猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
外に出られない生活というのも、私にとっては慣れたものだった。
もともと、出歩くのは好きな方ではない。部屋でゆっくりしながら、画面の向こうの出来事を眺めている方が、よほど私の性に合っている。
それに、部屋そのものには文句がなかった。
やわらかいベッドに、書き物のできる机と、座り心地のよさそうなソファ。そして、小さなティーセットまで置いてある。浴室もきちんとしていて、ちょっとしたホテルの一室と言っても信じられるだろう。
空調も、私にとってちょうどいい温度に設定されていた。エイミがいたら、五分ともたずに「暑い」と言い出すに違いない。
ただ、窓がない。そして、当然ながら扉は内側から開けられない。
昨日は丸一日かけて、この部屋を調べ尽くした。
端末は取り上げられ、ホログラムキーボードを展開しようにも、部屋の回線はどこにもつながっていない。壁の大きなテレビはいくつかの放送を映してはくれるけれど、こちらから外に何かを送ることはできない。壁も、扉も、通気口も、抜け道になりそうなところは一つもなかった。
外が見えないということは、ここがどこなのか、外で何が起きているのか、私には何一つわからないということでもある。
リオのことだから、そこまで考えたうえで、この部屋を用意したのだろう。
……わかってはいるけれど、腹立たしいことに変わりはない。
食事は、決まった時間に運ばれてくる。
運んでくるのは、あの夜、廊下の角で私を待っていた、あのメイド服の生徒だった。
飛鳥馬トキ。
二度目に顔を合わせたとき、彼女はそう名乗った。私の自己紹介には、眉一つ動かさずに「存じております」とだけ返された。
食事を置き、空いた皿を下げ、部屋を整え、お茶の葉を補充して、一礼して出ていく。手際は申し分ない。
けれど、それ以上の言葉は、ほとんど交わしていなかった。
5番目のC&C。リオの懐刀。
彼女とは、後でゆっくりお話しさせてもらいたいものだ。……ここから出られれば、の話だけれど。
執務室に呼び出されたのが、一昨日の夜。ここで目を覚まして、丸一日。今は、その次の日の朝だ。
二十四時間は、とうに過ぎている。
エイミは、プリンを食べただろうか。
エイミのことだから、きっちり時間を計って、期限が過ぎた瞬間に冷蔵庫を開けたに違いない。そして、私の意図を汲み取って動いてくれているはずだ。
……そう、信じるしかない。
それよりも、気がかりなのはシホのことだった。
扉越しに声をかけて、返事はなかった。あれから、あの子はどうしているだろう。ご飯はちゃんと食べられているだろうか。
帰ったらファミレスに行こう、と約束した。あの子が返事をしてくれなかったとしても、約束は約束だ。
私はトキが淹れていった紅茶を一口飲んで、つけっぱなしにしていたテレビに目をやった。
どこかの学園の、どうでもいいニュースが流れている。
その画面が、ふっと切り替わった。
『おはよう、ヒマリ。よく眠れたかしら』
画面の向こうに、見慣れた顔があった。
相変わらず、愛想の欠片もない顔だ。
「ええ、おかげさまで。誘拐されて監禁された割には、ぐっすりと」
私はカップを置いて、車椅子をテレビの前まで進めた。
「それにしても、わざわざ通信でご挨拶とは。直接顔を見せる勇気もないのですか? それとも、浄化槽の底に沈んだ汚泥は、日の当たる場所には出てこられないのでしょうか」
『……貴女はいつも悪し様に私のことを罵るわね。陰気だとか、下水だとか』
「事実を申し上げているだけですよ」
私は、画面をまっすぐに見た。
「リオ。あなたがやろうとしていることは、本当に唾棄すべきことです。あの子たちのヘイローを壊す? キヴォトスのため、ミレニアムのため、と言えば聞こえはいいでしょうけれど」
「結局のところ、何も悪いことをしていない子供を、兵器だと決めつけて殺そうとしているだけじゃないですか」
『その言葉は、間違っていないわ』
リオは、表情一つ変えずに言った。
『でも、貴女がそう考える限り、私のことは理解できないし、許すこともできないのでしょうね』
「ええ。私はあなたに賛同しません。それに、私が戻らなければ、エイミも、シャーレの先生も、黙ってはいないでしょう」
『そうね。二人が動く確率は、限りなく百パーセントに近い』
リオは、こちらの苦し紛れの忠告すら計算に入れている、という顔をしていた。
『それでも構わないわ。この世が私を悪と決めても、私は、私が正しいと信じる道を進むだけよ』
「……相変わらずですね、リオ」
この子は、いつもこうだ。
一人で決めて、一人で背負って、一人で進んでいく。そうして、周りの誰も、この子の隣に立てなくなる。
『それより、貴女に伝えておくことがあるの』
リオは、話を切り替えるように言った。
嫌味を並べるのに夢中で、彼女がなぜ通信をつないできたのか、まだ聞いていなかった。
『六津井シホを、確保したわ』
一瞬何を言われたのか理解できず、息が止まった。
「……今、何と?」
『昨夜、六津井シホをこちらに迎えたわ。今は、この施設の別の区画にいる』
頭の中で、いくつもの可能性が浮かんでは消えていく。
シホを、確保した? あのシホを?
ネルと互角に渡り合い、ケテルを一人で引きつけ、ホド相手に縦横無尽に駆け回ったあの子を。
リオが用意したAMASが何台いたところで、あの子が本気で暴れれば、ただでは済まないはずだ。
「……何をしたのですか」
執務室で、シホに『対処する』と言われたときのように、思わず声が低くなった。
「あの子に、何をしたのですか。リオ」
『何も』
リオは、そんな私を気にも留めていないように、あっさりと答えた。
『彼女を呼び出したら、指定通りの場所に来たわ。そして、事情を説明したら、納得してくれた。それだけよ』
私は、リオが何を言っているのか理解することができず、しばらく何も言えなかった。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
「……リオ。嘘をつくにしても、もう少しましなものを用意した方がいいですよ」
『嘘ではないわ』
「まさか、この期に及んで、あなたがユーモアを身に着けるとは思いませんでした。成長しましたね。ええ、褒めてあげます。でも、笑えない冗談は、冗談とは呼べないのですよ」
『嘘でも、冗談でもないわ。すべて事実よ』
リオの声は、少しも揺れなかった。
「……そんなはずがありません」
私は、リオの言うことを信じられずに、その可能性を振り払うように首を振った。
「あの子が、自分のヘイローを壊されることに納得した? あなたが、あの子に正しく事実を伝えたのなら、そんなふうに納得するはずがない」
『ええ。私も、そう思っていたわ』
リオは、私の言葉に頷いた。
『暴れられることも、拒まれることも、想定していた。だから、あの場で戦闘になったときの備えもしていた。……結局、必要なかったけれど』
画面越しのリオの目は、私を見ていなかった。
どこか、私以外の何かを見つめているような、そんな表情だった。
『……誰も、私のことを理解してくれないと思っていたわ』
リオが、ぽつりと言った。
『ただの一人も。そう、思っていた。……でも』
そこで、リオは何かを言いかけて、それを抑え込むように口を閉じた。
続きを待ったけれど、リオはそれ以上、何も言わなかった。
―――何を、言おうとしたのか。
この子とは、不本意ながらも長い付き合いになる。
言わなかったことの方が、言ったことよりも多くを語ることがある。それくらいは、知っている。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
「……納得できません」
その冷たさを振り払うように、私ははっきりと言った。
「本当にあの子が納得したというのなら、あの子と話をさせてください。あなたの口からではなく、あの子の口から聞きます」
リオは、どこか予想していたような態度で、少しだけ息を吐いた。
『……いいわ。もともと、今日は貴女とあの子を会わせるつもりだったもの』
「……それは、ずいぶんと気前がいいですね」
『会わせる理由が、私の方にもあるだけよ』
リオは、手元で何かを操作した。
『今、通信をつなぐわ』
画面が、二つに分かれた。
片方には、リオ。
もう片方には、薄暗い部屋が映っていた。窓も、机もない。ベッドが一つあるだけの、ほとんど独房のような部屋。
私のいるこの部屋とは、あまりにも違っていた。
その真ん中で、ベッドの端に座っていたシホが、こちらに気が付いたように顔を上げた。