猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
特異現象捜査部とヴェリタスの合同打ち上げが終わり、シャーレに戻る道すがら。私は少しだけ薄くなってしまった財布の中身を見て、小さく息を吐いた。
大所帯でのファミレス代は、決して安いものではない。まあ、シホがあんなに嬉しそうにお子様ランチを食べていたのだから、安い出費だったと思いたい。明日から少しカップラーメン生活で節約しなければ……などと考えていると、端末にメッセージが届いた。
『先生へ。お話ししたいことがあるので、第8部室棟の教室まで来てください』
送り主はヒマリだった。こんな時間に何の話だろうと思いながら、私は指定された教室へと足を運んだ。
教室の扉を開けると、そこにはヒマリとエイミが待っていた。
「遅くに呼び出してしまい、申し訳ありません、先生」
「私も部長に呼ばれて一緒に来たんだけど……何の話?」
エイミも理由を知らされていないのか、若干訝しむような表情を見せている。部屋を見渡すが、一緒に帰ったはずのもう一人の姿がない。
"シホはどうしたの?"
「……今回は、そのシホに関するお話です。本人を呼んでいないのは、この事実を彼女に知らせるには、まだ早いと判断したためです」
ヒマリの普段のからかうような空気は一切なく、その顔は極めて真剣だった。
「もしかして、前に言ってた『シホがただの人間じゃない』って話?」
「ええ。シホが目覚めた場所で回収した記憶媒体と、今日のデカグラマトンの研究施設で収集したデータを照らし合わせた結果……彼女の正体が、『名もなき神』の遺産であることが判明しました」
"名もなき神の……遺産?"
聞き慣れない単語に、私は思わずオウム返しにつぶやく。
「名もなき神の遺産って、なに?」
「『無名の司祭』と呼ばれる存在が作り出した、旧時代のオーパーツの総称です。……と言っても、私たちに分かっているのはそれぐらいで、それが具体的にどういうものなのか、他に何があるのかなど、いまだに謎が多い存在です」
その説明を聞いて、私の頭に一人の生徒の顔が浮かんだ。廃墟で見つかったという、オーパーツの少女。
"なら、シホと近い存在って言ってた……アリスも?"
「ええ、そうです」
ヒマリは重々しく頷いた。
「アリスについての情報はまだ調査の余地がありますが、少なからず彼女も『名もなき神』の遺産であることは間違いないでしょう」
「良く分からないけど、要するに、見た目が人間と同じロボ市民ってだけでしょ? その遺産だったら何か問題でもあるの?」
エイミは別に気にしていないような意見を述べる。確かに、キヴォトスにおいてロボットの存在は珍しくない。しかし、ヒマリは静かに首を横に振った。
「ええ、それだけなら何も気にする必要はありません。問題なのは……彼女たちが生み出された『理由』についてです」
ヒマリは一度言葉を区切り、手元の端末を操作して空中にいくつかのデータを表示させた。
「彼女たちは、明確な目的があって生み出されました。具体的な機能についてはまだはっきりとした情報がないため何とも言えませんが……彼女たちは間違いなく、戦闘を目的とした『兵器』として生み出されたのです」
「……戦闘」
エイミが眉をひそめ、難しい顔をする。私も、思わず息を呑んだ。あの、純粋な目でお子様ランチの旗を見つめていた少女が、兵器。
絶対に認めたくない言葉だったが……今日の作戦で見せた、巨大な預言者すら破壊してしまいそうなほどの異常な戦闘能力を思い返すと、嫌でも納得させられてしまう自分がいた。
「……今日、デカグラマトンの研究施設で得られた情報で、さらに詳しいことが分かりました。シホとデカグラマトンは、少なからず関係があるようです」
"関係って、どういうこと?"
「デカグラマトンは、彼らがゼロから生み出そうとした『対・絶対者自律型分析システム』でした。ですが、結果としてその試みは失敗した。……なら、失敗した研究はそのまま終わったのか? 答えは否です。彼らは、その経験を生かした『次の研究』を始めました」
ヒマリの指が動き、複雑な文字列がモニターに並ぶ。
「その研究のコンセプトは、『必要な部分は自分たちで作り出して、足りないものは外から持ってくればいい』という発想です」
「足りないもの?」
「ええ。彼らが必要としたのは、激しい戦闘に耐えうる頑強な『機体』。そして、それにふさわしい『力』です。つまりシホは、戦闘用に作られた義体に、外部から取得した『神秘』を与えられた存在なのです」
"神秘を、外から……?"
「はい。そして、彼女に与えられた神秘とは……『暴力』を意味する力であることが分かっています。闘争、破壊、滅び……それら複数の意味を内包した、戦うことだけに特化した恐ろしい力です」
戦うことだけに特化した、暴力の神秘。彼女の異常なまでの戦闘への適応力は、それが理由だというのか。
「しかし、その研究もまた、失敗に終わりました。どうやったかはまるで想像もつきませんが、彼らは外部から神秘を獲得し、シホの器に与えることには成功しました。ですが……シホは目覚めなかった。予想外の結果により、研究は失敗と判断され、シホはそのまま『廃棄』扱いとなったようです」
「……ちょっと待って。失敗して廃棄されたってことは、じゃあ、なんでシホは今になって目覚めたの?」
エイミのもっともな疑問に、ヒマリは深く息を吐いた。
「それが分からないのです。何故その時に目覚めなかったのか、どうして今になって目覚めたのか……全くの謎です。ただ分かっているのは、廃棄された当時の彼女の識別名……それが『レイヴン』だったということです。そして奇妙なことに、彼女自身もその言葉を自分の名前だと言っていました。これには少なからず、何かしらの関係があるとみて良いでしょう」
ヒマリはモニターの電源を落とし、静かに私とエイミを見つめた。
「そして、彼らの研究はそれだけでは終わらず、さらに次の研究が始まりました。その研究についての情報は、残念ながら今回の施設では入手できませんでしたが……ここまでくれば、彼らが次に何を生み出そうとしたのかは、大体想像がつきますね」
"……アリスだね"
「ええ。おそらく、シホの次の研究成果がアリスだったのでしょう。その結果がどうなったかは不明なので、それらの情報は今後も収集を続けます」
ヒマリは話を締めくくり、教室に重たい沈黙が落ちる。
戦うためだけに作られ、失敗作として打ち捨てられた少女。キヴォトスの外から持ち込まれたかもしれない、暴力と闘争の神秘。
それでも。
"……話してくれてありがとう、ヒマリ"
私はゆっくりと口を開き、ヒマリとエイミを真っ直ぐに見つめ返した。
"兵器として作られたとか、恐ろしい力だとか、そういうのは関係ない。シホは、私のかわいい生徒だよ。それは、アリスも同じだ。大人の勝手な都合で生み出されたのなら、なおさら……私が、あの子たちの責任を持つよ"
私の言葉に、ヒマリは少しだけ目を丸くした後、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……ええ。先生なら、そう言ってくださると思っていました。私も、うちの可愛い後輩を、ただの兵器だなんて見なすつもりはありませんからね」
「……私も。シホはもう、私たちの仲間だからね」
エイミも小さく頷く。私たちの中で、一つの意思が固まった。しかし、横で聞いていたエイミが、はっとした表情をして首をかしげた。
「……でも、それだけ重要な情報なら、リオ会長には報告しなくていいの?」
その瞬間、ヒマリの表情がサッと険しいものに変わった。
「……いえ、さすがにこれほどの情報は隠さずに報告するつもりですよ。ただ、何の準備もなくこのことをリオに報告した途端、彼女がシホをどのように扱うかなんて、考えるまでもなく分かることです。シホを守るためにも、先生とエイミの協力が必要になってくる可能性を踏まえて、今日の場を設けさせてもらいました」
"……リオ会長だっけ。そういえば、今日の調査が終わった後にも言ってたね"
私が彼女のことを尋ねると、ヒマリは冷たい声でこき下ろし始めた。
「調月リオ。ミレニアムの生徒会長にして、セミナーのトップです。目的のためなら手段を選ばない、実に唾棄すべき性格の持ち主ですよ。下水道を流れる汚水のような女です。先生が気にかける必要は微塵もありません」
ヒマリの、普段の余裕からは想像もつかないほど刺々しい態度に、私は思わず苦笑してしまった。
「先生、引かないであげて。部長はリオ会長のことが大嫌いだから、なんでも大好きな下水道に例えて表現するだけだよ」
「そんなことありません! いいですか、私は下水なんてこれっぽっちも好きではありませんよ!」
エイミの淡々としたズレたツッコミに、ヒマリが慌てて反論する。
"わかったわかった。とりあえず話が進まないから落ち着いて"
「……コホン。了承しました。ただ、下水道好きだけは明確に否定しておきます」
ヒマリはわざとらしく咳払いをして、気を取り直すようにホログラムの画面を閉じた。
「とにかく、シホについては、当面この特異現象捜査部で預かることが決まっています。正体は判明しましたが、本人に私たちへ危害を加える気はないようですし……多少無茶はしますが、指示もきちんと聞くいい子です。引き続きデカグラマトンの調査に協力してもらいつつ、いずれはミレニアムで普通の生徒として過ごしてもらうようにしましょう」
"あれ、シホは普通の生徒じゃないの?"
私が疑問を口にすると、ヒマリは車椅子の上で小さく肩をすくめた。
「学籍は私が裏で用意したので、正確に言えば生徒ではあります。ですが、彼女にはキヴォトスでの常識が致命的に欠けています。まずはそちらの教育が済んでからでないと、普通の授業を受けることすらままならないでしょう」
"確かに、まだ来たばっかりだもんね。それなら、私にできることがあればいつでも手伝うよ"
「ふふっ。その時はお願いしますね、先生」
ヒマリは優雅に微笑むと、車椅子を少しだけ動かした。
「では、今日の報告はこれで終わりにさせてもらいます。デカグラマトンについては今のところ何の手がかりもないため、当面は私たちの方だけで調査を進めていくつもりです。また先生のお力が必要になった際には、お声掛けさせていただきますね」
ヒマリのその言葉に頷き、私たちは教室を後にした。