猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

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三十五話:シホの一日 ~明日の約束~

「アリスは、栗鉄がやりたいです!」

 

アリスが両手でゲームの箱を高く持ち上げた。箱には、電車とサイコロの絵が描いてある。

 

「えー、栗鉄? この人数で今から始めたら、すっごく時間かかっちゃうよ」

 

「設定年数にもよるけど、私は別のゲームのほうがいいかなって……」

 

モモイが口をとがらせて、ミドリが小さくため息をつく。

 

"栗鉄はちょっと……今日はヒマリとエイミもいるし、別のゲームにしない?"

 

先生まで、困ったように笑って首を振った。

みんながそろって止めるゲーム。どんなものなのか、少し気になった。

 

「それって、どんなゲーム?」

 

私が聞くと、アリスの顔がぱっと明るくなった。

 

「電車でキヴォトス中を旅して、駅のお店を買って、一番お金を稼いだ人が勝ちのゲームです! サイコロを振って進みます!」

 

「あと、他の人の邪魔をするカードもあるし、ずーっと後ろについてきて悪いことばっかりする、めっちゃ嫌なキャラもいるんだよ」

 

「だから、楽しいんですけど、遊んだ後は仲が悪くなりやすいんです。友情を壊すゲーム、ってよく言われてて……」

 

モモイとミドリが、続けて教えてくれた。友達同士で、お金と場所を取り合う。相手の邪魔をして、自分だけ得をする。

……それは、ルビコンの企業と同じだと思う。

 

「わかった。みんながやめた方がいいって言うなら、やめた方がいい」

 

「そんなぁ……」

 

アリスの肩が、がっくりと落ちた。

 

そういえば、前にこのゲームで遊ぼうとしたときは、モモイの古いゲーム機が勝手に動き出して、立っていられないほどの頭痛とめまいがした。

もしかしてと思って、私はそっと耳をすませてみる。でも、何も聞こえない。

 

どうやら、このゲームのせいじゃないみたいだ。

 

「アリスちゃん、栗鉄はまた今度、時間があるときにやろう? ね?」

 

「……わかりました。栗鉄は、次のクエストのために取っておきます!」

 

ミドリになだめられて、アリスはこくりとうなずいた。すぐに元気が戻るところが、彼女らしいと思う。

 

「じゃあ、これだけ人数いるんだし、スマッシュシスターズでしょ! 交代でやれば全員遊べるし!」

 

モモイがゲーム機の電源を入れて、コントローラーを配りはじめた。

私はそのコントローラーを受け取る前に、部屋の隅にあるロッカーを見た。

 

ロッカーの中から、息をひそめている気配がする。前に来たときも、同じ場所から同じ気配がした。

 

私はコントローラーを受け取らずに、ロッカーの前まで歩いていって、扉を軽くたたく。

 

「ユズ。一緒に遊ばないの?」

 

「ひゃっ……!」

 

中から、何かにぶつかる音がした。

 

「あ、あの……わ、私は、いい、です……。今日は、人が、たくさんいるので……」

 

声がだんだん小さくなっていく。

無理に引っぱり出すのは、たぶん違う。でも、このまま戻るのも、なんだか違う気がした。

 

「ユズとも、また戦いたい」

 

「そうだよユズ! せっかくシホが誘ってくれてるんだからさ!」

 

「ユズ! パーティーメンバーがそろわないと、ボスには挑めません!」

 

モモイとアリスも、ロッカーのまわりに集まってきた。

しばらく静かになったあと、扉がほんの少しだけ開いた。すき間から、ユズの目がこっちをのぞいている。その手には、もうコントローラーが握られていた。

 

「……じゃ、じゃあ……少し、だけ……」

 

「ふふっ。人見知りの後輩を、自分から誘い出すなんて。シホも立派になりましたね」

 

後ろで、ヒマリが楽しそうに笑っていた。

 

それからは、みんなで交代しながら何回も遊んだ。

 

モモイは一番大きな声で叫びながら、一番たくさん画面の外に飛んでいった。ミドリはそれに「お姉ちゃん、また同じ落ち方してる」とつっこみながら、しっかり勝ちを取っていく。

アリスは大きな剣を持ったキャラクターを選んで、「光よ!」と叫びながら必殺技ばかり狙っていた。当たった相手は、一気に画面の端まで飛んでいく。

 

「なるほど。このキャラクターの攻撃の出の早さ、ガードの後のすき……すべて把握しました。天才的な頭脳を持つこの私にかかれば――あっ」

 

ヒマリは、何が起きているのかは全部わかっているのに、指が追いつかないみたいだった。画面の外に飛ばされるたびに、目に見えてしょんぼりしていた。

 

「……ここ、人が多いから暑い」

 

エイミは端の方で、ほとんど動かないように立ち回っていた。近づいてきた相手だけを、的確に撃墜しようとしている。すごく、エイミらしい戦い方だと思う。

 

"よし、今度こそ……あっ、待って、そこから来るの!?"

 

先生は、何回やっても最初に落ちていた。そのたびにモモイが大笑いして、先生も一緒に笑っていた。

ユズは最初、ずっと部屋の隅で小さくなっていたけど、順番が回ってくるうちに、少しずつ前に出てくるようになった。

 

私は、自分の番じゃないとき、みんなの顔を見ていた。

誰かが落ちると、誰かが笑う。誰かが勝つと、みんなが騒ぐ。負けても、誰も怒らない。「もう一回!」と言えば、すぐに次が始まる。

 

胸の奥が、ムズムズする。でも、嫌な感じじゃなかった。

 

   ◆

 

窓の外が、すっかり暗くなったころ。

 

「よーし! じゃあ最後は、やっぱりシホとユズの対決でしょ!」

 

モモイが言うと、みんながテレビの前に集まってきた。

ユズは少しだけ肩をびくっとさせたけど、逃げなかった。コントローラーを握りなおして、画面をまっすぐに見る。

その目つきが、変わった。前に戦ったときと同じ目だ。

 

「……手加減は、しません」

 

「いらない」

 

そうして、二人の試合が始まる。

 

前に戦ったときに覚えたユズの動きを、私はまねして使った。ユズはそれを、最初の一回で見抜いてくる。逆に、ユズが前と同じ攻め方をしてきたところを、私が読んで返す。

相手がこう動くなら、こっちはこう動く。こっちがそう動くなら、相手は――。

頭の中で計算しながら、指を動かす。ルビコンで、強い相手と戦っていたときと同じだ。

 

でも、あのときとは違うことがある。

 

「いけー! シホ、そこだー!」

 

「ユズちゃん、がんばって!」

 

「二人とも、すごいです! 伝説の勇者どうしの戦いです!」

 

後ろから聞こえる声が、うるさい。でも、少しもじゃまにならなかった。

 

お互いに、残機が最後の一機になった。

ユズのキャラクターが、崖のはしで一瞬止まる。ユズはよくそこから上に飛んでいた。私はそれを読んで、先に上へ攻撃を置く。

 

――でも、ユズは飛ばなかった。

 

低く下からもぐりこまれて、私のキャラクターが画面の外へ飛んでいく。

 

「……負けた」

 

私がつぶやくと、部屋の中が一気にわっと騒がしくなった。

 

「すっごーい! 前よりずっと接戦だったじゃん!」

 

「最後の読み合い、すごかったです……!」

 

「パンパカパーン! ユズの勝利です! でも、シホもすごく強くなってます!」

 

ユズはコントローラーを胸に抱えて、ほっと息をついていた。目つきが、いつものユズに戻っている。

 

「シホ、さん……前より、ずっと、強くなってました。最後、少し、危なかったです……」

 

「……次こそ、勝つ」

 

「……はい。また、やりましょう」

 

ユズが、小さく笑った。それを見て、胸の奥がまた、ムズムズした。

 

   ◆

 

ゲーム開発部の部室を出るころには、外はもう真っ暗になっていた。

 

「では、私とエイミは宿舎に戻りますね。先生、シホのことをよろしくお願いします」

 

建物の前で、ヒマリが車椅子を止めて言った。

 

「ふふっ。この超天才清楚系病弱美少女ハッカーがいない夜道は、さぞ寂しいでしょうけれど――」

 

「部長、行くよ。先生、シホ。また明日」

 

「あっ、エイミ、まだ話の途中で……」

 

ヒマリの言葉を最後まで聞かずに、エイミがさっさと歩き出す。ヒマリの車椅子が、そのあとを慌てて追いかけていった。

 

"じゃあ、私たちも行こうか"

 

「うん」

 

私は先生と並んで、部室に向かって歩き出した。

 

夜のミレニアムは明るい。

建物の窓にも、道のわきにも、たくさんの明かりがついている。遠くに見えるサンクトゥムタワーは、上の方が青く光っていた。

 

コンビニの前で、制服を着た生徒たちが何人か集まって、何かを食べながら笑っている。……エンジェル24。私が一日でクビになった店だ。

その向こうでは、配達のドローンが荷物をぶら下げて、ゆっくり飛んでいく。大きな紙袋を両手に抱えた生徒が、急ぎ足で歩いていく。

 

"今日は楽しかった?"

 

「……うん。たぶん」

 

"そっか。多分でも、楽しいと思えたならそれで十分だよ"

 

先生が少し笑った。

 

道が少し高いところに出て、下に街が広がって見える場所に来た。

手すりのそばで、二人の生徒が携帯端末を夜の街に向けていた。写真を撮っているらしい。

 

「ねえ、見てこれ。すっごくきれいに撮れた」

 

「ほんとだ! ねえ、明日は別のところで一緒に撮ろうよ」

 

「もちろん、約束ね!」

 

二人は画面をのぞきこんで、楽しそうに笑っていた。

 

私は、足を止めていた。

 

――ルビコンにも、こんな人たちがいたのかもしれない。

 

友達と笑い合ったり、きれいな景色を一緒に見たり。「また明日も」って約束をしたり。

誰かがずっと大事に覚えている景色や、楽しかった日が、あったのかもしれない。

 

私は、そういうものを見たことがない。

私が知っているルビコンは、冷たい雪と、錆びた鉄と、壊れた建物と、戦場だけだった。

 

でも、私が見たことがないだけで、きっとあったんだと思う。

ここにあるものと、同じようなものが。

 

それを、私が全部燃やした。

 

……私は、ここで何をしているんだろう。

 

ゲームで遊んで、おいしいご飯を食べて、先生に褒めてもらって。

ウォルターが最後に残してくれた言葉のとおりに、自分の「可能性」を探している。

 

全部燃やした、私が。

 

胸の中が、急にからっぽになった気がした。

さっきまでのムズムズが、どこにも見つからない。

 

《―――――》

 

耳の奥で、何度目かになる耳鳴りが小さく鳴った。

私は、それをまた聞こえないふりをした。

 

"シホ?"

 

先生の声で、はっとして振り向いた。

先生が、少し先で立ち止まって、こっちを見ていた。

 

「……なんでもない。大丈夫」

 

私は街から目をそらして、また歩き出した。

先生はしばらく私の顔を見ていたけど、何も聞かなかった。

 

"……そっか"

 

それだけ言って、先生は私の横に並んだ。

さっきより、歩くのが少しゆっくりになっていた。私に合わせてくれているんだと、なんとなくわかった。

 

   ◆

 

部室に着くと、中は真っ暗で、しんとしていた。

ヒマリもエイミもいない。いつもより、ずっと静かだ。

 

"おやすみ、シホ。また明日ね"

 

「……おやすみ、先生」

 

先生が帰っていく足音が、だんだん遠くなって、聞こえなくなった。

 

私は奥の部屋に入って、ベッドに横になった。

枕のそばには、先生とゲームセンターで取った白い鳥のぬいぐるみがある。私はそれを、両手で抱えた。

 

目を閉じると、まぶたの裏でキヴォトスの明かりがゆらゆら揺れていた。

コンビニの前の笑い声。写真を撮っていた二人。「明日も一緒に」という約束。

 

その明かりが、いつの間にか、赤い色に変わっていくような気がして――。

 

私は、ぬいぐるみを抱く腕に、ぎゅっと力をこめた。

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