猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
「アリスは、栗鉄がやりたいです!」
アリスが両手でゲームの箱を高く持ち上げた。箱には、電車とサイコロの絵が描いてある。
「えー、栗鉄? この人数で今から始めたら、すっごく時間かかっちゃうよ」
「設定年数にもよるけど、私は別のゲームのほうがいいかなって……」
モモイが口をとがらせて、ミドリが小さくため息をつく。
"栗鉄はちょっと……今日はヒマリとエイミもいるし、別のゲームにしない?"
先生まで、困ったように笑って首を振った。
みんながそろって止めるゲーム。どんなものなのか、少し気になった。
「それって、どんなゲーム?」
私が聞くと、アリスの顔がぱっと明るくなった。
「電車でキヴォトス中を旅して、駅のお店を買って、一番お金を稼いだ人が勝ちのゲームです! サイコロを振って進みます!」
「あと、他の人の邪魔をするカードもあるし、ずーっと後ろについてきて悪いことばっかりする、めっちゃ嫌なキャラもいるんだよ」
「だから、楽しいんですけど、遊んだ後は仲が悪くなりやすいんです。友情を壊すゲーム、ってよく言われてて……」
モモイとミドリが、続けて教えてくれた。友達同士で、お金と場所を取り合う。相手の邪魔をして、自分だけ得をする。
……それは、ルビコンの企業と同じだと思う。
「わかった。みんながやめた方がいいって言うなら、やめた方がいい」
「そんなぁ……」
アリスの肩が、がっくりと落ちた。
そういえば、前にこのゲームで遊ぼうとしたときは、モモイの古いゲーム機が勝手に動き出して、立っていられないほどの頭痛とめまいがした。
もしかしてと思って、私はそっと耳をすませてみる。でも、何も聞こえない。
どうやら、このゲームのせいじゃないみたいだ。
「アリスちゃん、栗鉄はまた今度、時間があるときにやろう? ね?」
「……わかりました。栗鉄は、次のクエストのために取っておきます!」
ミドリになだめられて、アリスはこくりとうなずいた。すぐに元気が戻るところが、彼女らしいと思う。
「じゃあ、これだけ人数いるんだし、スマッシュシスターズでしょ! 交代でやれば全員遊べるし!」
モモイがゲーム機の電源を入れて、コントローラーを配りはじめた。
私はそのコントローラーを受け取る前に、部屋の隅にあるロッカーを見た。
ロッカーの中から、息をひそめている気配がする。前に来たときも、同じ場所から同じ気配がした。
私はコントローラーを受け取らずに、ロッカーの前まで歩いていって、扉を軽くたたく。
「ユズ。一緒に遊ばないの?」
「ひゃっ……!」
中から、何かにぶつかる音がした。
「あ、あの……わ、私は、いい、です……。今日は、人が、たくさんいるので……」
声がだんだん小さくなっていく。
無理に引っぱり出すのは、たぶん違う。でも、このまま戻るのも、なんだか違う気がした。
「ユズとも、また戦いたい」
「そうだよユズ! せっかくシホが誘ってくれてるんだからさ!」
「ユズ! パーティーメンバーがそろわないと、ボスには挑めません!」
モモイとアリスも、ロッカーのまわりに集まってきた。
しばらく静かになったあと、扉がほんの少しだけ開いた。すき間から、ユズの目がこっちをのぞいている。その手には、もうコントローラーが握られていた。
「……じゃ、じゃあ……少し、だけ……」
「ふふっ。人見知りの後輩を、自分から誘い出すなんて。シホも立派になりましたね」
後ろで、ヒマリが楽しそうに笑っていた。
それからは、みんなで交代しながら何回も遊んだ。
モモイは一番大きな声で叫びながら、一番たくさん画面の外に飛んでいった。ミドリはそれに「お姉ちゃん、また同じ落ち方してる」とつっこみながら、しっかり勝ちを取っていく。
アリスは大きな剣を持ったキャラクターを選んで、「光よ!」と叫びながら必殺技ばかり狙っていた。当たった相手は、一気に画面の端まで飛んでいく。
「なるほど。このキャラクターの攻撃の出の早さ、ガードの後のすき……すべて把握しました。天才的な頭脳を持つこの私にかかれば――あっ」
ヒマリは、何が起きているのかは全部わかっているのに、指が追いつかないみたいだった。画面の外に飛ばされるたびに、目に見えてしょんぼりしていた。
「……ここ、人が多いから暑い」
エイミは端の方で、ほとんど動かないように立ち回っていた。近づいてきた相手だけを、的確に撃墜しようとしている。すごく、エイミらしい戦い方だと思う。
"よし、今度こそ……あっ、待って、そこから来るの!?"
先生は、何回やっても最初に落ちていた。そのたびにモモイが大笑いして、先生も一緒に笑っていた。
ユズは最初、ずっと部屋の隅で小さくなっていたけど、順番が回ってくるうちに、少しずつ前に出てくるようになった。
私は、自分の番じゃないとき、みんなの顔を見ていた。
誰かが落ちると、誰かが笑う。誰かが勝つと、みんなが騒ぐ。負けても、誰も怒らない。「もう一回!」と言えば、すぐに次が始まる。
胸の奥が、ムズムズする。でも、嫌な感じじゃなかった。
◆
窓の外が、すっかり暗くなったころ。
「よーし! じゃあ最後は、やっぱりシホとユズの対決でしょ!」
モモイが言うと、みんながテレビの前に集まってきた。
ユズは少しだけ肩をびくっとさせたけど、逃げなかった。コントローラーを握りなおして、画面をまっすぐに見る。
その目つきが、変わった。前に戦ったときと同じ目だ。
「……手加減は、しません」
「いらない」
そうして、二人の試合が始まる。
前に戦ったときに覚えたユズの動きを、私はまねして使った。ユズはそれを、最初の一回で見抜いてくる。逆に、ユズが前と同じ攻め方をしてきたところを、私が読んで返す。
相手がこう動くなら、こっちはこう動く。こっちがそう動くなら、相手は――。
頭の中で計算しながら、指を動かす。ルビコンで、強い相手と戦っていたときと同じだ。
でも、あのときとは違うことがある。
「いけー! シホ、そこだー!」
「ユズちゃん、がんばって!」
「二人とも、すごいです! 伝説の勇者どうしの戦いです!」
後ろから聞こえる声が、うるさい。でも、少しもじゃまにならなかった。
お互いに、残機が最後の一機になった。
ユズのキャラクターが、崖のはしで一瞬止まる。ユズはよくそこから上に飛んでいた。私はそれを読んで、先に上へ攻撃を置く。
――でも、ユズは飛ばなかった。
低く下からもぐりこまれて、私のキャラクターが画面の外へ飛んでいく。
「……負けた」
私がつぶやくと、部屋の中が一気にわっと騒がしくなった。
「すっごーい! 前よりずっと接戦だったじゃん!」
「最後の読み合い、すごかったです……!」
「パンパカパーン! ユズの勝利です! でも、シホもすごく強くなってます!」
ユズはコントローラーを胸に抱えて、ほっと息をついていた。目つきが、いつものユズに戻っている。
「シホ、さん……前より、ずっと、強くなってました。最後、少し、危なかったです……」
「……次こそ、勝つ」
「……はい。また、やりましょう」
ユズが、小さく笑った。それを見て、胸の奥がまた、ムズムズした。
◆
ゲーム開発部の部室を出るころには、外はもう真っ暗になっていた。
「では、私とエイミは宿舎に戻りますね。先生、シホのことをよろしくお願いします」
建物の前で、ヒマリが車椅子を止めて言った。
「ふふっ。この超天才清楚系病弱美少女ハッカーがいない夜道は、さぞ寂しいでしょうけれど――」
「部長、行くよ。先生、シホ。また明日」
「あっ、エイミ、まだ話の途中で……」
ヒマリの言葉を最後まで聞かずに、エイミがさっさと歩き出す。ヒマリの車椅子が、そのあとを慌てて追いかけていった。
"じゃあ、私たちも行こうか"
「うん」
私は先生と並んで、部室に向かって歩き出した。
夜のミレニアムは明るい。
建物の窓にも、道のわきにも、たくさんの明かりがついている。遠くに見えるサンクトゥムタワーは、上の方が青く光っていた。
コンビニの前で、制服を着た生徒たちが何人か集まって、何かを食べながら笑っている。……エンジェル24。私が一日でクビになった店だ。
その向こうでは、配達のドローンが荷物をぶら下げて、ゆっくり飛んでいく。大きな紙袋を両手に抱えた生徒が、急ぎ足で歩いていく。
"今日は楽しかった?"
「……うん。たぶん」
"そっか。多分でも、楽しいと思えたならそれで十分だよ"
先生が少し笑った。
道が少し高いところに出て、下に街が広がって見える場所に来た。
手すりのそばで、二人の生徒が携帯端末を夜の街に向けていた。写真を撮っているらしい。
「ねえ、見てこれ。すっごくきれいに撮れた」
「ほんとだ! ねえ、明日は別のところで一緒に撮ろうよ」
「もちろん、約束ね!」
二人は画面をのぞきこんで、楽しそうに笑っていた。
私は、足を止めていた。
――ルビコンにも、こんな人たちがいたのかもしれない。
友達と笑い合ったり、きれいな景色を一緒に見たり。「また明日も」って約束をしたり。
誰かがずっと大事に覚えている景色や、楽しかった日が、あったのかもしれない。
私は、そういうものを見たことがない。
私が知っているルビコンは、冷たい雪と、錆びた鉄と、壊れた建物と、戦場だけだった。
でも、私が見たことがないだけで、きっとあったんだと思う。
ここにあるものと、同じようなものが。
それを、私が全部燃やした。
……私は、ここで何をしているんだろう。
ゲームで遊んで、おいしいご飯を食べて、先生に褒めてもらって。
ウォルターが最後に残してくれた言葉のとおりに、自分の「可能性」を探している。
全部燃やした、私が。
胸の中が、急にからっぽになった気がした。
さっきまでのムズムズが、どこにも見つからない。
《―――――》
耳の奥で、何度目かになる耳鳴りが小さく鳴った。
私は、それをまた聞こえないふりをした。
"シホ?"
先生の声で、はっとして振り向いた。
先生が、少し先で立ち止まって、こっちを見ていた。
「……なんでもない。大丈夫」
私は街から目をそらして、また歩き出した。
先生はしばらく私の顔を見ていたけど、何も聞かなかった。
"……そっか"
それだけ言って、先生は私の横に並んだ。
さっきより、歩くのが少しゆっくりになっていた。私に合わせてくれているんだと、なんとなくわかった。
◆
部室に着くと、中は真っ暗で、しんとしていた。
ヒマリもエイミもいない。いつもより、ずっと静かだ。
"おやすみ、シホ。また明日ね"
「……おやすみ、先生」
先生が帰っていく足音が、だんだん遠くなって、聞こえなくなった。
私は奥の部屋に入って、ベッドに横になった。
枕のそばには、先生とゲームセンターで取った白い鳥のぬいぐるみがある。私はそれを、両手で抱えた。
目を閉じると、まぶたの裏でキヴォトスの明かりがゆらゆら揺れていた。
コンビニの前の笑い声。写真を撮っていた二人。「明日も一緒に」という約束。
その明かりが、いつの間にか、赤い色に変わっていくような気がして――。
私は、ぬいぐるみを抱く腕に、ぎゅっと力をこめた。