勇者ヒンメルと竜の墓場の話   作:龍改二

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第3話 空を飛ぶ魔法

 

ステンドグラスから差し込むプリズムの光が、静まり返った教会の床に淡い影を落としていた。

 

ヒンメルは自らの銅像を見上げていた視線をゆっくりと降ろし、フリーレンの背後に立つ二人の若者へと向けた。澄んだ青い瞳が、慈しむように細められる。

 

黒いローブを纏い、木製の杖を凛と握りしめる少女の立ち居振る舞い。そして、大きな斧を背負い、どこか居心地悪そうに身を縮こまらせている赤髪の青年の体躯。ヒンメルはほんの数秒その姿を眺めただけで、すべてを悟ったようにふわりと眉を下げた。

 

「……なるほどな」

 

ヒンメルは穏やかな足取りで二人に歩み寄ると、まずフェルンの前で足を止めた。背丈を合わせるようにわずかに腰を落とし、その顔を覗き込む。

 

「君の纏っているその静かな魔力と、背筋の伸びた佇まい……。どこか、生真面目でお説教ばかりしていた頃のハイターに似ているよ。あいつの子供かい?」

 

「……はい。血の繋がりはありませんが、ハイター様に育てられ、フリーレン様に魔法を教わりました。……フェルンと申します」

 

フェルンはいつもの辛辣さを潜め、背筋を正して深々と頭を下げた。伝説の勇者を前にした緊張というよりは、かつて自分を慈しんでくれた育ての親の、かけがえのない親友に対する純粋な敬意だった。

 

ヒンメルは満足そうに頷くと、次にシュタルクへと向き直った。その鋭くも温かい視線が、青年の傷跡や鍛え上げられた分厚い手のひらを捉える。

 

「そして君は……その重心の低さと、背負った無骨な大斧。ひと目で分かるよ。あの頑固なドワーフ――アイゼンの弟子だね」

 

「う、うす……! シュタルクっていいます。師匠からは、ヒンメル……様、たちの旅の話を、昔からたくさん聞かされてましたっ!」

 

シュタルクが緊張のあまり直立不動で答えると、ヒンメルは破顔した。

 

自らの死後、かつての仲間たちが遺した絆がこうして繋がり、何より――時の流れに一人取り残されるはずだったエルフの少女が、こうして誰かと共に新しい旅を歩み続けている。その事実が、青年の胸をこの上なく温かく満たしているようだった。

 

「そうか。あいつらの意志を継ぐ君たちが、フリーレンと一緒にいてくれるんだね。……ありがとう。ハイターもアイゼンも、きっと喜んでいるよ」

 

青い瞳に宿る優しさに、フェルンとシュタルクは小さく息を呑み、静かに視線を交わし合った。この青年がたとえ村人たちの信仰から紡がれた存在であったとしても、その心根に宿る光は、かつて世界を救った本物の勇者ヒンメルそのものだった。

 

そんな感慨深い空気を切り裂くように、フリーレンがふと思い出したように小さく手を叩いた。

 

「あ、そうだ。ヒンメルが倒した十メートルくらいの蛇の魔物だけど、なんか今は千メートルあったことになってるよ」

 

あまりにも唐突で気の抜けた報告に、シュタルクが思わず「今その話すんのかよ……」と小声でツッコミを入れかける。だが、ヒンメルは驚く様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張り、爽やかな笑みを浮かべた。

 

「本当かい? それは嬉しいね。実際千メートルあった気がしてきたよ。……うん、あったな」

 

「絶対なかったでしょ。私だって戦ったんだから覚えてるよ」

 

「記憶なんてものはね、カッコいい方に書き換えていくものさ。ほら、千メートルの大蛇を鮮やかに切り伏せる勇者ヒンメル……素晴らしい、絵になりすぎるね」

 

前髪を払いながら完璧な角度でポーズを取るヒンメルに、フリーレンは呆れたように小さく息を吐き、けれどその口元には、かつての旅の途中で何度も浮かべた、懐かしむような微かな笑みが灯っていた。

 

* * *

 

教会を後にした一行は、再び丘の上にある村長の家へと足を運んだ。

 

部屋の中では、腰の曲がった現村長と、蘇った先代村長が机を挟んで向かい合い、互いの顔を複雑な面持ちで見つめ合っていた。何十年もの時を隔てた祖父と孫が、老いた孫と比較的若い祖父という奇妙な姿で同席している。世界の理が歪んでいることを、その光景そのものが如実に示していた。

 

暖炉の火が揺れる室内で、シュタルクは立ったまま身動きが取れずにいた。背筋をこれ以上ないほどピンと伸ばし、視線をあちこちに泳がせている。何しろ、歴史に名を刻む伝説の英雄――師匠のアイゼンが生涯を共にした勇者ヒンメルが、すぐ隣の丸椅子に腰掛けているのだ。

 

「あ、あの……ヒンメル、様……」

 

「シュタルク」

 

おずおずと声をかけたシュタルクに、ヒンメルは青い瞳を向けて柔らかく微笑んだ。

 

「呼び捨てでいいよ。僕たちはもう仲間だし、アイゼンの弟子なら僕にとっても弟のようなものだからね」

 

「えっ……い、いいのか? 英雄を呼び捨てなんて、師匠にバレたらぶん殴られそうだけど……」

 

「いいのさ。堅苦しいのは僕のガラじゃない。それに、気さくな勇者の方がカッコいいだろう?」

 

「……わかったよ。ありがとう、ヒンメル」

 

シュタルクがぎこちなく頷くと、ヒンメルは満足そうに目を細めた。そのやり取りを横目に、フェルンは淹れ直されたハーブティーをフリーレンの前に置きながら、静かに現村長へと向き直る。

 

「村長様。村の異変について、何か心当たりはありませんか。大蛇の出現、教会の復活、そして過去の人々の具現化……すべて何らかの魔力や特異な現象が引き金になっているはずです」

 

現村長は震える指先で髭を撫で、深く息を吐き出した。

 

「……確たる証拠があるわけではございません。ですが、もしこの地に何らかの『異変の元凶』が存在するとすれば……村の外れ、乾燥した砂漠のただ中に口を開く禁域――『竜の墓場』しか考えられんのです」

 

「竜の墓場……」

 

フェルンが呟く。現村長は重々しく頷いた。

 

「ええ。砂漠の中央に埋もれ果てた、千メートルはあろうかという山のような超巨大竜の、白骨化した化石がそのままダンジョンと化した場所です。大昔から誰も近づくことを許されない禁域とされており、あそこの奥深くで何かが目覚めたのではないかと……」

 

「千メートル……ここでも千メートルか」

 

シュタルクが思わず眉をひそめた。紙芝居の大蛇といい、この村のスケール感には何かと尾ひれがつきやすい。だが、今度は誇張された伝説だけでは片付けられない気配が漂っていた。

 

「待っておれ。それならば、村の古い伝承に記述があったはずじゃ」

 

そう言って立ち上がったのは、先代の村長だった。慣れた足取りで奥の書架へと向かい、埃を被った分厚い革表紙の文献を引っ張り出して机の上に広げる。ページをめくる指先は確かで、自らが村を治めていた時代の記憶をそのまま引き継いでいるようだった。

 

「これじゃ……神話の時代に存在したとされる、超巨大竜についての記述。この地をかつて支配していた、極めて邪悪な怪物であったと記されておる。山を穿ち、天を覆い、その息吹だけで大地を枯らしたと……」

 

文献の古い挿絵には、雲を突き抜けるほど巨大な竜の姿が不気味な筆致で描かれていた。

 

その禍々しい姿絵を見つめながら、フリーレンは顎に手を当てて静かに記憶を探った。

 

「……超巨大竜、ね。島みたいに大きくて、ずっと空を飛び続けてるあの竜を思い出すね」

 

「『天脈竜』ですね」

 

フェルンが即座に言葉を継いだ。北部高原の旅の途中、一行がその広大な背の上に着陸し、一時を過ごしたあの天空を漂う規格外の超巨大生物。生きた大地そのもののような圧倒的な質量と魔力を持っていた。

 

「あいつか……! あの竜、マジでデカかったよな。背中の上に森や湖があって、自分が生き物の上にいることすら忘れそうだったぜ」

 

シュタルクが当時の冷や汗を思い出したように首を振る。フリーレンは机の上の文献に視線を落としたまま、淡々とした口調で思考を組み立てていった。

 

「天脈竜は穏やかだったけど、神話の時代にはああいう超巨大竜の同類……あるいは亜種が、地上を支配していたとしても不思議じゃない。それに、竜は魔力の籠もったものを集める習性がある。巨大竜の亡骸が千メートルの化石となって残っているなら、そこに何か、魔力のある遺物が残留している可能性はあるね」

 

「なるほど」と、ヒンメルが腕を組んで頷いた。

 

「その『竜の墓場』の奥底で、何か古い魔力や遺物が活性化して、村人たちの記憶やイメージを吸い上げて具現化している……というわけかい?」

 

「うん。同じ十メートルの大蛇がまた現れたり、君が一番輝いていた姿で現れたりしたのも、その竜の化石に残った魔力の影響かもしれない。放っておけば、村全体が過去のイメージに完全に飲み込まれてしまう」

 

フリーレンは赤い杖を軽く握り直し、窓の外――遠く北に広がる荒涼とした砂漠の空を見つめた。

 

「行ってみよう、『竜の墓場』へ」

 

* * *

 

ボーネ村の緑を背に北上するにつれ、草木はまばらになり、足元はひび割れた赤土から乾いた砂地へと様相を変えていった。吹き付ける風には熱を帯びた砂粒が混じり、視界の遥か先には、巨大な陽炎が揺らめいている。

 

一行の先頭を歩くヒンメルは、眩しそうに手で日差しを遮りながら、どこまでも高く澄み渡る北部の空を見上げた。

 

「――超巨大竜、か。そういえば僕も見たことがあるな。あの雲海を泳ぐ『天脈竜』」

 

懐かしむように目を細め、ヒンメルは隣を歩くフリーレンへと視線を投げかける。

 

「僕たちが旅をしていた頃、遥か頭上を巨大な島のような影が横切っただろう? アイゼンとハイターは『あれが神話の幻獣か』と腰を抜かしかけていたけれど……あの時、僕は何て言ったか覚えているかい?」

 

「……『君ならいつか、天脈竜の背に辿り着くこともできるかもしれないな』って言った」

 

フリーレンが淡々と言葉を返すと、ヒンメルは青い瞳を丸くし、それから心底嬉しそうに破顔した。

 

「よく覚えていてくれたね。本当にあれの背中に乗ってしまうなんて驚いたよ。あの頃の僕は、君を励ますつもり半分、冗談半分で言っただけだったのにさ。まさか実現させてしまうなんて、やっぱり君は凄い魔法使いだ」

 

「別に私が特別だったわけじゃないよ。時代が進んだだけ」

 

フリーレンは白いツインテールを風に揺らしながら、足元を踏みしめて平坦な声で続けた。

 

「ヒンメルたちが死んだ後、人類は『空を飛ぶ魔法』を習得したんだ。魔王討伐から数十年かけて、大陸魔法協会が体系化した」

 

「人間が空を……? あの鳥のようにかい?」

 

「うん。正確には、魔族が使っていた飛行魔法をそのまま間借りしているだけだから、術式の根本的な原理は今の人類にも解明できていないんだけどね。それでも、イメージさえ固まれば誰でも空を飛べる。今の魔法使いにとっては基礎技術の一つだよ」

 

「へえ……!」

 

ヒンメルは純粋な少年のように歓声を上げ、感嘆の息を漏らした。

 

「魔族の術を解析して自分のものにするなんて、人間も逞しいものだな。原理が解明できていなくても空を飛んでみせる……面白い。僕も生きているうちに、一度くらい空を飛んでみたかったな。きっと空の上から見下ろす僕の銅像も、最高に絵になったはずだ。……地上絵なんてのもアリかもしれないな」

 

「相変わらずだな……」と苦笑するシュタルクの横で、フェルンは静かにヒンメルの横顔を見つめていた。何十年も前に命を落とした英雄が、自らの知らぬ未来の進歩を少しの嫉妬も抱かず、ただ眩しそうに称えている。その無垢なまでの器の大きさに、フェルンは不思議な温もりを覚えていた。

 

その時だった。

 

ズズズ……と砂の下から重い振動が伝わり、一行の足元が大きく波打った。

 

「うわっ……!?」

 

「シュタルク様、下がって!」

 

砂煙を爆発させ、地面を突き破って現れたのは、青黒い硬質の鱗に覆われた巨大な鎌首――先ほど岩山で討ち果たしたはずの、体長十メートルの大蛇だった。

 

 

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