猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
目を開けたとき、最初に見えたのは、赤い色だった。
空が赤い。建物が赤い。道のあちこちで、火がぱちぱちと音を立てている。灰が雪みたいに降っている。
目に入るものすべてが、燃えていた。
私は、そんな燃えている街の真ん中に立っていた。
まわりを見ても、敵の姿は無い。爆発音や銃声も聞こえない。聞こえるのは、火が燃える音と何かが崩れる音だけ。
ふと、焼けて黒くなった看板に目を向けると、そこには見覚えのあるマークがついていた。
それだけじゃない。よく見ると道の形にも、建物の並び方にも見覚えがある。
……ここは、ミレニアムだ。
「ヒマリ……エイミ……!」
そのことに気が付いた瞬間、私は走り出していた。
特異現象捜査部の部室は、ここからすぐ近くだった。
だけど、そこにはもう部室と呼べるものは残っていなかった。
壁は崩れ天井は落ちて、中は瓦礫と灰でいっぱいだった。ヒマリがいつも座っていた机も、エイミがエアコンの温度で文句を言っていた部屋も、私が寝ている部屋も。全部、ぐちゃぐちゃになっていた。
私は瓦礫をどけて、中を見て回る。
「ヒマリ! エイミ!」
私がいくら呼び掛けても、返事は無い。
車椅子も、ショットガンも、二人がいた跡は、どこにも見つからなかった。
二人がここにいないのが、良いのか悪いのかわからなかった。
何が起きたのか、調べないといけない。とにかく、二人を探さなければ。
次に行く場所は、一つしか思いつかなかった。
ゲーム開発部までの道は、昨日の夜、先生と歩いた道と同じだった。
コンビニの前を通る。
エンジェル24の看板は半分に割れて、地面に落ちていた。
窓ガラスは全部割れていて、中の棚が倒れている。昨日、生徒たちが何かを食べながら笑っていた場所には、灰が積もっているだけだった。
道が少し高くなって、下に街が広がって見える場所に出る。
昨日、二人の生徒が写真を撮っていた手すりは、ぐにゃりと曲がっていた。
そこから見える街は、昨日と同じ形をしていた。
でも、窓の明かりは一つもついていない。代わりに、あちこちで火が燃えている。遠くの大きな塔は、上の方が折れて、黒い煙を吐いていた。
――明日は別のところで一緒に撮ろうよ――
昨日の声が耳の奥に残っている。あの二人は、どうなったんだろう。
私は手すりから目をそらして、また走った。
記憶をたよりに走って、たどり着いたゲーム開発部の建物は、もう建物の形をしていなかった。
大きな瓦礫の山が、そこにあるだけだった。
どこが入り口だったのか、どこがゲーム開発部の部室だったのか。いくら探してもわからない。
モモイも、ミドリも、ユズも、アリスも。誰の声も聞こえない。
なんで、こんなことになったんだろう。
昨日まで、みんな笑っていた。誰かがやられると誰かが笑って、「もう一回」と言えば、すぐに次が始まっていた。それが、どうして。
そのとき、瓦礫の山のてっぺんに人影が見えた。
人影が見えた瞬間、私は瓦礫を蹴って一気にそっちへ近づいた。
その姿が、はっきり見えてくる。
白い髪。白い犬の耳。赤い球と、それを囲うような輪のヘイロー。
私と同じ姿……私と同じ顔をした誰かが、そこに立っていた。
ただ、目の色だけが私と違って、赤く染まっていた。
あの目を、私は見たことがある。
モモイのゲーム機が勝手に動いたとき、うずくまる私に、まるで命令するみたいに私を見下ろしていたアリスの目。あれと同じ、赤い目。
―――あいつが、これをやったんだ。
あれの正体を考えるより先に、体が動いていた。
脇に手を伸ばすけど、ライフルも無ければ、パイルバンカーも無い。
だけどそんなこと関係ない。拳だけで十分だ。
瓦礫を蹴ってまっすぐ飛び込み、私の拳が赤い目の顔に届く―――
「……レイヴン」
その直前で、私の体は止まった。
「……ぇ?」
止めたんじゃない、止まってしまった。
その声を、私は知っていた。
ずっと、頭の中で聞いていた声。私を『レイヴン』と呼んで、いろんなことを教えてくれた声。
最後に、私がこの手で、燃やした声。
「エ……ア……?」
足から力が抜けて、私は瓦礫の上にしりもちをついた。
赤い目の私―――エアは、そんな私を静かに見下ろしていた。
「な……んで……。そんな、はずは……」
息がうまく吸えない。体が少しも動かない。
「これが、今のあなたの心の中です」
「ど、どういう、こと……?」
「……ルビコンを燃やし尽くしたこと。それが、今のあなたの一番深いところにある、ということです」
よくわからない。
エアが何を言っているのか全然わからなかった。
でも、この声は本物だ。聞き間違えるはずがない。
それに、この感じには覚えがあった。
キヴォトスに来て初めて見た夢。エアに機体を乗っ取られて、ウォルターを……殺そうとした、あの夢。あのときとよく似ている。
……じゃあ、これは夢なんだろうか。
「レイヴン。あなたに、聞きたいことがあります」
エアに話しかけられ、私の肩がびくっと跳ねた。
私はおそるおそる、エアの顔を見上げた。
エアの赤い目は、怒っているようには見えなかった。
ただ、少しだけ悲しそうな、かわいそうなものを見るような目をしていた。
「この景色は、私が見ることのできなかった……いいえ。見なくて済んだ景色、と言うべきでしょうか」
エアは、燃えている街を見回した。
「あなたは、これと同じことを、ルビコンで起こしたのです」
エアが、一歩、私の方へ近づく。
「この景色を見て……あなたは今でも、自分の選択は間違っていなかったと、言えますか?」
息が荒くなる。
汗が止まらない。背中が冷たいのに、顔だけが熱い。
……エアの言いたいことがわかった。
昨日、私が見た景色。笑っていた人たち。『明日も一緒に』という約束。
それが燃えている、この景色。これは、あのときのエアにとってのルビコンと同じなんだ。
エアがまた一歩、近づいてくる。
私は、エアの顔を見ていられなくなって目をそらした。
「わ、私……は……」
その問いかけの答えは、私の中にある。先生に『選べない』と言ったあの時も、本当は、答えは私の中にあった。
なのに、それが口から出てこない。
「……なぜ、あのとき。私の手を、取ってくれなかったのですか?」
「ぅあ……ご、ごめん……」
「謝ってほしいのでは、ないのです」
エアは、私のすぐ前で足を止めた。
「ただ、あなたの気持ちを知りたい。……教えてください、レイヴン」
すぐそこに、エアがいる。
手を伸ばせば、届くくらいの近さ。
でも、戦おうなんて少しも思えなかった。
私は膝を抱えて、小さくうずくまった。怒られるのを待っている子どもみたいに。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
ごめん、と言いたい。でも、エアは謝ってほしくないと言った。
逃げたい。でも、どこへ逃げればいいのかわからない。
エアが、こわい。エアを燃やしたのは、私なのに。
どれくらい、そうしていたのかわからない。
エアは、それから一言もしゃべらなかった。
ただそこに立って、私が何か言うのを静かに待っていた。
火の燃える音だけが、ずっと聞こえている。
「あ、あのときの……」
のどの奥から、声を押し出す。
「あのときの、選択は……! 間違って……いなかった……!」
エアが、小さく息を吐いた。
すごくがっかりしたような、ため息だった。
「……そうですか」
「っだ、だけど……!」
エアが何か言う前に、私は顔を上げた。
「エアの選択も……! ただ、しく……なかったっ……!」
エアの赤い目が、大きく開いた。
「私の手を取る選択が……間違っていた、と?」
「違うっ!」
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。
「どっちも……! どっちも、正しくないし、間違って、ない……!」
「……どういう、意味ですか?」
こんなこと、エアを殺した私が言うのはおかしいかもしれない。
息が苦しい。それでも、止まらなかった。
「エアの手を取ったら……ウォルターを、裏切ることになる。それで、私が、コーラルを守らなきゃいけなくなる。でも……アーキバスを倒しても、コーラルを狙う企業は、いなくならない。また、次が来る。その次も、来る。私がずっと戦って、ずっと守れるなら、それが一番いい。でも……」
言葉が、そこで一回止まった。
思い出したのは、あの日のことだった。
技研都市の地下。アイビスを倒した後、スネイルの不意打ちを受けて動けなくなった。機体から降ろされた私は、何もできなかった。
「私だって……無敵じゃない。負けるときも、ある。死ぬことだって、ある」
あのとき、私は負けたんだ。
「私が死んだら……その後は、誰が守るの? 私が背負うはずだったものは、誰が背負うの?」
そう言って、私はエアの赤い目を見た。
「エアなら、きっと背負ってくれる。……でも」
エアに任せられなかった理由が、口からこぼれた。
「エアは……私より、強いの?」
「それは……」
エアは、そこで言葉を止めた。
たぶん、エアもわかってるんだと思う。
「解放戦線にも、企業にも、封鎖機構にも負けなかった……私より、強いの?」
エアは、何も言わなかった。
「私より弱いなら……いつか、私みたいなのが来たとき、同じことになる。もしかしたら、もっと、ひどいことになる。そうなったとき……エアの手を取ったことが、正しかったって……私は、言えない」
言い終わったとき、エアが一歩、後ろに下がっていた。
赤い目が、少しだけ揺れていた。
視界がにじんでいた。
いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。
「エアは……それでも……それでも、私がエアの手を取るのが正しかったって、言えるの……?」
私は、すがるようにエアを見上げた。
エアは、すぐには答えなかった。
何かを言いかけて、口を閉じて。また言いかけて、閉じる。
「……ごめんなさい、レイヴン」
やっと出てきたエアの声は、少しだけ震えていた。
「その問いに……私の選択こそが正しかったと言いきる自信は、私にも、ありません」
「じゃあ……私の、選択は……」
胸の奥が、ほんの少しだけ、軽くなりかけた。
「ですがっ……!」
エアの声が、それをさえぎった。
「ですが、それでも……! それでも私は……人とコーラルの可能性を、あなたと一緒に、つかみたかった」
「なに、それ……」
エアが何を言っているのか、わからない。
正しいって言えないのに、それでも、って。
「わかんないよ……」
「レイヴン……」
「わかんないよっ!!!」
私は、思わずその場に崩れるように泣いた。
声を上げて泣いたのは、たぶん生まれて初めてだった。
エアは、しばらく何も言わなかった。
「……ごめんなさい。この話は、急いで答えを出すべきではありませんでした」
私は、顔を上げられなかった。
「また会いましょう、レイヴン」
足音も、何も聞こえなかった。
やっと顔を上げたとき、エアの姿は、降り続ける灰の中にもう見えなくなっていた。
私は、瓦礫の上にうずくまったまま、動けなかった。
先生は、迷ったときは、自分が正しいと思う選択をすればいいと言った。
だから私は、正しい選択をしなきゃいけない。
エアは、正しいと言えなくても、それでもその選択をしてほしかったと言った。
じゃあ、私の選択は正しかったのか。
この景色を作った、私の選択が?
そんなわけない。あっていいはずがない。
じゃあ、ウォルターが間違っていたのか。
……違う。ウォルターが間違っているはずがない。自分の全部をかけたウォルターの決めたことが、間違っていていいわけがない。
わからない。
いくら考えても、答えが出ない。
私の選択は、何だったんだろう。
私は、どうすればよかったんだろう。
わからない。
誰か。
誰か、教えて。
誰か―――
◆
目を開けると、暗い天井が見えた。
特異現象捜査部の、私の部屋。いつものベッドの上。
火の音も、灰も、どこにも無い。
腕の中で、白い鳥のぬいぐるみが、くしゃくしゃにつぶれていた。
ほっぺたが冷たい。触ってみると、濡れていた。
耳の奥は、しんと静かだった。