俺の肉体が女になってからしばらく経った。最初の数日はすったもんだでバタバタしたが、時間が経てばそれも落ち着くというものだ。俺とカイは元のルーティーンに戻りつつあった。一日ダンジョンに潜って、次の日は休む。またダンジョンに行って、休み。その繰り返し。
ただ一つだけ違うのは、カイが夜遊びに出かけないこと。俺と二人で宿に戻って、他愛もない話をして、眠りにつく。ここのところはそんな感じだった。
☆☆☆
「つまんないッ!!」
カイが公衆浴場に出かけて、俺が宿の部屋で一人待っていたとき。突然の訪問者があった。
「……支部長、なんすか」
迷宮都市の冒険者協会の支部長、エルフのセレスミーニャだ。俺の姉弟子でもある。
「ねぇ! ニコちゃん! つまんないよこれは!」
「はい?」
「もっとさぁ! 手が触れるドキドキとか! 昨日まで男だったお前が、今日は女——みたいな甘酸っぺぇやつは!?」
「何言ってるんですか?」
支部長は俺の肩を掴もうとして——俺の接触嫌いを思い出してくれたのか、寸前で止まって変なポーズをした。
「あたしさ、妹弟子から恋のお悩み聞く用意万端だったのね?」
「……?」
「不思議そうな顔しないッ! ニコちゃんのことだからッ!」
「コイ……?」
魚類かな。魚類の話かな?
迷宮都市は海から遠いからな。海産物、あんまり食べられないんだよな。一回くらい海辺の街まで旅行とか行ってみたい。
「ちッがーう! あのねぇ、これまではあたしも後方腕組み保護者面してたけど、今日という今日はニコちゃんに自覚を——」
「ただいまー」
カイが帰ってきた。支部長に詰められている俺を見て変な顔をしている。いつもの通り、髪は濡れっぱなしだった。
「カイ、来いよ。乾かす」
「おー」
支部長が噂に聞く魚が餌を求めるときみたいに口をパクパクした。お、海産物みっけ、なんちて。
「……ニコちゃん。それ、ほかの男にもやる?」
カイの頭に温風を当ててやりながら答える。
「え? やらないです」
「……そっか。カイ、ニコちゃん以外にこれ——」
「やってもらわないです」
「……そっか。そっかぁ!」
なぜかご機嫌になった支部長がくるんと一回転した。ツインテールが一緒にふわりと回って、すごく可憐な感じがした。
「つまんなくなかった! 時には突撃取材も必要ね!」
そしてそのまま部屋を出て行った。
「……なんだったんだ?」
とカイ。
「さあ……」
俺たちは二人して首を傾げたのだった。嵐みたいな姉弟子である。
☆☆☆
俺は公衆浴場には行かない。ある種当然のことだ、だって今の俺が入るのって女湯だし。俺が女の群れの中に入るってちょっと犯罪なんじゃない? そんな感覚がある。
だから浄化の魔術で済ませる。……まあ、男だったときからそんなに公衆浴場には行ってなかったけど。カイには時々誘われて、五回に二回くらい付き合う感じだった。
今日も浴場帰りのカイの頭を乾かしてやって、自分に浄化魔術をかける。それで綺麗さっぱりだ。
「明日の休みさ」
カイが寝る支度を整えながら言った。
「久々に顔見せにいかね? 院長先生にお前のこと報告してねえし」
俺たちの育った孤児院には、孤児院を出てからも時々顔を出していた。俺たちがまだ生きて冒険者をやっていると、院長先生やほかの子どもたちに知らせるために。
「あ……、確かに。忘れてた」
「な。じゃあそういうことで」
カイはさっさと寝る体勢になった。俺もそれに倣って目を閉じた。
さて次の日。カイと俺は昨日決めた通り孤児院を訪れていた。
迷宮都市には複数の孤児院がある。それぞれ経営母体が異なるのだが——まあ違いはどうでもいい。重要なのは俺たちが同じ孤児院出身だということなのだ。
「どもー」
差し入れの食材なんかをマジックバッグから取り出しながら、カイが先に敷地に入る。ちなみに基本的に俺が持っているはずのマジックバッグをなぜカイが持っているかというと、「女に手荷物を持たせない主義」とやらがまたもや発動した結果だった。
「あ! カイだー」
「生きてたー」
子どもたちがカイにまとわりつく。
「死んでねーわ、勝手に殺すなー」
カイが軽くあしらう。いつもなら俺にも同じように子どもたちがまとわりついてくるんだが——。
「……誰?」
「カイの彼女?」
子どもたちは見知らぬ人間に警戒を隠していなかった。子どもの一人が、泣きそうな顔でカイにしがみつく。
「ねー、ニコは? ……死んじゃった?」
ぐさっ。ちょっと心に刺さる。
「死んでねえ。ちょっと待ってな、先に先生に会ってから」
ずんずん先に行くカイに、とぼとぼついていく。……まあ、男としては死んだも同然だし。俺は。別にいじけてないし。
中で子どもたちの相手をしていた院長先生は俺たちを見てちょっとびっくりして、それからすぐ先生の部屋へ通してくれた。先生が眉を下げる。
「まあ、まあ……。カイ、
「え……」
今度は俺が目を見開く番だった。え、先生、わかるの?
俺の疑問はそのまま顔に出ていたらしい。院長先生が頷く。
「ええ。曲がりなりにもあなたたちの親代わりだもの。わかりますよ」
俺は黙って俯いた。……泣きそうになったのを隠したわけじゃない。
カイが手に持った差し入れを掲げる。
「先生、これ、運んどく。いつものとこでいい?」
「ああ、ありがとう、カイ……。いつもごめんなさいね」
「別に。ガキどもが腹減ってたら気分悪いし」
カイが部屋を出る。言葉にされなくても、わざと先生と俺を二人きりにしたことくらい察せる。何年一緒にいると思ってんだ。
院長先生がカイの背を見送って、ぽつり。
「変わらないわね、あなたたちは」
俺は目を伏せた。
「……変わったよ。だって俺、こんなだし」
とっくに追い越したはずの先生とそう変わらない視線の高さ。
「ふふ、そういう意味じゃないわ」
院長先生は目尻のしわを深くして微笑んだ。
あれ、でも、先生って、こんなに小さかったっけ。視線が近くなったからこそ、先生に刻まれたしわがよく見えた。
「昔から……、カイはあなたのことばかり見ていて。あなたも、カイに何かあると飛んできて」
「……そうだったっけ」
「ふふ、そうだったのよ。二人仲良くしているみたいでよかったわ」
院長先生が立ち上がる。それからふわりと俺の頭を撫でた。
「あなたの心のままでいいのよ、ニコ。答えはいつだって、あなたを待っているから」
「……うん」
心のどこかで、先生に拒絶されたらどうしよう、と思っていたみたいだった。先生の優しい手つきに視界がにじむ。
……心のまま、か。俺を待つのは、どんな答えなんだろう。
院長先生と一緒に先生の部屋を出る。そこではカイが子どもたちにもみくちゃにされていた。
「くらえ! 精霊剣カイやっつけるブレード!」
「痛てぇって、お前ら遠慮ってもんを」
「てーい!」
……ガチでもみくちゃにされていた。大変そう。俺は対岸の火事として眺めた。
「あ、カイの彼女だー」
女の子が俺を見て言う。孤児院に来たときにも同じことを言っていた子だ。院長先生がこほんと咳払いした。
「みんな、この子はニコ。みんなも知ってるニコなのよ」
その説明はどうなんだろう。あ、でも先生に女になった経緯の説明まともにしてねえや、俺を見て先生がすぐにわかっちゃったから。
俺がなんとも言えない顔をしているを見て、女の子が言った。
「……え……お姉ちゃんかわいそう……」
「……な、なんで?」
面と向かって憐れまれた俺は理由を尋ねた。
「ニコが死んだのを受け入れられないカイにせんのーされたんだ……。それで自分をニコだと思い込んでるんだ……かわいそう……」
反射的にカイが突っ込む。
「ちげえよ!? 俺そんな倒錯的なことしねえから!」
「えー」
カイに不名誉な理解をされてそうだったので、俺は女の子に近づいて目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「俺はニコ。お前のオムツを替えたこともあるニコだよ」
「……」
「おねしょしたお前のシーツを内緒で魔術使って洗ってやったのも俺」
「……ほんとにニコ? 死んでない?」
「ああ。勝手に殺すな」
女の子が恐る恐る俺の手を握る。その後ぎゅっと抱きつこうとしてきた。
「ごめんそれは無理」
「……ニコだ! ニコ、触られるの嫌いだから!」
「そこで判別されるの微妙な気分なんだけど」
先生がくすくす笑う。子どもたちも、うっすらあった見知らぬ俺という存在への警戒を解いてくれたみたいだ。
違う女の子が近寄ってくる。瞳をキラキラさせて、憧れをいっぱい詰め込んだみたいな表情だった。
「じゃあさじゃあさ、カイとけっこんするの、ニコ?」
「……は? なんで?」
答えたのは俺じゃなくてカイだった。女の子はカイの方に視線を向ける。
「ニコ、カイの彼女になったんじゃないの?」
「なってねえけど」
と俺。女の子が口を尖らせる。
「えー、おにあいなのにー」
「お前今見た目だけで判断してるよな? 俺とカイの意思とかまるっと無視してるよな?」
「けっこんはいいよお、ずうっといっしょにいられるんだよ」
「お前は結婚の何を知ってるんだ」
絶対に何かの受け売りだ。それもまともなやつじゃない。
「まー俺たちは結婚しなくてもずっと一緒だからな。なにせ相棒だし?」
「えーカイきもーい」
「キモくないけど? 俺にこれ言われて落ちない女いないけど?」
「きもー」
……カイは何気なく言った言葉なんだろうけど。
『俺にこれ言われて落ちない女はいない』……? もやっとする。お前、女ならマジで誰でもいいわけ?
俺はムッとした顔を隠さずにカイに近づく。
カイは不思議そうにしたが、無視だ。
「おいお前ら、カイは女の敵だ。ボコしてよし」
「わーい」
「くらえー」
「ちょ、おいそこは蹴るな! やめろ!」
知るかバーカ。俺はこっそり舌を出した。