「どこに向かってるんだっけこれ? えーっと……」
「
黒いスカートに身を包み、白いエプロンを身に着けた、ベージュのショートヘアの女性。この時代にしては身長も高く凛々しい印象を受ける、いわゆる「メイド」の恰好をした女中だ。右足の方にスリットが入っており、やや動きやすくしているようだ。
「凪お嬢様のお部屋に向かっております。水直様は出来るだけお部屋を出ないよう、お願い致します」
「わかってるよ。流石に他人の家をうろちょろはちょっとね」
周囲を観察する。この時代では珍しくない——屋敷が珍しいということはさておき——木造の、天井が高い造りの屋敷だ。三階建てになっており、階段を一段上り、西南西の方に向かっている。
風水的におかしなものや、特別不吉なものも見受けられなかった。なら、やはり水直の予想通りの運びになるだろう。
立ち止まった名残が「こちらです」と扉を開ける。
扉、ベッド、机、窓——凪から事前に聞いた配置通りの部屋だった。他にも本棚や衣装棚などがあり、その全てが豪華で、素人目から見ても高級品とわかる色艶、造りだった。住んでいる世界の違いを嫌でも痛感させられる。
やはり、特別空気が濁っている訳ではない。家の中や部屋のどこかに呪物などがある可能性も考えたが、棄却してよさそうだ。
「凪さんはここに座ってたんだっけ?」
「はい、いつもここで勉強していて——これが、お話していたロウソクです」
燭台の上には不自然な長さ、そして不自然な形のロウソクがあった。ロウソクは火が消えるにしたって導火線が残るし、極端に形を変化させない。しかし、そのロウソクはまるで火が付いた部分を捩じり取った、としか言いようのない形をしていたのだ。
そして、ここで凪は〈怪異〉の姿を見た。否——『見せられた』。
やはり対策は必須になってくるだろう。
「——ところで」
こんな言い出し、小説以外で使わないけどな——と、思いながら、水直は扉の方を振り返る。
「泊さんはここに居続ける感じ?」
「当然です。どこの馬の骨とも知らない方とお嬢様を二人きりにする訳にはいきません」
「ちょ——二人きりって!」
ベッドに腰かけていた凪が勢いよく立ち上がる。
「やめてよ名残、考えないようにしてたのに!! お……男の人を使用人以外で入れるの、初めてなんだから!」
「まぁお嬢様、本当に初心ですこと。こんなプリティーでキュアキュアなお嬢様を守れるのはやはり私だけです」
「この時代にその名乗りってなかったよね?」
手間が増えるなぁ、とぼやいた水直は、それまでずっと持ち続けていたスーツケースから紙を二枚と——筆、墨汁を取り出すと、凪の勉強机の上に広げた。
「——何をなさるおつもりですか」
「護符だよ」
名残の静止を無視し、水直は筆を取る。
「金縛りを完全な呪術として捉えた時、あれは『金』の特性を持つ。つまり
静寂が部屋の中を包み込む。二枚目を書き終え——水直は彼女たちの方へ顔を向けた。
「何で何も言わないの?」
「い、いえ……だって……」
「本当にお詳しいのだと驚いて……」
「ねぇ? 詐欺師扱い? オレそろそろ本当に泣くよ? あと凪さんに関しては僕のことちゃんと調べたんだよね?」
一応、怪異専門の探偵の方でもそこそこやってきていたはずなのだが……どうしてここ最近、こういう扱いを受け続けているのか。
天咲か。やはり天咲一族が悪いのか。
「で、あれば。当主様や屋敷の者に何故配らないのですか? 理由をお聞きしても?」
「簡単だよ。その答えは、全員守れる保証がないからだ」
凪と名残は護符を受け取る。護符なんて持ったことがない、といった様子の二人に「ポケットとかに締まっといてくれればいいよ」と水直が見かねて伝える。
「結論、あの怪異の目的は『魂』だ。金縛りを起こして、この屋敷に根を生やし、魂という『養分』を吸い上げている」
「吸い——!!」
凪の背筋が凍り付く。顔から血の気が引いていく感覚が、自分でもわかるほどだった。つまり天咲一族は……『あれ』に、喰い物にされていたのだ。
名残もいい気分は感じていないのか、顔を顰めている。
「けれど、どういしてそうお思いに?」
「根拠は凪さんを襲ったことだ」
「……? お嬢様は襲われてなどいないはずですが」
「いいや、襲われているよ」
水直は机にあるそれを手に取った。
燭台の、ロウソク。無造作に引きちぎられたようにしか見えない哀れな残骸。凪は気づいていないようだったが、名残は目を見開き、言葉を失っていた。
「そう、あの〈怪異〉は凪さんを襲った。ただ、間違えただけだ。魂と——ロウソクの火をね」
その一言は凪の思考を停止させるに充分な力を持っていた。
「奴にとって火は魂、つまり人魂とイコールだった。だからこそ襲い掛かった。ロウソクがなければ最初の被害者だったね」
「っ……あ、嘘……」
快活な凪ですら、その事実は狼狽えてしまうものだった。
〈怪異〉という存在は混沌、無秩序なように見えて意外にシステマチックな存在だ。〈怪異〉という区分で語られている存在を注意深く読み解いていけばわかることだが、Aの条件を満たせばBに、満たさない場合はCに移行する、という特性や力を持っていることが多い。
妖怪や妖精、悪魔よりも厄介な印象があるが、知識と経験、機転があればやり過ごすこと自体はそこまで難しくない。〈怪異〉の厄介さは、現代の秩序や法則から
「お嬢様……それでは、屋敷の者に護符を渡さないのは……」
「自由に行動されるぐらいなら金縛りのままの方が守りやすい。話の限りだと負けることはないけど、全員が自由に逃げ惑ったりしたら流石に無理だ」
どちらも相応のリスクはあるが、察するに直接干渉以外では命を奪えない。それなら、吸い上げられる状態の方がいい。
「念のために形代も人数分作るよ。あ、材料はあるから凪さん、手伝ってもらっていいかな?」
「形代……?」
恐怖に震えていた凪が顔を上げる。
「端的に言うと『身代わり』。中に生年月日と名前を書いて、手順通りに折り込むだけ。直接狙われたら難しいけど、〈怪異〉に魂を吸い尽くされるような事態はこれが肩代わりしてくれる」
「えっと……どうして私に?」
「半分は勘だけど、使用人も含めて全員の名前と誕生日、書けるんじゃないかなって」
驚いたのは名残だった。凪は真面目というか、とにかくマメな女性だ。
要領が良いと言われがちだが、彼女の場合は段取りを細かく実行し続けているだけだ。父である国常との重要な会話はもちろん、使用人との何気ないやり取りも覚えていて、気配りを自然にする。
今回、水直を頼ったのも、凪が独力で辿り着き、依頼をしたのだ。時折びっくりするような行動力も備えているが、そういう時は大抵、誰かのためでもあるのだ。
——お嬢様との関係は浅いはず。簡単に見抜くなんて。
調子を少し取り戻した凪は水直と交代して椅子に座ると、教わった通りに形代を作っていく。
「やっぱり水直さんって物知りなんですね。小説家っていうのは嘘じゃなさそうで安心しました」
「ねぇ、オレを何だと思ってるの?」
「——小説家?」
ぴくり、と名残の眉が跳ねる。怪訝そうでいて、何というか——畏怖と、後悔が混ざったような。そういう様子だ。
「……失礼ですが、水直様。あの、水直先生なのですか?」
「えーっと……もしかして、やっと僕のことがわかる人に会えた?」
「大変申し訳ございませんでした後ほど『喇叭』を持って参りますのでサインをいただいてもよろしいでしょうか」
「なっ名残!?」
凪がびっくりするほど大きな声ですらすらと言葉を紡ぐ名残。
「いいですかお嬢様、水直先生は治安維持法と特別高等警察で表現の規制が大っ変厳しい中、芥川先生たちのような新思潮を思わせながらもどこか写実的で、絶望や虚無感を漂わせながらも、どこか力強い素晴らしい作品を書く方でございます。それならそうと何故言っていただけなかったのですか。『
「めちゃくちゃ喋るじゃん君……ありがとう」
水直もびっくりした。思ってたより情熱持ってる人だった。
刻一刻と時計の針は進む。作られた人数分の形代は屋敷の見取り図に、それぞれの持ち場に配置された。屋敷全体とそれぞれの形代をシンクロさせるように術式を編む水直。
そうしているうちに、件の時間になろうとしていた。
「さて、と……」
水直はスーツケースから二つのものを取り出した。
一つ。革で出来た『本』。
一つ。刀。反りのない、平安時代や鎌倉時代などに作られた、両刃仕様の古い剣。
「水直さん、それって……」
「ん? あぁ、仕事道具だよ。どのみち、直接戦う必要はありそうだしね」
秒針が、時を刻む。規則的に、それも心臓より遅いペースで刻まれるはずの音は、凪と名残を焦らせる。
無意識に口で息をするせいか、口内が渇いてきた。
今夜は満月だった。
来る——水直が呟いた時。
部屋の時計が、午前二時を指し示した。