裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~ 作:パラレル・ゲーマー
昨日と同じ、午後二時台。
F級ダンジョン《ゴブリンの洞窟》。
すでに配信を開始した隼人は、境界線を越え、湿った冷気を帯びた洞窟内へと足を踏み入れた。背後には、録画用ドローンが静かに追従している。
視界の端に表示されたARコンタクトの視聴者カウンターは、開始直後から一気に跳ね上がり、すでに137人前後で推移している。
SeekerNetの急上昇クリップでJOKERの名前を知った野次馬たちと、昨日の配信を見ていた継続視聴者たちが入り混じり、コメント欄が急速に流れ始めた。
『昨日の続ききた』
『シャーマン再戦枠か』
『てか、装備ボロすぎて草』
『頭から足までジャンクの寄せ集めじゃねえかw』
『なのに左手だけ国宝級なの意味わからん』
『お、盾まで持ってる』
『スキルジェム何買ったんだ?』
コメント欄では、隼人の一貫性のないちぐはぐな外見と、昨日からの変化に様々な憶測が飛び交っていた。
だが、隼人は装備の詳細やセットアップの意図を、言葉で事細かに説明するような真似はしなかった。
「実際に見た方が早いだろ」
短くそれだけを告げ、ロングソードを構える。
昨日の自分は、剣一本と《万象の守り》、ほぼそれだけでこの暗闇に挑んでいた。
だが、今日の自分は違う。
昨日まで空いていた八つの装備枠もすべて埋まり、腰には五本のフラスコが提げられている。ステータス上には初めての攻撃スキルが登録され、最大HPは268まで引き上げられている。移動速度の補正も、攻撃を受け止めるための盾もある。
(数字は増えた。手札も揃えた)
(だが問題は、それが机上の計算通り、実戦で使い物になるかどうかだ)
隼人は冷徹に思考を切り替え、洞窟の奥へと歩みを進めた。
曲がり角の先。
昨日とほぼ同じ位置で、石を擦るような足音が聞こえた。
暗がりの中から姿を現したのは、Lv1の通常ゴブリンが二体。手に木製の棍棒を握りしめ、侵入者を見つけて甲高い奇声を上げる。
隼人の現在のステータス。
【HP:268/268】
【MP:53/53】
【Lv2:EXP 12%】
ゴブリンたちが二体並んで、狭い間隔で突進してくる。
昨日であれば、隼人はここで一旦後退し、地形を利用して一体ずつ処理する状況を作り出していたはずだ。
しかし、今日は違う。
彼は剣を構えたまま一歩も引かず、二体の間隔がさらに狭まるのを、ギリギリまで待ち構えた。
コメント欄が疑問符を浮かべる。
『何してんだ?』
『普通に斬ればいいだろ』
『いや、あえて距離を詰めさせてる?まとめようとしてるのか?』
「せっかく範囲攻撃を買ったんだ」
隼人は小さく呟き、柄を握る右手に力を込めた。
「一体ずつ、ちまちま殴る必要もないだろ」
距離が詰まる。
隼人は左足で強く岩床を踏み込み、右手のロングソードを大きく振りかぶった。
意識を、ステータスに登録された【ヘビーストライク】へと直結させる。
【MP:53 → 44】
消費されたMPが魔素へと変換され、ロングソードの刀身に赤黒い重厚な光となって纏い付く。
隼人が剣を振り下ろす。
通常攻撃の素振りに比べ、明確に『重い』。
《万象の守り》による攻撃速度+15%の恩恵があってもなお、ヘビーストライク固有の85%という速度補正が、剣の軌道にずしりとした質量を与えていた。
(重いな)
実戦で初めて使用するスキルの感触を確かめたその直後。
赤黒い光を帯びた刃が、主対象である一体目のゴブリンの肩口から胴体にかけて、深く、容赦なく食い込んだ。
「ギャッ――」
一体目は断末魔を上げる間もなく、一撃で光の粒子となって消滅した。
だが、真の真価はここからだった。
命中した直後、その一撃の物理衝撃が周囲へと波及した。
リンクさせたサポートジェム【範囲攻撃】の効果。
主対象への224%の一撃はそのままに、半径1.4メートルの周囲へ134.4%相当のスプラッシュダメージが広がる。
主対象のすぐ横、範囲内にいた二体目のゴブリンが、その余波をまともに食らって大きく弾き飛ばされた。
即死まではしない。
だが、二体目のゴブリンは体勢を崩し、そのHPバーを大きく削り取られていた。
(範囲攻撃を付ければ全部一撃必殺、というほど甘くはないか。だが――)
十分すぎる。
二体目が体勢を立て直すよりも早く、隼人はすでに二歩目を踏み込み、再びロングソードを振りかぶっていた。
【MP:44 → 35】
二発目のヘビーストライクが、無防備な二体目の頭部へ正確に叩き込まれる。
ゴブリンが粒子となって消滅した。
ARコンタクトにシステムメッセージが流れる。
【EXP:12% → 20% → 28%】
レベルが2に上がったことで、Lv1のゴブリンから得られる経験値の進行度は、一体につき8%まで低下していた。
コメント欄が一気に沸き立つ。
『一発目エグいな!』
『おい、範囲ダメージちゃんと横の奴にも入ってたぞ』
『これAoE(範囲攻撃)リンクさせてるのか!』
『でも剣の振りは普通に重そうだったな』
『そりゃヘビーストライクだからな。むしろ、国宝手袋のAS+15%があってあの速度なら、普通の新人が使ったらもっともっさりしてるぞ』
過剰な「天才」扱いはない。買ったジェムが、想定された仕様通りに正しく機能した。それだけのことだ。
戦闘が終わり、隼人は敵のドロップ品である小さな魔石を拾い上げながら、ステータス画面に目を向けた。
現在のMPは35。
だが、洞窟を歩き、次の敵を探すために約二十秒が経過した時点で、MPは自動回復(0.9/秒)によって徐々に数字を戻していた。
【MP:35 → 53】
完全に満タンまで回復している。
「……なるほど」
隼人は腰に提げた青い液体――マナフラスコを指先で叩いた。
「雑魚戦の間隔がこれくらい空くなら、毎回フラスコを切る必要はないな」
フラスコは常用するものではなく、戦闘の密度が上がり、自然回復が追いつかなくなった時に切るための『緊急用の札』だ。実戦を通して、その運用感覚を掴む。
次の区画でも、Lv1のゴブリンが二体現れた。
今度はもう、戦術をあれこれと試す必要はなかった。
一体目へヘビーストライク。二体目へスプラッシュダメージ。
即座に追撃のヘビーストライク。
【MP:53 → 44 → 35】
【EXP:28% → 36% → 44%】
二振りで、二体のゴブリンが消し飛ぶ。
危なげない、完全な処理。
『もう普通に狩れてるな』
『昨日の一体ずつ時間かけてたのとは大違いだ』
『完全に作業になってるw』
その後も、隼人は無駄な戦闘は避けつつ、立ち塞がる通常ゴブリンを処理しながら洞窟の奥へと進んでいった。
ボス部屋に到達するまでの間に、MPは再び自然回復で満タンの53まで戻っていた。HPは268の無傷。フラスコも五枠すべてが未使用でチャージ満タン。
EXPは44%。
そして、昨日撤退した、あの広間の入り口へと到達した。
隼人は足を止め、暗がりの奥を凝視する。
奥行き二十メートル、横幅十五メートルのドーム状の空間。
最奥の祭壇には、ゴブリン・シャーマン。
その手前には、前衛として立ち塞がる通常ゴブリンが六体。
構成は、昨日と全く同じだ。
【ゴブリン・シャーマン】
Lv3 / F級ボス
視聴者カウンターが、一気に330人を超えて跳ね上がる。
『昨日の部屋だ!』
『取り巻き六体いるぞ』
『昨日はここで帰ったよな。逃げたJOKER』
『今度はどうする?』
『盾買ったからって、流石に六対一は無理じゃね?』
『いや、範囲攻撃買ってるなら、試す気満々だろ』
コメントが様々な憶測を呼ぶ中、隼人は静かにロングソードの柄を握り直した。
「昨日と全く同じ盤面か」
隼人は、微かに口角を上げる。
「比較しやすくて助かる」
それは「楽勝だ」という慢心ではない。検証の条件が昨日と完全に同一であることへの、ギャンブラーとしての純粋な喜びだった。
隼人が広間へ一歩足を踏み入れた瞬間、六体のゴブリンが一斉にこちらを向き、最奥のシャーマンが杖を掲げた。
杖の先端に魔素が集束し、赤熱する火球が形成される。
シャーマンが杖を振り下ろす。
昨日と全く同じ、第一射の火球が、一直線に隼人へと飛来した。
隼人は、昨日とは違い、無理に大きく回避しようとはしなかった。
身体をわずかに半身にするだけ。
火球が隼人の肩に直撃する寸前、《万象の守り》の能力が発動し、不可視の防御膜が炎を弾き飛ばした。
轟音と共に炎が炸裂し、熱風が吹き抜ける。
【HP:268/268】
変化なし。
『やっぱ火球ゼロダメだ!』
『耐性手袋インチキすぎるだろw』
『でもあの火球に限っては、だぞ。全部の魔法に通用すると思うなよ』
ベテランの忠告が流れる。隼人も小さく頷いた。
「分かってる」
魔法の出力が自動防御の閾値を超えれば、普通にダメージは通る。今のF級ボスだから防げているだけだ。
火球の爆発を合図にしたかのように、六体のゴブリンが一斉に奇声を上げて突進してきた。
昨日なら、隼人はここで「手札が足りない」と判断し、ポータルの巻物を切っていた。
だが、今日は違う。
隼人の意識は、腰に提げた一本のフラスコ――《水銀のフラスコ》へと向けられていた。
(発動しろ)
思考と同時に、ステータス上でフラスコのチャージが消費される。
【水銀のフラスコ:60 → 30】
システムがフラスコの効果を隼人の肉体に適用する。
6秒間、移動速度+40%。
ブーツの+8%に、胴装備と盾の各-3%が加わるため、通常時の最終補正は+2%。水銀使用中は+42%、通常の1.42倍まで跳ね上がる。
身体が、羽のように軽くなった。
「……これは、速いな」
初使用の圧倒的な加速感に一瞬だけ驚いたが、隼人の足は止まらない。
正面から六体の群れに突っ込むような愚行はしない。彼は、広間の『横方向』へと向かって、爆発的な速度で駆け出した。
六体のゴブリンたちは、知能が低いため、標的である隼人に向かって『最短距離』で追従しようとする。
隼人が横へと大きく円を描くように移動することで、扇状に広がって包囲しようとしていた六体の陣形が、徐々に崩れ始めた。
一番外側にいたゴブリンが、隼人を追うために内側へと食い込んでくる。
二体、三体と、後続のゴブリンたちが、先頭のゴブリンの背中に引っかかるようにして、一箇所へと集まり始める。
『あー、まとめてるのか』
『水銀使って位置調整してる』
『トレイン(敵をまとめる行動)の基本だな』
特別な発想ではない。探索者の範囲狩りでは、すでに知られている基本セオリーだ。
だが、それを知識として知っていることと、実戦で六体の殺意を躱しながら実行できることは別物だ。
複数のゴブリンが、半径1.4メートルの範囲内に密集した。
その瞬間。
隼人は急激にブレーキをかけ、反転すると同時に、最も先頭にいたゴブリン(①)に向かって大きく踏み込んだ。
第一撃。
【ヘビーストライク+範囲攻撃】
【MP:53 → 44】
赤黒い閃光が、先頭のゴブリン①を両断する。
主対象である①は一撃で撃破。
そして、命中地点から弾け飛んだ強烈なスプラッシュダメージが、密集していたゴブリン②と③を同時に巻き込んだ。
【EXP:44% → 52%】
一体目が光の粒子となって消える。
だが、残る五体は止まらない。
横方向から、ゴブリン④の棍棒が隼人の脇腹を狙って振り抜かれた。
完全には避けきれないタイミング。
隼人は反射的に、左腕に装備した【凹んだ鉄の丸盾】を差し出した。
ガキィン!と、硬質な音が洞窟に響く。
システム判定。
【BLOCK】
ダメージ:0。
『おっ、盾仕事した!』
『ブロック24%引いたな!』
『盾買ってなかったら普通に殴られてたぞ』
だが、隼人は喜ばなかった。
24%という確率は、四回に三回は攻撃を素通しするという意味だ。
(毎回これを期待するのは馬鹿だ。運に頼るな)
隼人は盾で防いだ反動を利用して身体を捻り、第二撃目のモーションへと移行した。
狙うのは、先ほどの範囲攻撃で負傷しているゴブリン②だ。
【MP:44 → 35】
ヘビーストライクが②の頭部を粉砕する。
②撃破。
同時に発生したスプラッシュダメージが、すでに一度巻き込まれていた③を削り切り、③も撃破。
さらに、横から攻撃を仕掛けてきた④にも、一回目の範囲ダメージが入る。
【EXP:52% → 60%(②) → 68%(③)】
一振りで、二体のゴブリンが同時に光の粒子となって消滅した。
ここで初めて、コメント欄が大きく動いた。
『二匹同時に消えた!』
『すげえ!これだよ範囲攻撃!』
『昨日、一匹ずつチクチク処理してたのが馬鹿らしく見えるなw』
ベテラン:『だから雑魚狩りにはAoE(範囲)が必須なんだよ。セオリー通りに動けてる』
JOKERが何か新しい魔法を発明したわけではない。セオリー通りの手札を、正しく切った結果だ。
だが、ここで約6秒間が経過し、水銀のフラスコの効果が切れた。
隼人の足から、爆発的な加速感が失われる。
残る敵は三体(④、⑤、⑥)。
ここから、昨日との差が少しだけ縮まり、現実が牙を剥く。
④の棍棒の振り下ろしを、隼人はステップで回避する。
しかし、それに続く⑤の横殴りの棍棒は、速度が落ちた身体では回避が間に合わず、隼人の右脇腹を強打した。
「ぐっ!」
鈍い痛み。
【HP:268 → 262】
さらに間髪入れず、⑥の棍棒が盾の防御をすり抜け、左肩を叩き打つ。
【HP:262 → 256】
昨日と同じゴブリン。だから、一撃6ダメージという計算も同じ。
どれだけHPを268まで引き上げようが、殴られれば普通にHPは削られる。完全無敵など存在しない。
だが、今の隼人には、このダメージを受け止めるだけの圧倒的なHPプール(余裕)があった。
第三撃。
位置をわずかに調整し、負傷している④を主対象に据え、⑤と⑥も範囲内に収める。
【ヘビーストライク+範囲攻撃】
【MP:35 → 26】
④撃破。⑤と⑥がスプラッシュダメージで大きく体勢を崩す。
【EXP:68% → 76%】
そして、第四撃。
崩れた⑤の脳天へ、トドメのヘビーストライク。
【MP:26 → 17】
⑤撃破。
二回目のスプラッシュダメージを受けた⑥も、同時にHPを削り切られて撃破。
【EXP:76% → 84% → 92%】
前衛の通常ゴブリン六体。
全滅。
昨日。
六体を一体ずつ処理する手段しかなく、手詰まりとなって撤退した。
そして今日。
ヘビーストライクを四回振るった。
消費したMPの合計は36。
受けたHPの損失は、わずか12。
現在のステータス。
【HP:256/268】
【MP:17/53】
【EXP:92%】
そして何より、最大の違い。
盤面にはまだ、ボスであるゴブリン・シャーマンだけが残されている。
隼人は荒くなった息を整えながら、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
ロングソードに付着した汚れを軽く振り払う。
「これなら、十分に手札になるな」
視界の隅で、フラスコのアイコンが明滅した。
通常モンスターを六体撃破したことにより、フラスコのチャージが回復したのだ。
【水銀のフラスコ:30 → 36/60】
(敵を倒した分だけ、次の手札を使うためのリソースが戻ってくるのか)
フラスコシステムの真髄。それは、戦闘を継続する限り、無限に湧き出すリソースだ。
前衛の肉の壁をすべて失ったゴブリン・シャーマンが、一瞬だけ後退るような仕草を見せた。
昨日とは逆だ。昨日は隼人が逃げた。今日はシャーマンが距離を取ろうとしている。
シャーマンは感情に揺さぶられているわけではなく、単に遠距離タイプのAIとして、接近を許した敵から距離を保とうとしているだけだ。
杖を高く掲げ、次なる火球を形成し始める。
「二本目だ」
隼人は迷わず、水銀のフラスコを再使用した。
【水銀のフラスコ:36 → 6/60】
再び6秒間、移動速度+42%の加速。
隼人は火球を正面から受けて自動防御で弾くのではなく、大きく斜め前方にステップを踏んで、火球の軌道そのものから横へ抜け出した。
(ダメージはゼロでも、爆炎で視界を塞がれるのは厄介だ。行動を読まれたくない)
昨日の学習が、実戦で確実に活きている。
シャーマンが次の火球を準備する前に、隼人は一気に距離を詰め、その懐へと潜り込んだ。
本日五回目となるヘビーストライク。
これはボスに対する、最初の一撃だ。
【MP:17 → 8】
赤黒い光を纏った刃が、シャーマンの装飾された布越しに胴体を深く斬り裂く。
シャーマンのHPゲージが、三割弱ほど一気に減少する。
特別なクリティカルヒットではない。純粋に、ヘビーストライクそのものの基礎火力が重い。
だが、ここで隼人の手が止まる。
次にもう一発ヘビーストライクを撃つための消費MPは9。
現在のMPは8。
一足りない。
隼人は即座に判断を下した。
「こっちも試しておくか」
腰に提げた青い液体、【マナフラスコ】を使用する。
【マナフラスコ:24 → 18/24】
【MP:8/53】
システムの処理が走り、3秒間でMPが50回復する効果がスタートする。
隼人は一度、水銀の加速を活かしてシャーマンから大きく距離を取った。
逃げ回るのではない。円を描くように回り込み、シャーマンが放とうとしていた次弾の火球の射線をずらすための位置取りだ。
3秒後。
【MP:53/53】
満タン。
隼人が再び距離を詰めようとした瞬間。
シャーマンが、ただ魔法を撃つだけの案山子ではないことを証明するかのように、接近してきた隼人に向かって、手に持っていたねじ曲がった杖を横薙ぎに振り回した。
隼人は咄嗟に丸盾を構えた。
だが、今回は【BLOCK】の判定が出なかった。
杖の重い一撃が盾を弾き飛ばし、隼人の肩口へ食い込む。
ボスの物理攻撃。
通常のゴブリンの棍棒とは、明確に重さが違った。
「ぐっ……!」
【HP:256 → 242】
一撃で14のダメージ。
隼人はすぐさま体勢を立て直すと、一切の躊躇なく、赤い液体の入った【ライフフラスコ】を起動した。
【ライフフラスコ:28 → 20/28】
最大HP268に対して、現在のHP242。減少分は26。
普通なら「まだ余裕があるから温存しよう」と考えるところだ。
だが、隼人はギャンブラーだ。
「保険料ってのは、使う時に惜しんで使わなきゃ、何の意味もない」
ボス戦の最中にフラスコを抱えたまま死ぬことほど、愚かな負け方はない。
フラスコの効果が発動し、3.5秒間で最大150のHP回復が始まる。
実際の回復量は減少分の26でストップし、すぐに【HP:268/268】の満タン状態へと戻った。
立ち止まってポーションを飲むような隙は生じない。ステータス上で起動した瞬間、効果が身体に適用されるからだ。
満タンのHPとMP。
隼人は再びシャーマンへと肉薄し、第二撃のヘビーストライクを叩き込んだ。
【MP:53 → 44】
シャーマンのHPが、さらに三割ほど吹き飛ぶ。大きくよろめき、杖を取り落としかける。
HPが半分を切っても、シャーマンの行動パターンに大きな変化はない。
既知の火球を、短い間隔で二連射してくる。
一発目は《万象の守り》の防御膜で受け止め、ダメージ0。
二発目は、爆発の視界不良を避けるために横へとステップして回避する。
第三撃。
【MP:44 → 35】
シャーマンのHPゲージが、残り一割強まで削り込まれる。
あと一撃。
視聴者カウンターは、いつの間にか500人を超えていた。
『いける!』
『昨日と完全に別ゲーじゃん!』
『Lv2の装備整えただけで、Fボスソロ行けるのか!』
『ジェムと装備の力すげえ』
ベテラン:『装備の力“だけ”じゃないぞ。勝てる手札を考えて、ちゃんと買い揃えて盤面を整える。それが探索者の実力だ』
シャーマンが、最後の抵抗とばかりに後退しようとする。
だが、隼人の水銀フラスコの効果はすでに切れている。現在の通常移動補正は+2%だ。
ここで安易に三本目の水銀を使うことはできない。チャージは残り6。足りない。
つまり最後は、自分の足で距離を詰めるしかない。
シャーマンが、捨て身の火球を放つ。
隼人は退かず、斜め前方へ鋭く踏み込んだ。
火球の爆発範囲の端を、強引にすり抜ける。
熱風が顔を焼き、視界が一瞬だけ真っ赤に染まる。ダメージは0。
視界は塞がれた。だが、シャーマンの立っている正確な位置は、隼人の網膜に完全に焼き付いていた。
炎の向こう側へ。
踏み込み、腰を捻り、全霊の重さを乗せて。
第四撃。
【MP:35 → 26】
赤黒い閃光が、炎を切り裂き、ゴブリン・シャーマンの胴体を完全に両断した。
一瞬の、静寂。
そして、ゴブリン・シャーマンの身体が、大量の光の粒子となって崩壊し、洞窟内に散っていった。
ARコンタクトにシステムメッセージが流れる。
【ゴブリン・シャーマンを撃破しました】
だが、これで終わりではなかった。
ボス撃破による莫大な経験値が流れ込んでくる。
Lv2から見たF級ボスのEXP進行度は+35%。
現在の92%に加算され、127%。
100%の閾値を突破し、余剰の27%が繰り越される。
その瞬間。
隼人の全身を、淡い黄金色の光が包み込んだ。
====================================
【LEVEL UP!】
神崎隼人
Lv2 → Lv3
EXP:27%
パッシブスキルポイントを1獲得しました
レベルアップに伴い、基礎HPと基礎MPが上昇する。
前回の成長幅と同じ計算が適用され、基礎HPは73から85へ。基礎MPは53から59へ。
そこに、現在の固定HP装備(万象の守り+100、その他+71)が加算され、256。
さらに、取得済みのパッシブ【最大HP上昇10%】が乗算される。
256 × 1.10 = 281.6。端数切り捨てで、281。
レベルアップの恩恵により、HPとMPが完全回復する。
【HP:281/281】
【MP:59/59】
視聴者カウンターが700人に迫る中、コメント欄が爆発した。
『勝ったあああああ!』
『レベル3おめ!!!』
『マジで昨日撤退したボス、ソロで倒しきったぞ!』
『範囲攻撃が一番仕事してたな』
『水銀でまとめてスプラッシュ。セオリー通りだけど、基本が一番強いわ』
『昨日、無理だと判断して逃げたのまで含めて、大正解だったな』
『いやでも、装備揃えたらFボスくらい普通に狩る奴もいるぞ?』
『馬鹿、こいつ登録二日目のソロだぞ?』
ベテラン:『勝ったのは見事だ。でも俺が一番評価したいのは、昨日、手札が足りないことを正確に自覚して、大人しく帰った判断力だよ』
神だの歴史的天才だのと、持ち上げるようなコメントはない。
ただ、彼の冷徹な判断と、準備の周到さが正しく評価されていた。
隼人は、剣先をゆっくりと下ろし、大きく肩の力を抜いた。
昨日。
「勝てないとは限らない。だが、今ここでやる意味がない」と判断して帰った。
今日。
情報を集め、金を使い、手札を増やし、全く同じ相手へ戻ってきた。
そして、論理的に勝った。
「……勝てたな」
隼人は、誰にも聞こえない声で小さく笑った。
『もっと喜べよw』
『反応薄すぎだろw』
コメント欄のツッコミに、隼人は配信カメラに向かって短く答えた。
「昨日より、勝てる条件を揃えて張ったんだ」
「勝ったなら、それでいい」
それ以上、飾る言葉は必要なかった。
ふと、隼人は腰に残ったままの解呪効果付きフラスコへ視線を落とした。
結局、シャーマンは呪いを一度も使わなかった。
「こっちは外れか」
だが、隼人に落胆はない。
「保険なんて、使わずに済む方がいい」
ボスを倒したことにより、フラスコのチャージが回復する。
【ライフフラスコ:20 → 28/28】
【マナフラスコ:18 → 24/24】
【水銀のフラスコ:6 → 17/60】
そして、隼人の視線は、ゴブリン・シャーマンが消滅した祭壇の前へと向けられた。
そこには、複数のアイテムが鈍い光を放ちながら転がっている。
『ドロップきたあああ!』
『ボス魔石あるぞ!』
『なんかジェムみたいなのも光ってない?』
『鑑定しろ鑑定しろ!』
『配当タイムだ!』
『何落ちた!?』
コメント欄が、本日最大の熱狂に包まれる。
隼人は一歩、祭壇へと近づいた。
地面には、ソフトボールほどの大きさの【ゴブリン・シャーマンの大魔石】、小さなノーマルジェム、クラフト通貨らしきオーブ、そして一本のワンド(杖)が転がっている。
《万象の守り》の時のような、異常な光を放つユニークアイテムは見当たらない。それでも、F級ボスの戦利品としては十分に期待できる量だった。
隼人は、一番大きな大魔石を拾い上げようと手を伸ばし――。
その直前で、ピタリと動きを止めた。
「さて」
祭壇の前にしゃがみ込み、隼人の口元がニヤリと歪む。
「勝った後は、配当の確認だな」
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!