裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~ 作:パラレル・ゲーマー
西新宿のアパートを出た神崎隼人は、午前九時過ぎの山手線に揺られていた。
通勤ラッシュのピークは過ぎていたものの、車内はまだ多くの人で混み合っている。ドア横のスペースに身体を預けながら、隼人は斜め掛けにした黒いボストンバッグの重みを肩に感じていた。
中には、ARコンタクトケース、スマートフォン、予備を含めた《ポータルの巻物》、鞘に収めた【初心者用ロングソード】、そして追従型の録画用ドローンが詰まっている。探索者としての最低限の命綱だ。
だが、ドローンの電源は切ったままであり、配信アプリも立ち上げていない。
スマートフォンのロック画面には、通知アプリから『JOKER今日配信する?』『昨日の国宝装備の検証枠やらないの?』といった、物好きな視聴者からのメッセージがいくつか届いていたが、隼人は一瞥しただけで画面をスワイプして消した。
(これから手札を揃えるところを、全世界に生中継する馬鹿はいない)
隼人がこれから向かうのは、手持ちのチップを使って新しいカードを仕入れる場所だ。
配信をオンにして「今から《範囲攻撃》のジェムを探します」などと声高に宣言すれば、その配信を見ているかもしれない店側に自分の需要が筒抜けになる。相手に「こいつは絶対にこのカードを欲しがっている」と悟られれば、足元を見られて相場より高い値段を吹っかけられるのは火を見るより明らかだ。
おまけに、視聴者が同じ商品を面白半分で買い占めようと市場に殺到すれば、一時的に相場すら釣り上がりかねない。ショーの種明かしは、盤面が完全に整ってからで十分だ。
隼人はスマホのメモアプリを開き、昨夜遅くまでPCに齧り付いて作成した『本日の購入予定』のリストを再確認した。
【最優先】
・スキルジェム:ヘビーストライク
・サポートジェム:範囲攻撃
【装備】
・足装備:移動速度付きを最優先
・空き装備枠:最大HP増加を優先
【フラスコ】
・回復手段を確保
【保留】
・パッシブポイント1(装備確定後に判断)
そして、今日使う資金には、あらかじめ明確な上限を定めている。
追加投資上限:80,000円。
探索者になるために確保した初期投資枠。その残額から、今日使う八万円だけを切り出した。
妹の治療費や借金返済に回す金とは、最初から別勘定だ。
(金があるからといって、買えるだけ買うのでは意味がない)
(この八万という決められたチップで、昨日のあの手詰まりの盤面を、どこまで覆せるか)
限られた資源で最大の期待値を叩き出す。それがギャンブラーの鉄則だ。
アナウンスが目的地の到着を告げた。
隼人は人の流れに乗って、JR上野駅のホームへと降り立った。
センターに併設された公的な販売区画ではなく、なぜ上野の『アメヤ横丁』、通称アメ横なのか。
昨夜『SeekerNet』で情報を漁っていた際、初心者向けの市場ガイドとしてこんな書き込みを見つけたからだ。
『保証と手軽さ、安心を買うならセンターの販売区画へ行け。ただし定価だ』
『値段の安さと品揃えの混沌を求めるなら上野へ行け。ただし自己責任だ』
『自分で品物の価値を値踏みできない奴は、中古市場には近づくな』
それを見た隼人は、迷うことなく上野を選んだ。
センターの販売区画では、職員が状態を確認し、適正な品質保証がされた商品を、分かりやすい相場で購入できる。初心者が騙されることはない。
しかし、上野の市場は違う。新品から中古品、引退した探索者の訳あり処分品、ダンジョンから持ち帰られたばかりの未鑑定ドロップ、型落ちの防具、外見が泥まみれなだけの実用品、そしてジェムやフラスコ、クラフト素材に至るまでがごちゃ混ぜになって流通している。
保証が薄い代わりに安く、店によっては値札すらなく交渉が前提となる。
(相手の提示するカードの価値を自分で見極め、値切る。俺にとって、それほど都合のいいテーブルはない)
上野駅を出て高架沿いを進むと、すぐにアメ横の喧騒が隼人を包み込んだ。
ダンジョン出現から十年。探索者という産業が世界的な規模にまで膨れ上がった現在、この歴史ある商店街もまた、その巨大な経済圏を飲み込んで変容を遂げていた。
旧時代の名残である魚介類や乾物の店、衣料品店、香辛料の香りが漂うケバブ屋。観光客や多国籍な人々の声。それら普通の日常の風景の中に、ダンジョン経済が異物として、しかし完全に馴染んだ形で食い込んでいる。
魚屋の威勢の良い掛け声のすぐ二軒隣には、『F~D級中古防具・即日査定・高価買取!』とケバブ屋顔負けの派手な看板を出した店がある。
ガード下には『スキルジェム買います・売ります』と段ボールに手書きされた怪しげな露店が並び、路地の奥へ視線を向ければ、『フラスコ専門・チャージ機能確認済』と書かれたネオンサインが瞬いている。
違法な闇市ではない。店舗も露店も、すべて正式な営業許可を得て成り立っている合法の市場だ。だが、商品の魔法効果はARコンタクトで確認できても、外見の良し悪しや流通量、店主の言い値によって価格が乱高下する、極めて荒っぽい弱肉強食の市場でもあった。
隼人はその混沌とした熱気の中を、油断のない目で歩き始めた。
まず向かったのは、優先順位が最も高いジェムを取り扱う専門店だ。
ガード下の一角にある、ガラスケースの中に赤、緑、青と様々な色彩の宝石が並べられた小さな店舗。
店主はタバコを咥えた初老の男で、品定めをする探索者たちを値踏みするような目で見つめていた。
隼人はガラスケースの前に立ち、無駄話は一切挟まずに本題を切り出した。
「ヘビーストライクと範囲攻撃。Lv2で装備できる、一番安いノーマル品を出してくれ」
初老の店主は、咥えタバコを少し動かし、一瞬だけ隼人の顔と軽装を見た。
「……新人か?」
「昨日登録した」
店主は鼻で笑うこともなく、カウンターの下からゴソゴソと二つの小さなジェムを取り出し、ガラスケースの上に置いた。
一つは赤黒い光を放ち、もう一つはくすんだ赤色をしている。
隼人はARコンタクトの鑑定機能を起動し、実物の『スキルジェム』のデータを初めて自分の目で確認した。
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【ヘビーストライク】
レアリティ:ノーマル
種別:アクティブスキルジェム
タグ:攻撃 / 近接 / ストライク / 物理
装備条件:
Lv2~
剣・斧・メイス・杖
効果:
近接武器による強力な一撃を放つ。
武器ダメージ:224%
攻撃速度:基準攻撃の85%
消費MP:7
敵のスタン閾値:25%低下
ダブルダメージ発生率:20%
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隼人はLv2でスキルジェムスロットを解放済み。武器も剣だ。
(なるほど。重い一撃を放つ分、振りが遅くなるってのは、この『攻撃速度85%』って部分か)
だが、隼人の脳内で即座に計算式が組み上がる。
通常の攻撃速度を100%とした場合、ヘビーストライクは85%。
隼人の左腕にある《万象の守り》の効果は、攻撃速度+15%。
0.85 × 1.15 = 0.9775。
ヘビーストライク使用時の攻撃速度は、補正のない通常攻撃を100%とした基準に対して97.75%となる。
一方、同じ装備状態で通常攻撃を振れば115%。
重量級スキルである以上、通常攻撃より遅いという性質そのものは消えていない。
「遅いのは遅い。けど、素の通常攻撃に近いところまでは戻せるのか」
隼人は内心で小さく舌を巻いた。ここでも《万象の守り》の攻撃速度補正は、重い一撃の扱いにくさを確実に和らげている。
続いて、もう一つのジェムへ視線を移す。
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【範囲攻撃】
レアリティ:ノーマル
種別:サポートジェム
対応:近接ストライクスキル
要求筋力:18
効果:
リンクした近接ストライクが命中した際、
その対象の周囲にもスプラッシュダメージを与える。
スプラッシュ範囲:半径1.4m
周囲へのスプラッシュダメージ:40%低下
消費MP倍率:130%
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この【範囲攻撃】を、【ヘビーストライク】へリンクさせた場合の最終的な数値を弾き出す。
メイン対象への武器ダメージは224%のまま。
周囲へのスプラッシュダメージは、224% × 0.6 = 134.4%。
消費MPは、7 × 1.3 = 9.1。システムの計算では端数が切り捨てられ、最終消費MPは9となる。
(狙った一体には224%。その周囲にも134.4%。単体への威力を捨てずに、密集した相手へ手数を増やせる)
消費MPは一回につき9。
現在の隼人の最大MPは53。満タンから連続で使えるのは五回。さらに、パッシブ補正なしの初期状態でも、MPは毎秒0.9回復する。
十分ではある。だが、前衛六体を相手に無駄撃ちできるほど余裕がある数字でもない。
「よし、使えるな」
隼人はジェムから視線を上げ、店主を見た。
「二つでいくらだ」
「二万一千だ」
店主が吐き出した紫煙越しに告げた数字に対し、隼人は即座に切り返した。
「高いな」
「中古でも状態は悪くねえ。相場だ」
隼人は鼻で笑った。
前夜、『SeekerNet』の相場情報スレッドで、直近一週間の実際の取引価格を頭に叩き込んできている。
ヘビーストライクのノーマル中古価格は、6,000円から8,000円。
範囲攻撃のサポートジェムは、8,000円から10,000円。
「昨日の中央値なら、合わせても一万六千前後だろ。足元を見るなよ」
正確な相場を突きつけられた店主は、少しだけ目を細め、タバコの灰を落とした。
「……随分と、よく調べてから来てんな」
「調べてから来たんでね。テーブルに座る前にルールを確認するのは基本だ」
数回の短い押し問答の末、最終的な価格は隼人の提示通りに落ち着いた。
16,000円。
異常に安く買い叩いたわけではない。適正な『相場通り』の価格で購入しただけだ。それが重要なのだ。
口座から電子決済を済ませ、隼人は二つのジェムをポーチに収めた。
【予算残:64,000円】
次に向かったのは、中古防具の専門店だ。
ここで最優先すべきは、昨夜の攻略記事で学んだ『移動速度付きの足装備』である。
店の軒先に雑多に吊るされたブーツの中から、ARコンタクトの鑑定を利用して条件に合うものを素早くピックアップしていく。
候補は三つに絞られた。
A:移動速度+5%(5,000円)
B:移動速度+8%(8,000円)
C:移動速度+10%、最大HP+10(25,000円)
隼人は迷わなかった。
単体の性能として一番強いのは間違いなくCだ。だが、Bと比較して、たった+2%の移動速度とHP10を得るために、追加で17,000円も支払うのは、現在の限られた予算枠に対する投資効率が悪すぎる。
隼人が手に取ったのは、Bのブーツだった。
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【使い古された革のブーツ】
レアリティ:ノーマル
種別:足装備
装備条件:Lv1~
移動速度 +8%
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価格は8,000円。
見た目は泥の染みがこびりつき、爪先には無数の擦り傷がついた、いかにも誰かが使い潰した中古品だ。
店主が近寄ってきて、商売っ気のある声をかける。
「兄ちゃん、そっちでいいのか? もう一万ちょい出せば、その二万五千のやつの方がHPも上がるし、見た目も綺麗だぞ」
「走る速さに、見た目は関係ないだろ」
隼人はそっけなく返し、即座に決済を済ませた。
【予算残:56,000円】
ここからは、残りの空き装備枠をひたすら埋めていく作業だ。
狙うのは、店の奥にある『ジャンク防具コーナー』。
隼人の買い方は、他の新米探索者とは明らかに異なっていた。普通の初心者は、属性耐性のついた防具を血眼になって探し、数万円の出費に頭を抱える。
だが、隼人にはそれがない。《万象の守り》が、火・冷気・雷の25%という序盤の目安を、たった一枠で確保してくれているからだ。
だから、隼人の検索フィルターは極めてシンプルだった。
『安いこと』『Lv2で装備可能であること』、そして『最大HPが増加すること』。それだけだ。
乱雑に積まれた防具の山から、次々と目当ての品を掘り出していく。
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【傷だらけの鉄兜】
レアリティ:ノーマル
種別:頭装備
装備条件:Lv1~
最大HP +20
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価格:3,000円。即購入。
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【継ぎ接ぎの革鎧】
レアリティ:ノーマル
種別:胴装備
装備条件:Lv1~
最大HP +15
移動速度 -3%
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価格:6,000円。購入。
胴装備の中には、『火耐性+5%』がついた比較的人気の品(11,000円)もあったが、隼人は目もくれなかった。(火耐性はいらない。枠の無駄だ)という判断だ。
そして、盾。
現在装備している【初心者用ロングソード】は片手での使用が可能だ。左腕には《万象の守り》があるが、ガントレットの上から盾を構えることにシステム上のペナルティはない。
ゴブリン・シャーマンの取り巻きである六体の通常ゴブリン。奴らの武器は、純粋な物理攻撃である棍棒だ。複数の近接攻撃を受ける可能性を考えれば、盾は有力な保険になる。
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【凹んだ鉄の丸盾】
レアリティ:ノーマル
種別:盾
装備条件:
筋力11以上
攻撃ブロック率:24%
防御力:10
移動速度 -3%
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価格:7,000円。
派手なHP増加はない。代わりに、攻撃ヒットをブロックできる可能性を24%確保できる。
「二十四パーセント。頼る数字じゃないが、ゼロよりはずっといい」
購入。
残るはアクセサリー類だ。これも時間をかけず、HP補正だけがついた最安値のジャンク品を次々と籠に放り込んでいく。
【獣の牙の首飾り】(首枠)最大HP +10。価格:4,000円。
【くすんだ鉄の指輪】(左指輪枠)最大HP +8。価格:4,000円。
【ひび割れた銀の指輪】(右指輪枠)最大HP +8。価格:4,000円。
【革巻きの腰帯】(ベルト枠)最大HP +10。価格:5,000円。
ここまでの防具購入金額、合計41,000円。
ジェムの16,000円と合わせて、57,000円の出費となった。
【予算残:23,000円】
隼人は周囲の商品の値札を見渡しながら、改めて左腕の黒銀のガントレットに視線を落とした。
同じ最大HP+10の指輪でも、そこに『冷気耐性+5%』といった需要の高いMODが一つ追加されるだけで、値段は5,000円から15,000円へと跳ね上がっている。
(普通なら、高い金を払って後者を買わなきゃいけない。だが、俺はその必要がない)
昨日理解した「耐性装備枠から解放されている」というアドバンテージが、今度は『購入価格の安さ』として実利となって返ってきている。
「こいつ、本当に金まで浮かせるんだな」
隼人は、呆れ半分、感心半分の感情で《万象の守り》を撫でた。
いくつもの店を回り、相場を比較し、必要なものだけを買った。
特別な掘り出し物はない。
それでも、手札は確実に増えている。
調べて、比べて、相場通りに買う。
それだけでも、勝率は上げられる。
最後に向かったのは、路地の奥にあるフラスコ専門店だ。
残り予算は23,000円。
昨日の探索で、回復手段を持たずに深部へ進むことの愚かさを骨の髄まで理解した隼人は、ここには十分な予算を残していた。
店内に並ぶ多種多様な液体入りのガラス瓶を物色し、初心者向けの定番構成と呼ばれる5本を選び出す。
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【ライフフラスコ(中)】× 2本
レアリティ:ノーマル
効果:
3.5秒間でHP150回復
最大チャージ:28
使用消費:8
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一瓶につき、満タンから三回使用しても4チャージ残る。これを二本購入。
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【マナフラスコ(小)】× 1本
レアリティ:ノーマル
効果:
3秒間でMP50回復
最大チャージ:24
使用消費:6
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ヘビーストライク+範囲攻撃の消費MPは9。これ一本があれば、MP枯渇のリスクは大きく下がる。
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【水銀のフラスコ】× 1本
レアリティ:ノーマル
種別:ユーティリティフラスコ
効果時間:6秒
移動速度 +40%
最大チャージ:60
使用消費:30
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隼人の視線が、この水銀のフラスコに強く惹きつけられた。
先ほど買ったブーツは+8%だが、胴装備と盾にはそれぞれ-3%の移動速度補正がある。通常時の差し引きは+2%。
そこに水銀のフラスコを使用すれば、一時的に移動速度は『+42%』まで跳ね上がる。
「これ、いいな。六体のゴブリンの配置を誘導して一箇所にまとめる戦術に、そのまま刺さる」
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【解呪の小型ライフフラスコ】× 1本
レアリティ:マジック
種別:ライフフラスコ
効果:
3秒間でHP70回復
使用時、自身にかかっている呪いを解除する。
最大チャージ:21
使用消費:7
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今のゴブリン・シャーマンが、呪いを使ってくるかどうかは分からない。
だが、これは未知への保険だ。
「分からないものへの保険なら、一枠使う価値はある」
隼人は迷わず購入を決めた。
フラスコ5本で、合計15,000円。
これで、本日の買い物のすべてが完了した。
ジェム:16,000円
装備:41,000円
フラスコ:15,000円
支出合計:72,000円。
設定した予算、80,000円。
残り、8,000円。
「八千残ったか」
隼人は財布の中身を確認し、満足げに頷いた。
値段を異常に切り詰めることが目的ではない。自分の考えた設計図に必要なパーツをすべて妥協なく揃え、かつ予算内に収めた。
事前の目論見通り、テーブルの準備は完璧に整った。
正午を過ぎた頃。
隼人はアメ横の高架下の端にある、探索者用の休憩兼装備調整スペースのベンチに腰を下ろした。
周囲には、同じように購入したばかりの装備を調整する者たちの姿がある。
隼人はバッグから購入した品を取り出し、システムへ登録する作業を開始した。
頭に傷だらけの兜を被り、シャツの上から継ぎ接ぎの革鎧を着込む。左腕には盾を固定し、足元を使い古されたブーツに履き替える。
最後に、首飾り、二つの指輪、腰帯を身につけた。
ARコンタクトが、ステータスの更新を告げる。
【装備】
武器:【初心者用ロングソード】
盾:【凹んだ鉄の丸盾】
頭:【傷だらけの鉄兜】
胴:【継ぎ接ぎの革鎧】
手:【万象の守り】
足:【使い古された革のブーツ】
首:【獣の牙の首飾り】
指輪・左:【くすんだ鉄の指輪】
指輪・右:【ひび割れた銀の指輪】
ベルト:【革巻きの腰帯】
「……空欄ゼロ、か」
昨日、センターの受付嬢から受けた忠告と、深夜に読み込んだ攻略記事の教え。その最初の課題が、今ここで完了した。
続いて、ステータスの変化を確認する。
現在のHP173(基礎73+万象の守り100)。
そこに、今回追加したジャンク品たちの補正(兜+20、胴+15、首+10、左指輪+8、右指輪+8、ベルト+10=合計+71)が乗算ではなく加算される。
73 + 100 + 71 = 244。
【最大HP:173 → 244】
「……七十一も増えたか」
見た目はただの地味なガラクタを寄せ集めただけだ。だが、それだけでHPが約41%も跳ね上がった。
さらに。
【攻撃ブロック率:0% → 24%】
【移動速度:+0% → +2%】
「……二パーセント?」
隼人は一瞬だけ眉を寄せ、装備欄を見直した。
ブーツは+8%。だが、継ぎ接ぎの革鎧で-3%、丸盾でも-3%。差し引けば+2%で合っている。
「なるほど。足を速くするだけじゃない。鎧と盾で落ちる分を、靴で取り戻す意味もあるのか」
隼人は立ち上がり、その場で数歩だけ足踏みをし、軽くステップを踏んでみた。
+2%では劇的な差はない。それでも、重い盾と胴防具を追加した割に、昨日よりわずかに足取りが軽い。
水銀のフラスコは使わない。チャージは本番の洞窟のために温存しておく。
使用すれば、この+2%へさらに40%が加わる。
再びベンチに座り、今度はスキルジェムのセットだ。
ステータスの【スキルジェムスロット:1】の項目を開き、購入した赤いジェム【ヘビーストライク】を登録する。
【装備中スキルジェム:ヘビーストライク】
次に、サポートジェムの【範囲攻撃】をリンク登録する。
システムが処理を行い、最終的なスキルの形態がAR上に表示された。
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【セットアップ更新】
ベース:
【ヘビーストライク】
リンクサポート:
【範囲攻撃】
メイン対象への武器ダメージ:224%
周囲へのスプラッシュダメージ:134.4%
スプラッシュ範囲:半径1.4m
消費MP:9
攻撃速度:基準の97.75%
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これが、JOKERが自らの手で組み上げた、初の正式なスキルセットアップだった。
攻撃速度は、ヘビーストライクの85%に《万象の守り》の+15%が乗り、基準の97.75%。
「通常攻撃よりは遅い。けど、これだけ重い一撃なら十分だな」
単体火力を維持したまま周囲も巻き込み、攻撃速度の弱点は装備である程度補う。
役割がはっきりした組み合わせだった。
仕上げに、5つのフラスコを腰のベルトに装着し、ステータスのフラスコ枠をすべて埋める。
【フラスコ:5/5装備中】
昨日は完全空欄だったこの枠が埋まっているという事実だけで、途方もない安心感があった。
そして、最後。
隼人はステータスの最下段にある項目を開いた。
【未使用パッシブスキルポイント:1】
広大なパッシブツリーが展開される。
隼人の視線は、戦士のスタート地点から最も近い場所にある、一つのノードに真っ直ぐに向けられていた。
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【最大HP上昇10%】
最大HPが10%増加する。
必要ポイント:1
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昨日までは、自分がどんな装備構成になるのか分からなかったため、振るのを保留していたポイントだ。
攻撃力を上げるノードも、攻撃速度を上げるノードもあった。だが、隼人に迷いはなかった。
現在の最大HPは244。
ここに10%の補正がかかれば、+24.4。システムの端数切り捨てルールにより、+24となる。
最大HPは、244から268へと上昇する。
しかも、この『10%増加』という補正は、固定値ではない。
今後、隼人がより強力なHP装備を積み重ねて基礎値が高くなればなるほど、この10%がもたらす恩恵(スケール)は雪だるま式に増大していく。
「固定値じゃないのか。俺が装備を強くするほど、こいつも後から強くなる」
未来への投資として、これ以上確実なカードはない。
隼人は躊躇なく、決定ボタンを押した。
【パッシブスキルポイントを1消費しました】
【最大HP上昇10%】を取得しました。
【最大HP:244 → 268】
【パッシブスキルポイント:0】
「悪くない」
これで、すべての準備が完了した。
隼人はベンチから立ち上がり、最終的なステータス画面を眼前に呼び出した。
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【神崎隼人 / JOKER】
Lv:2
EXP:12%
クラス:戦士 Lv.1
HP:268/268
MP:53/53
筋力:23
俊敏:23
知性:14
幸運:??
パッシブスキルポイント:0
【基礎補正】
HP自動回復:0/秒
MP自動回復:0.9/秒
物理ダメージ軽減:0%
攻撃ブロック率:24%
移動速度:+2%
攻撃速度:+15%
【属性耐性】
火:25% / 冷気:25% / 雷:25% / 混沌:0%
【取得済みパッシブ:1】
【最大HP上昇10%】
【スキル】
【ヘビーストライク】
リンク:【範囲攻撃】
メイン対象への武器ダメージ:224%
周囲へのスプラッシュダメージ:134.4%
範囲:半径1.4m
消費MP:9
スキル攻撃速度:基準の97.75%
====================================
隼人は、頭の中で「昨日の自分」と「今の自分」の盤面を比較した。
昨日のボス部屋。
HP173。回復手段なし。移動速度補正なし。物理軽減なし。攻撃手段は通常攻撃のみ。六体を一体ずつ処理するしかない絶望的な手数不足。
そして、今日。
HP268。回復用フラスコ三本。攻撃ブロック率24%。重い胴防具と盾を着けても常時移動+2%を維持し、水銀使用時は+42%。範囲攻撃化されたヘビーストライク。MP切れ対策のマナフラスコ。未知の呪いへの解呪効果。
同じ、レベル2。
経験値のバーも、昨日から1ミリも動いていない、12%のままだ。
なのに、中身は完全に別の生き物へと変貌している。
「レベルは、一つも上がってないんだよな」
隼人の口から、抑えきれない笑みが漏れた。
知識という情報に、金というチップを注ぎ込む。ただそれだけで、同じレベルという枠組みの中で、ここまで絶対的な差が生まれる。
装備とスキルの組み合わせだけで、同じレベルのまま戦い方そのものが変わる。
隼人には、その仕組みがたまらなく面白かった。
だが。
(これで、絶対に勝てる)
などという、甘い慢心は隼人の中には一欠片もなかった。
シャーマンが、火球以外にどんな奥の手を隠し持っているかは分からない。
取り巻きの六体が、昨日と全く同じ動きをしてくれるという保証もない。
ヘビーストライク+範囲攻撃の実戦での挙動も、フラスコを戦闘中に使用する感覚も、すべてがぶっつけ本番の未知数だ。
だから、今の隼人が確信しているのは、ただ一つだけ。
「勝率は、昨日より上がった」
ギャンブラーとして、テーブルに座るための最低条件を満たした。ただ、それだけのことだ。
午後一時前後。
アメ横の通りは、朝よりもさらに多くの人出で賑わっていた。
その雑踏の中を歩く隼人の姿は、客観的に見ればかなり異様だった。
頭には傷だらけのボロい鉄兜。胴体には不恰好な継ぎ接ぎの革鎧。足元は使い古された汚いブーツ。左手には安物の丸盾。
見た目の統一感など皆無の、金のない新人が有り合わせのゴミを拾い集めたような、みすぼらしいフル装備。
その中で唯一、左腕の《万象の守り》だけが、不釣り合いなほどの重厚な威圧感を放っている。
隼人自身、通りすがりのガラス窓に映った自分の姿を見て、肩をすくめた。
「まあ、格好は最悪だな」
だが、隼人はその足で帰路には就かなかった。
買い揃えた手札を自宅に持ち帰り、眺めながら一晩寝かせるような趣味はない。
装備は確認した。条件も満たした。設計図は、すでに実物のビルドとして完成している。
ならば、次にやることは決まっている。
隼人は上野駅へと向かい、そのまま《ゴブリンの洞窟》がある郊外方面への電車に乗り込んだ。
移動中の車内で、隼人はスマートフォンを取り出し、配信アプリを立ち上げた。
昨日はやらなかった『配信枠の事前予約』を設定する。
【配信タイトル】
JOKER
F級《ゴブリンの洞窟》
ボス再戦
予約ボタンをタップした瞬間から、SeekerNetの急上昇クリップ経由で彼を通知登録していた好事家たちの端末が一斉に鳴り始めたはずだ。
だが、隼人はまだ配信自体は開始せず、コメント欄も開かないままスマホをポケットにしまった。
午後二時台。
昨日と全く同じ、テーマパークのような管理施設を抜け、ぽっかりと口を開けたF級ダンジョンの入り口。
外見は、何も変わらない、ただの黒い洞窟だ。
だが、そこに立つJOKERだけが、昨日とは完全に違う手札を持っていた。
隼人はバッグからドローンを取り出し、空中に放り投げて起動させた。
ARコンタクトがデバイスとのリンクを完了する。
配信ボタンをONにした。
視界の端に表示された視聴者数のカウンターが、開始直後から数十、そして数秒で百を超えて跳ね上がっていく。
昨日のクリップ動画を見て集まった初見の観客たちと、昨日からの継続視聴者たちが入り混じり、コメント欄が急速に流れ始めた。
『きた』
『シャーマン再戦?』
『てか、装備増えてるw』
『昨日よりだいぶマシな格好になったな』
『いや、よく見ろ、相変わらずボロいだろw』
『国宝手袋だけが浮いてるぞ』
隼人は、流れ始めたコメント欄を軽く一瞥しただけで、特に返答はしなかった。
昨日、圧倒的な手数の前に撤退を余儀なくされた、安全地帯とダンジョンの境界線。
隼人はその境界線の前で、右手のロングソードを静かに鞘から引き抜いた。
左腕の丸盾を構え、腰に提げた五本のフラスコの位置を指先で確認する。
そして、ステータス画面に光る、初めての『攻撃スキル』の存在を意識の奥に据えた。
「昨日の続きだ」
隼人は、暗闇の奥、獲物を待つゴブリンたちの気配が漂う洞窟へと視線を向ける。
一拍。
JOKERの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「今度は、手札がある」
隼人は、自らが組み上げた新しいビルドと共に、再びダンジョンの深淵へと足を踏み入れた。
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