——異能とは何か?
その問いかけに、かの者はこう答えたらしい。
——答えは「不理解」です。
私たちは、何か致命的な見落としをしているのかもしれない。
***
十九時。やっと『夜』という実感を沸かせる時間。ちゃぶ台を囲み水直と凪は言葉を交わしていた。
一か月前の話です、と凪は口を開いた。
「自慢じゃないんですけど、寝つきはいい方で。どうやっても起きないんです、私」
「本当に自慢じゃないな……」
「そ、そういうことじゃなくて! その日から毎日、金縛りに合うようになったんです!」
金縛り。元は仏教の言葉だが、類似した現象は中国などのアジア圏をはじめ欧米、欧州、呪術文化やアニミズムが盛んな地域で見られる。睡眠前後で意識があるにも関わらず、身体が動かせない現象を指す。
最近は医学的な研究が進んでいるらしい。
「最初はそういうこともあるのかなって思ってたんです。けど、それがほとんど毎日続いて……」
「毎日、ねぇ」
水直は棚の上にあった和綴じを持ち出すと、万年筆でメモを始める。
——話を聞くに丑三つ時か。鬼門に少し関係がありそうだな。
彼女の声は良く通る。だからこそ、緊張で震えたり、言葉が詰まったり。感情がよく伝わる。
「極めつけは二週間前です。私だけかな、と思っていたんですが……どうやら使用人たちも——お父様やお母様も、金縛りに合われているみたいなんです」
水直の瞼がピクリ、と動く。確かに現在、金縛りは医学的に解明されつつある。
「……同時に? 家中の、全員が?」
だが、それは脳科学の話。睡眠と関係のない時の金縛りや、複数人が同時に起こす現象は、解明に至っていない。
「はい。だから試しに——四日前、寝ずにその時を待ってみたんです」
それ以降の彼女の話はこうだった。
何もすることがなかったため、勉強をしていたらしい。節約のためロウソクに火を付けながら机に向かい、その時を待っていた。
午前二時に差し掛かる頃、身体に異変が発生する。件の金縛りだった。意識ははっきりする、ぼんやりだが頭も回る。息苦しく、上手く呼吸が出来ない。
いつもならこの感覚が三十分から一時間ほど続き、気を失うように気絶——目が覚めたら朝になっているらしい。だから最初、これ以降のことは気絶した後に見た夢だと思っていたようだ。
その日は普通と違った。
凪の部屋はベッドが西側、扉が北側にあり、扉側の壁に彼女の机がある。窓は南側で、この状態だと物理的に窓の外を見ることは出来ないのだ。
だが、彼女は確かに窓の外を見たのだ。
呻く者——彼女はそう表現したそれは、庭に佇んでいた。人の形をした——いや、人ではない。人の腕は四つに曲がらない。そしてあそこまで頭は大きくない。口が動いていた、ヴヴヴ……とうめき声を上げていた。啜っていた、或いは貪っていた。不自然な口の動きだった。
そして——それと、目を合わせてしまった。
「気が付いたら朝になっていました。悪夢であることを願いました。けれど……変、なんです。机の上にあったロウソクが、不自然にえぐれていたんです」
両の腕で自分を抱きかかえるように震える凪。「だから夢じゃないと確信した?」その問いに彼女は頷いた。
「その前に聞いていい? そもそも譲悟さんとはどういう関係なの?」
「それは……えっと、家の付き合いなんです」
立冬群がまだ葉山藩と呼ばれていた頃、この辺り一帯を治めていた武家が冬宮だ。譲悟は冬宮家当主の先代にあたり、御年七十八になる。
確かに冬宮家は江戸の頃から指示があり、町民とも親しい間柄だ。だが、冬宮家と家ぐるみの付き合いとなると限られてくる、
「……君の父親の名前を聞いていいか?」
「えっと——
「
天咲一族。家系の源流は飛鳥時代にルーツを持つ、日本の『神秘』や『魔』といった存在の全盛期を体験してきた血を引いている。現在ではやや衰退をしているようだが、それでも五大名家に比べれば栄えている方と言える。
話を聞く限り、彼女——凪は天咲一族の令嬢ということになる。
うーん、困った。水直の責任が急に重くなった。彼の感情としては面倒くさいことになる前にさっさと知らんぷりをしてしまいたい、の域に到達している。
なので——あえて聞いてみることにした。
「自分で対処しようと思わなかったの?」
「えっ?」
考えたこともなかった、と言いたげに凪の目は見開かれる。水直の目を見て、動かない。目が泳ぐ様子もない。
「天咲一族は『異能持ち』の家系だ。その気になれば君か、もしくは一族の誰かが対処できるんじゃないか?」
「それは……」
「勘違いしないで欲しいが、関わった以上、無下にはしない。けど依頼主は天咲一族の令嬢だ、僕も下手は打てない」
ここでようやく目が泳いだ。言い淀んでいる——というだけではなさそうだ、凪は意図を伝えるべく、言葉を選んでいるように見えた。
しばらくして、ふぅ、っと潤んだ唇から息が吐かれる。
「私、自分の異能力が何なのか、まだわかっていないんです」
「わかっていない? 生まれながらに持ってなかったってこと?」
「いえ、名前はわかっています。〈
「あぁ……アバウトなのね」
「それに、兄様たちはGHQの対処や陸軍内の仕事にかかりっきりで……」
天咲一族の一人が陸軍将校であることは聞いたことがあるが——この国に残された爪痕はまだ大きい。確かに、一か月前に突然始まった事象に、すぐ取り掛かることは難しいだろう。
それに——水直が他人事ではないことは、聞き始めから既にわかっていた。
「いいよ、その依頼引き受けよう」
「ほ、本当!?」
「ただし天咲一族とはいえ、きちんと依頼料は貰うからね。割引とかはしないよ」
「はい! その……よろしくお願いします!!」
まるで救われたかのように、凪の表情が花開いた。
「それじゃあ行こうか。準備した後、一か所寄ったら直ぐに向かうから」
えっ——と、嬉しそうだった凪の表情が驚愕のものに変わる。
「だって、もう原因はわかってるから」
***
二十三時。天咲一族の邸宅に差し掛かり、二人は門をくぐろうとしていた。何故か水直の喉元には三つの銃口が向けられていた。
「ドウシテ……」
使用人たちだ。凪の帰りが遅いことに加え、門番としての役割がある彼らは、水直を完全に異分子と見なしていた。
「皆やめて! 彼は私が連れて来たお客様だよ!!」
「お言葉ですが、凪お嬢様。勝手に外出され、事前のアポイメントもなく、それもこのような時間に出自のわからぬ者を敷地内に入れる訳には参りません」
「けれど——」
「今はGHQに加え、連合国側のスパイが日本中に点在しています。それに——呪詛師の可能性もあります」
「ごめんちょっと待って貰っていい?」
凪の苦言に使用人が言葉を返す中、水直が両手を挙げたまま口を挟む。上着の裾の方をまさぐると一枚の紙を取り出し、身長の高い女性の使用人へと手渡した。
「冬宮譲悟様からの……紹介状?」
使用人からすれば、彼が冬宮家との繋がりがあるほど、地位のある人間には見えなかった。どう考えても怪しい——が、見れば見るほど譲悟の字であり、冬宮家の実印であった。
——怪異専門の探偵? この男が?
困惑しながらも一人、二人と銃口を降ろす。
「……大変失礼いたしました。ですがこれも職務ですので、ご容赦ください」
「ハハ……お手柔らかに」
水直からすれば生きた心地がしなかった。最も予想をしていたから、来る前に譲悟から紹介状を書いてもらっていたのだが。
「しかし、怪異専門の探偵殿がどのようなご用事で?」
「そちらのお嬢様から依頼を受けたんだ。集団金縛り事件について解決して欲しいって」
「……えぇ。確かに、当主様も手に負えず、
他の使用人たちな、背の高い女性の使用人の方を困ったように見る。どうやら使用人たちの纏め役のようだ。
数刻悩んだのち、彼女は物々しく口を開いた。
「——かしこまりました。冬宮譲悟様の紹介状があるのであれば、当主様も納得いただけるでしょう。ですが天咲一族の、日本の危機的状況を鑑みて行動は制限させていただきます。ご理解を」
「まあ、いいよ。そうなるだろうなとは思っていたし」
「ありがとうございます。それとお嬢様、勝手な行動はくれぐれも謹んでください。……お叱りを受けるのは私なんです」
「……はい、ごめんなさい」
——おいこの令嬢、親の許可なしに来てたのかよ。そりゃ怒られるわな……可哀そうに。
水直もだが、この使用人もかなり振り回されているようだ。彼女は頭を抱えると、二人に使用人に指示を出し、凪と水直を屋敷の中へと招いたのだった。