猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

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三十六話:灰の中の再会

目を開けたとき、最初に見えたのは、赤い色だった。

空が赤い。建物が赤い。道のあちこちで、火がぱちぱちと音を立てている。灰が雪みたいに降っている。

目に入るものすべてが、燃えていた。

 

私は、そんな燃えている街の真ん中に立っていた。

まわりを見ても、敵の姿は無い。爆発音や銃声も聞こえない。聞こえるのは、火が燃える音と何かが崩れる音だけ。

 

ふと、焼けて黒くなった看板に目を向けると、そこには見覚えのあるマークがついていた。

それだけじゃない。よく見ると道の形にも、建物の並び方にも見覚えがある。

 

……ここは、ミレニアムだ。

 

「ヒマリ……エイミ……!」

 

そのことに気が付いた瞬間、私は走り出していた。

 

特異現象捜査部の部室は、ここからすぐ近くだった。

だけど、そこにはもう部室と呼べるものは残っていなかった。

 

壁は崩れ天井は落ちて、中は瓦礫と灰でいっぱいだった。ヒマリがいつも座っていた机も、エイミがエアコンの温度で文句を言っていた部屋も、私が寝ている部屋も。全部、ぐちゃぐちゃになっていた。

 

私は瓦礫をどけて、中を見て回る。

 

「ヒマリ! エイミ!」

 

私がいくら呼び掛けても、返事は無い。

車椅子も、ショットガンも、二人がいた跡は、どこにも見つからなかった。

二人がここにいないのが、良いのか悪いのかわからなかった。

 

何が起きたのか、調べないといけない。とにかく、二人を探さなければ。

 

次に行く場所は、一つしか思いつかなかった。

 

ゲーム開発部までの道は、昨日の夜、先生と歩いた道と同じだった。

 

コンビニの前を通る。

エンジェル24の看板は半分に割れて、地面に落ちていた。

窓ガラスは全部割れていて、中の棚が倒れている。昨日、生徒たちが何かを食べながら笑っていた場所には、灰が積もっているだけだった。

 

道が少し高くなって、下に街が広がって見える場所に出る。

昨日、二人の生徒が写真を撮っていた手すりは、ぐにゃりと曲がっていた。

 

そこから見える街は、昨日と同じ形をしていた。

でも、窓の明かりは一つもついていない。代わりに、あちこちで火が燃えている。遠くの大きな塔は、上の方が折れて、黒い煙を吐いていた。

 

――明日は別のところで一緒に撮ろうよ――

 

昨日の声が耳の奥に残っている。あの二人は、どうなったんだろう。

私は手すりから目をそらして、また走った。

 

記憶をたよりに走って、たどり着いたゲーム開発部の建物は、もう建物の形をしていなかった。

 

大きな瓦礫の山が、そこにあるだけだった。

どこが入り口だったのか、どこがゲーム開発部の部室だったのか。いくら探してもわからない。

モモイも、ミドリも、ユズも、アリスも。誰の声も聞こえない。

 

なんで、こんなことになったんだろう。

 

昨日まで、みんな笑っていた。誰かがやられると誰かが笑って、「もう一回」と言えば、すぐに次が始まっていた。それが、どうして。

 

そのとき、瓦礫の山のてっぺんに人影が見えた。

 

人影が見えた瞬間、私は瓦礫を蹴って一気にそっちへ近づいた。

その姿が、はっきり見えてくる。

 

白い髪。白い犬の耳。赤い球と、それを囲うような輪のヘイロー。

私と同じ姿……私と同じ顔をした誰かが、そこに立っていた。

ただ、目の色だけが私と違って、赤く染まっていた。

 

あの目を、私は見たことがある。

モモイのゲーム機が勝手に動いたとき、うずくまる私に、まるで命令するみたいに私を見下ろしていたアリスの目。あれと同じ、赤い目。

 

――あいつが、これをやったんだ。

 

あれの正体を考えるより先に、体が動いていた。

脇に手を伸ばすけど、ライフルも無ければ、パイルバンカーも無い。

だけどそんなこと関係ない。拳だけで十分だ。

 

瓦礫を蹴ってまっすぐ飛び込み、私の拳が赤い目の顔に届く――

 

「……レイヴン」

 

その直前で、私の体は止まった。

 

「……ぇ?」

 

止めたんじゃない、止まってしまった。

 

その声を、私は知っていた。

ずっと、頭の中で聞いていた声。私を『レイヴン』と呼んで、いろんなことを教えてくれた声。

最後に、私がこの手で、燃やした声。

 

「エ……ア……?」

 

足から力が抜けて、私は瓦礫の上にしりもちをついた。

赤い目の私――エアは、そんな私を静かに見下ろしていた。

 

「な……んで……。そんな、はずは……」

 

息がうまく吸えない。体が少しも動かない。

 

「これが、今のあなたの心の中です」

 

「ど、どういう、こと……?」

 

「……ルビコンを燃やし尽くしたこと。それが、今のあなたの一番深いところにある、ということです」

 

よくわからない。

エアが何を言っているのか全然わからなかった。

 

でも、この声は本物だ。聞き間違えるはずがない。

 

それに、この感じには覚えがあった。

キヴォトスに来て初めて見た夢。エアに機体を乗っ取られて、ウォルターを……殺そうとした、あの夢。あのときとよく似ている。

 

……じゃあ、これは夢なんだろうか。

 

「レイヴン。あなたに、聞きたいことがあります」

 

エアに話しかけられ、私の肩がびくっと跳ねた。

私はおそるおそる、エアの顔を見上げた。

 

エアの赤い目は、怒っているようには見えなかった。

ただ、少しだけ悲しそうな、かわいそうなものを見るような目をしていた。

 

「この景色は、私が見ることのできなかった……いいえ。見なくて済んだ景色、と言うべきでしょうか」

 

エアは、燃えている街を見回した。

 

「あなたは、これと同じことを、ルビコンで起こしたのです」

 

エアが、一歩、私の方へ近づく。

 

「この景色を見て……あなたは今でも、自分の選択は間違っていなかったと、言えますか?」

 

息が荒くなる。

汗が止まらない。背中が冷たいのに、顔だけが熱い。

 

……エアの言いたいことがわかった。

昨日、私が見た景色。笑っていた人たち。『明日も一緒に』という約束。

それが燃えている、この景色。これは、あのときのエアにとってのルビコンと同じなんだ。

 

エアがまた一歩、近づいてくる。

私は、エアの顔を見ていられなくなって目をそらした。

 

「わ、私……は……」

 

その問いかけの答えは、私の中にある。先生に『選べない』と言ったあの時も、本当は、答えは私の中にあった。

なのに、それが口から出てこない。

 

「……なぜ、あのとき。私の手を、取ってくれなかったのですか?」

 

「ぅあ……ご、ごめん……」

 

「謝ってほしいのでは、ないのです」

 

エアは、私のすぐ前で足を止めた。

 

「ただ、あなたの気持ちを知りたい。……教えてください、レイヴン」

 

すぐそこに、エアがいる。

手を伸ばせば、届くくらいの近さ。

 

でも、戦おうなんて少しも思えなかった。

私は膝を抱えて、小さくうずくまった。怒られるのを待っている子どもみたいに。

 

頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。

ごめん、と言いたい。でも、エアは謝ってほしくないと言った。

逃げたい。でも、どこへ逃げればいいのかわからない。

エアが、こわい。エアを燃やしたのは、私なのに。

 

どれくらい、そうしていたのかわからない。

エアは、それから一言もしゃべらなかった。

ただそこに立って、私が何か言うのを静かに待っていた。

 

火の燃える音だけが、ずっと聞こえている。

 

「あ、あのときの……」

 

のどの奥から、声を押し出す。

 

「あのときの、選択は……! 間違って……いなかった……!」

 

エアが、小さく息を吐いた。

すごくがっかりしたような、ため息だった。

 

「……そうですか」

 

「っだ、だけど……!」

 

エアが何か言う前に、私は顔を上げた。

 

「エアの選択も……! ただ、しく……なかったっ……!」

 

エアの赤い目が、大きく開いた。

 

「私の手を取る選択が……間違っていた、と?」

 

「違うっ!」

 

自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。

 

「どっちも……! どっちも、正しくないし、間違って、ない……!」

 

「……どういう、意味ですか?」

 

こんなこと、エアを殺した私が言うのはおかしいかもしれない。

息が苦しい。それでも、止まらなかった。

 

「エアの手を取ったら……ウォルターを、裏切ることになる。それで、私が、コーラルを守らなきゃいけなくなる。でも……アーキバスを倒しても、コーラルを狙う企業は、いなくならない。また、次が来る。その次も、来る。私がずっと戦って、ずっと守れるなら、それが一番いい。でも……」

 

言葉が、そこで一回止まった。

 

思い出したのは、あの日のことだった。

技研都市の地下。アイビスを倒した後、スネイルの不意打ちを受けて動けなくなった。機体から降ろされた私は、何もできなかった。

 

「私だって……無敵じゃない。負けるときも、ある。死ぬことだって、ある」

 

あのとき、私は負けたんだ。

 

「私が死んだら……その後は、誰が守るの? 私が背負うはずだったものは、誰が背負うの?」

 

そう言って、私はエアの赤い目を見た。

 

「エアなら、きっと背負ってくれる。……でも」

 

エアに任せられなかった理由が、口からこぼれた。

 

「エアは……私より、強いの?」

 

「それは……」

 

エアは、そこで言葉を止めた。

たぶん、エアもわかってるんだと思う。

 

「解放戦線にも、企業にも、封鎖機構にも負けなかった……私より、強いの?」

 

エアは、何も言わなかった。

 

「私より弱いなら……いつか、私みたいなのが来たとき、同じことになる。もしかしたら、もっと、ひどいことになる。そうなったとき……エアの手を取ったことが、正しかったって……私は、言えない」

 

言い終わったとき、エアが一歩、後ろに下がっていた。

赤い目が、少しだけ揺れていた。

 

視界がにじんでいた。

いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。

 

「エアは……それでも……それでも、私がエアの手を取るのが正しかったって、言えるの……?」

 

私は、すがるようにエアを見上げた。

 

エアは、すぐには答えなかった。

何かを言いかけて、口を閉じて。また言いかけて、閉じる。

 

「……ごめんなさい、レイヴン」

 

やっと出てきたエアの声は、少しだけ震えていた。

 

「その問いに……私の選択こそが正しかったと言いきる自信は、私にも、ありません」

 

「じゃあ……私の、選択は……」

 

胸の奥が、ほんの少しだけ、軽くなりかけた。

 

「ですがっ……!」

 

エアの声が、それをさえぎった。

 

「ですが、それでも……! それでも私は……人とコーラルの可能性を、あなたと一緒に、つかみたかった」

 

「なに、それ……」

 

エアが何を言っているのか、わからない。

正しいって言えないのに、それでも、って。

 

「わかんないよ……」

 

「レイヴン……」

 

「わかんないよっ!!!」

 

私は、思わずその場に崩れるように泣いた。

声を上げて泣いたのは、たぶん生まれて初めてだった。

 

エアは、しばらく何も言わなかった。

 

「……ごめんなさい。この話は、急いで答えを出すべきではありませんでした」

 

私は、顔を上げられなかった。

 

「また会いましょう、レイヴン」

 

足音も、何も聞こえなかった。

やっと顔を上げたとき、エアの姿は、降り続ける灰の中にもう見えなくなっていた。

 

私は、瓦礫の上にうずくまったまま、動けなかった。

 

先生は、迷ったときは、自分が正しいと思う選択をすればいいと言った。

だから私は、正しい選択をしなきゃいけない。

 

エアは、正しいと言えなくても、それでもその選択をしてほしかったと言った。

 

じゃあ、私の選択は正しかったのか。

この景色を作った、私の選択が?

 

そんなわけない。あっていいはずがない。

 

じゃあ、ウォルターが間違っていたのか。

……違う。ウォルターが間違っているはずがない。自分の全部をかけたウォルターの決めたことが、間違っていていいわけがない。

 

わからない。

いくら考えても、答えが出ない。

 

私の選択は、何だったんだろう。

私は、どうすればよかったんだろう。

 

わからない。

 

誰か。

誰か、教えて。

 

誰か――

 

   ◆

 

目を開けると、暗い天井が見えた。

 

特異現象捜査部の、私の部屋。いつものベッドの上。

火の音も、灰も、どこにも無い。

 

腕の中で、白い鳥のぬいぐるみが、くしゃくしゃにつぶれていた。

ほっぺたが冷たい。触ってみると、濡れていた。

 

耳の奥は、しんと静かだった。

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