裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~   作:パラレル・ゲーマー

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第12話 当たりは使うものとは限らない

 昼前の陽光が、コンクリートで舗装された管理区域の地面を白く照らし出していた。

 だが、その光は《ゴブリンの洞窟》のぽっかりと開いた黒い入り口の数メートル手前で、見えない壁に阻まれたかのように不自然に途切れている。

 

 神崎隼人は、その境界線の前に立っていた。

 

【神崎隼人 / JOKER】

 Lv:3

 EXP:27%

 クラス:戦士 Lv.1

 

 HP:305/305

 MP:59/59

 未使用パッシブスキルポイント:1

 

 昨日の装備から、首元と左手の指輪だけが変わっている。

 《清純の元素》と《元素の円環》。二つで一組の凶悪なシナジーを生み出す、ある女性からの『推し活』という名の贈り物。

 視界の端には、常時発動している《元素の盾》のアイコンが点灯し、属性耐性の欄には火・冷気・雷すべてに『56%』という、この低レベル帯においては明らかに過剰な数字が並んでいた。

 腰には、昨日アメ横で買い揃えた五本のフラスコが提げられている。水銀のフラスコのチャージだけは満タンではないが、道中の雑魚を数体狩ればすぐに補充される計算だ。

 

 隼人はボストンバッグから黒い小型ドローンを取り出し、空中にふわりと放り投げた。

 ARコンタクトがデバイスとの同期を完了する。

 

 配信タイトルは、あらかじめ設定しておいた通りだ。

『JOKER / F級《ゴブリンの洞窟》 / ボス周回』

 

 配信のスイッチをONに入れた。

 

 昨日、ゴブリン・シャーマンをソロで撃破した瞬間の視聴者数は700人を超えていた。その影響か、配信が開始された直後から、待機していた通知勢が濁流のように流れ込んでくる。

 視界の端のカウンターが、数十からあっという間に数百へと跳ね上がった。

 

『きたあああ』

『今日もシャーマン再戦?』

『タイトル、ボス周回ってマジでやるんか』

『昨日のあれがマグレじゃないか見せてもらおうか』

 

 隼人はロングソードの柄を軽く握り直し、カメラに向かって短く口を開いた。

 

「よう」

 愛想笑いの一つもない、淡々とした声。

「昨日言った通りだ。今日は、ここのボスを何度か回る」

 

『周回宣言でた』

『目的は?』

 

「レベル上げ。それから、金」

 隼人は洞窟の奥の暗闇へと視線を向けた。

「それと、昨日の勝ち方が、何度やっても通用するかの確認だ」

 

 ギャンブラーとしての本質が、その言葉に滲む。

「一回勝つだけなら、ただの『勝負』でしかない。運が良かったで片付く。だが、同じ条件で何度やっても同じ結果を出せるなら……それは勝負じゃない。確実な『稼ぎ』になる」

 

 隼人が洞窟へと足を踏み入れようとした、その時だった。

 コメント欄を流れる文字の群れの中で、目ざとい古参の視聴者が『ある変化』に気がついた。

 

『……ん?』

『ちょっと待て、JOKERなんか首につけてないか?』

『昨日あんな赤い宝石の首輪、付けてたっけ?』

『画質荒いけど、あれってもしかして……』

 

 一人の有識者が、その形状からアイテムの正体を看破した。

 

『おい嘘だろ、その赤い石。清純の元素じゃねえか!?』

 

 その一言を皮切りに、コメント欄の流れる速度が爆発的に跳ね上がった。

 

『は????』

『清純の元素!?』

『昨日持ってなかったよな!?アメ横の帰りには確実に無かったぞ!』

『どこで拾った!?』

『いやF級で落ちるわけないだろ!』

『またユニーク引いたのか!?』

 

 隼人は歩きながら、首元の赤い宝石を指先で軽く触れた。

 今朝、センターのロビーで水瀬雫から渡された時の、彼女の真剣な瞳を思い出す。

 

「ああ、これか」

 隼人は隠すこともなく、さらっと言った。

「貰った」

 

『…………は?』

『誰から!?』

『貰った!?清純の元素を!?』

『どんな太客だよwww』

『石油王でも飼ってんのか!?』

 

「誰から貰ったか、その辺は本人の許可も取ってないから話さない」

 隼人はピシャリと切り捨てた。雫の名前も、彼女がセンターの職員であることも、配信でペラペラと喋るつもりは毛頭ない。

「だが、俺の生存率を上げるために使ってくれと渡された。俺の手札として盤面に置かれた。だから、ありがたく使わせてもらう。それだけだ」

 

 さらに、画面を拡大して見ていた別の視聴者が、左手の変化にも気づく。

 

『待って、円環(エレメンタル・リング)もはめてるぞww』

『うわマジだ、スターターセット完全に完成してんじゃん』

『昨日Lv3になったばっかりの新人だよな?』

『装備の格差がエグすぎる』

 

「ちなみに、この二つで市場に出せば十万くらいするらしいぞ」

 

 隼人が相場を口にすると、コメント欄はさらに阿鼻叫喚の様相を呈した。

 

『推定10万を無償プレゼント!?』

『ファン重すぎて草生える』

『ガチ恋勢かよ』

 

 そのコメント群を眺めながら、隼人はぼそっと、自分にしか聞こえないような声で零した。

「……まあ、本人も重いタイプだって言ってたからな」

 

 冗談めかしたその言葉の裏で、隼人は自身のステータス画面を呼び出し、装備効果の部分だけを配信画面に共有した。

 

 火属性耐性:56%

 冷気属性耐性:56%

 雷属性耐性:56%

 

『56!?』

『F級に持ち込む数字じゃねえええw』

『シャーマン君が可哀想になってきた』

『火球の存在意義が完全に消えたな』

 

「いや、勘違いするな。別に無効になるわけじゃない」

 隼人は、楽観視する視聴者たちを冷ややかな声で訂正した。

「耐性が56%ってのは、俺の防御膜を抜けて通ってきた属性ダメージを、そこからさらに56%減らすってだけだ。どんな魔法もゼロにできる絶対の盾じゃない」

 左腕の黒銀のガントレットを軽く叩く。

「昨日のボスの火球は、そもそもこいつ(万象の守り)の自動防御の閾値に引っかかって止まってた。この首飾りの耐性は、その膜を抜ける高出力の攻撃が来た後の、いわば二重の保険だ」

 

 そして、暗闇の続く坑道を見据えながら付け加えた。

「今の階層の敵に必要な防御っていうより……いずれ上へ行くために貰った防御だ」

『死なないでほしい』。そう願って託された手札の意味を、隼人は正確に理解していた。

 

 洞窟を進むこと数分。

 昨日と全く同じルート、同じ曲がり角の先で、二体のゴブリンが姿を現した。

 

 昨日は、初めての範囲攻撃の挙動を確かめるために、あえて敵が接近するのを待った。

 だが今日は違う。最初からすべての手順が頭の中で組み上がっている。

 

 隼人はゴブリンの奇声を聞き流しながら、自然な足運びで数歩だけ後退した。

 狭い通路の地形を利用し、二体のゴブリンの突進軌道を意図的に重ね合わせる。

 二体が前後に重なり、完全に1.5メートルのスプラッシュ圏内に収まった瞬間。

 

 踏み込み。

 右手のロングソードに、赤黒い魔素の輝きが奔る。

 

【ヘビーストライク+範囲攻撃】

 

 対象に向けられた一撃の重さは、昨日の記憶と一寸の狂いもない。

 《万象の守り》の攻撃速度+15%を加味してもなお残る、スキル固有の重厚な振り下ろし。

 刃が先頭のゴブリンの脳天を叩き割った瞬間、不可視の衝撃波がドーム状に弾け飛んだ。

 

 主対象となった一体目は、224%の物理ダメージを受けて即死。光の粒子となって霧散する。

 その後方にいた二体目は、134.4%相当のスプラッシュダメージをまともに食らい、大きくよろめいた。瀕死ではあるが、まだ立っている。

 隼人は無理にスキルを連発せず、流れるような通常攻撃の追撃でその首を刎ねた。

 

(火力は、昨日と全く変わっていないな)

 

 朝に追加されたのは、あくまで防御系のステータスのみ。攻撃性能自体は昨日のまま据え置きだ。それが正しく実証された。

 

 続く第二組のゴブリン遭遇時。

 隼人は立ち止まることすらなく、足を止めずに動き続けた。

 昨日、試行錯誤しながら測った『どこまで下がれば二体が綺麗にまとまるか』『どの角度で剣を振ればスプラッシュが両方に当たるか』『倒した後、次の敵が出現するエリアまで何歩あるか』。

 それらの情報が、すでに彼の脳内に完璧なマニュアルとして構築されている。

 

 判断する時間が消滅しているため、戦闘のテンポが昨日とは比較にならないほど速い。

 

『昨日より速くない?』

『AS(攻撃速度)上がったわけじゃないよな?』

 

「知ってる問題を、二回目に解いてるだけだ」

 隼人はゴブリンのドロップした小魔石を回収しながら、歩き続ける。

「敵の配置も、地形も、手札の使い勝手も同じ。なら、こっちは一回目よりも膨大な『情報』を持っている。何度も繰り返せば、その差はもっと開く」

 

 迷いがない。それは、純粋なステータスの暴力以上に、ダンジョン攻略においてタイムを縮める最大の要因だった。

 

 そして、第一周目の最奥。

 昨日と同じ、奥行き二十メートルほどの広大なドーム空間。

 最奥の祭壇には、ゴブリン・シャーマン(Lv3)。

 その手前には、肉の壁となる通常ゴブリンが六体。

 

 扉の前で、隼人は一度だけ足を止めた。

 

 昨日は、すべてが未知だった。

 シャーマンの火球の軌道も、接近された際に杖で殴ってくる物理攻撃の重さも、取り巻き六体がどのような陣形で追ってくるかも。

 だが、今日は違う。

 相手の持つカードは、すでにすべて見透かしている。

 

「じゃあ、昨日と同じ手順でやる」

 

 隼人は《運命の天秤》に何かを願うこともなく、広間へと足を踏み入れた。

 六体のゴブリンが咆哮を上げ、一斉に突進してくる。

 最奥のシャーマンが杖を掲げ、その先端に第一射の火球を生み出す。

 

 昨日、隼人はここで《水銀のフラスコ》を切り、圧倒的な機動力で敵をまとめ上げた。

 だが、今日はまだ水銀のチャージが十分に溜まりきっていない。

 ならばどうするか。

 答えは簡単だ。素の移動速度補正(+2%)と、地形を利用した誘導だけで対処する。

 

 隼人は広間の壁際を這うように、大きな円を描いて後退する。

 ゴブリンたちは最短距離で追ってこようとするため、徐々に隊列が細く、縦に伸びていく。

 六体が十分にひしめき合ったポイントを見計らい、反転。

 

【ヘビーストライク+範囲攻撃】

 

 赤黒い衝撃波が連続して広間を揺るがす。

 四回の振り下ろし。

 消費したMPは、9 × 4 = 36。最大MP59から、一気に23程度まで低下する。

 だが、隼人は冷静に腰の【マナフラスコ】の栓を切り、魔素を体内に流し込んだ。

 3秒間で50MP回復。

 前衛の六体が光の粒子となって消滅する頃には、枯渇しかけたMPはすでに満タン近くまで戻っていた。

 

(倒す。フラスコのチャージが戻る。それを消費して次を倒す)

 昨日買った装備が、完璧な循環(サイクル)を形成して稼働している。

 

 残るはシャーマン単体。

 火球が飛んでくる。

 隼人は、昨日とは違い、無駄にそれを受けに行くような真似はしなかった。

 

『おい、56%もあるんだから受けてみようぜ!』

『ノーダメの絵面見せてくれw』

 

 コメント欄からの煽りを、隼人はあっさりと無視する。

 飛来する火球の軌道を読み、最小限のステップで斜め前方へと躱す。

 

「避けられる攻撃を、わざわざ自分から食らいに行く理由がない」

 

 雫から「死なないでほしい」と防御の要を託された直後に、調子に乗ってダメージ判定を受けに行くような真似は、三流のギャンブラーのやることだ。保険は、本当に避けられない事故の時のために取っておく。

 

 シャーマンの懐へ潜り込み、ヘビーストライクを数発叩き込む。

 断末魔と共に、シャーマンが光の粒子へと崩壊した。

 

 祭壇の前に残されたのは、大魔石、いくつかの低級装備、そして少額のクラフト通貨。

 ユニーク装備のドロップはない。

 《運命の天秤》が何かに干渉した実感もない。少なくとも隼人自身には、これがごく普通の結果としか見えなかった。

 

『今日は普通かー』

『まあユニークなんて、そう簡単に出ないわな』

『通常ドロップでも黒字なら十分だろ』

 

 視聴者の一部がコメントをこぼす。

 だが、隼人が見ているのはドロップ品ではなかった。

 

「違う」

 隼人は自身のほぼ満タンに近いHPバーと、潤沢にチャージが残っているフラスコ群を見つめた。

「昨日とほぼ同じ手順を踏んで、ほぼ同じ結果(勝利)を、圧倒的に少ない消耗で引き出せた。こっちの方が、俺にとってはよっぽど欲しかったデータだ」

 

 ギャンブルにおいて、一回のまぐれ当たりにすがる者は長生きできない。

「一回勝てた。二回勝てた。なら、かなり話が変わってくる」

 これは偶然ではなく、再現可能な『作業』なのだ。

 

 その直後。

 隼人の全身を、淡い黄金色の光が包み込んだ。

 

【LEVEL UP!】

 

【神崎隼人 / JOKER】

 Lv:3 → 4

 EXP:102% → 2%

 クラス:戦士 Lv.1

 

 HP:305/305 → 319/319

 MP:59/59 → 65/65

 未使用パッシブスキルポイント:1 → 2

 

『おお、Lv4!』

『計算してた通り、一周で届いたな』

『未使用ポイントまた増えたぞw』

 

 隼人は更新されたステータスを一瞥した。

 昨日の時点で見積もっていた通り、Lv3・EXP27%から通常ゴブリン十体とシャーマン一体を倒し、一周分の経験値でぎりぎり次のレベルへ届いた形だ。

 

「ここまでは計算通りだな」

 

 だが、Lv4になってから最初に倒したゴブリンの経験値表示を見れば、取得量がさらに落ちることもすぐに分かった。

 Lv1の雑魚とLv3のボス。こちらのレベルが上がるほど、このF級ダンジョンで得られる経験値の効率は悪くなる。

 

「金策にはなる。だが、レベル上げだけ考えるなら、そのうちテーブルを変える必要があるな」

 

 今はまだここでいい。

 ただし、いつまでもここに居座る理由もない。

 

 第一周を終えた隼人は、広間の奥の出口を探すのではなく、ポーチから《ポータルの巻物》を取り出して破り捨てた。

 青白い光の渦が現れる。

 ダンジョンを歩いて戻る無駄な時間は使わない。ポータルで安全地帯へ帰還し、新しいインスタンスへ入り直して、再び同じ入り口から周回を始める。

 

『ほんとにもう一周するんだな』

『JOKER、すっかりハムスターの顔になってきたぞ』

 

「だから最初から『周回』って言っただろ」

 隼人はポータルの光の中へ足を踏み入れた。

 

 ここから先は、昨日までの「命懸けの探索」とは全く異なる次元の映像が、配信に流れ続けることになった。

 

 二周目。

 最初の二体。確認すらしない。最適な位置まで下がり、振り下ろす。回収。次。

 隼人の歩くルートは、もはや完全に固定化されていた。

 どこで敵が湧くか。どこまで引けば綺麗にまとまるか。どこでフラスコのボタンを押すか。どこを歩けばMPが満タン近くまで自然回復するか。

 

 すべての動きが、洗練された一つの『手順(アルゴリズム)』へと昇華されていく。

 

 配信の空気も、最初は一喜一憂していたものから、徐々に変わり始めていた。

 

『もう見てて危なげないな』

『完全に作業配信になってる件』

『ゴブリン処理業者JOKER』

『シャーマン君、本日二回目の死亡予定時刻が近づいております』

 

 コメントの質が、明らかに「攻略」を見る目から「周回」を見る目へと変わっている。

 隼人はそのコメントを視界の端で捉え、剣を振り抜きながら笑った。

 

「周回なんだ。作業になってくれないと、こっちが困るんだよ」

 

 危険な未知の領域を、圧倒的な知識と事前準備によって、退屈なまでの『定型作業』へと変え落とす。それこそが、ダンジョン探索で強くなるということの証明だった。

 

 二周目のボス部屋も、昨日までの緊張感が嘘のように短く終わった。

 水銀を使って六体を誘導し、範囲攻撃で一掃。マナフラスコで息継ぎをし、シャーマンを沈める。

 そこに迷いも、予定外の動きもない。

 ドロップはまたしても普通。大当たりはない。

 

 それでも隼人は全く気にしなかった。

 通常ドロップの魔石や素材を回収するだけでも、確実に利益の数字は積み上がっていく。

(何度やってもプラスが残るなら、それは期待値だ)

 昨日の仮説は、今、完全に実証された。

 

 三周目。

 時刻はすでに昼を過ぎている。

 戦闘の派手さや命懸けの緊張感は薄れたにもかかわらず、視聴者数は落ちるどころか、むしろジワジワと安定して増え続けていた。

 理由は明白だ。

「雑談しながら気楽に見られる安心感」「無駄のない最適化された動きを見る気持ちよさ」、そして何より「いつ、あの大当たり(ユニーク)が落ちるのか」という、スロットマシンを眺めるような期待感。

 

『次こそなんか光れ!』

『ボス戦より、道中のドロップ見る方が楽しみになってきたわ』

『今日の当たりまだー?』

 

「お前ら勘違いしてないか?」

 隼人は三周目の道中を歩きながら、呆れたように苦笑した。

「当たりなんてのは、狙って出るもんじゃない。期待値の底上げのために回し続けてたら、たまに紛れ込んでくるだけのオマケだ」

 

 そう言いながらも、彼自身の声にも少しだけ楽しそうな響きが混じっていた。

 

 三周目の道中は、完全に流れ作業の極致だった。

 ゴブリン二体出現。処理。次。

 魔石ドロップ。拾う。次。

 敵出現。処理。フラスコチャージ。歩く。

 

 剣を振るたびに一つずつ工程が消化されていく、圧倒的なルーチンワーク。

 

 ボス部屋へと向かう、薄暗い坑道の途中。

 現れたのは、少しだけ体格の良いゴブリンだった。頭にはボロボロの兜を被っている。

 だが、ARコンタクトのステータス上は、何の変哲もない普通の『Lv1 ゴブリン』だ。特殊なボスでもなければ、レア化しているわけでもない。ただの道中個体として設定されているだけの雑魚。

 

 隼人も全く警戒しなかった。

 

「次」

 

 機械的な動作で間合いに入り、ヘビーストライクを一振り。

 スプラッシュの衝撃波と共に、体格の良いゴブリンが光の粒子となって消滅する。

 

 そこで――。

 いつもの淡いブルーや白色のドロップ光ではなかった。

 

 濃密な、それでいてどこか毒々しいまでの『橙色(オレンジ)』の光が、湿った洞窟の岩床を強烈に照らし出したのだ。

 

 隼人の足が、ピタリと止まった。

 

 コメント欄が、隼人よりも先にその意味を理解し、爆発した。

 

『…………』

『ん?』

『おい』

『ちょっと待て』

『その色』

『オレンジ!?ユニークだ!!!!』

 

 滝のように文字が流れ、画面が見えなくなるほどの勢い。

 隼人も、足元に落ちたその橙色の光を見つめた。

 

 《万象の守り》は、オーブを使ったクラフトによる突然変異だった。

 今朝の二つの装備は、雫からの贈り物だ。

 つまり、通常のモンスターからの純粋なドロップとして、自分の足元にユニークアイテムが転がったのは、これが初めてだった。

 

「……これが、普通のユニークドロップか」

 

 隼人の口元が、わずかに上がる。

 《運命の天秤》に何かを願った覚えはない。発動したと判断できるような明確な変化も、感覚もなかった。

 少なくとも隼人には、ただ周回を重ねた末に引き当てた低確率ドロップとしか見えなかった。

 

 橙色の光の中心に落ちていたのは、黒い革紐の首飾りだった。

 石の部分は、火山岩のようなざらついた黒い質感を持ち、その中央には、燃え尽きた炭の中に残った熾火のように、不気味な赤熱の光を放つ黒曜石が嵌め込まれている。

 

 拾い上げる。

 ARコンタクトが、その未知の性能を暴き出した。

 

 ====================================

【灰燼の首飾り(アッシュブリンガー・アミュレット)】

 レアリティ:ユニーク

 種別:首輪

 装備条件:Lv5~

 

 筋力 +50

 火炎ダメージ +25%

 最大HP +35

 

 周囲の敵を常に《灰状態》にする。

 

【灰状態】

 移動速度 -20%

 受ける火炎ダメージ +20%

 ==============

 

 隼人の第一反応は、極めて冷静なステータス計算だった。

 

 まず目についたのは、一番上の数字だ。

「……筋力、プラス五十?」

 この低レベル帯の装備として考えれば、+50という数字は明らかに規格外の巨大なステータス補正だ。

 さらに、最大HP+35。ここだけ見れば、間違いなく強力な装備だと言える。

 

 しかし、その次に続く効果群。

 

「火炎ダメージ……?」

 隼人は首を傾げた。

 現在の自分の主力は、ロングソードによる物理ダメージを《ヘビーストライク》で増幅させる、純粋な物理特化型だ。火炎攻撃の手段など一つも持っていない。

 つまり、『火炎ダメージ+25%』は完全な死に効果となる。

 

 そして、この装備の本体とも言えるデバフオーラ効果。

 周囲の敵を《灰状態》にする。

 移動速度を20%下げるのは、囲まれるリスクを減らすという意味で非常に有用だ。

 しかし、もう一つの効果『受ける火炎ダメージ+20%(敵の火炎弱体化)』もまた、火炎攻撃を持たない隼人には全く意味をなさない。

 

 そして、その前にもっと単純な問題がある。

 装備条件はLv5以上。

 今の隼人はLv4になったばかりで、そもそも現時点では装備することすらできない。

 

 さらに、レベル条件を満たした後のことを考えても、これは『首装備』だ。

 今、隼人の首元には、つい数時間前に雫から貰ったばかりの、自分の生存の要である《清純の元素》がしっかりと掛けられている。

 

 隼人は自分の首元に触れ、それから手の中の熱を帯びた石を見た。

 

「……俺には、いらないな」

 

 迷うことなく、即答した。

 

 その言葉に、視聴者たちが一斉に突っ込みを入れる。

 一部の初心者層は言う。

『ええ!? STR+50なら普通に使えばよくない?』

『HPも上がるし!』

 

 だが、別の視聴者が反論する。

『いや、清純の元素を外すのは流石にもったいないだろ』

『耐性56%が消えるのはリスク高すぎ』

 

 そして、古参のベテラン勢たちが、コメント欄で騒ぎ始めた。

『おいJOKER、絶対捨てるなよ!』

『それ、超絶当たりドロップだぞ!』

『お前にはいらないってだけだ!売れば化ける!』

 

 隼人は、その言葉に引っかかった。

 

「?」

「俺のビルドには全く噛み合わないし、いらないゴミだろ。なのに、当たりなのか?」

 

 古参の視聴者たちが、一斉に解説を始めた。

 

『《灰燼の首飾り》はな、筋力をバチバチに要求する火炎系の特化ビルドとの相性が、狂ったように良いんだよ』

『たとえば、火炎トーテム型とかな』

『火炎系でSTRも欲しい奴からすれば、喉から手が出るほど欲しい最終装備候補の一つだ』

『灰状態のオーラがヤバい。装備して突っ立ってるだけで、周囲の敵が遅くなって、味方の炎がガンガン通るようになる』

 

 隼人はもう一度、その首飾りの性能を見直した。

 

 Lv5になり、装備条件を満たした後に自分が使うと仮定しても。

 ・筋力+50(使える)

 ・HP+35(使える)

 ・火炎ダメ+25%(死に効果)

 ・敵の火炎脆弱(死に効果)

 ・《清純の元素》を外すリスク(致命的)

 

 つまり、今の盤面には全く噛み合わない、引いてはいけないカードだ。

 だが、これが『火炎特化ビルド』を組んでいる人間の手に渡ればどうなるか。

 四つの効果すべてが、パズルのピースのように完璧に噛み合い、爆発的なシナジーを生む。

 

「……なるほどな」

 

 隼人の中で、アイテムの価値に対する新しい理解の扉が開いた。

 

 これまで彼は、「自分が使えるかどうか」「今使わないなら、単なる換金アイテムとして店に売る」という、自己完結した判断しかしていなかった。

 

「装備の値段ってのは、単なる性能の数字の大きさだけで決まるんじゃない」

 隼人は、黒曜石の輝きを見つめながら呟く。

「誰の、どんな構成(ビルド)の穴に完璧に刺さるか。その『需要』の強さで、価値が変わるのか」

 

『そういうこと』

『需要と供給のバランスまで含めて、初めて装備の価値だ』

『その首輪、ハマる奴にとっては他に代用品が存在しないんだよ』

 

「で」

 隼人は、単刀直入に聞いた。

「これ、市場に出したらいくらになるんだ?」

 

 コメント欄がざわつく。

 検索ツールを叩く者、最新の相場情報をコピペしてくる者。

 

『状態にもよるけど……』

『大体、15万前後ってとこか』

『15万!?』

『F級で15万落ちるのかよww』

『ただ、買う奴のビルドが限定されるから、店に即売りするよりオークション向けだな』

 

 隼人は、一瞬だけ無言になった。

 

 今朝、雫から《清純の元素》と《元素の円環》、合わせて約10万円分の装備を貰った。

 その数時間後。

 自分で普通に周回して拾い上げた首飾りが、約15万円。

 

「……十五万」

 

 今朝まで彼が握りしめていた探索用の軍資金の上限よりも、はるかに高い数字。

 

 妹・美咲の特殊な治療費は、月に約三百万は下らない。

 その絶望的な数字を前にすれば、十五万円という金は、まだたったの5%。

 隼人はその現実を理解しているからこそ、決して大袈裟には喜ばなかった。

 

「十五万か。治療費や借金の額を考えれば、まだ全然、足りない」

 

 それでも、彼の声には確かな熱がこもっていた。

 三周分の通常ドロップだけでも、魔石とボス素材は着実に積み上がっている。それだけで収支をプラスにできる見込みがある。

 その通常収入の上に、低確率でこんな上振れまで乗る。

 

「……悪くないな」

「普通のドロップだけでプラスを残す。その上で、たまにこういう配当が乗る」

「周回する理由としては、十分だ」

 

 当然、コメント欄にはあのスキルを疑う声が溢れ出す。

 

『またJOKERの運命の天秤が仕事したんじゃないの?』

『ユニーク引きすぎだろw』

『クラフトだけじゃなくて、ドロップの確率にも干渉してね?』

 

 隼人は、小さく肩をすくめた。

 《運命の天秤》の具体的な効果は、本人すら見ることのできない黒塗りのままだ。発動条件も分からない。

 だが、今回は明示的に何かを願ったわけでも、代償を支払った感覚もない。

 

「知らん。俺は何もしてない」

 隼人は首飾りをポーチにしまった。

「普通にゴブリンを倒したら、普通に出ただけだ」

 

 そして、ギャンブラーとしての冷徹な線を引く。

 

「毎回、この上振れ(ユニーク)を期待して周回する気はない。通常ドロップの魔石やボス素材の売却益だけで、確実にプラスになる前提で盤面を回す。こういうのは、出たらラッキーなだけのオマケだ」

 

 その言葉に、視聴者たちから別の煽りが飛んできた。

 

『おい、もう帰れ!』

『15万抱えたままロストしたら泣くぞ!』

『さっさとキャッシュアウト(換金)してこい!』

 

 高額ドロップを拾った直後は、欲をかかずにポータルで帰還するのが探索者の鉄則だ。

 隼人も一瞬だけ考えた。

 インベントリに入れた時点で、システム上のロスト(他プレイヤーへのドロップなど)はないが、死亡すればすべてが水の泡だ。ポータルの巻物はいつでも使える位置にある。

 

 だが、隼人は洞窟の奥を見た。

 

「いや、シャーマンまでは行く」

 

 無謀な判断ではない。

 

「もし、この先が未知の階層や、新しいボスなら、俺は迷わずここで帰る」

 ロングソードを構え直す。

「でも、この先にいるのは、今日俺がすでに見切って、二回もノーダメージで処理した相手だ」

 

 勝率が見えている勝負から、わずかなリスクに怯えて降りる理由はない。

 

 三周目のゴブリン・シャーマン戦は、もはや戦いと呼ぶことすらおこがましい、完全な『処理』だった。

 

 火球が飛んでくる。最小限のステップで回避する。

 六体の前衛が群がってくる。水銀のフラスコで陣形を誘導し、一箇所に固める。

【ヘビーストライク+範囲攻撃】を叩き込む。

 MPが凹めばマナフラスコで補給する。

 最後に取り残されたシャーマンの懐へ入り、重い一撃を叩き込む。

 

 終了。

 それだけだった。

 そして、祭壇の前に落ちたドロップは、大魔石といくつかの低級装備。

 

「こっちは普通か」

 

 隼人は笑った。それでいい。こんな物が毎回落ちるなら、そもそも十五万円なんて市場価値が付くはずもない。

 

 三周目を終え、隼人はその日の探索を一旦切り上げることにした。

 これ以上集中力を欠いた状態で回すのは、事故の元だ。

 

「今日はここまでにする」

 隼人はポータルの巻物を取り出しながら、カメラに向かって言った。

 インベントリには、通常の魔石やボス素材、そして《灰燼の首飾り》が眠っている。まだ売却前なので、今日の確定利益として計算するのはやめておく。

 

 コメント欄が、最後の要望をぶつけてくる。

 

『おい、あの首輪どうすんだよ』

『オークション配信しろ!』

『いくらまで釣り上がるか見たい!』

『15万超えるか!?』

 

 隼人はポーチ越しに、あのオレンジ色の光を放っていた首飾りを軽く撫でた。

 

「そうだな。これを普通にセンターの窓口へ持っていって定額で売るのは、なんだか少し、もったいなさそうだな」

 

『公式オークションだ!』

『競わせろ!』

『欲しい奴同士で札束で殴り合わせろ!』

 

 その『競わせる』という言葉。

 それが、裏社会の賭場を生き抜いてきたJOKERの琴線に、めちゃくちゃに深く突き刺さった。

 

「……競わせる、か」

 

 隼人の口元から、今日一番の、心底楽しそうな笑みが零れた。

 

 自分には必要ないカードだ。

 今身につけている《清純の元素》を外してまで、これを装備する理由もない。

 だが、世界のどこかにいる誰かにとっては、十万円以上払ってでも欲しくてたまらない、自分のビルドを完成させるための最後のピース(手札)。

 

 なら。

 自分で使う必要など、どこにもない。

 

「なるほどな」

 隼人はポータルの青白い光の中へ足を踏み入れる。

 

「『当たり』ってのは、何も自分で装備して使うものとは限らないわけだ」

 

 最もそれを欲している奴らをテーブルに集め、彼ら自身の欲望で、限界まで値段を釣り上げさせればいい。

 

「誰かにとっての切り札なら――欲しい奴ら同士で、好きに値段を決めてもらおうか」

 

 青い光が隼人を包み込み、配信の画面がプツリと暗転した。

 JOKERの次なる舞台は、モンスターの巣食うダンジョンから、欲望の渦巻くオークション会場へと移ろうとしていた。




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