猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

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四十四話:紅茶の淹れ方

リオの指が、端末の上を動いていた。

その動きは、急いで何かを準備しているようにも見えた。

 

ヒマリは、車椅子の上で、何かを考えるようにじっとそれを見ていた。

それから、はっとしたような顔で口を開いた。

 

「……リオ。それなら、なおさら言っておかなければならないことがあります」

 

リオが、端末の上で指を止めた。すぐには振り向かずに、小さく息を吐いた。

 

「……今度は何かしら」

 

振り向いたリオの目は、細くなっていた。

 

「シホとアリスが初めて会った日のことです。ゲーム開発部で遊んでいるときに、シホが急に倒れたことがありました。そのとき、アリスの様子もおかしくなっていた、と聞いています」

 

それは、覚えている。

頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されるような頭痛とめまい。うずくまった私を見下ろしていた、赤い目のアリス。

あのときのアリスは、いつものアリスじゃなかった。まるで、私に何かを命令しているみたいだった。

 

「二人を一緒にするのは、危険かもしれません。アリスをここに連れてくるとしたら、なおさら……」

 

「……また、なの」

 

リオは目を閉じて、額に指を当てた。

 

「今朝も、同じことを言ったはずよ。貴女はどうして、そんな肝心なことを黙っているのかしら」

 

リオの声は、いつもより少し低かった。

私でも、ヒマリに対して怒っているのがわかった。

 

だけどヒマリは、堂々とした態度でリオを見返した。

 

「様子がおかしくなったのは、初めて会ったその一回だけです。そのあと一日かけてシホを調べても異常はありませんでしたし、私と先生の立ち会いでもう一度会わせたときも、何も起きませんでした。……報告しなかった理由も、今朝と同じですよ。先にシホのことについて知らなければ、調査しようがありませんでしたから」

 

リオは、イライラしているのを隠そうともしないで、眉を寄せた。それでも、ヒマリから目はそらさなかった。

 

「アリスの様子が変わった。……それを知っていれば、もっと早く確保に動いていたわ」

 

それを聞いたヒマリが、何かが引っかかったみたいに、少しだけ首をかしげた。

 

「……リオ。一つ聞いてもいいでしょうか」

 

「何かしら」

 

「あなた、アリスの様子が変わること自体を、ずいぶん気にしていますね。今回のアリスのことも……」

 

今度は、ヒマリの目がすっと細くなった。

 

「もしかして、アリスの様子が変わる条件に、心当たりがあるのですか」

 

そう言われたリオは、何かを考えているように見えて、すぐには答えなかった。

少しして、気まずそうに目を横にそらした。

 

「……完全に、把握しているわけではないわ」

 

「ということは、心当たりはあるのですね」

 

その返答が予想通りだったのか、ヒマリの声がリオを責めるように大きくなった。

 

「よくもまあ、そちらも隠し事をしておきながら、私に『なぜ黙っていたの』などと言えましたね!」

 

隠し事するなと言っていたほうが隠し事をしていたなら、怒るのも無理はない。

今度はヒマリがリオに怒ったけど、リオは何も言い返さなかった。

 

「……それで。その条件とは、何なのです」

 

問い詰めるようなヒマリの態度に、リオは諦めたように小さく息を吐いた。

 

「報告によると、その場にDivi:Sionがいたそうよ。アリスがそれに接触したことで、『名もなき神々の王女』としての彼女が、目を覚ましかけた可能性が高い」

 

「Divi:Sion……」

 

ヒマリが、その名前をくり返した。

 

私にも聞き覚え、いや、見覚えのある名前だった。

モモイのゲーム機が勝手に動いたとき、真っ赤な画面に出ていた文字。

 

「確か、廃墟でG.Bibleを確保したときに起動したシステムの名前でしたね。ですが、『いた』というのはどういうことですか?」

 

ヒマリはそう言って、まだ何かあるのだろうというように、リオをにらみつけた。

 

「システムだけではないわ。Divi:Sionは、『名もなき神々の王女』に付き従う機械の兵器。王女が率いる、機械の軍勢の名前でもあるのよ。……その何体かが、ヴェリタスの部室に入りこんでいた」

 

あの真っ赤な画面の文字は、ただのプログラムだけじゃなくて、何か別の機械の兵隊の名前でもあったんだ。

私は、台の端を握ったまま二人の話を聞く。

 

「状況から見て、Divi:Sionと接触したアリスが、王女として目覚めかけた。美甘ネルがたまたまその場にいて、止めてくれたから、最悪の事態にはならなかった。……そういうことでしょうね」

 

……アリスにとっては、キヴォトスを滅ぼすような出来事にならなくて、ある意味では運が良かったのかもしれない。

だけど、すぐに止めてもらえる状況だったのに、自分でも知らないうちに、大切な人を傷つけてしまった。

 

……やっぱり、私たちはここにいちゃいけないのだろうか。

 

「……ちょっと待ってください」

 

そんなことを考えていると、ヒマリが、質問するように右手を上げてリオの話を止めた。

 

「それだけのことを知っているということは……あなた、前々からDivi:Sionの存在を知っていたのですか」

 

「ええ。知っていたわ。そして、C&CとAMASを通じて全個体を追跡。監視網を張って、ミレニアムに入ってこないようにしていた……つもりだったわ」

 

リオは、平然とした声で言った。

それを聞いたヒマリは、何かを言おうとしてやめて、代わりにすごく長いため息をついた。

 

「……もう、今さらあなたの秘密主義に怒るのも疲れました」

 

疲れた様子を見せるヒマリは、吐ききった息を吸い込んで、ゆっくりと前を向く。

 

「とにかく、起きてしまったことを、ここで言い合っていても仕方がありません。今やるべきことは、二つです。アリスがもう一度暴走しないように、手を打つこと。そして、シホの中に眠っている力を調べること」

 

「……アリスの確保はどうするつもり?」

 

「それからにすべきです。何がきっかけでああなるのか、私たちはまだ何も分かっていません。そんなアリスを、外と切り離しているとはいえ、中のシステムは全部つながっているこの場所に入れるのですか。しかも、前にアリスと反応し合ったシホが、すぐそばにいる場所に」

 

ヒマリは、リオをまっすぐに見た。

 

「アリスのことも、シホのことも、何も分からないまま手を出せば、危なくなるのはこの趣味の悪い隠れ家の方ですよ」

 

リオは、しばらく黙っていた。アリスを連れてくるにしても、安全かどうかわからない状態だと手も出しにくいのだろう。

モニターの光が、リオの顔の半分だけを照らしていた。

 

「……先に、六津井シホの調査を進めるわ」

 

やがて、仕方ないといった様子でリオが言った。

 

「彼女の中にあるものが、何に反応して、何を拒絶しているのか。それが分かれば、アリスをここに入れても安全かどうか判断できる。……アリスを確保するのは、その後よ」

 

その結論を聞いて、ヒマリの肩から少しだけ力が抜けた。

 

「ええ。それで――」

 

「ただし」

 

リオは、安心した様子のヒマリの言葉にかぶせるように言った。

 

「次に天童アリスが生徒に危害を加えたら、その瞬間に身柄を押さえるわ。それと、悠長にしている時間はなくなった。天童アリスを、いつまでも学校に置いておくわけにはいかない。六津井シホの調査は、急ぐわよ」

 

ヒマリは、すぐには答えなかった。

一度だけ、私の方を見て、それから、申し訳なさそうに目をふせた。

 

「……ええ。それは構いません」

 

調査を長引かせたいヒマリにとってはうれしくないのだろう。

だけど、私にとっては調査が早く進むなら、もちろんその方がいいと考えている。

早ければ早いほど、キヴォトスが危険にさらされなくて済むのだから。

 

「ゲーム開発部の周りには、今からAMASとトキを配備するわ。……トキ」

 

入り口で止まっていたメイド服の人が、一歩前に出た。

 

「ゲーム開発部の見張りに回って。アリスに何かあれば、すぐに知らせなさい」

 

「イエス、マム」

 

メイド服の人は、一礼して部屋を出ていった。

さっき、ヒマリもそう呼んでいた。あの人は、トキという名前なんだ。

 

扉が閉まると、部屋の中がしんとした。

 

リオが、私の方を向いて、少し焦ったような表情を浮かべる。

 

「六津井シホ。……聞いていたわね」

 

「うん」

 

「予定を変えるわ。今から、装置への接続を始める。そこに横になってちょうだい」

 

「今から、ですか?」

 

ヒマリが、リオの決定に納得がいかない様子で、車椅子を前に出した。

 

「外部の検査が終わったばかりです。データもまだまとまっていません。いくらなんでも、急ぎすぎです」

 

「これ以上は許容できないわ。これでも最大限の譲歩よ」

 

そう言いながら、リオはすでに装置の方へ歩き出していた。

 

「データは、つなぎながらまとめるわ。ただし、エリドゥのネットワークからは切り離して、調査する範囲も絞る。……それなら、文句はないわね」

 

ヒマリは、その言葉に反論しようとして口を開いて、何も言えなくなって閉じた。

そして、ため息を吐きながら、しぶしぶといった態度で納得した様子を見せた。

 

「……範囲を広げるときは、必ず私にも確認させてください。それだけは、譲りませんよ」

 

「ええ。分かっているわ」

 

私は、さっきまで検査に使っていた台から降りて、リオがいる部屋の奥の、装置の場所に向かって歩いた。

近くで見ると、装置の中は人が一人寝転がれるくらいの丸いくぼみになっていた。まわりからは、何本ものケーブルが床に伸びている。

 

「準備はすでにできているわ。あとは、ここに横になってちょうだい」

 

「わかった」

 

リオに言われるまま装置の中に入って、横になった。

 

装置の中は、思ったより冷たかった。

見上げると、天井がぼんやり見える。照明やモニターの光はここまでは届きにくいみたいで、辺りが少し暗かった。

 

リオが、装置のすぐ横に立った。

上から私の顔を見下ろして、少しの間、何も言わなかった。

 

「……接続するわ。何かあったら、すぐに知らせてちょうだい」

 

「うん」

 

装置の内側から、ケーブルの先が私の体に一つずつくっついていった。

 

「接続、開始」

 

リオがそう言って何かを操作すると、装置が動き出した。

だけど、痛くもないし、違和感もない。目に見える天井は、さっきと同じだった。

 

外で、リオとヒマリがモニターを見ている気配がした。

 

「……反応なし。少なくとも、今のところは」

 

「まずは、一歩ですね」

 

「ええ。少しずつ調査を進めていくわよ」

 

それから何回か、装置を動かしたり止めたりが続いた。

そのたびに、リオが短く何かを言って、ヒマリがモニターの数字を読み上げている。

私にわかるのは、私を調べるのに使う力を、少しずつ増やしているらしい、ということだけ。

 

痛みはない。

でも、体の中を誰かに順番にのぞかれているみたいで、落ち着かない。整備中の機体にでもなった気分だ。

 

《―――――》

 

耳の奥で、音がした。

今までより、ずっと小さい。まるで、耳鳴りが遠くに行ってしまったような音。

 

何かあったら知らせて、とリオは言っていた。

でも、モニターを見ている二人は何も言わない。それなら、これは何でもないんだろう。

私は、聞こえないふりをした。

 

ときどき、ヒマリがモニターじゃなくて、私の顔を見ている。

目が合うと、ヒマリは何も言わずに、モニターへ目を戻す。

 

机の端には、袋を開けていないリオのエナジーバーが置きっぱなしになっていた。

結局、お昼ご飯は誰も食べないままだ。

 

私は、ずっと天井を見ていた。

 

ここで横になっていれば、いつか全部終わる。

そう思うと、胸の中が少しだけ静かになる。

 

   ◆

 

「今日は、ここまでよ」

 

リオがそう言ったころには、もう夜になっていた。

最後のケーブルが外されて、私は装置の中から体を起こす。

 

「六津井シホは、元の部屋に戻ってちょうだい。トキが戻るまでは、AMASに案内させるわ」

 

「リオ、そのことについてなのですが」

 

部屋に戻ろうとした私を止めるように、ヒマリが車椅子を少しだけ前に出した。

そして、私の方を見た後にリオに向き直る。

 

「シホは、私の部屋に置いてくれますか?」

 

リオはヒマリに目を向けて、少しあきれたように息を吐いた。

 

「……一応聞くけど、理由は何かしら?」

 

「監視をするなら、二人を一つの部屋にまとめた方が、見張りが一か所で済むでしょう。トキさんをアリスの見張りに回したのなら、なおさらです」

 

「それに」といいながら、ヒマリが指を一本立てた。

 

「調べる相手の些細な様子も見逃さないために、すぐそばで様子を見ていた方がいいでしょう? あなたの大好きな、合理的な判断というやつですよ」

 

ヒマリの言い分に対して、リオはすぐに答えを出さなかった。

ヒマリの顔を見て、それから、私の顔を見た。

 

「……分かったわ。好きにしなさい」

 

それだけ言うと、リオはモニターの方に向き直ってしまった。

 

「ええ。では、好きなようにさせてもらいますね」

 

ヒマリはにっこりと笑って、それから私の方を向いた。

 

「では、シホ。さっそくですが、この病弱な美少女を、部屋まで送ってもらえますか?」

 

「……車椅子、自分で動くよね」

 

「あら。こういうのは、気持ちの問題なのですよ」

 

よくわからないけど、言われるまま、ヒマリの車椅子の後ろに回る。

持ち手を握って押してみると、思っていたよりも軽い。

 

部屋を出るときも、リオは一度もこっちを振り向かなかった。

どんな顔をしていたのかは、わからないままだ。

 

ヒマリの車椅子を押して、白い廊下を進む。

静かな廊下に、二人分の音だけが響いていた。

 

「シホ」

 

「なに」

 

「部屋に着いたら、まずは紅茶の淹れ方からお教えしますね。トキさんほど上手にとは言いませんが、私の世話をしてもらうのですから」

 

「……わかった」

 

それを聞いて、ヒマリはいつものように小さく笑った。

 

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