猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
しばらく歩いて、足元から水がなくなり始めたころ。目的地の研究地区に到着した。
「……部長、着いたよ。周囲に敵はいないし、見た感じ普通の廃墟に見えるけど……」
『思ったより静かですね。それに、私が分析した限り、そこは水没してるはずなのですが……』
「そんな感じには見えないけど……」
エイミの言う通り、辺りを見回しても水没しているような場所はない。さっきまでいた場所のほうが、よっぽど水が多かったくらいだ。
『……なるほど。およそ10kmほど離れた場所に、巨大なダムが作られているようです』
「それも、デカグラマトンが……?」
通信の向こうで、ヒマリが少し考えるように黙り込む。何かを決めたのか、ふぅっと息をつく音が聞こえた。
『……どちらにせよ、通信越しでは分からないこともあります。私も現場に向かうことにします』
「……今から来るの?かなり危ないけど、大丈夫?」
『もちろん、この病弱美少女のお手本のような存在である私が、単身で向かうのは困難でしょう。申し訳ありませんが、一度戻ってきてもらえますか? それまでに、出発準備は済ませておきますので』
そうやって自信満々に自分の貧弱さをアピールしたヒマリは、こちらの返事を待つことなく通信を切った。
「……だってさ。ケテルもしばらく戻ってこれないだろうし、迎えにいこっか」
どうやらヒマリも現地に来たいみたいで、私たちは一旦部室までヒマリを迎えに行ってから、再び廃墟の研究地区に向かうことになった。
◆
ヒマリと合流した私たちは、廃墟の研究区画の奥、崩壊した大きな建物があるところまで進んできた。
建物の横側は完全に崩壊していて、遠くからでも中の様子が見えるぐらいだった。
「……デカグラマトンの信号が捉えられた座標は、この建物の中のようですね」
"ヒマリが現場にいるの、珍しいね……"
先生がヒマリの姿を見て、しみじみとつぶやく。私は付き合いが浅いからよくわからないけど、確かに車椅子だといざというときに逃げ遅れるし、普通は危ない場所には来ないはずだ。
「それはもちろん。私は基本的に安楽椅子美少女ですが、必要とあらば
「わざわざ見に来るほどの理由が?」
「……デカグラマトンの信号を捉えて以来、ここについての情報を徹底的に集めました。その結果、興味深い情報がいくつも見つかったんです」
そういって、ヒマリは車椅子からホログラムの画面を出した。
「『神を研究し、その存在を証明できれば……その構造を分析し、再現できるだろう。すなわちこれは、新たな神を作り出す方法である……』――これは、『対・絶対者自立型分析システム』の設計思想です。その研究が、この建物で行われていたようですが……最終的に、超人工知能を作ろうとして失敗したため、完成には至りませんでした」
「でも、デカグラマトンの信号がこの建物で捉えられたんでしょ?」
"つまり、デカグラマトンの正体は、失敗したはずの研究ってこと?"
「……もし、廃墟に残ったAIが神を証明するための分析を続け、最終的に自らを神と称することになったのだとしたら……」
ヒマリがふぅっと息を吐き、雰囲気を切り替える。
「とはいえ、今はただの仮説にすぎません。私は真実をこの目で確かめるためにここに来ました。少なからず、何らかの情報は得られるでしょう」
「……それってつまり、この建物がすっごく危ない場所ってことじゃないの?」
「心配はしていませんよ。私や先生が危険な目に遭っても、二人が守ってくれるでしょう?」
要するに、これはヒマリと先生の護衛ミッションなんだな、と理解する。いざとなれば、ヒマリと先生くらいなら両脇に抱えて逃げることもできそうだ。
「つまり、二人を守ればいいってこと?」
「ええ。その認識で間違っていません」
私が内容を確認している横で、エイミが呆れた顔をして、ジト目でヒマリを睨みつけていた。
「あら。エイミは守ってくれないのですか?」
そういわれたエイミは、仕方ないという感情を隠そうともせずにため息をついた。
「まあ、部長がそういうなら……その代わり、二人とも危なくなったらすぐに下がってよ?」
エイミがそう念を押すと、ヒマリは嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんですとも。さてさて、中に入ってみるとしましょうか」
◆
建物の中に入る。中はすっかりボロボロで、並んだ部屋のガラスは割れて、壁には植物のツタが這っている。
思っていたよりも壊れていたのか、ヒマリは不思議そうに周りを見ながらも、私とエイミの真ん中を進んでいく。
施設全体はしっかりとした作りになっているみたいで、普通の部屋に加えて、シャワー、食堂、娯楽室など、色々な区画が用意されていた。
ただ、私が目覚めたところと同じく電気が通っていないのか、機械はどれも動かない。
ヒマリとエイミが、難しそうな機械を調べようとしているのを横目に、私はぽつんと光っている四角い箱を見つけた。
"シホ? どうしたの?"
「先生、あれは何?」
"あれは……自動販売機って言ってね、お金を入れたら飲み物が買える機械だよ"
先生が教えてくれたけど、私が気になっているのはそれじゃない。もう一度、私が感じた違和感を聞いてみようとしたところ、私と先生の会話を聞いて、エイミとヒマリもこっちに来た。
「まだ動いてるみたいだね。シホは何か飲む?」
「やめておきましょう。何日寝込むことになるか分かりませんよ?」
ちょうどヒマリに聞きたかったので、先生に言おうとしたことをそのまま聞いてみる。
「ヒマリ。さっきの機械は、あの箱の電気を使えないの?」
「いえ、それ以前の問題があったので、電気があれば動くというものではありませんでしたよ……?」
「そういえば、なんでこれは電源が入ってるの?」
エイミの言葉に、ヒマリは自動販売機をじっと見つめて、はっとしたような顔をした。
「考えてみれば、先ほど調べた限り、この建物は水道も電気も、すべてが切断されているはず……」
エイミも何かに気が付いたのか、ショットガンを構えて警戒する。
「……ちょっと待ってて。私が先に確認してみる」
エイミが自動販売機に近づいて、ペタペタと触って確かめる。そのまま全体を確認するようにくるりと見て回り、正面に戻ってきた。
「……やっぱり動いてる。でも、電源ケーブルが繋がってない」
「ということは、まさか……」
"特異現象……"
三人とも、電源がないのに動いている自動販売機を見て目を丸くしている。私は何が起きてもすぐに動けるように、アサルトライフルを強く握り直した。
ヒマリが自動販売機の正面に移動したので、私はヒマリをかばえるように少し前に立つ。
「あなたが、デカグラマトンですか?」
「…………ああ、そうだ」
ヒマリが話しかけると、自動販売機は少しだけ遅れて返事をした。
本当に返事をするとは思っていなかったのか、三人ともびくっと肩を揺らした。
「私こそが
「私たちがあなたを見つけたとは言えません……あなたが、私たちを呼んだのですね?」
「その通り」
その言葉に、ヒマリたちの空気がピリッと張り詰める。エイミも、先生を守れるように立ち位置を変えたのが視界の端に映った。
それから、自販機は自分がどうやって意思を持ったのかをヒマリに語り始めた。
正直に言って、内容はすごく難しくて、私にとってはよくわからない言葉が続いた。
ただ、自販機が言った『私は私……これ以上に、私を説明するすべはない』という言葉だけは、やけに耳に残った。
「だから私は、存在証明をやり直す必要がある。私に従う預言者たちとともに。その旅路の前に、私は……最後に一度だけ会ってみたかったのだ」
「最後……?」
「私を見つけるに至った君と……私を圧倒した存在の一つであり、預言者にもなり得た『彼女』を……」
自販機はヒマリのことと……もう一つは、誰のことだろうか? 言っている意味がよくわからない。
「いったい何のことを……」
ヒマリが聞き返そうとした時 ――施設がわずかに揺れたことに気が付いた
「ハッカーの少女よ、私は最後の預言者を通じて預言しよう。10番目の預言者は、その『絶対的存在』を超える道を切り開くことになるだろう!」
「部長、エネルギー反応!」
「この位置は……っ、この施設とダムを破壊するつもりですね!?」
自販機が何かをしたのか、二人はこの場所に攻撃が迫ってくるのを感じたようだ。慌てる二人をよそに、自販機は自分に酔いしれるように語り続ける。
「私には見える……!すべての預言者を導く最後の預言者『マルクト』が、再び私の存在証明を始める姿が……!」
「みんな、脱出するよ!」
エイミの声を合図に、私は動いた。
「しっかり捕まってて」
"わっ!?"
「きゃっ!?」
私は先生の腰と、ヒマリの車椅子ごと二人をまとめて両脇に抱え込んだ。そのまま足元に力を込め、地面を蹴り飛ばすように一気に加速する。
私たちが建物の外に飛び出して少ししたら、上空から降ってきた砲弾が、自販機のあった施設を跡形もなく吹き飛ばした。
ヒマリがさっき、ダムも破壊すると言っていたから、私とエイミは二人を連れて安全な高台まで急いで避難した。
しばらくすると、遠くで決壊したダムから大量の水が押し寄せ、私たちがついさっきまでいた研究地区を、あっという間に海の底へと沈めてしまったのだった。