——三日後。一九四九年八月五日。
水直はとある邸宅の呼び鈴を押していた。黒く、重厚感のある瓦の屋根。漆喰の壁は日光に照らされ、輝いているようにも見える。玄関や軒を支える柱からは、杉の香りを感じさせるほど存在感があった。
ガラガラ、と扉が開く。姿を見せたのは、白いひげを携えた初老の男性だった。
「おや——水直くんじゃないか。今日は何の用かな?」
「苦情に決まってるじゃないですか」
水直の粗暴な態度にも、男性は微笑みを崩さなかった。
「入りなさい。ともかくまあ、積もる話もあるだろう」
「いやだからあなたのせいなんですよ」
「ほっほっ、それだけじゃあないことぐらい、私にはお見通しよ」
舌打ちが漏れてしまう。この男——冬宮譲悟には、どうやっても勝つことが出来ない。何でもかんでもお見通しだ。
ここは立冬群を収めていた元武家で元地主、冬宮家の邸宅だった。現在はこの邸宅で一人暮らしをしている。
譲悟に連れられて、水直は——仏間へとやって来た。奥にある仏壇には譲悟の面影がありながら、若々しくも凛々しい青年が写っている。
義足を器用に使いながら水直は正座すると、線香に火を着け——静かに手を合わせた。
「——もう、四回忌になるのですね」
「あぁ。そしてもうすぐ戦争が終わって四年だ。時間というのは中々どうして残酷さ。否……人の叡智だろうか。私たちが想像しているよりも、景色は足早に戻っていく」
開け放たれた襖からは心地のよい風が通り抜けていく。水直の長く、白い髪を攫っていく。今でも目の奥に焼き付いている〈あの戦い〉。歴史に残ることなどない、水直と、譲悟と——死んでしまった『彼』と——元凶。たった四人しか知らない、世界の命運を掛けた戦いを。
「……オレがもっと、強ければ」
「そういうことは言うものじゃないよ。確かに……冬宮の家はここで潰える、私の一人息子が死んでしまった以上ね。けれど、あれ以上の結果はないのだよ」
「そうですね……野暮、でした」
ふぅ、と大きく息をつく。落ち着かせようと、滲んだ汗を握りしめながら深呼吸を繰り返した。
「あの後、〈
「あぁ、滅ぼしたよ」
譲悟はあっさりと告げる。
「作戦自体は一年前には終わっとってね。その後調査を続けたが、先日を持って、閑洞家を根絶やしにしたと報告を受けている」
「そうですか……。よく、大事になりませんでしたね」
「あくまで『冬宮の当代を殺害した』という事実のみを追求したからね。〈あの戦い〉のことを大々的に言ってしまえば——米軍が黙っていなかった可能性もある」
〈あの戦い〉。歴史に名前を残せない以上、そう呼ぶ他ない戦いがあった。
一九四五年八月六日。広島市への原子爆弾投下——戦争で初めて原子爆弾が使われた日だ。日本史として見ても、世界史として見ても、この日は世界最悪の日と言って過言ではないだろう。
しかし——この現状よりも、更に最悪な結果になる可能性があった。
閑洞家。日本を裏から支配していた五大名家と肩を並べる異端の一族。否、あの頃に関してだけ言えば五大名家を超えていただろう。彼らは人体実験を繰り返し、生まれてくる男子に『生命』にまつわる異能力が開花するようにしていた。
五大名家が暗殺や海外からの干渉で没落し始めた頃。閑洞家当主、
巌の異能力。それは『兵器に生命を与え、生物へと変える』力。この力を使い、閑洞家は——原子爆弾を生物兵器に変えることを計画していた。
いち早く閑洞家の動きに気づいた譲悟の息子——『冬宮の当代』は水直を引き連れ、阻止すべく行動に移る。それが——〈あの戦い〉と呼ばれる出来事だ。
結果——作戦の阻止に成功し、閑洞巌を死亡させたものの、冬宮の当代もまた命を落とすことになった。
「五大名家の様子はどうですか?」
「
「確か……ナミ派からさらに分派したところですよね? では当初の予定通り——」
「あぁ。〈
仏間という、厳かでありながら穏やかな空間。死者を慈しむ場所。夏場であるにも関わらず、そこには冷え切った風が入ってきた。
水直の目が鋭くなる。譲悟もまた、眉にしわを寄せていた。
「……しかし、〈十二の
譲悟の口ぶりはずいぶんと物々しかった。戦争を生き残り、これだけの齢を重ねた者が声を震わせる理由には、もちろん訳がある。
「水直よ。本当によかったのか?」
譲悟の問いかけは、未だに声が震えていた。
「君がしていることは——自ら〈
水直は身じろぎすらしなかった。脇に置いた剣を、指で愛おしそうに撫でる。立ち上る線香は風に煽られ、のらりくらりと不規則に揺らめいていた。
線香の香り。
小説家としての水直は——一抹の後悔と、自己愛の香。そう記すだろう。
「〈十二の物種〉は〈天亡〉を育てるためのものです。かの存在をそのままにすれば人類は滅亡します」
「……今でも君の考えは変わらないのか」
「えぇ。〈焉元の盟約〉は〈天亡〉を——
————
「……それなら、やはりやらざるを得ないか」
「はい。〈十二の物種〉を殲滅すれば〈天亡〉は現れます。ただし、不完全な状態で」
冬宮家の先代に対しても、白髪の若造は動揺することはなかった。目を見て、逸らすことはない。
「完全体の〈天亡〉に勝算はありません。いや、
風鈴の音が、焦りで熱ばんだ身体を冷ます。
このプランには不確定要素しかない。当然だ、必要なものが欠けていて、その必要なものを得るための計画なのだ。目的達成と、目的達成への特急券が同じタイミングで手に入る。水直が目指しているところはそういうところだ。
今はまだ、明かせない。明かす訳にはいかない。
「……その通りかもしれないな。元は私と息子、そして君で始めた旅路だ。この旅に確実なことなどないと分かってはいたが——歳かのぉ」
そんな、ことはない。水直が喉まで出かかった言葉を、ぐっと飲みこんだ。
「それじゃあ、今日はそんなところかね?」
「は? 何言ってるんですか?」
***
ガラガラガラ——貝塚壮、水直が経営している駄菓子屋の扉が開く。奥の客間には、黒い髪の少女と、メイド服を着た女性がいた。
「これ、すっごく美味しいです! でも、ヨーグルトって名前なのにちょっと味が違うんですね」
「水直先生、先日の新作も拝読させていただきました。是非、私どもの解釈を聞いていただけませんか?」
「あんたが無闇に紹介するからうるさくなっちゃったじゃん! どーしてくれるんですか!?!?」
「……………なんか、すまんのぉ」