狩場を移そうという話にはなった。ここは不人気でライバルがいなくて良かったけど、俺がキモさに耐えられないからだ。
ローブの丈が直るまでしばらく日がある。多少切り詰めれば一月くらいならダンジョンに潜らなくても余裕がある——と思っていたんだが。
「なんでこんな金がねえの!?」
「そりゃ、ニコちゃんの服買ったから」
「それにしてもなさすぎじゃねえ!?」
金がなかった。俺の計算と全く合わないくらいなかった。
が、カイに『俺の服を買ったから』と言われてしまうとそれ以上何も言えない。
……働かねば。
「……ローブができるまで別行動しよう。金稼ぐわ」
カイがむっとした顔をした。
「何すんの」
「初心者講習の手伝いとか。顔きくし」
「……あのさ、ニコ、お前今の自分の状態わかってる? 舐められて終わりだぞ」
……正直一理あると思ってしまった。が、それ以外にダンジョンに潜らず適当に金を稼げる手段を俺は持ってなかった。
黙った俺を、カイは反発していると捉えたのだろうか。
ドン、と。路地の壁にカイが手をついて。俺は壁を背にして追い詰められた格好で。
「ニコちゃんは、危機感がなさすぎ。俺にこうやってされても、抵抗できないんだから——」
カイが俺の顎を掴む。上を向かされる。
見上げたカイの顔は、今まで見たことのないような——、
「……ふんッ!」
「ッ〜〜〜〜!!!!!!」
反射的にカイの股間を蹴り上げた。カイは股間をおさえてもんどり打っている。
「俺を舐めるな、バーカ!」
「お前さあ……そこはさ、情けってもんが……」
「知るかバカ! バーカバーカ!」
俺は駆け出した。「待て、ニコッ」なんてカイの制止の声は無視した。
と言っても二人、帰る宿の部屋は同じなわけで。……これもいつまで同じにするか話し合わないとか。今は金がないからこのままにするしかないけど。
俺が悶々としていたのに、カイはその日部屋に戻ってこなかった。
……時々あることだ。女と一緒にいるんだろう。そう、時々あることなのに。なんだか気分が良くなかった。
魔術で水を出す。顔を洗おうと思っての行動だった。
宿の備品の桶に水を溜めて、覗き込む。そこにいたのは小さな女の子。昨日までの俺の面影は——言われたらギリ気づけるくらいにしか——残っていなかった。
「……くそっ」
パシャンと水に拳を叩きつける。水面は揺れて、ぐちゃぐちゃになった。
いつまで待ってもカイは帰ってこず、外は朝になっていた。俺は一睡もしていなかった。
寝台に座ったまま、じーっと扉を睨む。すると、音を立てないようにそーっと扉が開かれた。カイである。
「……げっ、起きてんの」
「どこいってた」
「あー……。テキトーに、飲んでた」
「女?」
「ちげーよ。一人で」
「金ねえっつってんだろ。無駄遣いすんな」
「……悪かったよ」
カイはばつが悪そうだった。その姿を見て俺も少しだけ溜飲を下げる。
俺は寝台から立ち上がった。冒険者だから、一晩の徹夜くらい余裕だ。何度も経験がある——と思ったんだが。
足元がふらつく。
「あぶねっ」
カイが俺の身体を支えた。
大きな手だ、と思った。反対に、俺の肩ってこんなに薄いんだ、とも思った。振り払う気は起きなかった。
「寝てねえの?」
「……うん」
「ちょっと寝れば。起こすし」
「…………ん」
頷いて、シーツにくるまる。
今度は眠れそうだった。
☆☆☆
起きたらカイがいなかった。は? キレそう。
と思ったら書き置きがあった。
『支部長から呼び出し。一旦俺だけで行くわ』
口元がひくつくのがわかった。魔法陣を踏んだ張本人は俺で、なのに俺なしで今回の報告するわけ? は? ガチで言ってる?
ちょっとだけ身支度を整えて、そのまま宿を出た。俺の目は大変据わっていたことだろう。
協会について、いつものお姉さんに声をかける。
「カイって、支部長室ですか?」
「あ、ニコさん。……あれ、お一人で……?」
「はい。カイに、置いて行かれたみたいで」
お姉さんはちょっと遠い目をした。
「痴話喧嘩ならよそでやってよ……」
「はい?」
「いえ。どうぞ、支部長室ですね」
お姉さんに支部長室まで案内される。中の状況を確かめず、ノックもせず俺はいきなり扉を開いた。
部屋の中には偉そうな椅子に座った小柄な——これは男のときの俺基準。今の俺よりはデカい——少女と、その正面に立っている男の後ろ姿。
「……で、俺からは」
「おいカイ! お前起こすって言っただろ!」
俺の声に部屋の中にいたカイが振り返る。俺は構わず部屋に踏み入った。
「いや、俺だけでも報告できるかと思って」
「支部長は魔術師なんだから、俺を見れば説明するより早いって」
支部長は俺の一応姉弟子だ。俺が子どものころちょろっと魔術を教わった人の、ちゃんとした弟子。なので一応面識がある。
「……え、ほんとにこれがニコちゃん?」
「……ニコです」
カイが不本意そうに言った。なぜお前が言う。
「わ、わ〜! 魔力の流れきれい! ニコちゃんの惜しかったとこぜんぶ直ってる、え、いいな〜!」
支部長が彼女のツインテールを揺らして、支部長らしい威厳ある椅子から立ち上がって俺の両肩を掴む。それから目を覗き込まれる。
「支部長……」
肩を掴む手を丁寧に外す。やめろください。
「え、なんでそんな距離取るの? 可愛くお姉ちゃん♡って呼んでいいよって言ってるじゃん。ニコちゃん、お姉ちゃんに魔力よく見せて? だいじょーぶ、痛くないよ?」
「やです」
「や〜ん、つめたぁい」
くねくねする支部長を置いてカイに向き直る。
「俺の状態も見せたし、あの日の状況はお前が報告したんだよな」
「あ、ああ……」
「帰るぞ、カイ」
「ニコちゃん、嫉妬してんの? あたしとカイにはなんもないって、あたしってカイの好みじゃないしぃ」
「帰りまーす」
「つめたぁい、そこがかわいい♡」
支部長がうざいのはいつものことなので、無視して部屋を出た。俺についてきたカイはちょっと意外そうな顔をしている。
……ああ。あの人とのやりとり、カイはあんまり見たことなかったかもな。
部屋の外で待っていたお姉さんに報告が終わったことを告げて、ついでに初心者講習の手伝いのバイトがないか聞く。
ちょうど良く魔法の講習が午後からあるそうで、そこの臨時講師のバイトをゲットできた。よしよし。
「俺バイトするけど、お前は?」
「……帰らねえの?」
「金ねえし」
「待ってる」
なんか殊勝な犬みたいになったカイは、とぼとぼと協会併設の酒場へと歩いて行った。金ねえって言ってんのに、また酒場かよ。……と思ったが、たむろしている子どもの魔術師に「練習だと思って冷たい水出してみな。成功したら小遣いやる」とか言ってぬるい水を手に入れていたのが見えたのでまあいいかと思った。
講習は無事終わった。カイに「舐められて終わり」とか言われたから身構えていたが、案外そうでもなかった。講習に来るような初心者魔術師は礼儀正しいのが多いしな。
講習室を出て、協会の酒場へと足を向けようとする。と、突然現れたでかいやつにぶつかった。
「わぷ」
「あ、悪い」
カイだった。
「……なんでお前も講習室から出てきてんの?」
「え? ニコの講習聞いてたから?」
「は?」
「気づいてなかったの? 俺の気配消しも上達したな」
記憶を辿る。……確かに、実演して見せて、じゃあお前らもやってみな〜、みたいな流れになってもかたくなに何もしなかったフードのでかいやつがいた。お前かよ。
「……ニコ、気づいてたか」
「何を」
急にカイが声を潜める。かがみ込んだカイに、俺も耳を近づけた。
「講習にいた男三人組。あいつらお前の胸しか見てなかったぞ」
「キモ」
「キモいよな」
「お前がな」
「え?」
カイが心外そうにした。
「俺は違うだろ」
「今どこ見てる?」
「え? 胸」
「同じじゃねえか!」
かがみ込んだままのカイの頭を叩いた。前衛職のカイには大したダメージにならないのが悔しい。
一度息を吸って気分を切り替える。
「明日からしばらく、午前と午後の二回講習担当することになったから」
「うん」
「お前もう来るなよ。俺は一人でできるし」
「……うーん」
「うーんじゃねえよ。わかったな」
そんな会話をしながら協会を出て、宿に戻った。