猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
今日も部屋から出ずに、ずっとベッドの上で過ごしていた。
窓の外が少しずつ暗くなりはじめたころ、めったに鳴らない携帯端末から通知音が響いた。
ベッドに横になったまま、手だけ伸ばして画面を見る。
先生からの通知は、あの日から一件のままだ。新しい通知は、それとは違う名前だった。
『調月リオ:初めまして、私はミレニアムサイエンススクールの会長、調月リオよ。突然だけれど、あなたに伝えたいことがあるわ。今夜、この場所まで一人で来てちょうだい』
メッセージの下には、地図の写真が一つ付いていた。
調月リオ。
ヒマリが、たまに口にしていた名前だ。ヒマリがその名前を言うときは、いつも少しだけ嫌そうな顔をしていた。ミレニアムで一番えらい人だってことは、なんとなく知っている。
でも、今日まで会ったことは一度もない。
どうして、私の連絡先を知ってるのか。伝えたいことって、何なのか。
少し考えてみたけど、わからなかった。それに、今はどこかに行く気にはなれなかった。
『六津井シホ:行かない』
私はそれだけ打って、端末を枕のそばに置いた。
すると、間を置かずにまた端末が鳴った。
『調月リオ:明星ヒマリは、私のところにいるわ。今回の用件は、彼女も関わっていることよ』
思ってもいなかった名前が出てきて、私は画面を見たまま、しばらく動けなかった。
昨日の夜、扉の向こうで、ヒマリは「少し出かけてくる」と言っていた。帰ってきたら、一緒にファミレスに行こうって。
……私は、返事をしなかったけれど。
それから、ヒマリの声を聞いていない。
思い返してみると、今日は扉の外から話し声が聞こえてくることも無かった。
ヒマリには、ずっと迷惑をかけてる。
先生とケンカして部屋に閉じこもってるのに、ゼリー飲料も用意してもらって。それでも、ヒマリは何も聞かずに待っていてくれた。
そのヒマリが、リオのところにいる。ヒマリも関係しているって書いてあったから、もしかしたら、何か大事なことなのかもしれない。
そう思って、私は久しぶりにベッドから起き上がった。
アサルトライフルをスリングで脇に下げて、左手にパイルバンカーを付ける。
扉を開けると、部室の中がびっくりするくらい冷たかった。
何かあったのかと思って見まわすと、エイミが気持ちよさそうにソファに座っていた。
それを見て、エイミがヒマリとよくエアコンの温度でもめていたのを思い出す。
今はヒマリがいないから、エアコンの温度を一番下まで下げているんだと思う。
エイミはこちらに気が付いたようで、こっちを見て少しだけ目を大きくした。
「……シホ、どうしたの急に?」
私が部屋から出てくるとは思っていなかったんだと思う。
エイミはソファから立ち上がって私に近づくと、私の格好を見て、少しだけ眉を寄せた。
「やっと出てきたと思ったら、その格好。……どこか行くの?」
「うん、調月リオに呼ばれた」
その名前を出した瞬間、エイミの目が少しだけ細くなった。
「……会長に? なんで呼ばれたの?」
「わからない。だけど、ヒマリもそこにいるって」
「部長も……?」
ヒマリも一緒にいると聞いて、エイミは驚いたような顔を見せた。
そして少し考えこんでから、口を開いた。
「……実はね、部長も昨日の夜に、会長に呼ばれて会いに行ったんだ。……だけど、それからまだ戻ってきてない」
「……そう」
ヒマリは出かけると言ってたけど、どこに行くかまでは言わなかった。
エイミはヒマリから聞いていたみたいだし、メッセージにあった通り、ヒマリはリオのところにいるので間違いなさそうだ。
「シホが行くなら、私もついていこうか?」
エイミが、少し心配そうに聞いてくる。
「……一人で来いって言われた」
私が断ったのを聞いて、エイミは私の顔をじっと見てきた。
だけどそれは、私を見ていると言うより、何かを考えているみたいだった。
「……部長がいるなら、たぶん大丈夫、かな」
しばらくして、エイミはため息をつきながらそう言った。
「もし何かあったら、すぐ連絡してね。ついでに部長も一緒に迎えに行くから」
「わかった」
「それと……」
エイミは、少しだけ目をそらした。
「部屋から出てきてくれて、よかった」
「……うん」
……ヒマリだけじゃなくて、エイミにも、迷惑をかけてたんだ。
私は小さくうなずいて、部室の出口に向かった。
《―――――》
扉に手をかけたとき、耳の奥で、音が鳴った。
あの夢の日から、一度も鳴らなかった音。
何かを言いたそうな、引きとめるみたいな鳴り方だった。
私は耳鳴りを無視するように、扉を開けて外に出た。
◆
地図に書かれていた場所に来てみたら、そこはミレニアムのはずれにある倉庫の前だった。まわりには、ほとんど人の気配がしない。
久しぶりの外の空気は冷たくて、遠くに見える街の明かりが、すごく小さく見えた。
突然、倉庫の扉が開く音がして、目を向けると中に誰かが立っていた。
白と黒のメイド服。あれは確か、ネルと同じC&Cの服だ。でも、そこに立っていたのはネルじゃない、知らない人だった。
薄い金髪を後ろでまとめて、頭にはカチューシャを付けている。
「六津井シホ様ですね」
彼女はこちらに近づいて一礼すると、私の名前を口にした。
あまり感情の見えない、平らな声だった。
「お待ちしておりました。ご案内します」
「ヒマリと調月リオは?」
「この先でお待ちです」
そう言うとメイド服の人は、私の左手と、脇に下げたアサルトライフルを見て、少し目を細めた。
「……申し訳ありませんが、武器はこちらでお預かりします」
「断る」
私はすぐに答えて、意識を少しだけ戦闘用に切り替える。
知らない場所で武器を取り上げるなんて、これからあなたを攻撃します、と言ってるのと同じだ。
それに、私を呼び出したのは会ったこともない人だ。言うことを聞く理由はない。
私のその言葉を聞いて、彼女は身構えるような様子を見せた。
「……交戦の意思があると、そう受け取ってよろしいでしょうか?」
「そっちが攻撃しないなら、何もしない」
もしかしたら、この呼び出しは罠だったのかもしれない。
それなら、ヒマリは一緒にいるんじゃなくて、調月リオに捕まっているのかもしれない。
この人を倒して、エイミと一緒に助けに行く方がいいだろうか。
そう考えていると、彼女が耳に付けている通信機に手を当てて、話を始めた。
少しして手を放すと、また私に一礼してきた。
「失礼しました。リオ様から、武器はそのままで構わないとのことでした」
「……わかった」
取り上げられないなら、私からなにも言うことは無い。
「では、早速ご案内いたします。こちらへどうぞ」
そう言って倉庫の奥に案内されると、そこには小さいバスのような車が一台止まっていた。
彼女に言われて中に入ってみると、窓の外がほとんど見えないようになっていた。
「これから向かう場所は、きわめて機密性の高い場所になります。そのため、通信端末だけは預けていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「……それなら、大丈夫」
本当なら預けたくはなかったけど、武器を渡さないことは許してもらっているし、それぐらいは協力してもいいと思った。
それに、今のところだけど、私はここに戦いに来たわけじゃない。
「ご協力、感謝します」
端末を預けると、彼女はすぐに車を走らせた。
◆
「到着しました。ここで降りていただきます」
そう言われて、私は車から降りた。
どれくらい走ったのか、よくわからない。外が見えないから距離もわからないし、暗いから時間の感覚もはっきりしない。
ただ、車を運転する彼女の様子を見る限り、私を罠にはめて殺そうという気配はしなかった。
まわりを見てみると、そこには見たことのない街が広がっていた。
大きな建物が、いくつも並んでいる。道もまっすぐで、明かりもちゃんとついている。
なのに、人が一人もいなかった。
聞こえるのは、どこかで機械が動く音だけ。
道のあちこちに、見たことのない形の機械が並んでいた。
ミレニアムの近くにこんな場所があったなんて、全然知らなかった。
「こちらです」
メイド服の人に連れられて、一番大きな建物の中に入る。
大きなロビーを抜けて、奥のエレベーターで上に上がった。
しばらくすると、エレベーターが止まって扉が開く。
外に出てみると、そこは広い部屋だった。
壁一面にモニターが並んでいて、その青白い光の中に、一人の女性が立っていた。
長い黒髪に、黒いスーツ。全部が黒くて、最初に思ったのは、黒い人、だった。
背は高くて、私より頭一つ分くらい大きい。
「リオ様、お連れしました」
「……来てくれたのね、六津井シホ」
そう言って、彼女はこちらを振り向いた。冷たい感じのする顔と、赤い目。
その目を見て、違う人だとわかっているのに、思わず身構えてしまう。
「私は調月リオ。ミレニアムの会長よ。……ビッグシスター、と呼ぶ人もいるわね」
そういえば、ヒマリが彼女を『ビッグシスター』と呼んでいたことを思い出す。
てっきり、体が大きくて、すごく強い人だと思っていた。
大きいのは合ってたけど、ミシガンみたいな感じじゃなかった。
そう思っていると、ふと、この部屋にヒマリの姿が見えないことに気が付いた。
「ヒマリは?」
「……別の部屋で休んでいるわ。後で会わせてあげる」
「今じゃ、だめなの?」
「先に、あなたと話をしておきたいの」
そう言いながら、リオはモニターの前から私の方に歩いてきた。
「六津井シホ。今日はあなたに『真実』を伝えるために、ここに呼んだのよ」
そう言ったリオの赤い目は、真っすぐにこちらに向けられているが、その目はどこか私を見ていないようにも思えた。