猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
とても励みになっています。
いただいた感想に、なかなかお返事できなくてすみません。
何を書いてもネタバレや匂わせになってしまいそうなので、今後は、答えた方がよい疑問やご質問以外は、返事を控えさせてもらおうと思います。
いただいた感想は、すべてありがたく読ませていただいています。
それでは、本編をどうぞ。
壁の一部が、急に明るくなった。
昨日の夜にこの部屋に入ったときは、ただの灰色の壁だと思っていたところだ。そこが四角く光って、画面になっていた。
画面は二つに分かれていて、片方にはリオが映っていた。
「リオ、どうし……」
そこまで言って、もう片方の画面に気がついた。
そこには、いつもの車椅子に座って、まっすぐこっちを見ているヒマリが映っていた。
まさかヒマリがいるとは思わなくて、続きの言葉が出なくなった。
ヒマリには、直接会うんだと思っていた。だから、会ったら何て言うのか、どうやって謝るのか、ちゃんと決めてから会うつもりだった。
まだ、何も決まっていなかった。
ベッドの端に座ったまま、私は少しだけ目をそらした。
『シホ、体の具合はどうですか? どこか、痛いところは?』
ヒマリが、私の名前を呼んだ。
扉の向こうから聞こえていたのと、同じ声だった。
「……ない。問題ない」
『ご飯は、ちゃんと食べていますか?』
「……うん。食べてる」
自分の声が、いつもより小さかった。
ヒマリの顔を、ちゃんと見られない。画面の端っこばかり見てしまう。
ヒマリは息を吐いて、それから、リオの方に顔を向けた。
『……リオ。この子に、ちゃんとした食事を出しているのでしょうね? まさか、あなたが普段食べているような半額のお弁当や、サプリメントで済ませているのではないでしょうね?』
『栄養面で問題のないものを、決まった時間に提供しているわ』
『その「栄養面で問題のない」というのが、まったく信用ならないのですよ!』
ヒマリの声が、だんだん怒ってきていた。
このままだと、リオがずっと怒られそうだったので、私は口をはさんだ。
「……ヒマリ。リオは、ちゃんとしてる」
怒っていたヒマリが、疑うような目でこっちを見た。
「ご飯も、ちゃんと出てきた。メイド服の人が、持ってきてくれた」
『……そう、ですか』
ヒマリがそう言って、少しの間、静かになった。
私は、こんなふうにヒマリと話すことになるとは思っていなかったけど、やっぱりきちんと言わないとだめだと思って、膝の上で手をにぎった。
「ヒマリ。……迷惑かけて、ごめん」
ヒマリは一瞬だけきょとんとして、それから、困ったように笑った。
『そんなこと、気にしなくていいんですよ。……シホが元気になってくれたなら、それで十分です』
怒られると思っていた。少なくとも、あきれられるくらいはすると思っていた。
でも、ヒマリはいつもみたいに笑っていた。
私はゆっくり息を吐いた。肩のあたりが、少しだけ軽くなった。
ヒマリも、ほっとしたように息を吐いて、目を閉じた。
『……やっぱり、その様子だと、リオの言っていたことは嘘だったのですね』
ヒマリはそう言って、あきれたような顔で横目でリオの方を見た。
「……何のこと?」
『この人ときたら、真面目な顔で言うのですよ。シホを呼び出したら素直に来て、ヘイローを破壊すると伝えたら納得してくれた、なんて』
ヒマリは、まったくもう、という顔で首を振った。
『あまりにも笑えない冗談だったので、危うく本気にするところでしたよ。この病弱な美少女の心臓が止まっていたら、どう責任を取るつもりだったのでしょうね』
ヒマリは怒っていたけど、なんだか、ほっとしているようにも見えた。
もしかしてヒマリは、リオに言われたことを冗談だと思っているのかもしれない。
「あ、それは本当のこと」
『……え?』
ヒマリの顔が、そのまま止まった。
「リオから聞いた。私は、キヴォトスを終わらせるために作られた兵器で、壊さないといけないって」
『シホ、あなた、何を……』
「全部聞いて、私も、それでいいと思った」
私は、ヒマリの顔をちゃんと見て言った。
これは、目をそらして言うことじゃないと思った。
「だから、私はここで死ぬ」
ヒマリは、何も言わなかった。
口が少しだけ開いたまま、動かなかった。
『……だから、そう言ったでしょう』
リオが、居心地が悪そうに言った。いつもより、小さい声だった。
誰も、何も言わなかった。部屋の中が、しんとしていた。
一番最初に口を開いたのは、ヒマリだった。
『な……なぜ、です。なぜ、そんな……』
ヒマリの声は、ふるえていた。
そして、何かに気がついたように、はっとした顔になった。
『……もしかして、先生とケンカしたことが、原因で……?』
そう言われて、何日か前に公園で、先生を置いてきたときのことを思い出した。
「……そっちは、あんまり関係ない」
『そんなはずがないでしょう!』
ヒマリが、私の言うことを信じられない様子で、大きな声を出した。
『なら、なぜ! どうして、そんなことを……!』
私は、考えた。
ヒマリには、いつか話すって言ったまま、ずっと話していなかった。
「……ヒマリには、まだ話してなかった。前の仕事のこと」
『まさか、こちらに来る前の……っ』
その言葉を聞いて、ヒマリもあの時のことを思い出したのか、難しい顔をした。
私は、膝の上の手を見た。
「長くなる。……リオも、聞いてて」
『……ええ』
先生に話したときと、同じことを話した。
ウォルターに買われて、猟犬としてルビコンに行ったこと。
ウォルターの本当の仕事は、コーラルを全部燃やすことだったこと。
ルビコンで、エアとラスティに会ったこと。二人とも、友達だったこと。
ウォルターがいなくなって、最後に頼みごとを残していったこと。
エアが、燃やさないで、コーラルと人が一緒に生きられる道があるって言ったこと。
「……私は、燃やす方を選んだ」
「ラスティを倒した。エアも、倒した。それで、ルビコンは全部燃えた」
「ルビコンを燃やしたのは、私」
二回目だからか、先生に話したときよりは、声がふるえなかった。
ヒマリは、口元に手を当てていた。
リオは目をふせたまま、何も言わなかった。
「あのときの選択が正しかったのか、今でもわからない。いくら考えても、わからない」
「でも、今回はわかる。私がいなくなれば、キヴォトスは燃えない。ヒマリも、エイミも、先生も、みんなも」
私は、今度はヒマリではなく、画面の中のリオを見た。
「それに、リオはきっと、私みたいに悩む日が来る」
そう言われたリオの肩が、少しだけ動いた。
「正しいことをしても、ずっと、これでよかったのかって考える日が来る。……私は、そうだったから。なら、リオがそうならないように、助けてあげたい」
「リオにとって、私は先輩みたいなものだから」
ヒマリも、リオも、何も言わなかった。
二人とも、何か言おうとして、やめたみたいな顔をしていた。
誰も何も言わない中で、私は、ヒマリにちゃんと言ってないことがあるのを思い出した。
「ヒマリ」
『……な、んでしょうか』
声をかけられたヒマリはびくりと肩をふるわせ、かすれた声で答えた。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
さっきも謝ったけど、さっきのとは違う。
何日も部屋から出なかったこと。扉の前に置いてくれたゼリー飲料を、ちゃんと飲めなかったこと。ファミレスに行こうって言ってくれたのに、返事をしなかったこと。
「死ぬ前に、ちゃんと謝りたかった」
『シホ……!』
「エイミにも謝りたかったけど、たぶん、もう会えないから。ヒマリから、伝えておいてほしい」
ヒマリは何か言おうとして口を開いて、そのまま閉じた。
そして、悔しそうに歯を食いしばりながらうつむいて、何も言わなくなった。
『……話は、もう済んだかしら』
リオの声だった。
昨日、私と話したときみたいな、全部決まっているような声じゃなかった。少しだけゆっくりで、やわらかい声だった。
「うん。もう大丈夫」
『……っ』
ヒマリは、何か言いたそうにしてたけど、うつむいたままだった。
『……今すぐに破壊するわけじゃないわ』
リオは、ヒマリの方を見ながら、気まずそうに言った。なんだか、言い訳をしているみたいだった。
『安全に破壊するための手順を、確かめながら進める必要があるの。だから、それまでに言いたいことがあるなら、まだ時間はあるわ』
その言葉を聞いて、ヒマリがはっと顔を上げた。
さっきまでのうつむいた顔じゃなかった。
何かに気がついたみたいな、部室で調べものをしているときの顔だった。
『……リオ、一つ確認したいことがあります』
『何かしら』
『あなたは、どうやってシホのヘイローを破壊するつもりですか』
リオは、ヒマリがした質問に眉を寄せた。
『……そんなことを聞いて、どうするつもりかしら』
『いいから! 答えてください!』
ヒマリは必死な様子で、もう一度聞いた。
リオは、ヒマリの勢いにおどろいたように、少しだけ身を引いた。
それから、不思議そうな顔のまま答えた。
『この施設には、ヘイローを破壊する装置があるわ。六津井シホをそれに接続して、そのうえでヘイローを破壊する。……まさか、今更そんなことはやめろ、とでも言うつもり?』
『……いいえ、そうではありません』
ヒマリは、首を振った。
『リオ。あなたに報告していなかった情報があります。私が、つい先日まで調べていたことです』
『……報告していなかった?』
『シホがなぜあの廃墟にいたのか。そして、なぜあのとき目を覚ましたのか、についてです』
そう言って、ヒマリは一つずつ話し始めた。
『無名の司祭たちに廃棄されたあと、シホはずっとそのまま放っておかれていたわけではありません。デカグラマトンの預言者、ケセドが、シホを掘り起こしていたのです。新しい預言者の候補として』
ヒマリのその言葉に、思わず目を見開いた。
リオもおんなじだったみたいで、おどろいたような顔をしていた。
『ケセドから回収したデータと、シホが眠っていた部屋の様子から考えると、ケセドはシホを廃墟の一室に運び込んだ。そこへ、デカグラマトン本体が、シホを預言者として覚醒させようとした。おそらくは、ハッキングという形で』
デカグラマトン。
研究地区で会った、しゃべる自販機。預言者は、機械を乗っ取って作るって聞いていた。……私も、そうなるところだったんだ。
『ですが、デカグラマトンの思い通りにはなりませんでした。シホは預言者としてではなく、生徒として目を覚ましたのです』
『……その根拠は?』
『研究地区で、デカグラマトン本体……廃墟の自動販売機に宿っていたAIに会ったときのことです。あれは、こう言っていました。「私を見つけるに至った君」と、「私を圧倒した存在の一つであり、預言者にもなり得た彼女」に会いたかった、と』
それは、覚えている。
あのとき、自販機はそんなことを言っていた。誰のことなのかは、わからなかった。
『相手は自販機よ。誰に向けた言葉なのかなんて、分からないでしょう』
『ええ。あれには目も顔もありません』
ヒマリは、リオの言葉にあっさりうなずいた。それから、すぐに続けた。
『ですが、あの場にいたのは、私と先生、エイミ、そしてシホの四人です。「私を見つけるに至った君」は、私のことでしょう。なら「彼女」は、エイミかシホのどちらかです』
『そして、「預言者にもなり得た」。ケセドが預言者の候補として運び込んだのは、シホです。「圧倒した存在の一つ」と言う以上、ほかにもいるのでしょうけれど……あの場で当てはまるのは、シホしかいません』
『……つまり、六津井シホがデカグラマトンを退けた、というの?』
『ええ、おそらくは。ホドの元になった通信ユニット「ハブ」を、デカグラマトンが一瞬で乗っ取ったことは、あなたも知っているでしょう。そのデカグラマトンが、圧倒されたとまで言ったのです』
ホドは、縦穴で戦った大きな機械だ。ヴェリタスの人たちが、ハッキングでなかなか止められなかった相手。
それを一瞬で乗っ取ったなら、すごいことなんだと思った。
ヒマリは、画面越しに私を見た。
『シホには、私たちがまだ把握できていない力が眠っています。外から無理やり何かを書き込もうとしたものを、はね返すほどの力が』
『……そんな重要なことを、なぜ今まで黙っていたの』
リオの声が、イライラしたみたいに鋭くなった。
『あなたはいつもそうね。肝心なことを、私に報告しようとしない』
『どの口がそれを言うのですか』
ヒマリは、フンと息を吐いてすぐに言い返した。
『まだ調査の途中だったのですよ。その力が何なのかも、まるで分かっていません。今あるのは状況証拠だけ。報告できるような段階ではありませんでした』
ヒマリの声が、いつもの調子みたいに高くなった。
『それに、報告も何も、話をしに行った私をいきなり捕まえて閉じ込めたのは、どこのどなたでしたか?』
リオは何も言い返さずに、目をそらした。
《―――――》
また、耳鳴りだ。
うるさい。
『ともかく、その方法で破壊するのは、やめてください』
『……なら、物理的な手段で破壊しろと?』
『どちらでも同じです!』
ヒマリは、強く首を振った。
『デカグラマトンがしたことを思い出してください。外からシホにつないで、無理やり何かを書き込もうとした。そして、退けられたのです。あなたが装置でやろうとしていることも、同じです。外からつないで、外から壊す。装置でも、物理的な手段でも、外から壊そうとする限り、シホの中の力が何をするかは分かりません。何もしないでいてくれる保証は、どこにもないのです』
『デカグラマトンですら退けられた力に、何も分からないまま、無策で手を出せばどうなるか。……あなたなら、分かるでしょう』
ヒマリは、息を吸った。
『私も、シホの力の調査に協力します。それが何なのか分かるまで、破壊は先延ばしにしてください。……アリスも同じです。シホのことが分かるまで、あの子にも手を出さないでください』
『……そんな見え透いた時間稼ぎに、私が乗るとでも?』
『あら。では、この情報を知ったうえで強行しますか? 何が起きるか分からないと知りながら? ……ずいぶんと非合理的な判断ですね、リオ』
ヒマリは、少しだけ笑った。人をからかうときの、いつもの笑い方だった。
リオは、黙った。
画面の中で、二人がにらみ合っていた。
どっちも、目をそらさなかった。
私は、膝の上の手を、開いて、閉じた。
先に息を吐いたのは、リオだった。
『……いいわ』
ヒマリの肩から、少しだけ力が抜けた。
『ただし、条件があるわ。あなたには、完全に私の監視下で動いてもらう。渡す端末は、機能を最低限にしたものだけ。調査は、私のサポートとしてのみ許可するわ』
『ええ。それで構いません』
ヒマリは、すぐにうなずいた。
『……顔合わせのつもりだったのに。まさか、あなたと協力することになるなんてね』
『私も、まったくもって不本意ですよ。漆身呑炭の思いで、協力させていただきます』
ヒマリが難しい言葉を言って、リオが小さく息を吐いた。
『なら、早速始めましょう。二人とも、移動してもらうわ』
画面が消えて、壁は灰色に戻った。
しばらくして、扉が開いた。
そこには、メイド服の人が立っていた。
「ご案内します」
私は、ベッドから立ち上がった。
床に置いていたパイルバンカーとライフルは、そのままにして部屋を出た。
メイド服の人の後ろについて、廊下を歩いた。
白い廊下が、ずっと続いていた。
自分の足音が、やけに大きく聞こえた。
連れてこられたのは、昨日リオと話した、モニターだらけの部屋だった。
部屋の真ん中に、リオが立っていた。
その横に、車椅子に乗ったヒマリがいた。
ヒマリが、私を見た。
私は、ヒマリの車椅子の車輪のあたりを見た。
部屋の奥の、モニターの光が届かない暗いところに、ベッドみたいな台があった。
半分の卵みたいな形をしていて、太いケーブルが何本も床をはっていた。
「あれが、ヘイローを破壊する装置よ」
リオが言った。
「でも、今日はまだ接続しないわ。まずは身体検査から。装置への接続はその後よ。外のネットワークから完全に切り離した状態で、限られた範囲から試していく」
「ええ。賢明な判断です」
「あなたが、無策で手を出すなと言ったのでしょう」
リオは、私の方を見た。
「六津井シホ。こちらへ」
私は、リオの方へ歩いた。
《―――――》
耳鳴りは、まだ鳴っていた。
うるさい。止まって。