フィロソフィアの夜迷言   作:赤蜥蜴826

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#0 「怪異専門の探偵」

 ——一九四九年。第二次世界大戦終戦より四年。

 

 ——今よりも街の景色がずっと灰色だった頃。

 

 

   ***

 

 

 ドンドンドン、と入り口をノックする音が聞こえる。今は十八時。閉店から二時間は経っていた。

 

「誰だよ、こんな時間に……」

 

 青年は荒々しい音に眉を顰める。白く透き通った長髪は、童顔な顔立ちと共に中性的な面持ちを感じさせる。左足は——ふくらはぎから足にかけて棒になっている。義足のようだ。

 

 何用かはわからないが、お腹を空かせた子供の可能性がある。そう考えると扉を開けずにはいられなかった。

 

「あ、あの……水直(みなすぐ)さん、ですよね?」

 

 扉を開けた先にいたのは少女——黒い髪、蒼い瞳。上品な服を身を纏った、いかにもお嬢様という印象のある出で立ち。

 はっきり言って面倒くさそうだ。

 

「……子供ならともかく、君、ほとんど成人だよね? 悪いんだけど明日の営業時間内に——」

「そっちじゃないんです。駄菓子屋の方じゃなくて」

 

 綺麗で、堂々とした声が響く。よく通る声だ、通りがかった人に簡単に内容を知られてしまう程に。

 

「裏のお仕事の方で、相談があるんです」

 

 あまりにもよく通る声で「裏の仕事」なんて言うものだから、思わず慌てて回りを見渡してしまう。

 一応、誰もいない。

 だがこのまま門前払いなんかしようものなら「開けてください」と叫ばれるに違いない。そんなことをされればひと騒ぎ間違いなしだ、ただでさえ物騒だというのに。

 

「……わかった、わかったから。とりあえず、中に入って」

 

 追い返す方が危険だと判断し、彼女を招き入れることにした。

 

 貝塚荘(かいづかそう)。青年——水直が住む、冬天町(ふゆそらちょう)の外れにある建物だ。ただの住宅で特別なことはないのだが——八年前より、飢える子供たちを見て、何とか出来ないかと考えた結果、駄菓子屋を始めることになった。

 結果的に冬天町は活気を取り戻し、町民たちは他所と比べ、前を向いて歩き始めている。

 

 奥の障子を開けると畳の部屋へ。彼の私生活の場所でもあり、応接間でもあった。

 

「しかし……そっか。僕も有名になったなぁ」

 

 感慨深く頷く水直に、怪訝そうな顔をする少女。

 

「どれが好き?」

「えっ」

「隠さなくていいよ、僕のファンってことだよね?」

「っと……そういうことに、なる、の、かな?」

「ここまで頑張ったよ……。やっぱり、時代に合ったものってあるからね。僕が書くものじゃ、今の人たちは満足してくれないかなって心配してたんだ」

「か、書くもの?」

「そう、やっぱり目で見て、感じたことを書かなきゃいけないからね。そうでもしないとリアリティが——」

「あのっ」

 

 水直の自信満々な語りを、少女が静止する。今度は水直が怪訝な顔をした。

 

「……え? おかしいことを言ってる?」

「何の話、ですか?」

 

 気まずい沈黙が場を包む。水直は嫌な汗が背中に滲んだのを感じた。

 

「……小説家としての、オレじゃなくて?」

「小説家だったんですか?」

「ぐっ……」

 

 傷ついた。肩から脇腹まで思いっきり袈裟斬りされた気分だ。あまりの辛さに縮こまってしまう。

 

「ご、ごめんなさい、その、私そういうのに疎くて……」

「い、いや……いいんだけどさ……。じゃあ何でペンネームの方で訪ねて来たの……」

 

 水直。職業、小説家。一九四〇年に短編小説『火とかもめ』でデビュー。代表作に『アルペジオ』『喇叭(らっぱ)』がある。実際、小説での収入源も増え、人気になってきたかな、なんて思っていた矢先の出来事である。

 さっきから損しかしていない。

 

 眉を顰め、ずり落ちてきた眼鏡を押し上げながら「けどそれなら、本当に何をしにここへ?」と尋ねる。

 彼女の顔は、引き締まったものとなった。

 

 

「——怪異専門の探偵。そのお力をお借りしたいんです」

 

 

   ***

 

 

 翌日。全く同じ時間に少女は訪ねてきた。

 

「お願いします、水直さん。もう頼れるのはあなたしかいないんです」

 

 駄菓子屋の営業時間に来ないというのは彼女なりの配慮だろうか。流石にこの話を子供たちに聞かせる訳にもいかない、そうなれば今度こそ門前払いなのは確かだが。

 彼女の決意も簡単に揺らぐものではなかったようだ。

 

「嫌だね、断る。絶対に面倒くさそうだし、深く傷ついたから」

「それは……しょ、しょうがないじゃないですか! 知らないものは知らないんですから!!」

「えっなんで今傷を抉ったの? 泣くよ? 二十八歳が大泣きするところ見たい?」

 

 この女見かけによらず中々に図太い。ダブルパンチとは恐れ入る。

 

 天咲凪(あまさきなぎ)——十九歳の少女。昨日の帰り際、そう名乗って帰っていった。黒い髪は清廉さを、青い瞳は凛々しさを、一目見て美しいと感じる面持ちは良くも悪くも日本人離れしている。これでいて大和撫子のような雰囲気を醸し出しているから不思議だ。身に纏っている上質な洋服は、現在と照らし合わせ、どこか時代錯誤にも感じるところがある。

 

 四年前、一九四五年八月十五日。ポツダム宣言の受諾が国民に伝えられ、長きに渡る戦争が幕を閉じた。この時「勝てさえすればいい」という戦争の考え方は、音を立てて崩れ落ちた。日本は「その後」に目を向けなければならなかったからだ。

 

 水直が駄菓子屋を始めたのも、こういった背景にある。子供がお腹を空かせるのは良くない。それなら娯楽と空腹、両方満たせるものはないか。そう考えて始めたものだ。

 

 結局、何が言いたいかという話だが。天咲凪、この終戦四年後に上質な服を着れるような人物は、限られるという話なのだ。

 

「怪異専門の探偵とは言うけど……僕はなりふり構わず依頼を受けている訳じゃない。それに、怪異の三分の一は『気のせい』。もう三分の一は『自然現象』だ」

「自然現象……?」

 

 怪異という字面からかけ離れた言葉に、凪は首を傾げた。

 

「何も難しいことはないよ」窓の外から見える煙突の煙を見ながら、水直は続ける。「煙が上に上がっていくように、死んだ人の魂は上へと昇っていく。そういう自然の摂理も見ようによっては怪異になってしまう。というか、人間が『怪異としてしまっている』」

「……何でもかんでも怪異って考えることが、よくないってことですか?」

 

 水直は頷く。彼が思っているよりも、凪という少女は物分かりが良いらしい。

 

「そもそもあまり手を出すことが良くないんだよ。明らかに異質なものは対処の必要があるけど……どうなんだい?」

「私は——紹介、されたんです。あなたを」

「紹介? 誰に?」

「冬宮のおじ様です」

 

 冬宮。久しぶりに聞く名だ、と水直はその目を丸くする。あの日経験した、今でも鮮烈に思い出せる記憶。それ以降、関わることがめっきり減ってしまった名だ。

 

 はぁ、と。色々な情念の籠ったため息をつく。飲み込める訳がないのだ、こんなものを。

 

「冬宮って、多分だけど冬宮譲悟(ふゆみやじょうご)さんだよね。それじゃあ適当には扱えないな」

 

 水直は立ち上がると、コンロの火を付ける。棚から取り出したの二つの湯飲みだった。

 

「緑茶でいいかな?」

 

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