師匠は本当に忙しいようで——まあ一国の存亡がかかってるんだし当然か——俺が心を決めたとみるやさっと消えた。去り際に、
「また悩んだり、『先』が見えたりしたらすぐに呼ぶのじゃぞ。呼ばんだったら拗ねるからの、拗ねたわしは面倒じゃぞ?」
とだけ言い残して。残された俺と支部長は顔を見合わせた。
「……
「やん♡ 褒めても何も出ないよぉ?」
訓練場から出ると、なんか焦燥しきった顔のカイがいた。なんで?
「……ニコッ」
「なんでいんの?」
カイは俺に駆け寄ると、確かめるみたいに肩とか腰とかをペタペタ触ってきた。え? 不快……。
俺はぱしんとカイの手を振り払う。
「触んなよ。キモい」
「……俺、お前が今度こそ『師匠』に取られたんじゃないかって」
「はあ?」
「……悪い」
それは今無遠慮に俺に触ってきたことへの謝罪だろう。だが俺は今機嫌が悪くない。寛大に許してやることにした。
「一杯奢りな。それで許してやる」
「……ジュースか? お前、酒飲めないし」
「……酒場で一番高いジュースがぶ飲みしてやるわ!」
俺がそう言うと、カイはやっとかすかに笑った。
宣言通り、俺は冒険者協会併設の酒場で一番高いジュースを注文した。その値段にカイは目を見開いていた。ふん、普段から酒と女のケツばっか追っかけてるから、ジュースの相場もわからんのだ。馬鹿め。
師匠に会って、俺はこの身体のままでいることを選んだ。これは一大決心だ。コンビであるカイにも伝える必要があることだと思った。
ただ、伝え方に迷う。ちょっと脳内でシミュレーションしてみる。
伝え方そのいち。
「俺、女でいることにしたから」
俺の告白にニヤリと笑うカイ。
「じゃあ今から、お前、俺の女な……」
あり得る。この伝え方はナシ。キモすぎ。
伝え方そのに。
「俺、この身体で魔術極めるわ。そのために社会とか捨てる」
「は?」
呆然とするカイ。
「だから……お前、これからの依頼とか方々の調整全部やってな。俺やらないから」
「は?」
……これもナシ。てか俺は師匠が言うように社会性をガチでぶん投げるつもりないし。
伝え方そのさん。
「戻れるらしいけど、師匠やりたくないって。俺もいやだしこのままでいるわ」
「……なんで?」
この場合は理由が弱いか……。カイなら絶対深掘りしてくる。
あーもう! どうやって伝えればいいんだよ!
俺は内心で頭を抱える。せっかく奢ってもらった最高級ジュースの味もわからん。もったいない。
一旦脳内の悩みを無視してジュースを味わう。……うまー。
俺の間抜けな顔を眺めながら、対面に座ったカイが小さく切り出す。
「……お前の師匠、なんて?」
「ん? んー……」
……ん? そういえば俺、カイに師匠が来るなんて言ったっけ。言ってないよな、師匠は手紙を支部長に渡したら急に来たんだし。なんで知ってるんだ?
俺の疑問が顔に書いてあったのか、カイは答えてくれた。
「……訓練場が支部長権限で立ち入り禁止になってて、こっそり覗いたらお前と支部長と……お前の師匠がいたから」
「あ、そっか」
……ん? こいつ、師匠に会ったことあるっけ。なんで見ただけで師匠ってわかったんだ?
が、カイはこの疑問には気づかなかったのか無視したのか、答えてくれなかった。
「師匠。師匠なー、まず魔術戦で盛り上がって」
とりあえず何があったか軽く説明する。俺が何か掴めそうになって、支部長に止められて、なんてことを。
「……うん、それで?」
「それで……、今すぐやれば、師匠は俺を男に戻せるらしい、んだけど」
腹をくくる。ここで言わなくていつ言うんだ、ニコ! 俺はできる!
「魔術のその先を目指すなら、このままがいいと思って。断った」
「……そ」
カイは何か噛み締めるみたいに目を閉じた。そしてそれ以上何も言わなかった。
俺は黙ってジュースをすする。大変美味しゅうございました。
黙ったままのカイはなんか精悍な顔つきの青年で、俺はワンチャンいけるかなと思って小首を傾げる。
「……なあカイ、おかわり……」
「無理」
「そんなこと言わずにさぁ」
「自腹で飲め」
俺が会心のかわいこぶりを披露しても、カイはとりつく島もなかった。ちぇ。
そのまま協会の外に出る。微妙な時間だった。これから墓場ダンジョンに行ってもあんまり狩れないし、かと言って宿に戻ってもすることがない。そもそも昨日ダンジョンに行ったから、今日は休暇の予定だったけど……。
たまには図書館でも行くかぁ、と思って踏み出す。ぐい、と引っ張られる感覚があってつんのめった。
「……なんだよ」
俺のローブを引っ張った張本人のカイは黙っている。
「……なんか言えよ」
俺が促しても黙ったまま。なんか捨てられた犬みたいな顔してるし。
ここでちょっとピンときた。こいつはこう言いたいんじゃないか? 「宿、そっちの方向じゃないですよ」と。
「俺、図書館行くから。離せよ」
俺は目的地を告げる。カイはローブを掴んだ手を緩めた。よしよし、俺はそのまま歩き出す。
……なぜかカイも同じ方向についてくる。何? マジで。
図書館で、魔術雑誌の最新号と一個前の号を手に取る。読書なんてめったにしないカイはそのままぴったり俺についてきていた。
俺が読書用コーナーに腰を下ろしても、カイはついてきた。本なんか一冊も持たずに。
「……何?」
「別に」
「気が散るんだけど。せめてなんか読めよ」
「俺、字読むのそんな得意じゃないし」
「じゃあ今練習すれば。邪魔」
俺はそう言って雑誌に視線を落とす。思い出してみれば、こいつ孤児院での文字の読み方講座とかサボりまくってたな。「ニコが読めれば俺はいいだろ」とかなんとか言って。
カイはあいつでも読める本を探しに行ったのか、一旦俺の背後から圧が消えた。やれやれ。
と思ったら意外と素早くカイが戻ってきた。ちらりと視線を送ると、手にはでっかく女の魔導写真が写った雑誌。ちなみにその女は露出がエグかった。
……エロ本じゃねえか! 図書館にんなもん置くな!
最近、こいつの真面目な顔ばっか見てたから忘れてた。こいつクズなんだった。女と見れば見境のないモンスターなんだった!
何? 新手の嫌がらせ? 俺のこと馬鹿にしてんの?
俺のじっとりした視線に気づいたのか、カイがなんてことないように言う。
「後で見せてやるから」
「いらねーーーーわ!」
「あ、勘違いすんなよ。これエロ本じゃねえから、魔導写真の技法雑誌だから」
「いやそういう建て付けのエロ本でしかねえだろ」
俺は肩で息をしていた。つ、疲れた……。
もう無視しよ。隣のカイ? 知らない子です。
静かな世界になった。時々カイや俺がページをめくる音だけ響く。
……なんかちょっとだけ、孤児院時代に戻ったみたいだな、なんて思った。
☆☆☆
「何読んでんの?」
顔を上げる。そこには俺と同時期にこの孤児院にやってきたカイという少年がいた。
場所は迷宮都市を一望できる高台の広場。どうせ誰も来ないと油断していた俺はちょっとびっくりする。
「……その辺に落ちてたやつ」
「ふうん。おもろい?」
「なんか続きものの途中みたいでわけわからん」
「お前、文字読めんの?」
「……講座やってるから。そこで教えてもらった」
カイは俺の隣にどさりと腰を下ろす。俺はちょっとだけ、気づかれないように距離を取った。
「俺、大人になったら冒険者やるけど」
決定事項みたいにカイが言った。……まあ、この孤児院のほとんどの子どもが同じことを言うだろうけど。
「俺と組もうぜ。俺たち、いいコンビになれると思う」
正直唐突な申し出だった。けど嬉しかったような気もする。
カイの言葉に、俺はどう返事をしたんだっけ——。