裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~   作:パラレル・ゲーマー

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第11話 推し活って、そういうものなのか?

 翌日の午前。

 神崎隼人は、西新宿の自室で探索用のボストンバッグに装備を詰め込んでいた。

 ARコンタクト、スマートフォン、予備の《ポータルの巻物》、追従型の録画用ドローン。そして、昨日のアメ横で買い揃えたジャンク防具一式と、鞘に収めた【初心者用ロングソード】。

 ステータスに表示される数字は、昨夜ダンジョンから帰還した時のままだ。

 

【神崎隼人 / JOKER】

 Lv:3

 EXP:27%

 クラス:戦士 Lv.1

 HP:281/281

 MP:59/59

 未使用パッシブスキルポイント:1

 

 昨日のアメ横での投資と、その後のゴブリン・シャーマン討伐によって、現在の所持金は83,800円まで回復している。配信による投げ銭や広告収益はまだ口座に振り込まれていないため、確定した現金としては数えていない。

 

(ポータルの巻物のストックが少し心許ないな。ダンジョンへ向かう前に、センターの購買で消耗品だけ補充していくか)

 

 今日の予定は、昨日と同じF級ダンジョン《ゴブリンの洞窟》での周回だ。レベルを上げ、収益を確保し、戦闘のデータを蓄積する。

 隼人にとっては、特別なイベントなど何一つない、ただの「日常的な稼ぎの日」になるはずだった。

 

 ◆

 

『関東探索者統括管理センター』の巨大なロビー。

 隼人は購買部でポータルの巻物を数枚追加購入し、用事を済ませて出口へと向かおうとしていた。

 

「神崎さん」

 

 背後から、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 一瞬だけ、その呼び方に意識が引っかかった。昨日までは、確か「JOKERさん」と呼ばれていたはずだ。

 振り返ると、昨日と同じ指定制服を着た水瀬雫が立っていた。

 表情はいつもの窓口で見せる仕事用の柔らかな笑顔だが、今日はどこか様子が違う。少しだけ視線を泳がせ、何か言いにくそうに口ごもっている。

 

「どうした?」

「これから、また《ゴブリンの洞窟》ですか?」

「ああ」

「やっぱり……」

 

 隼人は怪訝な顔で首を傾げた。

 

「なんだよ」

「昨日の配信の最後で、また同じところに行くって宣言されてましたから」

 

 昨日のボス討伐直後、配信を切る間際の一言を、彼女はしっかりと聞いていたらしい。

(本当にちゃんと俺の配信を追ってるんだな)

 隼人は少しだけ意外に思ったが、口には出さなかった。

 

 雫は数秒間、何かを迷うように俯いていたが、やがて顔を上げて隼人を真っ直ぐに見つめた。

 

「あの、少しだけお時間ありますか?」

「?」

「渡したいものがあるんです」

 

 隼人は困惑した。昨日、ドロップ品をすべて換金し、口座への振り込みも確認している。今日になってセンター側から追加で何かを渡されるような事務的な未処理事項など、存在しないはずだ。

 警戒というよりも、純粋な疑問が先に立つ。

 

 雫は「ここでお待ちください」と言い残し、一度カウンターの奥の職員用スペースへと引っ込んでいった。

 数分後。彼女が手に持って戻ってきたのは、センターで支給されるような新品の備品ケースではなく、少し古びた、手のひらサイズの小さな装備ケースだった。

 

「これ、私物なんです」

 

 雫はカウンターの上にケースを置き、カチリと音を立てて留め金を外した。

 

 ベルベットの布地に包まれていたのは、二つの小さな装飾品だった。

 ひとつは、使い込まれて柔らかくなった黒い革紐の首飾り。中央には、深い赤色の宝石がはめ込まれている。

 もうひとつは、装飾らしい装飾もない、ひどくシンプルな銀色の指輪。

 どちらにも、大切に手入れされてはいるものの、確かな「実戦」での使用感が刻み込まれていた。魔法の力が宿った装備であるため、性能自体の劣化はないはずだが、外見には歴史がある。

 

「……装備?」

「はい」

 雫は小さく頷き、さらっと言った。

「昔、私が探索者として現場に出ていた頃に、実際に使っていたものです」

 

 隼人の視線が、ケースの中身から雫の顔へと鋭く戻った。

 

「あんた、探索者だったのか?」

「……そこ、今まで知らなかったんですね」

 

 雫は少しだけ呆れたように息を吐いた。隼人が彼女の過去やセンターの職員事情についてわざわざ調べ回るような性格ではないことを、彼女も薄々理解しているのだろう。

 隼人にとっても、受付嬢の過去など、自分から踏み込んで聞くような情報ではない。

 なぜ現場を離れたのか。最高到達ランクはいくつだったのか。そんな疑問は浮かんだが、今はそれを深掘りする場ではない。

「昔、実際に探索者をやっていた」。その事実だけで十分だ。

 

「見てもいいのか?」

「もちろんです。そのために持ってきましたから」

 

 隼人はケースの中から、赤い宝石のついた首飾りを拾い上げた。

 ARコンタクトの鑑定機能が、即座にその性能を空間に投影する。

 

 ====================================

【清純の元素(ピュア・エレメント)】

 レアリティ:ユニーク

 種別:首輪

 装備条件:Lv1~

 

 最大HP +40

 火属性耐性 +5%

 冷気属性耐性 +5%

 雷属性耐性 +5%

 

 この装備は、Lv10【元素の盾】を付与する。

 

【元素の盾 Lv.10】

 使用者と周囲の味方へオーラを展開する。

 火属性耐性 +26% / 冷気属性耐性 +26% / 雷属性耐性 +26%

 MP予約:最大MPの50%

 =============

 

 隼人は数秒間、完全に無言になった。

 即座に、自分の現在の装備構成と頭の中で比較計算を行う。

 

 現在の首装備は、昨日アメ横のジャンク箱から4,000円で拾い上げた【獣の牙の首飾り(最大HP+10)】だ。

 この《清純の元素》に交換するだけで、固定HPが+30も跳ね上がる。さらに、基礎ステータスとして三属性の耐性が+5%。

 だが、そんなものはオマケに過ぎない。この装備の真価は、本体に内蔵された《元素の盾》というオーラスキルだ。

 

 現在、隼人は左腕の《万象の守り》の恩恵により、三属性の耐性をそれぞれ25%確保している。

 首をこれに付け替えた時点で、耐性はそれぞれ30%になる。

 そして、もしこの《元素の盾》を起動すれば、さらに+26%が上乗せされる。

 最終的な属性耐性は、56%。

 F級では明らかに過剰で、今後さらに強力な属性攻撃を使う敵と遭遇した時にも、大幅な被害軽減が期待できる数字だ。

 

「……強くないか、これ」

 

 隼人の口から、思わず素の感想が漏れた。

 

「強いですよ」

 雫は少し誇らしげに、だがどこか懐かしむような目で赤い宝石を見た。

「私も、昔はずいぶんこの子に助けてもらいましたから」

 

(私も、か)

 隼人はその言葉の重みを感じ取った。攻略サイトの机上の計算で弾き出された数字ではない。目の前にいるこの女が、実際にこれを身につけ、ダンジョンの中を生き抜いてきたという証明だ。

 

 だが、隼人の目は、装備の「代償」の欄を絶対に見逃さなかった。

 

「でも、これを使うには、最大MPの半分を常に『予約(リザーブ)』としてシステムに持っていかれる仕様だな」

 

 現在、隼人の最大MPは59。

 《ヘビーストライク+範囲攻撃》の消費MPは、一振りにつき9。

 もし《元素の盾》を常時発動させてMPの半分を持っていかれれば、実際に攻撃スキルに回せるリソースは30弱にまで激減する。

 自然回復やマナフラスコを計算に入れなければ、三回程度剣を振っただけでMPの底が見えてくる計算だ。

 

「圧倒的な防御力を得る代わりに、攻撃の手数がかなり減るってわけか」

 

 強力な力ほど、ビルド構築のどこかに別の問題を生む。

 そこをどう補うかまで考えて、初めて一つの構成になる。

 

 しかし、雫はそこで楽しげに少し笑った。

 

「なので、こっちも一緒です」

 

 彼女はケースの中から、もう一つの銀色の指輪をつまみ上げ、カウンターの上を滑らせて隼人の手元へと寄せた。

 

 ====================================

【元素の円環(エレメンタル・リング)】

 レアリティ:ユニーク

 種別:指輪

 装備条件:Lv1~

 

【元素の盾】のMP予約コストを100%減少させる。

 

 # ※この装備には、その他の能力は付与されない。

 

「……は?」

 

 隼人はARの表示を二度見した。

 

『MP予約コストを100%減少させる』。

 つまり、50%持っていかれるはずの代償が、完全に0になる。

 この指輪さえ装備していれば、《元素の盾》を常時展開して高い属性防御を得ながら、最大MPの59を丸々攻撃スキルに回すことができる。

 

 隼人は右手で赤い首飾りを、左手で銀色の指輪を持ち、交互に見比べた。

 

「これ……最初から二つで一組みたいな装備じゃないか」

「はい。そう思って使っていいですよ」

 

 《元素の円環》は、HP補正もなければ攻撃力も上がらない。単体では何の意味もない極端な装備だ。だが、《清純の元素》という特定の装備と組み合わせた瞬間にだけ、その価値が劇的に跳ね上がる。

 これが、ビルド構築の面白さ。隼人がダンジョン探索にのめり込み始めている理由の一つだった。

 

 だが、隼人の顔から徐々に好奇心が消え、現実的な金勘定へと表情が切り替わっていった。

 ARコンタクト経由で、瞬時に現在の市場相場を弾き出す。

 

 《清純の元素》:約90,000円

 《元素の円環》:約10,000円

 

 二つ合わせて、約100,000円。

 今朝の時点で隼人が持っていた探索用の確定現金83,800円をすべてかき集めても、まだ買えない金額だ。

 

 隼人は二つの装備をゆっくりとケースの中に戻し、雫を見た。

 

「待て」

「はい?」

「これ、二つで十万くらいするだろ」

「今市場に出せば、大体そのくらいですね」

「貰えない」

 

 隼人は即答した。

 四億円という絶望的な借金を背負い、妹の莫大な治療費を毎月稼ぎ出さなければならない身だ。金はいくらあっても足りない。

 それでも、他人から何の見返りもなく十万円もの価値があるものを「はいそうですか」と受け取るのは、さすがに違う。

 

「欲しいか欲しくないかと聞かれれば、欲しい。ものすごく欲しい」

 隼人は真っ直ぐに雫の目を見た。

「だが、タダで受け取る理由がない。売れば十万になる物だぞ。あんたが持ってた方がいい」

 

 雫は静かに首を横に振った。

「私はもう、現場には出ませんから。使いませんよ」

「なら売ればいいだろ。十万の臨時収入だ」

「売りたくないんです」

 

 ここで、二人の間の空気が少しだけ変わった。

 

 雫は伏し目がちに、ケースの中に置かれた赤い首飾りを指先で優しく撫でた。

 

「……思い出があるんです」

「思い出?」

「ええ。私が探索者を始めたばかりの頃、お金もなくて、必死に潜っていた時代に、ずっと私を守ってくれていた装備ですから」

 

 だから、現場を引退して使わなくなっても、売りに出すことはできなかった。

 だが、このままケースの中で眠らせておくよりも、誰かの命を守るために使われた方がいい。

 今の雫は、そう思っているらしい。

 

「お金に換えるために残していたんじゃありません」

「だったら、なおさら貰いにくいだろ」

 

 隼人としては当然の反応だった。単なる不用品の処分ならまだしも、他人の思い入れまで詰まった十万円の品となれば話は違う。

 

 雫は少しだけ困ったように眉を下ろし、ふーむ、と唸ってから。

 何か名案を思いついたように、パッと顔を輝かせて笑った。

 

「じゃあ……JOKERさんへの、推し活です」

 

 隼人の動きが、完全に停止した。

 

「…………」

 数秒の空白。

 隼人はケースの中の首飾りと指輪を見下ろし、それから雫の顔をまじまじと見つめた。

 

「推し活って……」

 言葉自体は知っている。だが、それと十万円相当の装備が隼人の中ではどうしても結びつかなかった。

「推し活ってのは、十万円分の装備をポーンと渡したりするものなのか?」

 

 雫は悪びれる様子もなく、しれっと返す。

「人によるんじゃないですか? 私は重いタイプのファンなので」

 

 あまりにも堂々とした切り返しに、隼人は思わず毒気を抜かれたように息を吐き出した。

 

「……便利な言葉だな、推し活ってのは」

「便利ですよ。それに……」

 

 雫の表情から、先ほどまでの冗談めかした雰囲気が消え、一人の人間としての本音が一段だけ顔を出した。

 

「昨日の配信、見てましたから」

 

 隼人の脳裏に、昨日のボス部屋での光景が蘇る。

 

「神崎さん、シャーマンの杖の物理攻撃、まともに食らってましたよね。取り巻きのゴブリンにも二発殴られてた。火球の爆発の中へも、ダメージがないと分かっているとはいえ、躊躇なく踏み込んでいった」

「……」

「もちろん、神崎さんの中では、HPの計算も回復のタイミングも、すべて安全圏での『計算の上』だったんだと思います。でも……」

 

 雫は少しだけ語気を強めた。

 

「神崎さんは、勝てるという期待値の計算が合えば、どんなに危険に見える盤面でも行っちゃうでしょう?」

「まあ、それが俺のやり方だからな」

「……見てる方は、結構怖いんですよ、それ」

 

 それが、雫がこの装備を渡そうと決意した、本当の理由だった。

 隼人自身にとっては計算の上でも、画面の向こうからその姿を見ている雫にとっては、危険へ踏み込んでいるように見える瞬間が何度もあったのだ。

 

「だから」

 雫は、祈るような、それでいてどこか強引な瞳で隼人を見た。

 

「私の推しには、もう少しだけ、硬くなってもらいます」

 

 強くなれ、ではない。もっと稼いでこい、でもない。

 ただ、「死なないでほしい」。

 そのために、自分が昔使っていた装備を渡そうとしている。

 

 隼人はしばらくの間、無言でケースの中の二つの装飾品を見つめ続けていた。

 十万円。金額としては重い。雫の過去の思い出が詰まっているという意味でも重い。

 だが、今の自分には確実に、劇的に役立つカードだ。

 しかも、昨日売却した【火球】のジェムのように、いつ使うか分からない不確定なものではない。今、この瞬間からステータスに反映させることができる。

 使える手札を、好意だけを理由に差し出されている。

 隼人にとって、それは少し扱いに困る種類の経験だった。

 

「……本当に、良いのか?」

「はい」

「後になって、やっぱり返せって言われても、俺は返さないぞ」

 

 雫はパッと表情を明るくして笑った。

 

「プレゼントなんですから、返してもらったら私が困ります」

 

 その笑顔を見て、隼人もついに諦めるように小さく息を吐いた。

 ケースの中から、赤い首飾りと銀色の指輪をそっと手に取る。

 

「……良いけどよ」

 隼人は普段の不敵な態度とは違い、少しだけ言いにくそうに、視線を僅かに逸らしながら言った。

 

「大切に、使わせてもらうよ」

「はい」

 

 過剰な恋愛感情のやり取りではない。だが、雫は自分の思い入れのある装備が、再び生きた探索者の力になることが純粋に嬉しいようだった。

 

「せっかくですから、今ここで装備してみませんか? システムにどう反映されるか、見てみたいですし」

 

 雫の提案に、隼人も性能確認のために頷いた。

 昨日アメ横で買ったばかりの【獣の牙の首飾り(HP+10)】と【くすんだ鉄の指輪(HP+8)】を外し、代わりに《清純の元素》と《元素の円環》を身につける。

 

 首元に、わずかな重み。左手の指に、冷たい銀の感触。

 

 ARコンタクトが、劇的なステータス変更を通知してくる。

 

 これまでの固定HP補正は合計171。

 首装備を交換して+30、指輪を交換して-8。差し引き+22され、固定HP補正は171から193へ上昇する。

 現在のLv3の基礎HPは85。

 85 + 193 = 278。

 そこに、取得済みのパッシブスキル《最大HP上昇10%》の乗算がかかる。

 278 × 1.10 = 305.8。

 端数切り捨て。

 

【最大HP:281 → 305】

 

 ついに、HPは300の大台を突破した。

 

 次に、スキル欄の確認だ。

 装備由来のスキルとして、《元素の盾 Lv10》が新しく追加されている。

 隼人が意識してそのスキルを発動させると、彼の身体の周囲に、ごく薄い半透明のオーラが展開された。視界を遮るほど派手なものではない。

 

 ステータス画面の耐性値が、一気に書き換わる。

 

【火属性耐性:25% → 56%】

【冷気属性耐性:25% → 56%】

【雷属性耐性:25% → 56%】

 

 《万象の守り》の25%、《清純の元素》の5%、そして《元素の盾》の26%。合計56%。

(ただし、混沌耐性だけは0%のままだな。万能の防御ってわけじゃない)

 隼人はその仕様を冷静に把握する。

 

 そして、最も懸念していたMPの項目を見る。

 

【MP:59/59】

【予約MP:0】

 

 本来なら、最大MPの半分が予約され、使用不能になるはずの代償。

 しかし、《元素の円環》の能力によって、完全に0に抑え込まれている。

 

「……本当に、予約コストがゼロになってるな」

「だから、二つで一つのセットなんです」

 

 隼人は左手の銀色の指輪を、まじまじと見つめた。

「こっちだけ見ると、とんでもなく強いのに。この指輪単体だと、マジで何の役にも立たない装備なんだよな」

「ええ。そういう極端な装備、探索者の世界には結構ありますよ」

 

 単品での評価ではなく、組み合わせることで価値が劇的に跳ね上がる。

 まさに、隼人がダンジョン探索で気に入り始めている部分だった。

 

 ====================================

【神崎隼人 / JOKER】

 Lv:3

 EXP:27%

 クラス:戦士 Lv.1

 

 HP:305/305

 MP:59/59

 未使用パッシブスキルポイント:1

 

 火属性耐性:56% / 冷気属性耐性:56% / 雷属性耐性:56% / 混沌耐性:0%

 攻撃ブロック率:24%

 通常時移動速度:+2%

 水銀のフラスコ使用時:+42%

 

【新装備】

 首:【清純の元素(ピュア・エレメント)】

 左指輪:【元素の円環(エレメンタル・リング)】

 

  《元素の盾 Lv10》常時発動中。MP予約0。

 

 すべてのステータス確認を終え、隼人はロングソードの位置を調整して、センターを出ようと踵を返した。

 

「神崎さん」

 

 背後から、雫の声がした。

 振り返る。

 

「ちゃんと、生きて帰ってきてくださいね」

 

 隼人は、首元の赤い宝石の感触を確かめるように、一瞬だけ視線を落とした。

「十万円分も、過剰な推し活をされちまったからな」

 隼人は不敵に笑う。

「そう簡単に死ぬわけにはいかないだろ」

 

「最初から、そのつもりでお願いします」

 雫が少しだけむくれたように返した。

 

「冗談だよ」

 隼人は軽く手を挙げて応えた。

 

「行ってくる」

 

「はい」

 雫は、いつもの業務用の「頑張ってください」ではなく、少しだけ距離の近い言葉を紡いだ。

 

「いってらっしゃい」

 

 センターの自動ドアを抜け、外気にあたる。

 首元には、これまで存在しなかったわずかな重み。左手の指には、冷たい銀の感触。

 

 どちらも、自分で買ったものではない。

 ダンジョンでモンスターを倒して拾ったものでもない。

 《運命の天秤》が確率を捻じ曲げて引き寄せた奇跡でもない。

 

 誰かが、「生きて帰ってこい」という純粋な願いを込めて、自分に託してくれた手札。

 

 そんな理由だけで装備を贈られる経験など、これまでの隼人にはなかった。

 

「推し活、ねえ……」

 

 正直、まだよく分からない。

 ただ、その首飾りの重みは、決して悪い気はしなかった。

 

 隼人はスマートフォンを開き、配信アプリを立ち上げた。

 今日の配信予定のタイトルを設定する。

 

『JOKER / F級《ゴブリンの洞窟》 / ボス周回』

 

 予約枠を公開する。

 今日やるべきことは決まっている。レベルを上げ、金を稼ぎ、データを集める。

 ただ、ひたすらに繰り返す。

 

 隼人は、郊外のダンジョンへと向かう電車のホームで、小さく呟いた。

 

「さて」

「貰った手札だ。無駄にはできないな」

 

 神崎隼人の、本当の意味での『周回』が、ここから始まろうとしていた。

 




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