猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
「リオ。始める前に、少しだけシホと話をさせてください」
装置の横で機械をいじっていたリオに、ヒマリが声をかけた。
リオは手を止めて、ヒマリと私を順番に見た。
「……わかったわ。手短にね」
ヒマリは小さくうなずいて、車椅子をこっちに向けた。
モーターの音がして、ヒマリが私の前まで来て止まった。
さっきまで画面の向こうにいたヒマリが、手を伸ばせば届くところにいる。
何を言えばいいのかわからなくて、私は、ヒマリの車椅子の車輪のあたりを見ていた。
「シホ」
「……うん」
「あなたの正体のことです」
ヒマリは、膝の上で両手を重ねた。
「私は、ずっと前から知っていました。知っていて、あなたに話さなかった。……本当なら、私の口から伝えるべきことでした。リオから聞かせてしまったこと、本当に、申し訳ありません」
ヒマリが、頭を下げた。長い白い髪が、肩から前に落ちた。
「別に、いい」
本当に、別によかった。
リオから聞いても、ヒマリから聞いても、私が兵器なのは変わらない。それに、ヒマリが言わなかった理由も、なんとなくわかっていた。
ヒマリの頭が、ゆっくり上がった。
口が少しだけ開いて、何か言いかけて、閉じた。
「……そう、ですか」
ヒマリは、困ったように笑った。
いつもの笑い方とは、少し違った。
「それと、もう一つ」
ヒマリは、一度だけ息を吸った。
「前の世界のことを、話してくれてありがとうございます。……いつか話す、と言ってくれたこと、覚えていてくれたのですね」
「……うん」
ありがとう、と言われるとは思っていなかった。
あれは、リオの味方をする理由を話しただけだ。ヒマリのために話したわけじゃない。
だから、どんな顔をすればいいのか、わからなかった。
「あなたがしたことを、私は責めません。あのときも、そう言いましたね。それは、今も変わりません」
私は、何も言わなかった。
ヒマリの顔を見られなくて、車椅子の車輪ばかり見ていた。
「最後に、一つだけ」
ヒマリの声が、少しだけいつもの調子に戻った。
「ファミレスの約束は、まだ有効ですからね。ハンバーグ、食べたいだけ頼んでいいと言ったでしょう?」
「……」
行く、とは言えなかった。
だって、私はここで死ぬのだから。ヒマリも、それはもう知っているはずなのに。
だけど、行かない、とも言えなかった。
結局、私は返事をしなかった。あの日、扉の向こうから同じことを言われたときと、同じだった。
ヒマリは、それ以上何も言わなかった。車椅子が、ゆっくりと後ろに下がっていった。
「……もう、いいかしら」
「……ええ。お待たせしました」
リオが、小さく息を吐いた。
◆
身体検査は、前にヒマリにやってもらったものとは違った。
機械を引っぱったり、走ったりはしなかった。
私は小さい台の上に寝かされて、ほとんど動くことはなかった。動いていたのは、リオとヒマリの方だった。
光の出る機械を、頭の先から足の先まで、ゆっくり当てられる。
目をのぞきこまれて、口の中を見られて、身体の隅々まで調べられた。
「皮膚の手触りも、体温も……近くで見れば見るほど、人と見分けがつきませんね」
「だけど、機械であることは隠しきれてはいないようね。データを見る限り、明らかに人と違う部分も見受けられる」
リオは、画面に映った私の情報をしばらく眺めていた。
前に、ヒマリに言われたことを思い出した。私の体は、アンドロイドだって。
見た目も、さわった感じも、ほとんど人間と同じ。ご飯の味もわかるし、ぶつかれば痛い。
でも、ちゃんと調べたら、中はやっぱり機械なんだ。
「……『名もなき神』の技術は、やはり底が知れないわね」
「前に私が調べたときは、ここまで細かくは見られませんでしたから」
「確かに、普通の設備では無理でしょうね」
リオとヒマリは、検査を続けながらずっと私の身体の話をしていた。
二人とも、相手の顔はほとんど見ていないのに、話はちゃんと続いていた。
仲が悪いと聞いていたけど、こういうところは、なんだか息が合っているように見えた。
「外から見られるところは、このくらいでいいわ」
しばらくして、リオが顔を上げた。
「彼女を接続してデータを取るのは、明日からにしましょう。……あれを使うのは、外から分かることを全部まとめてからよ」
リオの視線の先には、あの装置があった。
部屋の奥の、モニターの光が届かない暗いところ。太いケーブルが何本も、床をはってそこにつながっている。
「リオ様」
入り口の方から、平らな声がした。
振り返ると、メイド服の人が、いつの間にかそこに立っていた。
「そろそろ、昼食を取られてはいかがでしょうか」
「あら。もうそんな時間でしたか。ちょうど区切りもいいですし、皆でご飯にしましょうか」
ヒマリが、ほっとしたように言った。でも、リオは首を横に振った。
「私はこれでいいわ。早いうちに、さっきのデータをまとめておきたいの」
そう言って、リオは机の端に置いてあった細長い包みを手に取った。
袋には、分かりやすくエナジーバー、と書いてあった。
「またそんなものを……。シホ、あなたからも何か言ってあげてください」
ヒマリが、こっちを見た。
「私も、それでいい。ゼリー飲料があるなら、それでも」
何かを食べたいとは、思わなかった。
おいしいものを食べても、もうすぐ全部終わる。それなら、補給できれば何でもいい。
「……」
ヒマリは、何か言いかけて、やめた。少しの間、寂しそうに私の顔を見ていた。
「……私は、休憩しますからね。トキさん、私の分をお願いできますか」
「かしこまりました」
メイド服の人が、一礼して部屋を出ていこうとした。
そのとき、リオの端末が鳴った。
リオは画面を見て、驚いたように目を大きく開いた。
それから、ゆっくりと、安心したみたいに長い息を吐いた。
「……リオ? どうしましたか?」
「セミナーからよ」
リオは、画面を見たまま言った。
「ヴェリタスの部室で爆発があって、建物の一部が崩れたそうよ。その場にC&Cが居合わせて、鎮圧した。……ただ、負傷者が一名」
「ヴェリタスの……!?」
ヒマリが身を乗り出して、車椅子がきしむ音を立てた。
「チーちゃんたちは……!」
「ヴェリタスの部員は、全員無事よ。負傷したのは、ゲーム開発部の才羽モモイ。……意識不明の状態だそうよ」
モモイ。
ゲーム開発部で、一番大きな声で笑っていた人。スマッシュシスターズで、一番たくさん画面の外に飛んでいって、それでもずっと楽しそうだった人。
「モモイは、生きてる?」
自分の声が、思ったより大きかった。
すると、リオが意外そうな顔をして、こっちを見た。
「……命に別状はない、と報告にはあるわ」
「……そっか」
私は、コクンとうなずいた。
いつの間にか、台の端を強く握っていた。
「……どうして、モモイがヴェリタスに?」
ヒマリが、わけがわからない、という顔でリオに聞いた。
「それに、爆発というのは何なのです。ヴェリタスで、いったい何が起きたのですか」
ヒマリが続けて聞いても、リオはすぐには答えなかった。
端末を少しだけ操作して、それから、ヒマリのほうに顔を上げた。
「鎮圧、と言ったわね」
「ええ」
「鎮圧された相手は、天童アリスよ」
音が消えたみたいに、部屋の中がしんとした。
「アリスが、ヴェリタスの部室を壊して暴れたの。C&Cが、彼女を気絶させて止めた。……今は落ち着いているけれど、この先どうなるかは分からないわ」
最初は、リオが嘘をついているのかと思った。それぐらい、信じられなかった。
いつも笑っていて、ユズをロッカーから引っぱり出すときも、モモイと言い合いをするときも、楽しそうだった。そのアリスが、モモイを。
だけど、アリスは……
「……何かの、間違いではありませんか」
ヒマリの声は、少しふるえていた。間違いであってほしい、と言っているみたいだった。
「アリスは、そんなことをする子ではありません。ゲームが好きで、友達が好きで……モモイを傷つけるなんて」
「事実よ。鎮圧した美甘ネル本人の報告よ」
リオは、ヒマリの言葉をさえぎるように、はっきりと言った。
それから、少し考えるようにして、端末を操作し始めた。
「……天童アリスを、すぐに確保するわ」
「待ってください!」
端末を操作するリオに、ヒマリが、大きな声で言った。
「今朝、約束したばかりのはずです。シホのことが分かるまで、アリスにも手は出さないと」
「事情が変わったわ。六津井シホ以上に、何をするか分からない存在を、放っておくわけにはいかない」
ヒマリは、口を閉じた。
奥歯をかみしめているのが、横から見ても分かった。
リオは、ヒマリから目をそらして、また端末に指をのせた。
私は、台の端を握ったまま、それを見ていることしかできなかった。