあるので、何か買ってこさせますが」
警部の気遣いに、マックイーンはゆっくりと首を横に振った。普段であれば、迷わず「甘いものを」とリクエストしていただろう。
しかし今は、胃の奥が冷たく重い鉛で塞がれているようだった。
「お気遣いなく。……食欲は、ありません」
「そうですか」
「ただ……ええと」
マックイーンは少しだけ躊躇った後、すがるような小さな声で付け加えた。
「お茶か何か、頂ければ。……できれば、温かいものを」
交番で飲んだ、あの温かいほうじ茶。あれが今の自分を繋ぎ止める、唯一の「現実の温もり」のように感じられたのだ。
「承知しました。少し、待っていてください」
警部が一礼して部屋を出て行く。パタン、と扉が閉まり、応接室にはマックイーンが一人取り残された。
静まり返った部屋の中。マックイーンはソファーに深く背中を預け、誰にも聞こえないほどの小さな、小さなため息を吐き出した。
「わたくしが……架空の、存在……」
呟いた言葉は、虚しく部屋の空気に溶けて消えた。