伝説のギャルゲー主人公に転生した僕は、憧れであり初恋でもあるヒロインたちを攻略せずに、対等な『戦友』として支え続けたら、なぜか彼女たちの好感度が限界突破した 作:打打打
「……最高の朝って。お兄ちゃん、やっぱり頭打ったでしょ」
澪は呆れたように肩を竦めた。
怪訝な視線を向けてくる。けれど、その唇は僅かに緩んでいた。
シャンプーの微かな林檎のような香りが、鼻腔をくすぐる。
彼女の匂いや体温、立ち姿、それらすべてが画面の向こう側の「偶像」ではない。
「ほら、さっさと着替えて! ……急がないと遅刻しちゃうよ!」
澪は僕の腕を両腕で抱えながら、引き摺るようにして無理やりベッドから立ち上がらせる。
「分かった、分かったから。自分でできるって」
苦笑いしながら、彼女の腕からそっと抜け出す。
わざわざ起こしに来てくれた彼女の頭を、僕は優しく撫でた。
澪は「え……?」とだけ呟いて、困惑した表情で固まっている。
そんな彼女の脇を通り過ぎ、自室の扉を開けて、母親が朝食を作って待っている一階へと降りていく。
僕が転生する以前の、主人公の中にある両親の記憶。
両親は家族想いで優しくも、時には厳しく育てられた思い出がある。
父親が仕事に向かうのを玄関で見送ってから洗面所に向かい、顔を洗ったり、うがいをする。
さっぱりしてからリビングに入ると、そこにはテレビから流れるニュースの音と、台所でお弁当を詰めている母親の背中がある。
すべてがあまりにも「リアルな日常」だった。
食卓には朝食のハムと目玉焼き、それからサラダと味噌汁が置かれている。
箸を握り、一口食べてみる。
「……おいしい」
思わず感想が漏れてしまう。
「何言ってるのよ。いつもと同じでしょ?」
母さんが淡々と、でも微かに口元を綻ばせながら言った。
僕のお茶碗にご飯を盛って、出してくれる。
そんな和やかな光景の中においても、視界にはゲームで見覚えのあるウインドウが浮かんでいた。
【 CHARACTER PROFILE 】
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⚫︎名前:相澤 恵子
⚫︎職業:医療事務 誕生日:10月1日
⚫︎血液型:A型 身長:166cm
⚫︎精神:❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎ 100%
⚫︎愛情度:9999 / 9999[MAX]
⚫︎純愛度:■■■■■■■■■■ 100%
⚫︎狂愛度:□□□□□□□□□□ 0%
⚫︎関係:親子
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「そういえば、澪はどうしたの? 京を起こしてきてって頼んだはずなんだけど……」
階段を駆け降りる澪の足音が、家の中に心地よく響く。
「やばいやばい。お兄ちゃんのせいで遅刻しちゃうよ! お母さん、ご飯!!」
「はいはい、もう澪ったら。よく噛んで食べなさいよ?」
妹の言う通り、確かにゆっくり朝食を楽しんでいる時間は無さそうだ。
僕もペースを上げ、十分ほどかけて、朝食を食べ終えた。
「ごちそうさま。おいしかったよ、母さん」
「え……? 具合でも悪いの?」
社会人になれば、自分で朝食を作ることの難しさとありがたみが、骨身に染みるほど理解できる。
当たり前が、当たり前じゃないことにやっと気づく。
その感謝を告げただけなのに、母親はぽかんと口を開けたまま、僕の言動に驚いているようだった。
「ごちそうさま!!」
妹がリビングを飛び出して、階段を駆け上がっていく。
僕も自室で制服に着替えるために、急いで彼女の後を追う。
シワひとつないシャツとズボンに着替え、高校指定の上着に袖を通し、最後にタイを締める。
鞄を肩にかけ、階段を降りて玄関へと向かう。
「あ、待ってよお兄ちゃん! 私も一緒に行く!!」
澪が慌てて鞄を引き摺りながら、階段を駆け降りてくる。
靴紐をしっかりと結び、玄関の扉を開けた。
その瞬間、全身を強烈な朝日が包み込んだ。
あまりの眩しさに、思わず目を細めてしまう。
そこには、僕が子供の頃に目にした「七ツ海」の街並みが、どこまでも鮮やかに、美しく広がっていた。
母親が育てている、家の軒先に咲く綺麗な花々。
朝の光を受けて輝く坂道と、その坂を下った先に広がる、澄み渡った青い海。
空は雲ひとつない快晴だった。
まるでこの世界の誕生を祝福しているかのようだ。
水色のペンキを空に零したかのように、どこまで続いている。
「お兄ちゃん、早く行こ?」
妹の、少しだけ焦りが混じったような声が、背後から聞こえてくる。
僕は意を決して、一歩を踏み出した。この一歩が物語の始まり。
僕がこれから辿る道は、ゲームの制作者たちが用意した幸福なハッピーエンドへの道ではないのかもしれない。
もしかしたら、それはただの僕の独善的な願いであって、本当は誰にも望まれていない願いなのかもしれない。
でも。
それでも。
僕は、この伝説のギャルゲー世界を愛している。
かつて、深夜テレビの画面の前で、小さな心臓をバクバクさせながらヒロインたちの未来を見守っていた、あの少年だった頃の自分に、恥じない生き方をしたい。
ヒロインたちの『攻略』を求めるゲームシステムへの抵抗。
制作者が用意した「選択肢」を拒絶し、彼女たちの心に寄り添う新たな「ルート」。
「行こうか」
隣に並んだ澪に向かって、僕は短く告げた。
坂道の下から、一陣の潮風が吹き抜けた。
それは、潮の香りと、これから紡がれる新しい物語の予感を運んでくる。
全身を撫でる潮風が霧散し、風音が止む。
その僅かに残った余韻に浸りながら、僕は最初の一歩を踏み出した。
僕の足元では、運命の歯車が静かに、けれど力強く回り始めていた。
◇
七ツ海市は、海に面した街で驚くほど平地が少ない。
海の眺めも最高に美しいが、勾配があまりにも多い街だ。
ゲーム画面では汗ひとつかかずに登校している坂道だが、現実だとそうもいかない。
額に汗を滲ませながら、僕と澪は高校へと続く長い道の終着点に、もうすぐ辿り着きそうなところまで来ていた。
七ツ海高校。
昔この場所に存在した「七ツ海城跡」に高校を建てたため、これだけ険しい坂道を歩いて登校しなければならなくなったということが、設定資料集に記載されていた。
城門は、修繕や改修を繰り返しながら、そのまま高校の門として使われている。
ふと、前方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
それは、高校の校門の前で生徒たちに朝の挨拶をする、生徒会長の凛とした声。
背筋を真っ直ぐに伸ばした綺麗な立ち姿で、女神のような完璧な笑顔を振り撒く。
脇には「挨拶強化月間」と書かれた手作り看板が立てかけられており、他にも数人の生徒会メンバーが登校してくる生徒に挨拶をしていた。
――
伝説のギャルゲー『Sweet Kiss』のメインヒロインの一人。
文武両道の完璧秀才。高校三年生で生徒会長を務める。
ふわりと、白百合のような清楚で爽やかな香りがした。
簡単に挨拶を交わし、すれ違う瞬間。彼女の視線が僅かに僕を捉えた。
校門を抜けた先にある昇降口からは、多くの学生の賑やかな声が聞こえてくる。
これから関わっていくヒロインたちの運命が、この向こう側で待っている。
僕は最後にもう一度だけ深く、潮風を吸い込んでから、メインヒロインたちの抱える「苦難」を振り返る。
完璧であるからこそ、世界への興味を失っていく先輩、
父を事故で亡くし、病気の母を介護する幼馴染、
――それから、もう一人。僕にはどうしても、側にいて一緒に闘いたい人がいた。
「行くよ、澪」
「うん」
これからの僕自身の言動は、もちろん開発者が意図して用意したものではない。
幼い頃、僕の「憧れ」で「初恋」だったヒロインたち。
そこから僕はさらに成長を重ね、いつの間にか彼女たちの年齢を優に越える大人になった。
遠くで新たな人生の始まりを告げる、始業のチャイムが響き渡る。▽