猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
結局、あれから一度も眠れなかった。
目を閉じると、夢で見た燃えているミレニアムが見える。灰の中に立っている、赤い目のエアが見える。
だから、目を開けてずっと暗い天井を見ていた。
部屋の外はしんとしている。ヒマリもエイミも、まだ部室には来ない。
窓の外はまだ暗いけど、少しずつ、黒が青っぽく変わりはじめていた。
私はベッドから起き上がって、ぬいぐるみを枕のそばに戻した。
ライフルも、携帯端末も、そのまま置いていく。どうしてかは、自分でもよくわからなかった。
ただ、何も持たずに外に出たかった。
◆
外の空気はひんやりしていた。
私は、昨日の夜に先生と歩いた道を、もう一度歩いた。
コンビニの前に来る。
エンジェル24の看板は、ちゃんと明かりがついていた。窓ガラスも割れていない。中では、店員が眠そうな顔で棚に商品を並べていた。
道が少し高くなって、下に街が広がって見える場所に出る。
手すりはまっすぐなままだった。
そこから見える街も、昨日と同じだった。
まだ明かりのついている窓が、ぽつぽつと残っている。遠くの大きな塔は折れていないし、煙も上がっていない。
頭ではわかっていたはずの光景を見て、私は息を吐いた。
自分でも気づかないうちに、ずっと息を止めていたみたいだった。
ここは、燃えていない。
でも、私は手すりを強く握っていた。
ルビコンはきっと、夢で見た景色と同じように何もかもが燃えて、灰が降っている世界になってしまった。
夢から覚めても、朝になっても、きれいな街が出てきたりしない。
私が燃やしたものは、もう二度と戻らない。
私は街に背を向けて、また歩き出した。
しばらく歩くと小さな公園についた。
木が植えられていて、ベンチだけ置いてあるような公園。
私は、歩き疲れたわけでもないのに、そのベンチに座った。
夢の中の、エアの声を思い出す。
―――それでも私は、人とコーラルの可能性を、あなたと一緒につかみたかった。
……私は、どうするべきだったんだろう。
エアの手を取っていたら、ウォルターを裏切ることになった。
そうしたら、ルビコンは燃えなかっただろう。
だけど、その後に私が勝てない相手が来たら……
だから、ウォルターの遺志を継いだのは、間違ってなかった?
でも、それはエアを裏切ることで―――
同じところを、ぐるぐる回る。
どこから考えても、同じところに戻ってくる。
出口の無い迷路を、ずっと歩いているみたいだった。
誰かがベンチの前を走っていったり、親子が一緒に歩いたり。子供が楽しそうに遊んでいたりする。
だけど全部、どこか遠くで起きていることみたいだった。
"シホ!"
その声で、顔を上げた。
公園の入り口から、先生が走ってくるのが見えた。
息が切れていて、髪が少しぼさぼさになっている。
どうして先生が、と考えるより先に、まわりがすっかり明るくなっていることに気が付いた。
朝日はもう高いところまで上がっていて、朝というより、もうすぐお昼になりそうだった。
"よかった……見つかった……"
先生はベンチの前まで来ると、膝に手をついて、大きく息を吐いた。
"朝、部室に行ったらシホがいなくて。ライフルも端末も置いたままだったから、何かあったんじゃないかって、みんなで探してたんだ。さっきヒマリが街のカメラでここを見つけてくれて、一番近くにいたのが私だったから"
「……エイミも?」
"うん。エイミも、自分で探しに出てくれてる。ヒマリがもう連絡してくれてると思うよ"
私は街を見て回ったら戻るつもりだったから、何も持たずに出てきた。
だけど、気が付いたらこんな時間になっていて、みんなに探させることになってしまった。
「……ごめん」
"ううん。無事なら、それでいいよ"
先生はそう言って、私の隣に座った。
それから、上着のポケットから何かを取り出して、私の手に乗せた。
何だろうと思って見てみると、それはゼリー飲料だった。
私が一番最初に飲んだものと、同じ味のやつ。
"朝ごはん、まだでしょ?"
そう言って、先生は優しく笑いかけてくれた。
だけど、なんだか飲む気になれず、ふたを開けずに握ったままになってしまった。
そんな私を見ても、先生はそれ以上何も言わなかった。
ただ隣に座って、一緒に公園を見ていた。私が何か言うのを、待ってくれているんだと思った。
その姿が、全然似ていないはずの、夢の中のエアと重なる。
「……先生」
"うん"
「……すごく、嫌な夢を見た」
"……そっか"
「ミレニアムが、全部燃えてた。部室も、ゲーム開発部も、昨日の道も、全部」
変なことを言っている私に、先生は黙ってうなずいてくれた。
「先生。……聞きたいことが、ある」
"うん、何かな?"
……先生なら、もしかしたら答えを教えてくれるかもしれない。
「私が、どうするべきだったのか」
それを聞くには、話さないといけない。
ヒマリにも、エイミにも、まだ話していないこと。いつか話す、と言ったまま、ずっと話していなかったこと。
「……私の、前の仕事の話」
"わかった。全部聞くよ"
先生の声は、静かだった。
「ウォルターは、私を買った人」
一つずつ、思い出しながら話した。
「型落ちの強化人間だった私を買って、ルビコンに連れて行った。……ルビコンは、コーラルがある星。コーラルのことは、ヒマリたちには、前に少しだけ話した」
"ヒマリから少し聞いてるよ。コーラルって確か、新しいエネルギーだけど、すごく危険なものなんだっけ?"
先生の言葉に、私は黙ってうなずいた。
「ウォルターの目的は、コーラルを全部燃やすことだった。コーラルがルビコンの外に広がったら、宇宙全体が危険になるから。……それを止めるために、ウォルターは、私のような強化人間を使って、コーラルを探していた」
先生は、何も言わずに聞いていた。
「コーラルを探す途中、エアに会った。コーラルの中にいる……人間じゃないけど、ちゃんと、考えて、話せる。いろんなことを教えてくれた。……友達、だったと思う」
「ラスティっていうルビコンの人もいた。その人は、私を戦友って呼んでくれて、何回も一緒に戦った。……ラスティも、たぶん友達だった」
「ほかにも、仲良くはなかったけど、色んな人と出会って、戦ったりした」
「私とウォルターは仕事を続けて、最後にはコーラルを見つけた。だけど、企業に横取りされて、私とウォルターは捕まって、企業はコーラルをルビコンの外に持ち出そうとした」
「私は何とか企業から逃げられたけど……その時にはもう、コーラルを外に出さないために、燃やすしかなかった」
そこまで言って、私は最後の選択の時を思い出して、言葉に詰まる。
先生は続きをせかしたりせずに、私がしゃべりだすのを待っていた。
「……ウォルターは、最後にメッセージを残してた。コーラルを燃やしてほしいって。命令じゃなくて、ウォルターからの、最後の依頼だった」
「……エアは、自分と同じコーラルを、ルビコンを燃やさないでって。コーラルと人が、一緒に生きられる道があるから、その可能性を探そうって」
「私は……どっちかを裏切らないといけなくて……どっちも……間違ってないと思って」
やっぱり、何回考えても答えは出ない。
「……私は、燃やす方を選んだ」
そう言った私の声は、少し震えていた。
「ラスティを倒した。エアも、倒した。私の、この手で」
「それで、コーラルと一緒にルビコンを燃やした」
公園の中を、風が通りすぎていった。
「ルビコンを燃やしたのは、私」
ずっと言えなかったのに、口にしたら一言で終わってしまった。
「昨日、先生と帰ったとき。写真を撮ってた人たちがいた。明日も一緒にって、約束してた。……ルビコンにも、ああいう人たちが、いたかもしれない」
「だから、教えてほしい。先生」
私は、先生の顔を見た。
「私は、どうするべきだった?」
先生は、しばらく何も言わなかった。
じっと、私の顔を見ていた。
いつもの、のんびりした顔じゃなかった。すごく静かで、でも、どこか痛そうな顔だった。
"……話してくれて、ありがとう"
先生の手が、私の頭にそっと乗った。
"ずっと、一人でそれを抱えてたんだね"
私は、何も言えなかった。
"シホ。……それは、シホが背負うことじゃないよ"
先生の声は、優しかった。
"シホが選んだことの責任は、シホにその選択をさせた、周りの大人たちが負うものなんだよ"
頭の上の、先生の手の重さが、急にわからなくなった。
「……ウォルターの、責任?」
自分の声が、すごく低く聞こえた。
前にも、同じことがあった。
引っ越しのアルバイトの帰り道。先生が『周りの大人たちの責任』と言ったとき。
あのときは、ウォルターの最後の言葉を思い出して、胸の奥のざわざわが、すっと静かになった。
でも、今は静かにならなかった。
確かにウォルターは、最後に私に火をつけろって頼んだ。
でも、最後の仕事だと言って、私を自由にしてくれた。断ることだって、できた。
それでも、その依頼を受けると決めたのは、私だ。
コーラルを燃やすと決めて、友達を殺したのは、私だ。
ウォルターじゃない。
私は、自分の気持ちが抑えられなくて、先生の手を振り払って立ち上がった。
手の中のゼリー飲料が、ぐしゃりとつぶれた。
"シホ……?"
「ウォルターは、私に頼んだだけ」
そう言って、ベンチに座る先生を見下ろした。
「命令じゃなかった。断ってもよかった。ウォルターは、私を自由にしてくれた。……それでも、受けたのは私」
「選んだのは、私。ウォルターは、悪くない」
抑えきれない感情が、のどの奥から熱をもってこぼれる。
「私が選んだ。……ウォルターを、侮辱するな」
私の言葉を聞いた先生の目が、大きく開いた。
"違う、シホ! 私はウォルターさんを責めたいんじゃなくて、シホに―――!"
「聞きたくない」
先生はまだ何か言おうとしていたけど、私は聞かずにさえぎった。
こんなふうに先生に言うのは、初めてだった。
先生の顔を、もう見ていられなかった。
「……部室に戻る」
"シホ、待って!"
「一人で戻れる。……ついてこないで」
私はつぶれたゼリー飲料を地面に投げ捨てて、先生に背中を向けた。
先生は追いかけてこなかった。
後ろで、先生が何か言いかけて、やめる気配がした。
私は、そのまま振り返らずに、部室に向かって歩きだした。
◆
部室までの道をどうやって歩いたのか、よく覚えていない。
部室の扉を開けると、ヒマリがいた。
車椅子を扉の方に向けて、待っていたみたいだった。
「……おかえりなさい、シホ」
ヒマリの声は、いつもよりずっと静かだった。
「先生から、連絡をもらいました。エイミも、もうすぐ戻ってきます」
「……」
二人には迷惑をかけてしまったけど、私は謝ることができず、何も答えられなかった。
ヒマリは、私の顔をじっと見た。
何か聞きたそうだったけど、何も聞いてこなかった。
「……少し、一人にしてほしい」
「わかりました」
私のわがままに、ヒマリはすぐにうなずいた。
「でも、何かあったら、いつでも呼んでくださいね。私はここにいますから」
私は小さくうなずいて、奥の部屋に入った。
扉に背中をつけて、そのまま床に座り込んだ。
ベッドのそばには、ライフルと携帯端末が、朝置いていったままになっていた。枕のそばには、白い鳥のぬいぐるみ。
扉の向こうで、ヒマリの車椅子が、ゆっくり離れていく音がした。
それから、何も聞こえなくなった。
昨日まで時々聞こえていた耳鳴りも、今は聞こえない。
私は、誰かに答えを教えてほしかった。
先生は、答えをくれようとしたのかもしれない。
でも、私は、そんな答えは受け入れられなくて……
私は膝を抱えて、顔をうずめた。
もうどうしたらいいのか、わからなかった。