脳が想定外の情報に処理落ちして気絶しても、朝にはきちんと目覚める。カイにも知られてる通り俺は朝に強いからだ。
……本当に? 本当にあれは、想定外の情報だったか? 俺は心のどこかであれを望んでいて、もしかして。
——女なら誰でもいいくせに俺じゃだめなんだろ、わかってんだよバカ!
——誰でもよくない、俺はお前がいい
昨日の自分の発言と、それからカイの言葉を思い出す。
……自分でもわかってる。きっと俺はずっとカイと一緒にいたかった。置いていかれたくなくて、ずっと隣にいたかった。魔術師として、幼馴染として、相棒として。
その思いを、魔法陣にどう解釈されたかはわからない。そもそも魔法陣の効果だって、言ってしまえば俺と支部長の推測の域を出ないんだ。
……それでも、俺は結果として女になった。向き合わないといけないものが増えた。男のままなら見ないでいられた感情に直面させられている。
そっと隣の寝台を見た。アホ面で眠っているかと思われたカイは、そこにいない。けどシーツがシワになっているから、確かにさっきまではいたみたいだった。
「……」
☆☆☆
足は自然とカイを探していた。向かったのは、迷宮都市を一望できる高台の小さな広場。見晴らしの良さに対していつも人がいない、都市の隠れた名物スポットだ。
そして、そう。俺とカイがコンビを組む約束をした場所だった。
俺の予想通りというべきか、カイはそこにいた。
「……おー、ニコ」
カイが俺に気づく。小走りで隣に立った。
見下ろした迷宮都市は、俺たちが子どものときから変わらない。煩雑で、いろいろな人がいて、たくさんの欲望と夢が詰まっている。
「変わんねえよな」
と、カイ。俺は頷く。
「……俺、変わらないのがいいことだと思ってた」
「ん?」
突然の俺の言葉に、カイは首を傾げた。俺は続けて話す。
「見ないふりをすれば、ずっと全部が変わらないと思ってた。……でも違うんだよな」
カイは黙ったまま、都市を見下ろしている。横顔からは何を考えているか読み取れなかった。
「俺が見てなかっただけで、院長先生のしわは増えるし、時間は流れてる。変わらないものなんてないんだ」
先日顔を見せに行った孤児院のことを思い出す。院長先生の目尻のしわは、俺が知っていたころより確かに増えていたっけ。
「変わりたくない、そのままでいたい。——そんな風に思ってたから、俺は女になったんだと思う」
「……どういうことだ?」
カイが疑問を挟んだ。……まあ当然か、こいつには俺が踏んだ魔法陣の詳細教えてなかったし。理解できると思わなかったから。
とりあえず大まかに説明してやろう。それでわからんって言われても知らん。
「俺が踏んだ魔法陣について、昨日支部長と話した。あの魔法陣は発動者の願望を読み取って、試練を課すことでより複雑な肉体改変を実現してるんじゃないかって——まあ、推測でしかないけど」
「……願望」
「そ、願望。俺が……お前と離れたくない、変わりたくないって思ったから……、それがどう解釈されたか知らんけど」
「それで、なんで女になることになるんだよ」
「知らんって。……お前が女好きのヤリチンだからじゃねえの」
「……俺の、せい?」
カイがぽつりと言葉を落とす。俺は首を横に振った。
「だから知らん。魔法陣の効果だって推測だって言ったろ? 結局確かなのは俺が女になったことだけだよ」
「……」
「気にすんな。俺は自分の意思でこのままでいることを選んだんだし」
カイがぎゅっと目を瞑る。今、こいつの中ではいろんな感情が渦巻いてるんだろうなってのが容易にわかった。
だから俺はカイの肩を叩いた。もういちど、気にすんなよ、と。
「それでさ。身体から変わっちまったもんだから、変わらないなんてのは土台無理なんだよな。俺自身の考えも、お前との関係も」
カイは黙って聞いていた。
「でも、……」
言いかけて、ちょっと止まる。
……本当にこれ言っちゃっていいのか? 後悔しないか?
いやでもなあ……。ここまで話したしなあ……。
男は度胸! ええいままよ!
「変わっていくとしても。……俺もお前がいいよ」
「……ニコ」
カイの肩が震える。
俺は身体が女になってから、大変複雑な感情の軌跡を描いてきたと思う。けどその絡まりを解いてみたら、多分結論はシンプルだ。
カイがほかの女にちょっかいかけるのが嫌で、俺じゃだめなのが嫌で。それってさ。
「……まあ、す、す、す」
……本当にこれ言っちゃっていいやつ!? もう言うしかないから言うけど大丈夫なやつ!?
「す?」
「……好きだよ、バカ」
カイはちょっと笑った。ムカついたので向こう脛を蹴っといた。人の一世一代の告白を笑うな。
「俺も、……お前が特別。誰でもじゃなくて、お前がいい」
カイが笑ったまま言う。俺は隣のカイの顔が見れなくて、足元を見つめた。俺の顔はさぞ真っ赤なことだろう。
カイが俺の顔を下から覗き込むみたいに見る。手を伸ばしてカイの顔を押し留めた。
「見るな」
「なんで」
「……恥ずかしいから」
ちらりと見えたカイはまた笑っていて。それが子どものころみたいな懐かしい笑い方に見えて、俺は何も言えなくなったのだった。
二人、高台から迷宮都市を見下ろす。しばらくの沈黙。
……これって、俺たち両思い……ってことでいいんだろうか。
……えっ? 俺とカイって両思いなの? えっ?
脳内ではお祭り騒ぎみたいにいろんな感情が交錯している。ニヤケそうになる口元を手でおさえた。
「なあ、カイってさ、いつから、その」
……いつから俺のことそういう目で見てたんだよ。と聞きたかった。カイは言葉を紡ぎきれない俺を見て頭をかく。
「そういうこと言わすなよ。お前も男心くらいわかるだろ」
ふーん。聞かれて困る質問なんだ。へー。ほー。
俺の顔から言いたいことを察されたみたいで、カイが俺のことを軽く睨んでくる。
「……もともとお前は俺の特別だったよ。それに意味が増えただけ」
「……ふーん」
……ん? でもちょっと待って。
こいつって、カイって、女好きのヤリチンだよな。そこは疑いようのない事実。……つまり、俺の貞操が……危ない?
俺は胸の前で腕を交差させて構えた。
「俺、お前のこと好きだけど段階って大事だと思ってるから」
「はあ?」
カイは訝しげだ。いやでも、大事なことだから。
「お前なあ。俺のことなんだと思ってるんだよ」
「そこに女がいれば即座に獣になる危険人物」
「そこまでじゃねえわ」
「女に飢えたケダモノ」
「……はあ」
ため息。カイはちょっと真剣に俺を見つめる。
「俺だって気遣いくらいできる。お前、他人に触られるの嫌いだろ。ここのところ……お前に触りすぎたのは、悪かった。だから……もう、お前の嫌がることはしないって約束する」
………………。
………………………………きゅん。
——ハッ!?
いや待て。ときめいてる場合じゃない。こいつはごく普通のことしか言ってない。不良が捨て猫拾ってて好感度上がる理論みたいなもんだ、しっかりしろ俺。
でも……、そっか。こいつ、俺が嫌なことはしないつもりなんだ。……ふーん。
スススッとカイとの距離を詰める。カイには気づかれてるだろうけど、あくまで自然に。
「ニコ?」
「…………くらいなら、いいけど」
「は?」
「き、キス……くらいなら、いいけど?」
「………………本気にするぞ」
「………………いいよ、本気にして」
ぎゅっと目を瞑る。心のどこかの自分が「えっ!? いきなり!?」とか「カイと!? 心の準備がまだなんですけど!?」とか騒いでいた。
けど、今を逃したら——俺とカイは、なあなあでいてしまう気もした。俺が嫌がることをしないと約束してくれたカイに甘えて、俺はいつまでもぬるま湯に浸かってしまう気がしたんだ。
顔の近くで、フッとカイが笑う気配。ふわっと柔らかくて暖かいものが唇に触れて、すぐに離れていった。
俺は目を開けて、そっと唇に手をあてる。目の前ではカイが視線を大いに泳がせていた。……百戦錬磨と豪語していたわりに、初心っぽい反応だ。こっちもつられてもごもごしてしまう。
「……ベロチューされるかと思ってたのに」
「いきなりこの流れでやらねえわ」
「カイだからありうるかと」
「だからさっきから俺のことなんだと思ってんの?」
いつもの軽口。お互いちょっとわざとらしかったけど、それでもうれしかった。俺たちは変わらないままで隣にいるんじゃなくて、変わることを選んだ。だけど、その中でも変わらないものがあるんだって確かめられたみたいに思った。
ちょっとだけ手を伸ばして、カイの手を握る。
カイは軽く目を見開いたけど、すぐに笑って握り返してくれた。