ダンジョンの、地図にない小部屋で魔法陣を踏んで発動させて、俺の肉体が女になった次の日。
あんなことがあっても眠くはなるし、腹は減る。
俺は早朝に目覚めた。安宿の二人部屋で、並んだ寝台の片方にカイが眠っている。
身体を起こして座り込んで、手のひらを見つめる。小さな手。視界に入る胸。正直言ってデカい。
揉んでみる。揉んでみた感触と、揉まれている感触の両方があった。これは俺の身体なんだと否応なく感じさせられる。
「なにエロがってんの」
「ッ……!」
バッと手を離して、声のした方を向く。カイが目をこすりながらこちらを見ていた。
「え、エロがってねえし。ただの確認だし」
「まあお前童貞だったし、興味津々なのはわかるけど」
「ばっ……かお前、俺はお前と違って貞操観念がきっちりしてるだけだから」
「未使用のまま女になった気分はどうでちゅか、ニコちゃん」
「まじで殺す」
枕を投げつける。
けどどこか安心していた。昨日までの俺たちの関係が戻ってきた気がしていた。
俺の投げた枕を華麗に避けたカイが再び横になりながら言った。
「お前、着替えとかどうすんの。俺買ってこようか?」
「は?」
「昨日は急なことだったし、仕方なかったけどさあ。お前その乳でうろうろすんのやめとけよ」
「は?」
「は? じゃなくて。こっからどうするかとかさ。いろいろ考えないとだろ」
ごろり、カイが俺に背を向けた。
カイに距離を取られた気がした。物理的なものではなく、心理的に。カイに境界線を引かれたと思った。
カイは昔から変わらない。女が好きで、女と見ると口説かずにいられない。冒険者としてダンジョンに潜れるようになってからもトラブルを起こしてばかりで、結局こいつとパーティーを——コンビを組めるのは俺くらいだった。
俺たちは同じ孤児院の出身で、親友だった。少なくとも俺はそう思っていた。
なのに。
なあ、俺たちの関係って、これで終わっちゃうようなものだったのか?
早朝の静けさから、街が起きだす時間になった。服屋も開いただろう、とカイが部屋を出ていく。本当に俺の服を買いに行くつもりだったようだ。
何をするでもなくぼおっとする。そうすれば、身体が変化したことも何もかも全部忘れられると思った。
カイはなかなか戻ってこない。手持ち無沙汰になった俺は、手慰みに魔力をもてあそび始めた。
魔力の流れは悪くない。どころか、調子がいいかも。全身をめぐる魔力を感じてちょっと笑う。
それから思う。魂の形から肉体を変化させて、全身の魔力回路すらそのまま——もしかすると調律して——だなんて、神話レベルの魔法だ。あの魔法陣、俺が考えていたよりもさらに高度かもしれない。あんな魔法陣が、なぜ迷宮都市の不人気ダンジョンに?
俺が思考の海に沈んでいると、部屋の扉が開かれた。カイだ。手には大量の荷物を持っている。荷物が多すぎて、俺からはカイの無駄に長い足しか見えない。
「ニコ、扉閉めて」
カイに言われた通り、立ち上がって扉を閉めた。
俺は思わずジトッとカイを睨む。
「買いすぎだろ。どこに置くんだよ」
「マジックバッグ買ったじゃん。これくらい余裕」
「おしゃれのために買ったんじゃねえよ……」
カイは俺の言葉などどこ吹く風で、鼻歌なんか歌いながら買ってきたものを広げ始めた。
「ニコの好みわかんねえから俺の好みで買ってきた。これとか着てみろよ」
「……紐じゃねーか!」
「おま、わっかんねーの? 最近はこういうのが流行って」
「騙されねえわ! 痴女だろ!」
「ちっ……」
ガチで紐にしか見えない、こいつこんなのに金払ったのか? という物体。カイはしぶしぶそれをしまって、今度はまともな布を取り出した。
「今の装備のローブは丈詰めればまだ着れるだろ。その下の服はこんなもんかなって」
町娘っぽいスカート。丈は長い。
まあ……これなら、さっきの紐に比べれば抵抗感は少ない……か? 紐がヤバすぎて感覚狂ったか?
「あと下着な。サイズ調整の魔術かかった高いやつ買っといたから。お前、採寸とか嫌だろ?」
女になる前から、知らない奴に触られるのは嫌いだ。けど、……そっか。ちらりと自分の胸を見る。こういうの、測らないと買えないやつなのか。
「……お前、詳しすぎてキモい」
「はー? ニコちゃんのために男一人で下着屋まで行ってやった俺への感謝の言葉が聞こえませんけどー?」
「キモいっ」
昨日までの男物の服。今では裾を引きずる。
今日、カイが買ってきた女物の服。……なんとも言えない気分だった。
「靴はダンジョン用のそのままでいいよな? あれ、サイズ調整魔術かかってたし」
「あ、……。カイ、なんか、その……」
面と向かって礼を言うのは照れくさい。けど、こいつは俺のためにいろいろ考えてやってくれてるんだ。そう思って、
「あ、礼はさっきの紐のやつ着てくれるだけでいいから」
「殺すぞ」
やっぱりやめた。うん、殺そう。それが世のため人のためだ。
俺が本気で魔力を編み始めたのを見てカイが慌てる。
「じょ、冗談じゃん! 落ち着けって、ニコ!」
「カイ……、今日の俺は魔力の調子がいい……。喜べ、一撃で消し炭にしてやる……」
そんなふうに騒いでいたら、隣の部屋からドンと壁を叩かれた。壁ドンってやつだ。
気まずい沈黙。俺もちょっとだけ冷静になる。
……あ。そういえば。
カイは「ローブなら丈を詰めればいい」「靴は今までのやつでいい」と、俺と冒険者を続けることを前提とした発言をしてたような。俺の気のせいでなければ。
「カイ」
「はい……」
「俺、お前とまだコンビでいられるか?」
昨日は聞くのが怖かったこと。今朝はもう終わってしまうのかと怯えていたこと。
カイは一瞬目を見開いて、
「……当然じゃん。何言ってんだ」
「だって」
「俺の相棒はお前しかいないって知ってるだろ? お前がいなかったら何度俺が女に刺されてるかわかんねえよ」
「それはお前の下半身が悪い」
だけど、自然に笑えた。今はそれでいいと思った。
カイとのコンビは続ける。俺の魔力の調子としても、冒険者は続けられそうだ。
となると、いろいろやらないといけないことがある。まず一つ、着るものに関してはカイが何とかしてくれた。次はローブの丈を調整するだけでいい。
その次。俺とカイは二人で冒険者協会を訪れた。着替えの際にすったもんだあって、正直しばらくカイの顔を見たくなくなったんだが、それは置いておく。
馴染みの受付のお姉さんに声をかける。お姉さんはカイを見て、それから俺を見て首を傾げた。
「あれ……、カイさんが女の人とここにくるのめずらしいですね?」
「アリサちゃん、今日もかわいいね♡ 今日、どう? 一杯」
「深層に潜れるようになってから出直してくださーい」
お姉さんとカイが軽くやりとりする。なんかちょっともやっとした。
とはいえ、カイに任せても話が進まない。気持ちを切り替える。
「あの、俺、ニコです。ダンジョンの魔法陣を踏んで、性別が変わって」
「ああ、治療院から報告のあった……。えっ!? ニコさん!?」
今まではちょっと低いと思っていた受付カウンター。今ではちょっと高い。身長が縮んだことが恨めしかった。
「登録情報とか変わりますよね? 手続き、何したらいいですか?」
「えーっと……。少々お待ちくださいね、前例がないので」
お姉さんがパタパタとバックヤードに去る。
しばらくして、紙の束を持ったお姉さんが戻ってきた。
「まずこちらですね、こちらにご記入いただいて情報変更を行います。代筆は?」
「書けます。これだけですか?」
「あと、できれば支部長に直接、口頭で構いませんので当時の状況など報告していただきたいです」
「わかりました」
書き終わって、紙を提出する。
「……はい、承りました。ニコさん、性別を女性に変更ですね」
「……はい」
「支部長はあいにく本日留守でして。ご都合の良い日をお教えいただけますか?」
隣のカイが口を挟んでくる。
「こっちはいつでも。いつもの宿に連絡くれれば来るから」
「はい。今回は大変でしたね」
「まあね。アリサちゃん、お仕事お疲れ〜」
カイはそう言って踵を返す。俺は慌てて後ろをついていった。
協会を出て、カイが伸びをした。
「で、どーするよ。ローブは直しに出したから、しばらくダンジョンはなし?」
「そうだな……。浅い階層で連携確認くらいならいけそうだけど」
「じゃそうしますか」
軽く頷き合って、俺たちは最近の稼ぎ場の例のダンジョンに向かった。入り口付近でちょっと確認するだけのつもりだった。
それが間違いだった。
「ぎゃああああキモいキモいキモい! ガチでキモいありえない!」
ダンジョンに俺の叫びが響き渡る。俺の叫びに釣られて虫型モンスターがどんどん集まる。
一体一体の強さは大したことがない。虫を切り捨てながら、カイは呆れた声をあげた。
「なんだよニコ。昨日まで平気だったじゃん」
「この視点から見てみればわかるわ! ガチでキモいしか言えねえから!」
通路の向こうからやってきた虫どもを焼き払う。いつもより魔力効率がいいのはうれしいが、虫がキモすぎる。
「おっと」
モンスターから俺を庇うみたいな立ち位置に、カイが位置を調整する。普段なら別に構わなかったんだが、
「おい邪魔! 虫が見えねえ!」
「あ、悪い」
俺が小さくなった弊害が案外大きかった。もうここは狩場にできないかも。
さすがに慣れて、叫び声を上げるのはやめた。てか叫んだらよりキモい目に遭うことがわかって自重したとも言える。
虫たちの死屍累々。魔石を回収する。
「『きゃ〜こわぁい♡』で密着してくれる女……」
「いねえわ。死ね」
回収しながらそんな軽口を交わした。