裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~ 作:パラレル・ゲーマー
西新宿に建つ、築年数の古い賃貸アパート。
その四畳半の生活感の薄い空間は、壁際に置かれた型遅れのデスクトップPCのモニターが放つ、青白い光だけによって照らし出されていた。
時刻は深夜に差し掛かろうとしている。
備え付けの小さな換気扇が、低い唸り声を上げながら外の冷たい空気を吸い込んでいた。窓の外では、眠らない街・新宿のネオンが薄雲に乱反射し、夜空をどぎつい赤紫に染め上げている。
だが、神崎隼人の意識は、窓の外の喧騒には一ミリも向いてはいなかった。
彼は、モニターの前に置かれたパイプ椅子に深く腰掛け、食い入るように画面を見つめていた。
手元のマグカップに入ったコーヒーはすっかり冷え切っている。だが、そんなことは気にも留めない。彼の脳内は今、今日一日で得た情報の整理と、明日以降に切るべきカードの選定で完全に占められていた。
現在の彼自身のステータスは、先ほどセンターの安全地帯で確認した時から一切変わっていない。
【Lv:2 EXP:12%】
【クラス:戦士 Lv.1】
【HP:173/173】
【MP:53/53】
【未使用パッシブポイント:1】
【スキルジェム:なし】
【フラスコ:なし】
すでに検索エンジンの窓には、帰宅直後に入力した四つの検索結果が並んでいる。
画面には途方もない数の検索結果が表示されていた。
動画サイトへのリンク、個人ブログ、匿名掲示板のまとめサイト、探索者向けのアフィリエイト記事。
玉石混交という言葉すら生ぬるい、情報の濁流だ。
隼人はマウスのホイールを回し、検索結果のタイトルを上から順番に目で追っていく。
『これだけ見れば誰でもA級! 初心者向け・最強戦士育成メソッド!』
『【永久保存版】F級ダンジョンはこれを買えば余裕! 必須装備ランキング!』
『レベル2でも勝てる! ゴブリン・シャーマン瞬殺ビルド完全解説!』
『初期投資〇〇万で月収一千万を稼ぐ探索者の秘密』
派手な煽り文句。極端な成果の誇張。
隼人はそれらのタイトルを一瞥しただけで、マウスを動かす手を止めた。
「……胡散臭えな」
暗い部屋に、誰に宛てたわけでもない呟きが落ちる。
彼は、その手の煽り文句が並んだリンクを、一切クリックしなかった。
裏社会の賭場において、隼人は嫌というほど学んできた。
『必勝法』『誰でも儲かる』『絶対勝てる』。そう謳って近づいてくる人間や情報ほど、裏に悪辣な罠が仕掛けられているか、あるいは全く中身のない空虚なものであるということを。
ギャンブルに絶対はない。もし本当に絶対勝てる方法が存在するのなら、他人に教えたりなどせず、自分一人で黙って稼ぎ続けるのが人間の本性だ。それをわざわざ大衆に向けて公開している時点で、その情報の目的は「読者を勝たせること」ではなく、「読者を集めて自分が儲けること」にある。
だからこそ、隼人は情報の中身を鵜呑みにする前に、まずは『情報源の信用度』を推し量る。
彼がリンクを踏む前に確認するのは、タイトルではなく、それに付随する小さなメタデータだ。
記事の初投稿日はいつか。
システムの大規模なアップデートや仕様変更に合わせて、最終更新日がちゃんと新しく書き換えられているか。
閲覧数と評価数のバランスは取れているか。サクラによる不自然な高評価ではないか。
記事の執筆者は、公的な探索者認定を受けているか。
単なる机上の空論ではなく、実際のダンジョンでの実戦ログや動画が添付されているか。
コメント欄で複数の探索者による追試や指摘が行われ、それに対して執筆者が誠実に訂正履歴を残しているか。
(情報量が莫大に存在することと、その情報の質が高いことは、イコールじゃない)
質の悪い情報を信じてカードを切れ(ビルドを組め)ば、いずれ必ず致命的な場面で破綻する。
隼人は攻略情報そのものを探しに行く前に、まずは自分が座るべき『信用できる卓』を探す作業から始めた。
いくつかの検索結果をスクロールし、特定のドメインが頻繁に上位へ顔を出していることに気がつく。
『SeekerNet(シーカーネット)』。
探索者登録の手続きの際、待合室のモニターで環境映像のように流れていた紹介VTRの中で、その名前を聞いた記憶があった。
日本最大級と言われる、探索者専用の巨大情報コミュニティサイト。
匿名掲示板のような雑多な交流から、専門的なビルド議論、装備品の相場共有、さらにはギルドのメンバー募集まで、探索活動に関わるあらゆるデータが集積されている巨大なポータルだ。
「ここなら、最低限のフィルターは掛かってるか」
隼人は、検索結果から直接個別の記事へ飛ぶのではなく、まずはその『SeekerNet』のトップページへとアクセスした。
白と黒を基調とした、機能性重視の簡素なデザイン。
トップページの右端には、現在アクセスが急増しているスレッドや記事のタイトルが並ぶ『急上昇ランキング』が表示されていた。
隼人の視線が、無意識にそのランキングを滑る。
一位:【議論】第8次ダンジョン法改正による税制への影響
二位:【検証】F級新人『JOKER』が引き当てた《万象の守り》の異常性について
三位:【動画】Lv1の初期装備から変質のオーブでユニーク生成した新人がヤバい
四位:【募集】C級・中層攻略固定メンバー募集。タンク優遇
「…………」
自分の配信での出来事が、堂々と二位と三位にランクインしていた。
水瀬雫が言っていた通り、あの数万分の一とも言える異常なクラフト結果は、即座に動画として切り抜かれ、好事家たちの間で格好の検証材料として拡散されていたらしい。
隼人は数秒だけその二つを眺めた。
「……もういいよ、俺の話は」
隼人は急上昇ランキングの枠からあっさりと視線を外し、ページ上部にあるサイト内の検索窓へとマウスカーソルを移動させた。
彼が今、このサイトに来た目的は、自分の評判を確認するためではない。明日のテーブルで勝つための、新しいルールの確認だ。
検索窓に、無駄を省いた単語を打ち込む。
『戦士 初心者 F級 ガイド』
サイト内検索の結果、膨大な数のスレッドや記事がヒットした。
隼人はその中から、最も閲覧数が多く、かつ長期間にわたってコミュニティ内で『固定記事(ピン留め)』として扱われている一つのガイド記事を見つけ出した。
タイトルはこうだ。
『【初心者向け/随時更新】新米戦士がF級ダンジョンでまず死なないための10の心得』
投稿者のIDを見ると、登録から数年が経過している古参の戦士プレイヤーのようだ。記事の更新履歴も長く、直近のシステム微調整にも対応している。
さらに、コメント欄には高ランク帯の戦士クラスの探索者たちが「これは基本中の基本」「初心者はまずこれを読め」と追認の書き込みを多数寄せている。
「……こういうのでいいんだよ」
派手な魔法で大軍を薙ぎ払うような夢物語や、机上の空論で計算された最強火力ビルドではない。
「まず死なないため」という、極めて現実的で地味な目的。それが、今の隼人が求めている最も価値のある情報だ。
隼人はマウスをクリックし、その記事の詳細を開いた。
ページをスクロールすると、箇条書きでまとめられた十個の項目が目に飛び込んでくる。隼人はコーヒーの入ったマグカップを左手で持ち上げ、一口含んだ。
すっかり冷えた苦味に、わずかに眉をしかめる。
【心得その1】
使える装備枠を空けるな。
「これは、昼間にセンターで水瀬さんに聞いた話そのままだな」
武器と、左手。
それが今の彼のすべてだ。
この項目は、すでに理解している。
隼人は本文を斜めに読み、すぐに次へスクロールした。
【心得その2】
近接職は、移動速度を軽視するな。
ここで、隼人の視線がピタリと止まった。
本文にはこうある。
『移動速度の数値を、「敵から逃げるための逃走専用ステータス」だと勘違いしている初心者が多い。
だが、剣や斧を振るう近接職にとって、足の速さは生存率と火力の両方に直結する最重要ステータスの一つだ。
敵の懐へ素早く近づく。敵の大振りの攻撃範囲から一瞬で離脱する。複数の敵による包囲網が完成する前に、その隙間を縫って抜け出す。
有利な角度へ回り込み、散らばった敵を自分にとって都合の良い一方向へと誘導し、まとめる。
これらすべての戦術的行動の成否は、自分の移動速度が敵の足回りをどれだけ上回っているかによって決まる。』
(……なるほど)
隼人の脳裏に、数時間前の映像が鮮明にフラッシュバックした。
ゴブリン・シャーマンが待ち構える、あの広大なボス部屋。
入り口に立った自分に向かって、散らばっていた六体の通常ゴブリンが、一斉に殺意を向けて突進してきたあの瞬間。
もしあの時、自分の移動速度が今よりも遥かに速ければどうだったか。
六体がこちらへ到達する前に、素早く斜め前方へ駆け抜け、部屋の端へと大きく回り込む。そうすれば、扇状に広がっていた六体のゴブリンたちは、隼人を追うために方向転換を余儀なくされ、結果として『一列』あるいは『一方向の塊』に近い陣形へと強制的に再配置させられていただろう。
(六体を全部倒し切るだけの圧倒的な火力を手に入れることだけが、正解じゃない)
(囲まれない位置へ、自分の意志で自在に動ける。ただそれだけで、あの絶望的な盤面は全く別の形に変化する)
移動速度。それは単なる数値ではなく、盤面を支配するための『支配力』だ。
隼人はデスクの横に置かれたメモ帳を引き寄せ、ボールペンで走り書きをした。
『足装備:移動速度の補正を最優先して確認』
どの程度の価格で、どれくらいの移動速度補正が得られるのかはまだ分からない。具体的な商品の選定は、明日、実際に販売区画の市場を見てから決めることにする。
さらに画面をスクロールする。
【心得その3】
近接職は、攻撃後の隙を軽視するな。
『攻撃速度のステータスは、単に一秒間あたりのダメージ出力(DPS)を上げるためのものではない。
一回剣を振る。そして、剣を戻す。
この「戻す」という動作が遅ければ、敵の反撃をモロに食らうことになる。攻撃速度を上げれば、この一連の動作そのものが短縮され、攻撃を当てた直後にすぐさま次の回避や防御行動へと移ることができる。近接職において、攻撃速度は最大の防御でもある。』
隼人は、自分の左腕を覆う見えないガントレットの重みを思い出しながら、小さく鼻を鳴らした。
《万象の守り》に付与されている、攻撃速度+15%。
通常ゴブリンとの戦闘で、それはすでに実体験として身体に刻み込まれている。
剣を振り抜いてから戻すまでが明らかに早く、次の攻撃や回避へ移りやすかった。
「これはもう持ってる。というか、十分に恩恵を受けてるな」
隼人は記事の解説を読み飛ばした。
だが、その項目を通過する一瞬、改めて思考する。
(たった十五パーセントの補正で、あれだけ世界が違って見えた。ならば、これをさらに装備やパッシブで上乗せしていけば……俺の剣は、どこまで加速する?)
その可能性の広がりに、僅かな高揚感を覚えながら、次へ。
【心得その4】
HPと属性耐性を軽視するな。
これも、水瀬雫から聞いた内容だ。
火、冷気、雷。この三つの属性耐性を、序盤はまず25%前後まで確保すること。
その程度あれば序盤の属性攻撃に対してかなり余裕を持ちやすくなる。ただし、相手の攻撃出力次第では当然貫通する。
隼人は現在の自分のステータスを思い浮かべた。
火耐性:25%
冷気耐性:25%
雷耐性:25%
《万象の守り》という、要求Lv1のユニーク装備をたった一つ装着しただけで、初心者が最初に目指す耐性の目安にはすでに届いている。
「これもクリアだ」
だが、隼人は記事の解説をもう少しだけ深く読み込んだ。
そこには、普通の新米探索者がいかにしてこの『耐性25%』を確保するかが書かれていた。
『初心者は、頭装備で火耐性を10%、胴装備で冷気耐性を15%、指輪で雷耐性を……といったように、全身の複数の装備枠をパズルのように組み合わせて、ようやく三属性を実用レベルまで引き上げることになる。序盤は、耐性を確保するためだけに、他のステータスを犠牲にする覚悟が必要だ。』
隼人の目が、その文章の上でピタリと止まる。
(……なるほど。普通はそうやって、枠を消費して耐性をやりくりするのか)
ここで、隼人は《万象の守り》という装備の真の狂気、真の強さを、一段深いレベルで理解した。
HPが+100されるから強いのではない。
攻撃速度が上がるから強いのではない。
耐性が高いから強いのではない。
(本来なら、耐性を確保するために絶対に使わなければならないはずの『他の装備枠』。それが、俺の場合は完全にフリー(自由)になっている)
耐性のために使うはずだった頭、胴、足、指輪の枠。それらをすべて、さらなる最大HPの増強や、筋力の底上げ、あるいは先ほどの『移動速度』といった別の能力を積むためだけにフル活用できるのだ。
《万象の守り》の最大の価値は、単体としての数値の暴力以上に、その後の『ビルドの自由度』を圧倒的に拡張してくれる点にあった。
「……国宝級って言われるだけのことはあるな」
隼人は、自分が引き当てたカードの異常な強さを噛み締めながら、次へ進んだ。
【心得その5】
使いたいスキルと武器の条件を確認しろ。
ここからが、隼人にとっての真の目的――スキルジェムへと繋がる橋渡しだった。
『スキルジェムには、それぞれ「使用可能武器」「要求ステータス(筋力や知力など)」「要求レベル」といった細かな装備条件が存在する。
例えば、どんなに強力な近接攻撃スキルを買っても、それが「斧専用」や「両手剣専用」であれば、片手剣を持っている状態では絶対に発動できない。
また、「盾を装備していること」が条件の防御系スキルを、両手武器のビルドで使おうとしても無駄だ。
自分が今どんな武器を持っているのか、あるいは将来どんな武器をメインにするのかを考えてから、スキルジェムを選べ。』
「なるほどな」
隼人の現在の主兵装は、【初心者用ロングソード】。分類上は片手剣、あるいは長剣といったところだろう。
ということは、当面の間は、斧や鈍器専用のスキルを調べても意味がないということだ。
(まずは『剣』で使える、近接用の攻撃スキル。そのセットアップを調べればいい)
ここで、「じゃあ斧専用の強いスキルがあるなら、武器の方を斧に買い替えよう」とはならない。
今の彼には、無尽蔵の資金があるわけではない。手持ちのロングソードはまだ一度も刃こぼれすらしておらず、十分に戦える。配られた手札の中で、最大の効率を出すのがギャンブラーの鉄則だ。
【心得その6】
フラスコ枠を空けたまま潜るな。
その見出しを見た瞬間、隼人のスクロールする手がピタリと止まった。
記憶の中のステータス画面。
一番下にある、五つの空欄。
【フラスコ】
1:未装備
2:未装備
3:未装備
4:未装備
5:未装備
「……見事に全部空いてるな」
記事には、フラスコというシステムの最低限の概要が記されていた。
『フラスコは、一般的なRPGのポーションのような「一度使ったら無くなる使い捨てアイテム」ではない。
装備枠にセットしておき、使用すると内部の「チャージ」を消費して効果(HP回復や一時的な能力強化など)を発揮する。消費したチャージは、ダンジョン内でモンスターを倒すことで再び補充されていく。
つまり、戦闘を続けて敵を倒している限り、繰り返し使える強力な生命線だ。』
「回復手段すら持たずに、ボスの目の前まで行ってたのか、俺は」
隼人はマグカップをデスクに置き、深く息を吐いた。
(そりゃあ、降りて正解だったわけだ)
笑い事ではない。HPが173あろうが、自動防御で火球を無効化できようが、擦り傷が蓄積すればいずれ必ず死ぬ。その傷を癒やす手段が一つもない状態で、六体の取り巻きを相手にするなど、正気の沙汰ではなかった。
メモ帳に、強くペンを走らせる。
『フラスコ:最低でもHP回復用を一本、絶対に確認』
フラスコにも様々な種類やレアリティがあるようだが、今の段階で深く調べすぎるのは情報の過負荷(オーバーロード)を招く。まずは回復という最低限のインフラを整えることが先決だ。
そこからの後半の項目――心得その7からその10までは、隼人にとってはすでに自分の思考回路と直結しているような内容ばかりだったため、高速で斜め読みをして処理した。
【心得その7】敵を知れ。
(今日のゴブリン戦で、嫌というほどモーションは観察した。やってる)
【心得その8】欲張るな。帰還までが探索だ。
(数時間前に、ポータルの巻物を使ってボス部屋から撤退したばかりだ。これもやった)
【心得その9】ソロなら、自分一人で全ての穴を埋めろ。
『ソロ探索者には、敵の注意を引いてくれるタンクも、背後の死角を守ってくれる仲間も、傷を癒やしてくれるヒーラーもいない。すべての役割を、自分のビルドだけで完結させろ。』
(だからこそ、俺は手札を増やす必要がある)
【心得その10】慣れた頃ほど、ダンジョンを舐めるな。
すべての項目を読み終え、隼人はモニターから視線を外して背伸びをした。
首の骨がコキリと鳴る。
「要するに――」
隼人は、今日一日で得た教訓と、この10の心得を自分なりに一つの言葉に集約した。
「知らないものを、知らないまま勝負するなってことか」
ディーラーの癖を知らない。ポーカーの役の強さを知らない。ルーレットの確率を知らない。
そんな状態でテーブルに座れば、待っているのは破滅だけ。
勝負の場で生きてきた隼人にとって、これほど馴染む教訓はなかった。
記事を一番下までスクロールすると、最後に『関連記事』としていくつかのリンクが貼られていた。
その中の一つのタイトルが、隼人の目を強く惹きつけた。
『【次に読む】戦士初心者向けスキルジェム・セットアップ集』
「これだな」
隼人は迷わずマウスをクリックし、そのリンク先へと飛んだ。
リンク先の記事を開くと、まず冒頭に、スキルジェムの『セットアップ』という概念についての基礎的な説明が書かれていた。
『スキルジェムは、それ単体でももちろん強力な技として使用できる。
だが、このシステムの真骨頂はそこではない。
ベースとなる攻撃や魔法の「スキルジェム」に対して、補助的な効果を持つ「サポートジェム」を組み合わせること。
ステータス上でベースとなるスキルジェムをセットし、対応するサポートジェムをそのセットアップへリンク登録することで、ベーススキルにサポート効果が乗り、スキルの性質そのものを変化させることができるのだ。』
「……なるほど」
隼人の目が、画面に表示された図解を食い入るように見つめる。
例えば、【ヘビーストライク】という、対象を強力に殴りつける単純な近接攻撃スキルがあるとする。
これ単体では、ただ「一回の攻撃のダメージが上がる」だけだ。
だが、そこに何をサポートとして付けるかによって、全く違う武器へと変貌する。
(つまり、「どんなスキルを選ぶか」という単発の選択じゃない。ベースとサポートをどう組み合わせて、一つの『セットアップ(役)』を完成させるか、という発想か)
ポーカーで言えば、配られた一枚のカードの強さではなく、他のカードと組み合わせて『フラッシュ』や『ストレート』といった強力な役(ハンド)を作り上げるのと同じだ。
記事の本文には、初心者戦士向けに、現在市場に出回っている一般的な既存ジェムだけを使った定番のセットアップ例が大量に掲載されていた。
隼人はそれらを一つずつ、自分の状況と照らし合わせながら吟味していく。
【セットアップ例 A】
ベース:【ヘビーストライク】
サポート:【近接物理ダメージ増加】
目的:単体火力の徹底的な底上げ。
コメント:硬いエリートモンスターや、ボス単体を相手にする時に有効。とにかく一体を早く落とすことに特化。
「悪くない」
隼人は呟く。ボスのHPを削り切るには、単純な火力は正義だ。
だが、今の彼の直近の課題は『六体の通常ゴブリンによる包囲』である。一体を早く倒せても、残りの五体に殴られれば意味がない。
【セットアップ例 B】
ベース:【ヘビーストライク】
サポート:【速度増加】
目的:攻撃テンポの重視。
コメント:攻撃速度をさらに伸ばし、手数で圧倒する。武器の振りが遅い初心者にオススメ。
(俺の《万象の守り》の+15%と噛み合わせれば、とんでもない連撃になりそうだ)
「これも面白いな」
だが、やはりこれも『一回剣を振って、一体の敵を殴る』という基本構造は変わらない。手数が倍になったところで、六体を処理するには三倍の時間とリスクがかかる。
【セットアップ例 C】
ベース:【ヘビーストライク】
サポート:【マナ・リーチ】
目的:継戦能力の確保。
コメント:敵に与えた物理ダメージの数パーセントを「MP」として吸収・回収する。スキルの乱発によるMP枯渇を防ぐ。
「……MPを、自分の攻撃で取り戻す?」
隼人はここで初めて、強く食いついた。
(つまり、強力なスキルを撃つために消費したMPを、そのスキルが敵に命中することで相殺、あるいは黒字化できるってことか。これなら、MP切れを気にせず無限にスキルを振り回せる)
しかし、と隼人は思い直す。
今の自分にとって、MP切れはまだ先の問題だ。それ以前に、敵の数に押し潰されるという物理的な死の危機が手前にある。
これは後々絶対に必要になる手札だが、一番最初に引くべきカードではない。
ブラウザのブックマーク機能で、この記事のこの部分だけを『お気に入り』に登録する。
「これは後で必ず欲しい」
【セットアップ例 D】
ベース:【パリィ】
サポート:【リポスト】
目的:カウンター特化。
コメント:敵の攻撃をタイミングよく受け流し(パリィ)、成功した瞬間に自動で反撃(リポスト)を見舞う。
「これは、俺の戦い方には合ってるな」
隼人はゴブリンのモーションを読み、回避から反撃を入れる戦法をすでに実践している。このシステムがあれば、その精度は飛躍的に上がるだろう。
しかし、これもやはり単体や少数を相手にする時の技術だ。四方八方から同時に襲いかかってくる六体に対して、すべてをカウンターで弾き返すことなど物理的に不可能に近い。
これもブックマークに入れておく。
隼人は検索条件のフィルターを少し変更した。
『戦士』『剣』『低Lv』。そこに、『対複数』『初心者』というタグを追加する。
検索結果が更新され、上位に何度も出てくる、一つの極めてベーシックな構成が画面に表示された。
【初心者戦士・対集団セットアップ】
ベース:【ヘビーストライク】
サポート:【範囲攻撃】
ここで、隼人のスクロールする手が完全に止まった。
解説文を読む。
【範囲攻撃】というサポートジェムは、それ自体が新しい魔法や技を発動するわけではない。
既存の近接攻撃スキルにリンクさせることで、その攻撃に『範囲性』を付与する。
つまり、普通の【ヘビーストライク】であれば、目の前の一体にしか当たらない重い一撃が、【範囲攻撃】をリンクさせることで、剣を振り下ろした衝撃が周囲の空間へと広がり、近接している複数の敵を『同時に巻き込む』ことができるようになる。
具体的なダメージの減少倍率や、巻き込める半径の広さ、消費MPの増加率などは、記事によってばらつきがある。
だが、そこに書かれている要点はただ一つ。
『単体への火力は純粋な特化ビルドより落ちるが、代わりに複数の敵を同時に殴れる。密集した敵に対しては無類の強さを発揮する』。
隼人は、PCチェアの背もたれに深く体重を預け、ゆっくりと目を閉じた。
頭の中に、もう一度あのボス部屋の光景を鮮明に再現する。
奥行き二十メートル、横幅十五メートル程度のドーム状の空間。
最奥に立つゴブリン・シャーマン。
その前に陣取り、こちらへ向かって一直線に殺到してくる六体の通常ゴブリン。
これまでは、自分の攻撃は『一振り=一体』という絶対の制約があった。
だから、一体を処理している間に、残りの五体が距離を詰めてきて、袋叩きにされる未来しか見えなかった。
しかし。
もし、この【ヘビーストライク】+【範囲攻撃】のセットアップが自分の手札にあったらどうなる?
(六体が俺に向かって走り込んでくる。俺は位置を変え、奴らの進路を重ねる。そこで――)
一撃を叩き込む。
通常攻撃なら一体にしか届かなかった一振りが、今度は近くにいる複数へ同時に届く可能性がある。
隼人が目を細めた。
(これなら……話が変わってくる)
一体ずつ処理するしかなかった状況そのものを変えられる。
だが、JOKERはどこまでも慎重だ。
「これで無双できる!」と妄信はしない。彼は記事の後半に書かれている『欠点』の項目もしっかりと読み込んだ。
【ヘビーストライク+範囲攻撃の弱点】
・サポートによる威力減衰がかかるため、ボスなどの単体に対しては火力が不足しがち。
・範囲攻撃とはいえ、射程外にいる敵(遠距離魔法など)には当然当たらない。
・完全に囲まれてタコ殴りにされている状態から、これを一発撃っただけで安全になるような魔法の杖ではない。
・通常攻撃より消費MPが増えるため、乱発すればすぐに枯渇する。
・敵の陣形(密集しているか、散開しているか)によって、効率が極端に変わる。
「万能じゃない、か」
隼人は画面を見つめながら、むしろその不完全さが気に入った。
「けど、今の俺が抱えている致命的な穴には、これ以上ないくらいちょうど嵌まる」
ここで、先ほど読んだ前半の『戦士の心得』が、隼人の頭の中でパズルのピースのようにカチリと音を立てて繋がった。
(足装備だ。移動速度のステータス)
敵の陣形によって効率が変わるのなら、効率の良い陣形を自分で作ればいい。
移動速度を上げて敵との位置関係を調整し、散らばる六体を自分にとって都合の良い『一方向の塊』へと誘導する。
そこへヘビーストライク+範囲攻撃を叩き込み、通常攻撃より効率よく前衛を削る。
そこから先は、実際に使ってみて確かめればいい。
「なるほどな」
隼人は、誰に聞かせるわけでもなく感嘆の息を漏らした。
「スキル一個だけじゃ完結しない。装備のステータス、自分の立ち回り、すべてを含めて初めて一つの『手札(ビルド)』になるのか」
隼人の中で、装備とスキルと立ち回りが、初めて一つの戦い方として繋がった。
さらに、記事の最後には、このセットアップの『将来の拡張性』についても言及されていた。
関連セットアップの発展形として、こんな構成が紹介されている。
【ヘビーストライク】
+【範囲攻撃】(※対集団用から対ボス用へ付け替える場合は外す)
+【マナ・リーチ】
+【近接物理ダメージ増加】
+【速度増加】
火力を上げ、攻撃速度を高め、与えたダメージからMPを回収することで、長時間のスキル連打による攻撃を継続する。
解説を追ううち、隼人の口元がわずかに上がった。
「……これ、面白いな」
もちろん、今すぐこの完成形を作れるわけではない。
必要なサポートジェムの数も多く、セットアップを拡張するための条件も増える。当然、それらを揃えるための資金も必要になる。
だが、重要なのはそこではない。
今日選ぶ【ヘビーストライク】というベーススキルが、ただの序盤の使い捨てではなく、パーツ(サポート)を付け替えることで、用途そのものを変えていけるという事実だ。
(最初から捨てる前提の安いカードじゃない。先がある)
隼人は、この上位セットアップもブラウザのお気に入りに登録した。
ふと、隼人の思考が自分の持つユニークスキル【複数人の人生《マルチアカウント》】へと飛んだ。
現在は戦士のアカウント一つしかない。
だが、将来【魂の水晶】を手に入れ、新しい人生(アカウント)を増やしたとすれば。
戦士用の近接セットアップ。
魔法使い用の遠距離セットアップ。
盗賊用のクリティカル特化セットアップ。
それらを個別に構築し、状況に応じて切り替えることができる。
しかし、それは同時に、それぞれのビルドに必要な大量のスキルジェム、サポートジェム、装備一式を『別々に買い揃えなければならない』ということを意味していた。
「……そりゃあ、金食い虫って言われるわけだ」
隼人は思わず苦笑した。
マルチアカウントというスキルの真のコストは、水晶の代金だけではない。装備やジェムのインフラを二倍、三倍と整えなければならないという、凄まじい資金力との戦いなのだ。
画面の端には、相変わらず【未使用パッシブポイント:1】の文字が表示されている。
隼人は一度、パッシブツリーの画面を開きかけた。
だが、マウスをクリックする寸前で、その手を止める。
「いや」
隼人はツリーの画面を閉じた。
「こっちは明日でいい」
まだ、スキルジェムを実際に買っていない。足装備の移動速度がどれくらい確保できるのかも見ていない。
水瀬雫の『ビルドの方向性が完全に決まってから振った方が無駄がない』という助言。
それを、隼人は守ることにした。手に入れたばかりのチップを、不確定な盤面に適当にベットするような真似はしない。
隼人はデスクの上のメモ帳を引き寄せ、ボールペンで明日の行動予定――買い物リストを作成し始めた。
【明日確認するもの】
■最優先
・スキルジェム
【ヘビーストライク】
・サポートジェム
【範囲攻撃】
■防具
・足装備
移動速度アップ付きを最優先。
・その他の空き部位
価格と相談しつつ、最大HPアップを優先して埋める。
■フラスコ
・HP回復用を最低一本確保する。
■保留
・パッシブポイント1(装備が確定してから振る)
さらに、余白の部分に将来的な展望も書き殴っておく。
【後で確認】
・【マナ・リーチ】
・【近接物理ダメージ増加】
・【速度増加】
・【パリィ】
・【リポスト】
価格については、SeekerNetの情報である程度の相場感は掴めた。
初心者用のノーマルジェムであれば、十分に手が届く価格帯だ。だが、ネットの掲示板に書かれている「大体一万円くらい」といった曖昧な数字を、そのまま確定情報として鵜呑みにする気はない。
実際の店頭価格、中古品の値下がり具合、そしてセットアップへ追加できるサポート数など、市場には無数の変数が存在する。正確な金額は、明日、自分の足で販売区画を歩き、自分の目で見て決める。
隼人はペンを置き、PCのモニターにもう一度視線を戻した。
画面には、先ほど決定した構成が表示されたままだ。
【初心者戦士・対集団セットアップ】
ベース:【ヘビーストライク】
サポート:【範囲攻撃】
隼人は、そのたった二つの単語をしばらくの間、無言で見つめ続けた。
たった二個のジェム。
だが、今日ダンジョンで通常攻撃しか振れなかった自分にとっては、世界をひっくり返すほどの可能性を秘めた、完全に新しい手札だ。
脳裏に、再びボス部屋の光景が蘇る。
六体の通常ゴブリン。その奥で、次の火球を準備するシャーマン。
「六体まとめて来るなら――」
隼人の口角が、獰猛な弧を描く。
「一体ずつ、馬鹿正直に相手にしてやる必要もないわけだ」
マウスを操作し、そのセットアップ情報をブラウザの『購入候補』のフォルダへとドラッグ&ドロップした。
【購入候補へ追加しました】
【ヘビーストライク】
【範囲攻撃】
「よし」
満足げに頷き、隼人はPCの電源を落とそうとして、ふと手を止めた。
ブラウザのお気に入り欄の隅には、先ほど登録したばかりの『ヘビーストライク+マナ・リーチ+近接物理ダメージ増加+速度増加』という上位セットアップの文字が残っている。
隼人はその文字列を一度だけ見つめ、小さく、楽しげに笑った。
「……奥が深いな、これ」
ギャンブルとはまた違う、理詰めで盤面を構築していく緻密なゲーム。
JOKERという男の知的好奇心を刺激するには、十分すぎる深淵だった。
「まずは、この二枚からだ」
モニターの電源が落ち、四畳半の部屋が再び暗闇に沈む。
神崎隼人の長い一日が、ようやく終わりを告げた。
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