猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
目を開けると、そこには燃えているミレニアムが広がっていた。
とっさに身構えて、辺りを見回す。
前にエアと会ったときと同じ、夢の中の景色だとすぐにわかった。
空は相変わらず灰色で、ところどころが炎の色に染まっている。
でも、前とは少し違う。私が立っていたのは、特異現象捜査部の部室の前だった。
私はおそるおそる中を確認する。崩れた壁やぐちゃぐちゃになった家具、前に見た状態と同じ、すべてが破壊された光景が広がっていた。
エアの姿はどこにもないし、気配もしない。そのことに、少しだけ肩から力が抜けた。
私は部室を出て、前と同じ道を歩く。
エンジェル24のコンビニも、その先の道も、前と同じように灰に埋もれていた。
ゲーム開発部があったところに到着すると、そこはやっぱり瓦礫の山のままだった。
前に来たときは、この瓦礫のてっぺんに赤い目をした私が……エアが、立っていた。
だけど今は、誰もいない。辺りをぐるりと見渡しても、人影は見当たらなかった。
いなくていい。いない方がいいと思ったのに。
「……エア?」
気づいたら、私は小さく彼女の名前を呼んでいた。
しばらく待ってみても、返事はなかった。
炎がぱちぱちと鳴る音だけが、私の耳に届く。
念のため、エアがいた瓦礫の山に近づいてみると、積もった灰の上に何かの跡が残っていた。
目を凝らしてみると、それは足跡みたいに見える。。
足跡は瓦礫の上から降りて、燃える街の向こうへと続いていた。
あとを追いかけて進んでいくと、やがて足跡が途絶える場所に来た。
顔を上げてみると、その先にはいつの間にか真っ白な通路が伸びていた。
燃える景色の真ん中に、そこだけ四角い穴が開いたみたいに、白い通路の入口があった。ひどく不自然な光景だった。
反対側に回って覗いてみても、同じように白い通路がどこまでも伸びている。
どんな仕組みになっているのかはわからないけど、どの角度から見てもまっすぐに通路が伸びていた。
前はこんなものはなかったのに、どうして突然現れたのかはわからない。
中に入ってみようとしたとき、私はふと、リオに言われて調査を受けている途中だったことを思い出した。
装置につながれたまま、意識が落ちたところまでは覚えている。
ここにいるということは、もしかして眠ってしまったんだろうか。
二人を置いて寝ているのはよくないし、勝手な行動をして調査に影響があってはいけない。
私は目を覚まそうと思って、自分のほっぺたをつねってみる。
ぼんやりとした痛みはあるけど、目は覚めない。
今度は、思いっきり走り回ったり、その場で飛び跳ねてみた。
なんとなく疲れた感じはするけど、やっぱり目は覚めない。
いっそ、こっちの夢の中で寝てしまえば、向こうで起きられるんじゃないか。
そう思って灰が積もった地面に寝転がってみたけど、眠くないから眠れなかった。。
どうしようもないので、私はそのまま横になって空を見上げる。
空は相変わらず灰色の雲に覆われていて、視界の端には炎の赤がチラチラと動く。
あんまり見ていたくなくて、私は静かに目を閉じた。
どれくらいそうしていたのかは、わからない。
突然、体がすうっと下に向かって落ちていくような感じがして、また意識が遠くなった。
◆
目が覚めると、夢を見る前と同じ装置の中だった。
見上げた先に、心配そうにこっちをのぞきこむヒマリの顔がある。
その後ろでは、リオがモニターの前に立って、じっとこっちを見ていた。
何かあったらすぐに動けるように、身構えているみたいだった。
そして、リオのすぐそばにはトキが立っていた。
いつの間に戻ってきたんだろう。
しかも、いつものメイド服じゃない。体にぴったりとくっついた、黒い水着みたいな格好をしている。
「念のため、トキを呼び戻しておいたのよ」
私の視線に気づいたのか、リオが説明してくれた。
「……使わずに済んで、よかったわ」
リオは、緊張をほどくみたいに小さく息を吐いた。
トキは、何も言わずに一礼しただけだった。
もしかして、私は調査中に暴走するかもしれなかったんだろうか。
「シホ。大丈夫ですか? どこか、おかしなところは?」
ヒマリが、車椅子をさらに装置へ寄せてきた。
「大丈夫。特に問題ない」
「本当ですか?」
「うん。寝てたのかと思った」
正直に答えると、ヒマリは「そうですか」と言って、大きく肩の力を抜いた。
リオも、少しだけ表情をゆるめて、モニターの前からこっちに近づいてくる。
「体の調子は?」
「問題ない」
「……そう」
リオはそう言って、私の体をひと通り眺めてから、まっすぐに私を見た。
「さっきまで、貴女の意識はデータベースの側に移っていたの。貴女の心の中……精神世界を、のぞいていたようなものよ。何か、見えたかしら」
精神世界はよくわからないけど、私の心の中というのは、たぶん、さっきの景色のことなんだと思う。
「ミレニアムが、燃えてた」
ヒマリの手が、ぴくりと動いた。
「部室も、コンビニも。ゲーム開発部は、瓦礫の山になってた。空から灰がずっと降ってて、誰もいなかった」
それだけ言って、私は口を閉じた。
ヒマリは何も言わなかった。ただ、すごく痛そうな顔で私を見ていた。
どこもけがなんてしていないのに、自分がけがをしたみたいな顔だった。
リオの顔は、変わらなかった。……変わらないように、しているみたいだった。何かを、ぐっとこらえているような顔。
「だから、貴女は……」
リオは、そこで言葉を止めた。
私は、リオが何を言おうとしたんだろうかと続きを待った。
だけど、それから少しの間、誰も何も言わなかった。
「……とにかく、接続しても、異常は見られなかったわ。完全に安心できるわけではないけれど、一段落はついた」
リオは言いかけた言葉を続けず、いつもの声に戻って言った。
「では、ここからが本番ですね」
ヒマリが、気を取り直したように顔を上げた。
「これだけのリソースがあれば、調査もずっと進めやすくなります。シホの中に何があるのか、今度こそ―――」
「いいえ」
嬉しそうに今後の予定を語ろうとすると、リオがその言葉をさえぎった。
「天童アリスの確保を優先するわ。明日、迎えに行く」
それを聞いて、ヒマリの顔色が変わった。
何を言っているのか問い詰めるように、リオをにらみつける。
「……二人を一緒にするのは危険だと、言ったはずです。それに、シホの調査は、まだ何も終わっていません」
「六津井シホが、今すぐ危険な状態になる可能性は低いわ」
リオは、ヒマリの方を見たまま淡々と続けた。
「初めて会ったとき、様子が変わったのは天童アリスの方だった。六津井シホは、何も起こしていない。危険なのは、より不安定な天童アリスよ」
「それは……」
「それに、トキとAMASの見張りを二か所に分けるのにも、限界がある。危険なものは、一か所で管理するべきよ。安全を確かめながら進めろと言ったのは、貴女でしょう。確かめた結果よ」
ヒマリは何か言いたそうにしていたけど、口を閉じて黙っていた。
「私たちの目的は、『名もなき神』の技術を解き明かすことじゃない。その危険を取り除くことよ。それを忘れないでちょうだい」
「……ですが」
「わかっているわ。貴女の言い分も、聞いてあげる」
ヒマリの反論を聞く前に、リオは指を一本ずつ立てて説明していく。
「天童アリスは、貴女たちの部屋から離れた、別の区画に置く。検査も、六津井シホとは切り離したネットワークで行う。二人を同時に装置にはつながない。それから、二人を会わせるのは、最初は通信越しだけ。直接会わせるのは、貴女が立ち会って、安全を見極めてからよ」
ヒマリは、何も言い返さなかった。言い返せなかったんだと思う。
リオが言っていることは、間違ってはいないように聞こえたから。
アリスの方が危ないなら、先にアリスをここに連れてくる。それは、正しいと思う。
でも、そうする前に―――
「先に私を壊せばいい」
突然、私が話し出したことに驚いて、二人が同時にこっちを見た。
「つないでも、何も起きなかった。なら、先に私を壊して、それからアリスを呼べばいい。その方が、早い」
リオは私から目をそらして、すぐには答えなかった。
「……準備ができたら、と言ったはずよ」
その声は、さっきまでより少しだけ小さかった。
ヒマリは、そんなリオをじっと見ていた。
まるで、何かを確かめるみたいな目だった。
「……その準備、というのは?」
ヒマリが聞くと、リオはモニターの方を向いた。
「まだ、一度深くつないだだけよ。少なくとも今日は、様子を見るための調査に回すわ」
リオは、モニターを見たまま続けた。
「それに、ヘイローの破壊にはエリドゥの演算能力を使う。一人ずつしかできないし、その間は、もう一人に手が回らない。片方を壊している最中に、もう片方が目を覚ましたら、どうしようもないの。だから、二人とも対処できる備えをしてから、取りかかる。……それだけよ」
人を殺すだけならすぐに済みそうなものだけど、ヘイローを破壊するというのはそういうものなのか、と思った。
リオが言うなら、たぶんそうなんだろう。
ヒマリは、まだリオを見ていた。でも、それ以上は何も聞かなかった。
その代わりに、ヒマリは車椅子を動かして、装置とリオの間に入った。
「……初めに、言ったはずです」
ヒマリはさっきと同じ、にらみつけるような表情だった。
だけど、その声は少しだけふるえていた。
「私は、シホの力を調べるために協力すると。……ヘイローを壊す、などと言い換えるのはやめてください。それは、シホを殺すということです。そんなことに手を貸すつもりは、ありません」
リオは、ヒマリの方を振り向いた。
「貴女の協力は、あった方が助かるわ。でも、なくても問題ない段階まで来たの。エリドゥが使えるなら、サポートもいらない」
それから、リオは声を低くした。
「それに、勘違いしてもらっては困るけれど。今の私と貴女は、対等じゃないわ。異論があるなら、部屋に戻って、おとなしくしていてもらう」
ヒマリは、押し黙った。
いまこうして一緒に調査しているのは、ヒマリが協力したいと言ったからだ。
ジャマをするなら、いない方がいいということなのだろう。
部屋の中が、しんとする。
トキだけが、さっきから少しも動かずに、リオのそばに立っていた。
しばらくして、ヒマリが、ゆっくりと顔を上げた。
「……なら、私は」
ヒマリは、まっすぐにリオを見た。
「シホの中に、まだ眠っている危険を探すために、調査します。……それなら、文句はないでしょう?」
「……危険を見つけてもらえるなら、それで構わないわ」
そう言って、リオはまたモニターの方に向き直った。
ヒマリも、車椅子をモニターの前に寄せていく。
二人は、また私の調査を始めた。
私は、装置の中に横になったまま、天井を見ていた。
目の端で、モニターの前で何かを話し続けている二人を見る。
さっきまでの言い合いが、嘘みたいだった。
二人とも、同じ画面を見て、同じことを考えているように見える。
そういえば。
いつの間にか、耳鳴りがしなくなっていた。