勇者ヒンメルと竜の墓場の話   作:龍改二

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第5話 神話の巨影

 

かつては竜の喉だったであろう、青白い発光苔が照らし出す骨の洞窟をさらに奥へと進むと、道は二股の分岐路に突き当たった。

 

片方は、底知れぬ冷気と微かな魔力の脈動が漂ってくる、明らかに下層――ダンジョンの心臓部へと続く広い本道。もう片方は、天井が低く崩落した瓦礫が散乱する、どう見ても行き止まりにしか見えない狭い横穴だった。

 

一行が足を止めたその時、ヒンメルが楽しげに青い瞳を輝かせ、狭い横穴の方を指差した。

 

「なあみんな、そっちは正解の道っぽいからさ。先にコッチに行かないかい?」

 

「……ヒンメル様」

 

フェルンが木製の杖を握り直すと、すっと目を細めて咎めるような視線を向けた。いつものように頬をわずかに膨らませ、至極真っ当な正論を口にする。

 

「何を仰っているのですか。私たちは村の異変を解決するために来ているのです。最短距離で元凶を叩くべきです」

 

「そんなところまでハイター譲りなのかい、フェルン。ダンジョンの隅々まで探索しないともったいないじゃないか。 もしかしたら、この奥にとんでもない宝箱や、隠し部屋があるかもしれない。寄り道をしてこそ、旅は面白くなるんだ」

 

「無駄足になる確率が九割九分です。大体、昔は竜の体内だった行き止まりの狭い穴に、宝箱なんてあるわけがありません」

 

「ふふ、ヒンメルはいつもこうだったよ」

 

呆れ果てるフェルンを横目に、フリーレンは懐かしそうに口元を緩めていた。白いツインテールを揺らし、かつての十年間の記憶を穏やかに目を細めて反芻する。

 

「ヒンメルはね、ダンジョンの宝箱は全部開けないと気が済まないタチだったんだ。たとえそれがミミックだと分かっていてもね」

 

「いや、ミミックに頭から食われてるのはいつも君だけだったよ、フリーレン。……まあ、結局のところ、僕たちの旅はこういう寄り道だらけだった。無駄な時間こそが、あとで一番楽しい思い出になるんだよ」

 

「英雄の旅って、もっとこう……張り詰めたもんだと思ってたんだけどな……」

 

シュタルクが脱力したように苦笑し、大斧を背負い直した。

 

結局、フェルンの無言の圧力に押される形で、一行は正解の道――下層へと続く広大な空洞へと足を進めることとなった。

 

下層の奥深く、かつて巨大竜の心臓が収まっていたであろう巨大な空間に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような異様な魔力が一行を包み込んだ。

 

ドーム状に広がる巨大な胸骨の天井。その中心の空間に、それは浮遊していた。

 

それは生物の肉体を持たない、神話時代の自立型魔導具のような異形の魔物だった。かつて一級魔法使い試験の折に『零落の王墓』で対峙した『水鏡の悪魔(シュピーゲル)』を彷彿とさせる、無機質で冷徹な幾何学模様の結晶球体。球体の内部では無数の魔力光が渦を巻き、周囲の大気から絶え間なく土地の記憶や想念を吸い上げては、青白い魔力の奔流として脈動させている。

 

「……あれは。……『シュピーゲル』によく似ていますね」

 

フェルンが杖を構え、警戒を最大に引き上げる。

その異様な球体を見上げたフリーレンは、ふと足を止め、記憶の奥底に埋もれていた断片的な記録を手繰り寄せていた。

 

(……あ。これ、どこかで見たことがある)

 

何年も前、ハイターが息を引き取る直前の光景が蘇る。

当時、フェルンが一人前の魔法使いとして成熟するまでの時間を稼ぐため、ハイターはフリーレンに一冊の分厚い魔導書の解読を依頼した。『賢者エーヴィヒの墓所』から出土したという、神話の時代の魔導書だ。

 

ハイターは当時、「不老不死の魔法の手がかりが記されているかもしれない」と嘘をついていた。だが実際に数年間の歳月をかけて解読したその魔導書に記されていたのは、不老不死などではなく、神話時代に作られた自律型魔導兵器や遺物の目録だったのだ。

 

当時のフリーレンは、民間魔法でもなければ現存するとも思えない、神話時代の遺物にはさほど興味がなかった。そのため、「なんだ、ただの当時の武器の記録か」と適当に流して頭の片隅に放り込んでいた。

だが、目の前に浮かぶ異形を視界に収めた瞬間、その光景と知識が完全に符号した。

 

「……思い出したよ。あれは神話の時代に存在した自律型の魔導具、『追憶の悪魔(ゲテヒトニス)』だ」

 

フリーレンの静かな声に、ヒンメルが剣の柄に手を添えたまま横顔を向けた。

 

「ゲテヒトニス……? それが、この異変の元凶かい?」

 

「うん。周囲一帯の土地やそこに住む者たちの、強いイメージや記憶を吸い上げて、質量を持った『現実』として再構成する魔法を使うんだ。魔導具ともいえるし、魔物ともいえる。……おそらく、この超巨大竜が神話の時代にあいつを丸呑みにしたまま命を落として、砂漠の下で化石になったんだね」

 

竜の体内で、主を失った魔導具は何万年もの間、深い眠りについていたのだろう。

 

「経年劣化か、あるいは何かの地殻変動で魔法回路に刺激が入って、今になって勝手に再起動しちゃったんだと思う。土地の記憶、村人たちの記憶、そしてヒンメルの伝説……全部を無差別に吸い上げて、形にして吐き出し続けているんだ」

 

「なるほどな」

 

ヒンメルは青い瞳を細め、宙に浮く球体をまっすぐに見据えた。

 

「理由はどうあれ、放っておけば村の人たちの現在が、過去の影に押し潰されてしまう。……だからフリーレン、やることは一つだ」

 

シャキン、と澄んだ金属音を響かせ、ヒンメルが腰の剣を引き抜いた。

刃に宿る白銀の輝きが、暗がりを切り裂く。

 

「壊そう。未来を生きる人たちに、過去の僕たちが迷惑をかけるわけにはいかないからね」

 

フェルンが木製の杖を両手で構え、シュタルクが大斧を両手で力強く握り直す。

フリーレンもまた、赤い杖の先を淡々と球体へと向けた。

 

「うん。……やろう、ヒンメル」

 

静寂が支配する骨の神殿の中央で、幾何学模様を描く結晶球体――『ゲテヒトニス』が、青白い魔力光を妖しく明滅させている。

 

フリーレンがその無機質な球体を見据え、仕掛ける間合いを測っていたその時、フェルンが木製の杖を握る手に微かに力を込め、鋭い懸念を口にした。

 

「……待ってください」

 

フェルンの低く張り詰めた声が、湿った冷気を震わせる。

 

「『零落の王墓』にいた『シュピーゲル』は、自身の直前に最強の複製体――フリーレン様の複製体を門番として配置していました。あれと同種の神話時代の自律型魔導具が、自らを完全に無防備にして晒しているなど……あり得るのでしょうか」

 

「……あ」

 

フリーレンが小さく声を漏らした刹那、ゲテヒトニスの核が一際禍々しい真紅の光条を放った。

 

地下迷宮全体を根底から揺るがすような、凄まじい地鳴りが轟く。

それは単なる落盤の揺れではなかった。何万年も前に死に絶え、白骨化して化石となったはずの巨大な肋骨や壁面が、まるで生き物のように蠢き始めたのだ。

 

骨と骨の継ぎ目から、無数の赤い繊維が吹き出す。

毛細血管が網の目のように岩肌を走り、筋肉の束が編み上げられ、湿り気と熱気を帯びた生々しい赤黒い肉が、津波のような勢いで洞窟の内壁を覆い尽くしていく。

 

「な、なんだこれ……!? 壁から肉が生えてきてるぞ!?」

 

シュタルクが悲鳴を上げ、後ずさる。

床の岩盤が脈動する柔らかな肉へと変わり、足元から伝わる粘着質な熱が、ここがただのダンジョンではなく「生きている竜の体内」へと変貌しつつあることを告げていた。

 

(自らを護る門番を用意してるんじゃない。……ゲテヒトニスそのものが竜の心臓になって、この超巨大竜を丸ごと再構成しているんだ)

 

フリーレンの思考が結実するよりも早く、白いマントが閃いた。

 

「フリーレン、撤退だ! ここでの破壊は諦めろ!」

 

ヒンメルの研ぎ澄まされた直感が、一瞬の迷いもなく下した即時の決断。

ヒンメルは剣を納める間すら惜しみ、左腕一本で小柄なフリーレンの身体を軽々と抱え上げた。

 

「全員、走れ! 飲み込まれるぞッ!」

 

「ちょ、シュタルク様――きゃあっ!?」

 

フェルンの叫びを完全に無視して、その華奢な身体を、シュタルクが両腕で力任せに抱え込んでいた。

 

「フェルン、舌噛むなよッ!」

 

「シュ、シュタルク様……!?」

 

普段のビビリ癖など吹き飛んだ戦士の爆発的な脚力で、シュタルクはヒンメルの背中を追って地を蹴った。

 

背後では、ゲテヒトニスが脈打つ心臓の肉塊の中へと完全に埋没し、肉の天井が獲物を圧殺せんと急速に狭まっていく。骨と岩の通路だった空洞には赤黒い筋繊維が天井から滴り、蠢く食道のように脈動を始めた。

 

「ヒンメル、揺れる」

 

「我慢してくれ、フリーレン! 急いで外にでないと消化されるぞ!」

 

ヒンメルは跳躍を重ね、狭まる肉壁の隙間を風のようにすり抜けていく。重力を感じさせない身のこなしのまま、背後の戦士に鋭く指示を飛ばす。

 

「アイゼン!……いや、シュタルク! 足元の筋膜を蹴れ! 沈み込む前に跳ぶんだ!」

 

「わ、 分かったッ!うおおおおおっ!」

 

四人は肉と血管が狂ったように膨張する暗黒の体内を、光の速さで逆走した。

 

前方に、かつて入り口だった竜の頭骨――今や分厚い唇と歯茎が再生し、上下の巨大な牙が閉じ合わさろうとしている大顎が見えてくる。その床面には、新たに再生した長大でぬめる紅い舌が、獲物を絡め取ろうと波打っていた。

 

「フェルン、頭を低くしててくれ!」

 

「は、はいッ!」

 

ヒンメルとシュタルクは同時に舌の根元から先端へと滑り込んだ。

粘液に塗れた巨大な舌の上を、二人は猛スピードで滑走し、閉じ切る寸前――数メートルまで迫った上下の牙の隙間を目掛けて、渾身の力で宙へと身体を撃ち出した。

 

直後、背後でガギン!!と、山が激突したかのような凄まじい噛み合わせの轟音が響き渡り、衝撃波が砂塵を吹き飛ばした。

 

砂丘の斜面を滑るように着地し、ヒンメルとシュタルクは抱えていた二人を砂の上に下ろした。

 

「げほっ、ごほっ……! ま、間に合った……」

 

シュタルクが肩で息をしながら、両膝をつく。フェルンは乱れた黒いローブの裾を整えながら、羞恥と恐怖で紅潮した顔を必死に落ち着かせようと胸元を押さえていた。

 

「……シュタルク様、助かりました。……ですが、少し抱え方が雑でした」

 

「命拾いした直後に言うセリフかよそれ!?」

 

「ふふ、二人とも無事で良かったよ。……大丈夫かフリーレン」

 

「うん。ありがと、ヒンメル」

 

フリーレンを砂の上に下ろしたヒンメルは、額の汗を拭いながらも、その青い瞳を地平線へと向けて急速に険しく細めた。

 

足元の砂漠が、まるで海のように激しく波打っている。

 

大地が憤怒しているような地鳴りを響かせて、数キロ四方にわたる砂漠の砂が、巨大な擂鉢状の穴へと一気に崩落を始めた。

地表に一部だけ突き出ていた白骨の化石群――あの山のように巨大な翼骨や肋骨が、骨格の軋む凄まじい音を立てて砂中から浮上してくる。

 

骨だけではない。

先ほど体内で起きた肉の再生が、今や外側へと爆発的に浸透していた。

骨格の周りに幾重もの筋肉の巨塊が巻き付き、その上を漆黒と深紅の鋼鉄のような鱗と外殻が、波打つように覆い尽くしていく。

 

砂嵐を突き破り、立ち上がったのは――全長千メートル。

 

雲へ伸びる岬のように突き出した二本の角。雲海を容易く引き裂く巨大な翼。

それは、この北の大地に刻まれた、遥かな神話の時代の記憶。

今の時代に存在してはならないはずの超巨大竜が、魔導具の力によって肉体を完全に取り戻し、万年の眠りから目を覚ました。

 

再生された巨大な眼球が、ギロリと四人を見下ろす。

 

怪物は長大な頸を持ち上げ、天を衝く高みにある大顎を、雲を喰らうかのように大きく開いた。

 

――刹那、世界から音が消えた。

 

直後、天地を揺るがす大咆哮が、物理的な衝撃波となって砂漠全体を薙ぎ払う。空気が激しく爆縮し、四人の鼓膜を引き裂かんばかりにビリビリと激しく震わせた。

 

内臓の奥底まで直接叩きつけられるような重低音の轟圧。巻き上がっていた砂煙が一瞬で同心円状に吹き飛ばされ、大地そのものが悲鳴を上げるように波打つ。

 

猛烈な耳鳴りと、音圧で吹き飛ばされた砂粒が、呆然と見上げる四人の肌を激しく叩きつけた。

 

「……嘘だろ」

 

シュタルクが顔から血の気を引かせ、見上げる空のすべてを覆い尽くす異形に圧倒されて息を呑む。

目の前にあるのは、まさに『山』のような巨竜だ。

 

「こんなの……どうやって戦えばいいんだよ……! 天脈竜が、そのまま邪悪な怪物になって起き上がってきたようなもんじゃねえか……!」

 

フェルンもまた木製の杖を両手で握り締め、竜の周囲に渦巻くあまりの魔力の規模に、言葉を失っていた。

 

天脈竜のような超巨大生物が、完全な敵意を持って地上に君臨している。

怪物が開いた漆黒の口腔の奥深くでは、大気を灼き尽くすほどの超高熱の魔力の光が、不気味に揺らめいていた。

 

吹き荒れる暴風の中、フリーレンは白いツインテールを激しく乱しながら、静かにその巨躯を見上げていた。その隣で、ヒンメルが腰の剣を再び静かに引き抜き、白銀の切っ先を砂漠の怪獣へと向ける。

 

「千メートルの大蛇の伝説を笑っていたら、本物の千メートルのお出ましというわけだ。……フリーレン。僕たちの冒険譚の続きとしては、これ以上ないほどカッコいい舞台じゃないか」

 

ヒンメルの唇には、不敵で、それでいてどこまでも澄み切った笑みが戻っていた。

 

 

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