肉体が女になってから、見ないふりをしていたことがたくさんある。その瞬間だけちょっとは意識するんだけど、すぐに意識の外に追いやって考えないようにしたり。思考がそっちに向きそうになるとごまかしたり。
そのうちの一つ。
俺とカイは、客観的に見て——女と男になった。そのこと。
支部長室を出て、立ち止まって考える。
部屋を出る直前支部長はニマニマしていた。
「存分に悩んでねぇ、若者の特権だしぃ」
「……ババくさ」
「ババアじゃないよ? お姉ちゃんは」
俺のささやかな抵抗は圧力に負けた。俺は弱い。
脳内の棚上げコーナーを検分するつもりで考えた。
まずそのいち。俺は女になった。これは魔法陣のせいで、その魔法陣は俺の願望を叶えるための試練として俺を女にしたっぽい。
そのに。俺は女になるのが試練になるような願望を抱いているらしい。
ウッ頭が! 必死に考えないようにしようとする理性をおさえつける。
頭を抱えつつも思考は止めない。
そのさん。俺の幼馴染で親友で相棒のカイは無類の女好きだ。当然、俺が女になると不都合の一つや二つ生まれる。
カイと俺の間で、俺が女になって生まれる不都合。つまり——。
「うがあああああっ!」
限界だ! もう無理! 今日はここまで! だいぶ進歩したから許して!
俺は大変疲弊した。肩で息をしながら宿に戻ろうとする。
冒険者協会の併設の酒場の前を通る。視界に男が映った。……カイだ。
えっ。あれ、待たせたか、悪かったかも。
そう思った俺の乙女心——ゲフン、もとい親友心はその瞬間粉々になった。
カイは女とイチャイチャしていた。それはもういちゃついていた。ボディタッチされまくりの鼻の下伸ばしまくりだ。
「……キモ」
本気の声が出た。俺は黙って背を向ける。
やっぱり、カイって女なら誰でもいいんだ。なのに、
——俺じゃだめなんだ。
今までなら、カイが誰といたって気にしてなかった。だって俺は男だったから。比べたって仕方のない相手と自分を比べたりしなかった、……のに。
黄昏の迷宮都市をなんとなく歩く。影が長く伸びて、これが本当の俺の身長ならいいのになんて思った。
「おいニコ!」
背後から声をかけられる。ついでに手も掴まれた。……振り払う気力もない。
「なんだよ、カイ」
振り返る。カイは焦っていた。
「待ってたんだから、置いてくなよ」
「は? 女に鼻の下伸ばしまくりのキモ性欲猿がなに言ってんの?」
「はあ?」
カイが心外そうな顔をする。その顔したいのこっちですけど。
「あのなあ。あいつ、お前も知ってるだろ。酒癖悪くて絡みまくるんだよ、いい迷惑だ」
「そのわりにはうれしそうだったけど?」
あからさまにため息をつかれる。なんだよ。
「なに、妬いてんの?」
は? は? は?
——いつもならカイを罵倒して、なんならぶん殴って、それで逃走しているところだ。
けど俺は、俺が女になったのは、俺の願望が——。
顔に血が集まるのを自覚する。俺の顔は真っ赤なことだろう。
カイが俺の顔を覗き込んだ。
「……え、まじで?」
なんかちょっと弾んだ声だった。それがわかってしまうのが、逃げられないみたいで嫌だった。
カイの顔を見られなくて俯く。手は握られたままだった。この手の大きさの違いが、そのまま今の俺とカイの違いを表していた。
口を開けば簡単に拒絶できそうだったのに、どうしてか何も言えない。
「ニコ、俺」
カイが何かを言いかけて、それを聞いたら今度こそ絶対戻れなくなる気がして。俺が選んだのは——いつもいつもワンパターンで嫌になるけど——逃走だった。
最後に余計な一言を残して。
「女なら誰でもいいくせに俺じゃだめなんだろ、わかってんだよバカ!」
……絶対こんなこと言わなくてよかったのに! カイが変な空気にするからだ!
手を振り払ってスタコラ逃げる。
どうせ宿の同じ部屋に帰るんだけど、……カイは一旦追ってこなかった。それもなんか微妙な気持ちになった。
☆☆☆
ここしばらくカイは夜遊びをしてなかった。けど、今日は気まずくて帰ってこないんじゃないかと思っていた。……それはそれで腹立つ。顔合わせると思うと気持ちの置き所がないけど、女と遊んでくるんじゃないかと思うと余計ムカついた。
……とはいえ。
宿の部屋で、一人で寝台に突っ伏す。死にたい。
なんであんなこと言っちゃったんだ俺。
まるで、カイに女として見られたいみたいじゃないか。
カイに合わせる顔がない。なのにカイと同室のこの部屋に戻ってきてしまった。あーもうほんと、どうしよ。
ドアが開く音がした。顔をあげて確認するまでもない、どうせカイだ。
「……下着見えるぞ」
開口一番カイはそう言った。俺は寝台にうつ伏せに突っ伏したまま答える。
「知らん……。見たいなら勝手に見とけ……」
カイが無言でこちらに近づくのがわかった。奴はそのまま、俺の捲れかけているスカートを直す。
……お母さんかっ!
俺が動かないのを見て、カイはどう思ったんだろう。わからないけど、少なくとも俺が対話を完全に拒否する構えではないことは伝わったようだった。
「俺さあ」
隣の寝台にカイが腰掛けたのが音でわかった。
「ガキのころから女のケツばっか追いかけ回しててさ」
知ってるけど。超知ってるけど。
ていうかカイが自分でそれ言う違和感やばい。こいつは俺が何度「いい加減にしろ」と言ってもヘラヘラ笑うだけだったから。
あっ思い出したらムカついてきた。
「そんなだから、女の扱い方はわかっても……、女になった親友の扱い方とかわかんなくて」
カイが息を吸う。
「俺にとって今のお前が、俺の知ってる『女』なのか、それとも違うのかが……、わかんなくて」
「……うん」
「お前の外見は完全に『女』なのに、口を開けばニコだから、最初は頭がおかしくなるかと思った」
そう言って、カイはふっと笑った。俺はちょっとだけ頭をあげて、隣の寝台のカイを窺う。カイはじっと俺を見つめていた。
「男でも女でも、お前はお前で、ニコのままで」
……そうだっただろうか。俺は、ちゃんと俺のままだったか? 身体が女になってから、ずっといろんなことに振り回されて、前の自分が思い出せない。
小さく呟く。
「『俺』ってなんなんだよ……、自分でもわかんないのに、お前にわかるのかよ」
八つ当たりだと思った。けど、カイははっきり言った。
「わかるよ」
「え」
「ニコはさ、寝付きがいい。すぐ寝る。それから朝に強くて、好きなもんは最初に食べたがる。靴は絶対右から履く。マジックバッグにへそくりを隠してる」
え? いきなり何? キモ……。
「キモ」
つい口に出してしまった。
「おい」
「だって」
「ここは『俺のことそんなに見ててくれたのか』って喜ぶとこだろ」
「喜ばんだろ。常識的に考えろ」
俺のツッコミを無視して、カイは続けた。
「それから魔術が好きで、口が悪い。あとは」
「あーわかったわかった! もういいって!」
俺は起き上がった。それからビシッとカイに指を突きつけて言う。
「この際だから一個言っとくわ」
「……おう」
「俺の口の悪さはお前の影響だから。お前の素行のせいで悪くならざるを得なかっただけだから」
カイはなんとも言えない顔をした。なんだその顔。
それからカイがため息をつく。
「まあ……、なんだ。そういう全部含めてニコってことだよ」
そう言って言葉を切る。俺は——ちょっとだけ肩の力を抜いた。
「あと」
「うん?」
カイが少しだけためらって口を開いた。俺は軽く首を捻る。
「お前、誤解してるけど。……誰でもよくない、俺はお前がいい」
へ?
「へ?」
そのまま口に出た。へ?
「……ここまで直接言ってわかんねーの。鈍感ニコ」
……へ?
え、どういうこと? カイが、誰でもよくないって言って、それで、俺が——。
え何? 何が起こってる? つまりどういうこと?
脳内でいろんな出来事が浮かんでは消えた。カイと初めて会った日のこと、初めて二人でダンジョンに潜った日のこと、それから俺が女になって、俺たちの間にそれまでなかった大きな差ができた日のこと。
「……きゅう」
「ニコ!?」
俺はそのまま気絶した。