キィイン————!!!
脳が揺れるような金切り音が襲う。凪と名残はたまらず呻き声を上げ、立っていた名残に至っては膝から崩れ落ちてしまった。
息苦しさはいつもと変わらい。プレッシャー……と、言うべきなのだろうか。緊張感や緊迫感にも似た圧が空気を支配し、心臓の鼓動が警鐘を鳴らしている。はぁ、はぁ……と、途切れ途切れながら、凪は慎重に、深く、呼吸をする。
「こんなことっ……今までなかったのに……」
「金縛りを知覚したせいだね、こればっかりは仕方ない。二人とも、護符を見てみな」
余韻のように残る頭痛。額を抑えながらポケットに入れていた護符を見る。護符は半分になっていて、切れ端がまるで焼け焦げたようになっていた。名残も同じだった。
「これって……」
「っ……水直先生の護符が効いた、ということでございますね」
「間に合わせだったから不安だったけど、上手くいってよかったよ」
水直は古剣を手に取ると、鞘から引き抜く。黒く、無骨な造りの両刃刀は、窓から差す月光を拾い煌めいていた。
「君たちはここにいて。僕が奴の前にいる限りは手を出してこないはずだから」
名残は少し顔を顰めていたが、凪が頷いたことを確認すると、水直は『本』と剣を持って飛び出した——
「……名残。もし、心が折れていないなら。機を見て助けに入ってあげて」
「ですが、それではお嬢様の身が——」
「違うの」
凪は真っ直ぐに見つめる。その目は恐怖の色こそあるが、いつもの、意志に満ち溢れた彼女の目だった。
「あの人、片足が義足なの」
カタッ、と音を立て着地する。水直の目の前には凪があの日見た怪異がいた。
「やっぱり当たりだったな。話を聞いた時からそうじゃないかとは思ってたけど」
その〈怪異〉は水直を『視た』。
凪が四つの節があるように見えたもの、それは枝だった。否、厳密には植物ではなく肉なのだろう、だが様相を見るにそれは『枝』だった。
頭部に見えるそれは『果実』。重たく膨らみ、垂れしだっている。この屋敷からだけなのか、或いは他にも寄生先はあったのか。成熟し、今にも弾けそうなほどに熟れた果実からは禍々しさすら感じた。
脚に見えるそれは根だ。これを屋敷に張り巡らせ、魂を啜っているのだろう。
猿の顔を持ち、四つの節がある枝を五本携え、果実と、根を張った脚を持つ異形。
「〈
五本の枝は真っ直ぐ水直に向かっていき——更に分裂、五本の枝が十本、二十本、四十本——〈間肢羅〉の毒牙が襲い掛かる。呻き声に聞こえるそれは枝が折れ、節が増える音。植物からする音の全てが、呻き声のように、人間の聴覚を惑わせる。
後方へ飛びのく水直——その足元に枝が突き刺さる。触手のように蠢き、呻き声を上げて襲い掛かる。
「
姿勢を低く、剣を構える水直。
「第一番『
身体を軸から開くように、剣を薙ぎ払う一撃。枝を斬り、折り、蹴散らす剣戟。茶色い木片が飛び散る様は、確かに吹雪のようであった。
しかし〈間肢羅〉はそれを意に介す様子もない。斬った傍から枝を再生——否、増殖する。『それ』は枝だ、枝のはずだ。
木を見た時、風になびく葉っぱを数えられるだろうか。それが今目の前で、枝で同じことが起きていた。
「流石に対策はしてるか……クソっ」
水直は軽く舌打ちをする。無数の枝は一斉に水直の方を向き——
「っ!?」
雨のように降り注ぐ。
地面に刺さった枝、その全てから呻き声が聞こえる。喉を鳴らし、嗚咽するような音に四方を囲まれ鼓膜を埋め尽くした。
一本一本の枝を弾き、致命傷を避ける。枝を弾き、斬り——肩や太ももに枝が刺さる。
「ぐっ——口伝居合術第二番、番外の型『
縦に振りかぶる剣を力任せに振り下ろし——二度、三度、四度——連撃が枝の網を掻き分けた。
滑り込むように脱出する水直——がバランスを崩し大きく倒れ込む。脚からは血が滲み、地面に染みを残す。〈間肢羅〉がニタリ、と笑みを浮かべた気がした。
水直の右足は義足だ。あくまで足首から下であるため、比較的軽くはある。だが、それでも長時間の歩行やスピード勝負でハンディキャップを背負ってしまう。〈間肢羅〉のように飽和攻撃を与えてくる相手には苦戦せざるを得ない。
——さて……どうしようか。手段を選ばなければ勝てる相手。けど見せびらかしたくはない。特に他人の敷地内だ。どうするか——
次の攻撃に備えようと身を沈める。額にはうっすら汗が滲んできた。
〈間肢羅〉がこちらへ枝を伸ばそうとし——その視線が、自分の僅か左に逸れた。カタッという足音、メイド服をはためかせた淑女が水直の隣へ舞い降りる。
「ちょ——何で来たの!?」
「お嬢様のご命令です。何でも、戦闘には不向きなお体のようで」
突然図星を突かれ言いよどんでしまう。名残としては、俗世に慣れきった老獪に見えた彼からの反応が年相応で、少しの好感を抱く。
スリットの入ったスカートから取り出したのは——手裏剣。しかし、いわゆる忍者ブームで知られた十字の形状ではない。戦国時代や江戸時代で暗器としても多用され、携帯性・殺傷力・投擲音などすべてが合理化された釘のようなフォルム。それが、一メイドに握られている。
「ぼ……
「ご存じでしたか。ご安心ください。これでもお嬢様の護衛も兼ねた——異能力者ですので」
この世界には〈異能力〉という、人智を超えた力がある。
一に曰く、その力は魔術にあらず、また超能力にあらず。二に曰く、異能力を使う者を「異能力者」と呼ぶ。三に曰く、その起源——未だに人知れず。ある者は『人類の進化』、ある者は『悪魔の遺物』、ある者は『神からの賜り物』と呼ぶ。その力こそが〈異能力〉だ。
〈間肢羅〉は枝を束ね——三つの腕を作り出した。拳のように上から振りかぶる——二人は左右に散開した。
ゴッ!! 地響きと共に、水直たちがいた場所にクレーターが生まれる。質量だけで言えば二百キロあるだろうか、それが慣性を持って振り下ろされれば——想像もしたくない。
「何か策はおありなのですね!?」
対岸からの名残の言葉に「あぁ!」と大声で返事をする。当然だ、この存在は水直が追い求めていたのだから。当然、刈り取る手段はある。
名残は手に持つ手裏剣を空へとばら撒いた。黒く、細いシルエットは夜空で視認することは不可能だ。だから〈間肢羅〉も気づかない。その手裏剣は、空中で静止していた。
「異能力——〈フォーミュラクト〉」
彼女がそう唱えた瞬間——〈間肢羅〉は絶叫を上げていた。一見して地味で何が起きているか分からない——が、水直はその本質をすぐに理解した。
——静止と急加速を使い分けているのか。しかも速度だけで言えば光速……本質は時間圧縮か?
名残の異能力〈フォーミュラクト〉は水直の推理通り、『
〈間肢羅〉が腕を振り被れば名残の姿はそこにない。自身の異能力を使い、瞬間移動のように後退していた。
——さて、どうするか……。
〈間肢羅〉そのものを倒す方法はある。だが、問題は土地に張り巡らされた根っこだ。この怪異の特性上、無闇に倒しても根っこが残っていれば復活してくる。根っこごと消し去らなければ蘇ってくるだろう。
出来ればこの手は人に見せたくないが——仕方がない、背に腹は代えられない。
水直は剣を地面に突き刺すと、もう片方に持っていた〈本〉を開く。
「異能力——〈
〈本〉の光が水直に注がれる。僅かに右手からは焔が漏れ出していた。
地面に刺さった剣の塚を握りしめ——その瞬間、焔の奔流が溢れ出した。
「ぐっ……!!」
剣先から焔は真下へ——〈間肢羅〉の根を目指す。異能力〈双焔〉は狙った敵を逃がすほど甘くはない。一瞬でも火花が散れば、悉くを焼き尽くす神火と化す。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ——!!
〈間肢羅〉が完全に炎に包まれた。
「名残さん、奴の頭を打ちぬいてっ!」
果実に見える頭部。〈核〉自体は最初からこの場所に存在した。
スカートから出した手裏剣が四本。右手に携え構える。燃え盛る〈間肢羅〉はなおも名残へ腕を伸ばしていた。
「〈フォーミュラクト〉——〈
放たれた四つの黒き閃光。腕を貫通し、頭部へ達した瞬間——速度が手裏剣の耐久値を超え、内部で破裂する。
怪異の動きは、それで止まった。
「やった……のでしょうか?」
「あの、フラグみたいなこと言わないでください? 本当にやったから大丈夫ですよ」
水直の発言を汲み取るかのように、夜風が二人の間を抜けた。〈間肢羅〉——怪異は風にさらわれ、灰のように散っていった。