いつからかは覚えてない。けど昔から、触られるのが苦手だった。俺が触るのは——心の準備があるからまだいいけど。
頭を撫でられる。……まだ我慢できる。手を握られる。……親しければ我慢できる。肩を触られる。……かなり無理。足、無理。腰、無理。無理無理無理、全部無理。
無理。気持ち悪い。
俺の身体を、俺の外側から規定されるみたいで。
☆☆☆
外が暗くなるまで図書館で並んで雑誌を広げていた。カイは途中から完全に飽きてたみたいだけど、俺に付き合ってずっと座っていた。図書館は建物の規模の割に利用者が少ないから、まあいいか……なんて思った。
雑誌を書架へ返却して外に出ると、すでに日は沈みきっていた。迷宮都市が昼の顔から夜の顔に変わる狭間の時間だ。
今までのカイなら、俺を置いて夜の街に繰り出しそうなシチュエーションだ。なんとなく、隣のカイを窺う。
「ん? なに?」
「……べつに」
「そ、じゃあ帰ろ」
そう言われて、ふと思った。俺は今後ずっと女の身体でいることを選んだ。一旦危急の金の問題も過ぎ去った。……いつまで俺たち、安宿の二人部屋を使うんだ?
「……なあ、カイ。俺たちいつまで」
……そこで言葉が止まる。
「あ、カイ! 最近お店来ないじゃん、どしたの〜?」
「お金ない? 貸そうか?」
「あは、返ってこなさそ〜」
すれ違いかけた女性が三人ほど、カイに声をかけてきたからだ。カイは俺からぱっと距離をとる。……ふーん。
「久しぶり、いやガチ金なくてさ」
「やっぱそうだったんだぁ」
「お前らに借りなくても解決したけどね?」
「え〜、ウケる」
何もウケないんだが。俺がおかしいのか? 俺、カイのこと置いて帰っていいよな? これ。俺がそっと歩き出そうとしたとき、
「最近のお気に入りがその子? 紹介してよ」
と、女子三人の視線が俺に集まる。ちょっとビビって、ついカイの服の裾を掴んでしまった。そのままカイの陰に隠れる。
「え、ビビってない? かわいい」
「怖くないよぉ、あたしたちぃ」
より顔を近づけてきた女性たちを、カイが手を軽く払って遠ざけてくれる。
「ああ、そういうんじゃないの。俺の相棒、冒険者仲間」
……ふーん。そういうんじゃないんだ。
なんかよくわかんないけどそう思った。その後のやりとりは正直覚えてない。気づいたら宿の部屋に戻っていた。
俺は自分の寝台の上で膝を抱えて座っていた。カイは入り口の扉の近くの壁にもたれかかって立っている。なんだこの距離感。
「……あのさ」
俺が切り出すと、カイは視線で頷いた。続きを話せということだろう。
「……俺たち、いつまで、その……、同室でいるんだ? 俺は……別にいいけど、お前がしんどいんじゃないかと思うんだけど」
「……なんで?」
やけに温度のない声だった。俺はちょっとだけ焦って続ける。
「俺が女になったから、お前が夜遊びしづらいとかさ。俺のこと気にしてやりたいことやれないなら、言ってくれても——」
「別に」
カイが顔を背ける。俺から表情を隠すみたいに。
「気を遣ってるわけじゃねえから。ニコちゃんに」
ニコちゃん。わざとそう呼ばれたと思った。
「……なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
だから俺の言葉もトゲトゲしくなる。自然の摂理だ。
「……別に」
カイの表情は見えないままだ。
「別にじゃねえだろ、その態度」
「……」
俯いたまま、カイが数歩で俺のところまで距離を詰める。それからぱっと手首を握られた。
「……は? 離せ」
「ニコちゃんはさぁ」
拒絶する俺を無視してカイが続ける。
「触られるの嫌いじゃん。……俺のことも嫌なら嫌って言えよ。なあ」
「はあ?」
カイの言葉は論理が飛躍している。確かに俺は触られるのが苦手だけど、それがカイ自体を拒否することには繋がらんだろ。意味がわからん。
そのままそう言おうとしたけど、ふとあったカイの目が、あまりにも切実で。泣きそうで。俺が振り払ったらそのまま死んでしまうんじゃないかと思ったから、グッと耐えた。
「俺ばっかり——じゃ、不公平だ。俺は、ずっと」
カイは俺に聞き取れないくらいの小さな声で何かを繰り返している。
「……何言ってんだ」
カイが俺を見た。
「お前のこと嫌いだったらわざわざ組んでねえし。俺たち何年コンビやってると思ってんだ」
……むしろ、俺のほうこそ、カイが俺よりいい相棒を見つけて去るんじゃないか、なんて不安を——。
待て待て、やっぱなし。今のなし。知らん。何それ。はて?
カイが俺の手首を離す。それから小さな声で言った。
「……触ってごめん。嫌なことした」
「……まあ我慢できるレベルだから、いいよ」
一件落着……じゃないな。そもそもの俺の疑問が解決してない。結局俺たちは同室のまま過ごすのか?
ちらりと目の前のカイを盗み見る。……うーん。
さっきちょっと聞いただけであんな死にそうな顔してたしなぁ。二人一部屋のほうが節約できるし……。
いっか。そのままで。
☆☆☆
「カイは文字の勉強しないの?」
俺が聞くと、カイは頬をかいた。
「……ぶっちゃけ苦手でさ。ニコが読めればいっかなって」
「そんなんじゃ立派な冒険者になれないだろ」
「俺とお前、二人で一人の最強冒険者になろうぜ。それでよくねえ?」
二人で一人、最強。心くすぐられるものがないと言えば嘘だ。
カイは俺が他人に触られるのが嫌いということを知ってから不用意に触らないように気をつけてくれている。その気遣いがうれしくて、俺はカイに悪い印象がなかった。
俺の接触嫌いをカイが補うように立ち回ってくれているのも知っている。たとえば俺たちより年少の子どもが無邪気に抱きつこうとしてきたとき、カイはその子が俺じゃなくカイの方に行くようにそれとなく誘導してくれる。
それなら俺もカイが苦手な、文字を読むことを引き受けるのもやぶさかではない。……んだけど。
「うーん。でもなあ」
「なんだよ」
「カイは剣が得意、けど俺は……」
「……最近魔術教わってるの、知ってるんだからな」
カイがちょっとだけ暗い瞳で言った。俺は秘密の特訓がバレたみたいで恥ずかしくなる。
「……孤児院のみんなには内緒な! まだ全然使えないし」
少しだけカイが考え込むみたいに目を閉じる。
「……俺だけ知ってる秘密……」
「え?」
「なんでもない。いいぜ、黙っとく」
ありがと、なんて礼を言った。カイは明るく笑っていたっけ。
☆☆☆
ぼーっと昔のことを思い出す。
なんで俺たちコンビを組んだんだっけ、とか。俺とカイっていつの間に仲良くなったんだっけ、とか。日々を忙しなく生き抜くことに必死で、大事なことを置いてきてしまったような気さえした。
眠れなくて寝返りを打つ。謎に視線を感じて顔を上げた。
隣の寝台に横になったカイが、爛々と光る目で俺を見つめていた。え、怖。
「寝れねえの?」
怖いので先んじて話しかける。
「……そうかもな」
カイはスカした感じでそう言った。いや無理あるって。そんな爛々と輝く目のやつは何言っても説得力ないって。……と思ったけど俺はカイへ情けをかける気持ちで追及しなかった。なんて優しいんだ、俺。
「俺がさ」
カイがおもむろに口を開く。
「昔お前のこと冒険者に誘ったじゃん。あの約束さえなければ、お前は……」
カイが迷いを振り切るみたいに言い切る。
「お前は。師匠について、魔術研究の道に行けたんじゃないかって」
「……は?」
「だから、俺のせいで」
「……お前、そんなこと思ってたの?」
俺はちょっと腹を立てていた。カイの物言いは俺を若干侮辱していると言ってもいい。
「あのな、俺は俺がなりたいから冒険者になったんだ。……そりゃ、今になって魔術の可能性が開けたのには思うところがないわけではないけど……」
それでも。
「お前に誘われてなかったら、……多分俺がお前を誘ってた」
「え?」
「相棒ってそういうもんなんじゃねえの。知らんけど」
思い切って言ったのに、カイからは返事がなかった。え?
「え、寝た? カイ、寝たの? マジ?」
隣の布団からは一切返事がない。
「は〜〜〜〜……」
俺は盛大にため息をついて、カイに背を向ける。もう知らん。
「……………………」
なので、隣でカイが顔を真っ赤にして硬直していることは、まったく感知の範囲外だったのだ。