——一九四九年。第二次世界大戦終戦より四年。
——今よりも街の景色がずっと灰色だった頃。
***
ドンドンドン、と入り口をノックする音が聞こえる。今は十八時。閉店から二時間は経っていた。
「誰だよ、こんな時間に……」
青年は荒々しい音に眉を顰める。白く透き通った長髪は、童顔な顔立ちと共に中性的な面持ちを感じさせる。左足は——ふくらはぎから足にかけて棒になっている。義足のようだ。
何用かはわからないが、お腹を空かせた子供の可能性がある。そう考えると扉を開けずにはいられなかった。
「あ、あの……
扉を開けた先にいたのは少女——黒い髪、蒼い瞳。上品な服を身を纏った、いかにもお嬢様という印象のある出で立ち。
はっきり言って面倒くさそうだ。
「……子供ならともかく、君、ほとんど成人だよね? 悪いんだけど明日の営業時間内に——」
「そっちじゃないんです。駄菓子屋の方じゃなくて」
綺麗で、堂々とした声が響く。よく通る声だ、通りがかった人に簡単に内容を知られてしまう程に。
「裏のお仕事の方で、相談があるんです」
あまりにもよく通る声で「裏の仕事」なんて言うものだから、思わず慌てて回りを見渡してしまう。
一応、誰もいない。
だがこのまま門前払いなんかしようものなら「開けてください」と叫ばれるに違いない。そんなことをされればひと騒ぎ間違いなしだ、ただでさえ物騒だというのに。
「……わかった、わかったから。とりあえず、中に入って」
追い返す方が危険だと判断し、彼女を招き入れることにした。
結果的に冬天町は活気を取り戻し、町民たちは他所と比べ、前を向いて歩き始めている。
奥の障子を開けると畳の部屋へ。彼の私生活の場所でもあり、応接間でもあった。
「しかし……そっか。僕も有名になったなぁ」
感慨深く頷く水直に、怪訝そうな顔をする少女。
「どれが好き?」
「えっ」
「隠さなくていいよ、僕のファンってことだよね?」
「っと……そういうことに、なる、の、かな?」
「ここまで頑張ったよ……。やっぱり、時代に合ったものってあるからね。僕が書くものじゃ、今の人たちは満足してくれないかなって心配してたんだ」
「か、書くもの?」
「そう、やっぱり目で見て、感じたことを書かなきゃいけないからね。そうでもしないとリアリティが——」
「あのっ」
水直の自信満々な語りを、少女が静止する。今度は水直が怪訝な顔をした。
「……え? おかしいことを言ってる?」
「何の話、ですか?」
気まずい沈黙が場を包む。水直は嫌な汗が背中に滲んだのを感じた。
「……小説家としての、オレじゃなくて?」
「小説家だったんですか?」
「ぐっ……」
傷ついた。肩から脇腹まで思いっきり袈裟斬りされた気分だ。あまりの辛さに縮こまってしまう。
「ご、ごめんなさい、その、私そういうのに疎くて……」
「い、いや……いいんだけどさ……。じゃあ何でペンネームの方で訪ねて来たの……」
水直。職業、小説家。一九四〇年に短編小説『火とかもめ』でデビュー。代表作に『アルペジオ』『
さっきから損しかしていない。
眉を顰め、ずり落ちてきた眼鏡を押し上げながら「けどそれなら、本当に何をしにここへ?」と尋ねる。
彼女の顔は、引き締まったものとなった。
「——怪異専門の探偵。そのお力をお借りしたいんです」
***
翌日。全く同じ時間に少女は訪ねてきた。
「お願いします、水直さん。もう頼れるのはあなたしかいないんです」
駄菓子屋の営業時間に来ないというのは彼女なりの配慮だろうか。流石にこの話を子供たちに聞かせる訳にもいかない、そうなれば今度こそ門前払いなのは確かだが。
彼女の決意も簡単に揺らぐものではなかったようだ。
「嫌だね、断る。絶対に面倒くさそうだし、深く傷ついたから」
「それは……しょ、しょうがないじゃないですか! 知らないものは知らないんですから!!」
「えっなんで今傷を抉ったの? 泣くよ? 二十八歳が大泣きするところ見たい?」
この女見かけによらず中々に図太い。ダブルパンチとは恐れ入る。
四年前、一九四五年八月十五日。ポツダム宣言の受諾が国民に伝えられ、長きに渡る戦争が幕を閉じた。この時「勝てさえすればいい」という戦争の考え方は、音を立てて崩れ落ちた。日本は「その後」に目を向けなければならなかったからだ。
水直が駄菓子屋を始めたのも、こういった背景にある。子供がお腹を空かせるのは良くない。それなら娯楽と空腹、両方満たせるものはないか。そう考えて始めたものだ。
結局、何が言いたいかという話だが。天咲凪、この終戦四年後に上質な服を着れるような人物は、限られるという話なのだ。
「怪異専門の探偵とは言うけど……僕はなりふり構わず依頼を受けている訳じゃない。それに、怪異の三分の一は『気のせい』。もう三分の一は『自然現象』だ」
「自然現象……?」
怪異という字面からかけ離れた言葉に、凪は首を傾げた。
「何も難しいことはないよ」窓の外から見える煙突の煙を見ながら、水直は続ける。「煙が上に上がっていくように、死んだ人の魂は上へと昇っていく。そういう自然の摂理も見ようによっては怪異になってしまう。というか、人間が『怪異としてしまっている』」
「……何でもかんでも怪異って考えることが、よくないってことですか?」
水直は頷く。彼が思っているよりも、凪という少女は物分かりが良いらしい。
「そもそもあまり手を出すことが良くないんだよ。明らかに異質なものは対処の必要があるけど……どうなんだい?」
「私は——紹介、されたんです。あなたを」
「紹介? 誰に?」
「冬宮のおじ様です」
冬宮。久しぶりに聞く名だ、と水直はその目を丸くする。あの日経験した、今でも鮮烈に思い出せる記憶。それ以降、関わることがめっきり減ってしまった名だ。
はぁ、と。色々な情念の籠ったため息をつく。飲み込める訳がないのだ、こんなものを。
「冬宮って、多分だけど
水直は立ち上がると、コンロの火を付ける。棚から取り出したの二つの湯飲みだった。
「緑茶でいいかな?」