猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

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四十七話:見つからなかったもの

それからも、調査は続いた。

 

モニターだらけの部屋には窓がないから、外が暗くなったのかどうかはわからない。

でも、AMASが夕ご飯を運んできて、夜になったんだとわかった。

 

「リオ。もう一度、つないでください」

 

ヒマリが、モニターを見たまま言う。

リオは何も言わずに、手元の端末を動かした。

 

装置の内側から、ケーブルの先がまた私の体にくっついてくる。

感覚が遠くなって、気づくと、燃えているミレニアムに立っていた。

 

しばらくすると、体が下に落ちていくような感じがして、目が覚める。

見えるのは、さっきと同じ天井。

 

「……もう一度、お願いします」

 

その夜、私は何度も燃えるミレニアムを見た。

何度行っても、景色は同じだった。

 

つながれていない間、私は装置の中で横になったまま二人を見ていた。

 

リオとヒマリは、それぞれ別の画面の前にいる。

昼間は、顔を見ないままずっと何か話していたのに、今はほとんど話さない。口を開くのは、私をつなぐときくらい。

リオは、ずっと自分の画面だけを見ていた。ヒマリの方を、一度も見なかった。

 

夕ご飯は、机の端に置かれたまま冷めていった。

 

「……ヒマリ、夕食を食べなさい」

 

リオが、画面を見たまま言った。

 

「食事をとらずに作業するのは、効率が落ちるわ。非合理的よ」

 

お昼に、ヒマリがリオにしていたのと、反対だ。

ヒマリは「ええ」とだけ答えると、スプーンを何度か口に運んで、また画面に戻った。

 

夜が深くなっても、二人は止まらなかった。

 

ヒマリの声は、だんだんかすれていった。ときどき目をこすって、また画面に顔を近づける。

いつもなら、病弱な美少女がどうとか言い出しそうなのに、そういうことは一度も言わなかった。

 

リオの方は、今朝と同じ顔だった。眠そうにも、疲れているようにも見えない。

 

私も、眠らなかった。

眠れとは言われなかったし、眠ってしまったらつなぐときに困ると思った。

装置の冷たさは、もう気にならなかった。

 

どれだけ調査が続いたのかわからなくなってきたとき、扉が開いてAMASが入ってきた。

 

運んできたのは、パンとスープだった。

いつの間にか、朝になっていたらしい。

 

それを見て、ヒマリの手が止まった。

ヒマリは、しばらく画面を見つめていた。それから、ゆっくりと背もたれに体をあずけた。

 

「……何も、見つかりませんでした」

 

小さくて、かすれた声だった。

 

リオが、自分の画面から顔を上げる。

 

「……そう」

 

リオの目が、ほんの少しだけヒマリの方へ動いて、すぐに画面へ戻った。

 

「こちらは、準備が整ったわ」

 

リオは、画面を見たまま続けた。

 

「あとは、天童アリスを確保するだけ」

 

ヒマリの肩が、小さく動いた。

 

一晩中、リオが別の画面で何をしていたのか。それで、わかった。

 

ヒマリがどれだけ探しても、私の中に危ないものは見つからなかった。リオの準備も終わった。

……問題がないなら、それでいい。

 

「……リオ」

 

ヒマリが、かすれた声のまま顔を上げた。

 

「アリスを迎えに行くのなら、私も一緒に行きます。あの子は今、自分のしたことに、一番傷ついているはずです。そんな子を、一人で知らない場所に連れてくるつもりですか。……それに、あなたに任せたら、あの子にどんな言い方をするか、わかったものではありません」

 

リオは、すぐに答えた。

 

「貴女を外に出すわけがないでしょう」

 

ヒマリは何か言い返そうとして、口を開いた。

でも、声が出る前に、リオが続けた。

 

「それに、二人とも一晩寝ていないでしょう。部屋に戻って、休みなさい」

 

「……あなたこそ、寝ていないでしょう」

 

「私は慣れているわ」

 

リオはそう言って、ヒマリに手を差し出した。

 

「端末も預かるわ。私が戻るまで、貴女には何もさせない」

 

ヒマリは、差し出された手をしばらく見ていた。

それから、今まで使っていた端末を、ゆっくりとリオの手に乗せた。

 

最後のケーブルが外されて、私は装置から体を起こした。一日中横になっていたせいか、体が少し重い。

 

部屋の出口を見てみると、AMASがそこで待っている。

私はヒマリの車椅子の後ろに回って、持ち手を握った。

 

部屋を出る前に振り返ると、リオがこっちを見ていた。

目が合うと、リオはすぐに画面の方を向いた。

 

   ◆

 

戻るあいだ、ヒマリはずっと何か考えているようで、一言もしゃべらない。

ヒマリの部屋に戻ると、後ろで扉が閉まった。

 

徹夜したから、眠くて疲れているのもあるんだと思う。

だけど、それ以上にヒマリは悔しそうな表情をしていた。

 

車椅子をベッドに寄せて、ヒマリをその上に移す。

抱えたヒマリの体は、昨日の朝より重く感じた。たぶん、ヒマリが自分で力を入れていないからだろう。

 

私もベッドに上がって、前と同じように、ヒマリに背中を向けて端っこで横になった。

 

「シホ」

 

後ろから、ヒマリの声がした。

 

「……なに」

 

「一つだけ、お願いがあります」

 

シーツがこすれる音がして、ヒマリが少しこっちに寄ってきたのがわかった。

 

「死なないでください」

 

耳のすぐそばで聞こえた声は、さっきよりもかすれていた。

 

「あなたに、死んでほしくないんです。……生きたい、と。一度だけでいいですから、あなたの口から、そう言ってください」

 

私は、すぐには何も言えなかった。

 

言えば、ヒマリは少しだけ安心するんだと思う。

でも、言ったら、それは約束になる。

ファミレスの約束にも、まだ返事をしていない。守れない約束は、もうしたくなかった。

 

「……ごめんね」

 

それだけ言った。

 

ヒマリは、何も言わなかった。

その代わりに、後ろから回ってきた腕が、私をぎゅっと抱きしめた。この前の夜よりも、ずっと強い力だった。

背中に、ヒマリの額が押しつけられる。ヒマリの息が、ふるえていた。

 

私は、その腕をほどかなかった。

 

しばらくすると、ヒマリの息がだんだんゆっくりになっていった。

一晩中起きていたから、もう限界だったんだと思う。すぐ後ろから、寝息が聞こえてくる。

 

それでも、ヒマリの腕の力はゆるまなかった。

私は、その腕の中で目を閉じた。

 

   ◆

 

目が覚めたのは、部屋が急に明るくなったからだった。

 

まぶしくて、目を細めながらまぶたを開ける。

壁の大きな画面がついていて、その中にリオが映っていた。

 

『……起きたかしら』

 

どれくらい眠っていたのかはわからない。窓がないから、外が明るいのか暗いのかもわからない。

でも、頭はさっきよりずっとすっきりしていた。

 

背中の後ろで、ヒマリが小さく身じろぎした。

回されていた腕が、ゆっくりほどけていく。

 

私が体を起こすと、ヒマリもベッドの上で起き上がろうとした。

手を貸して、背中を枕にもたれさせる。

 

「……月すら恥じらう乙女の寝室に、ずいぶんと無遠慮ですね。もっとも、下水を流れるあなたは、月を見上げることすらないのでしょうが」

 

ヒマリの声は、まだ少し眠そうだったけどいつもの言い方に戻っていた。

寝起きのせいか、いつもより少し不機嫌になっている。

 

『……いつもの調子に戻ったようね』

 

リオは、あきれたような、疲れたようなため息をついた。

顔をよく見ると、少し疲れているみたいだった。たぶん、昨日からまだ一度も寝ていないのだろう。

 

『天童アリスを確保したわ』

 

それ以上は相手にせず、リオは端的に報告してきた。

アリスを迎えに行ったから、きっとそうだろうとは思っていたけど、それを聞いたヒマリの肩がこわばるのが見えた。

 

「……あの子に、何を言ったのですか」

 

『六津井シホと同じで、事実を伝えただけよ』

 

それだけ言って、リオは私の方を見た。

 

『天童アリスは、ここから離れた区画にいるわ。それで……彼女が、貴女と話したいと言っているの』

 

「私と?」

 

『ええ。昨日決めたとおり、まずは通信越しだけよ。どうするかは、貴女が決めなさい』

 

アリスが私と話したいことって、何だろう。

ヒマリが、私の顔を見た。

断る理由は、特に思いつかなかった。

 

「いいよ」

 

『……そう』

 

画面が、二つに分かれた。

片方には、リオ。もう片方には、私がいた部屋と同じような薄暗い部屋。

その部屋のベッドの端に、アリスが座っていた。

 

長い髪も、制服も、いつもと同じ。

でも、背中にあの大きな武器はなかった。

 

こっちに気が付いたアリスが、ゆっくり顔を上げる。

 

『……シホ』

 

いつものような、元気な声じゃなかった。

ゲーム開発部で見ていた笑顔もなかった。

 

アリスの目を見た瞬間、私は少しだけ身構えた。

モモイのゲーム機が勝手に動いたとき、アリスの目は赤くなって、私は頭をかき回されるみたいになって、立っていられなくなった。

 

でも、画面の中のアリスの目は、青いままだった。

頭も痛くならない。耳の奥も、静かなままだった。

 

『本当に、シホもここにいたのですね』

 

アリスは、少しだけ笑おうとして、うまく笑えていなかった。

 

『リオから、聞きました。シホも、アリスと同じだって。……それから、シホは、壊されることを、自分で受け入れたって』

 

アリスが、不安そうな顔でこっちを見る。

 

『本当ですか?』

 

「うん。本当」

 

私の答えに、アリスは何も言わなかった。

膝の上で、両手をぎゅっと握っている。

 

「アリス、どこもケガはしていませんか」

 

ヒマリが、横から声をかけた。

いつもより、ずっとやさしい声だった。

 

『はい。アリスは、大丈夫です。……でも』

 

アリスの声が、小さくなった。

 

『モモイが……アリスのせいで、ケガをしてしまいました』

 

「……だけど、モモイは生きてる」

 

気づいたら、私はそう言っていた。

どうしてそう言ったのかは、自分でもよくわからなかった。

 

『……はい、知っています。でも、アリスが、モモイを……』

 

アリスはうつむいて、そのまま黙り込んでしまった。

 

私は、何て言えばいいのかわからなかった。

大丈夫、とは言えない。アリスがしたことは、もうなかったことにはできない。

 

知らないうちに、というのは、私にはわからない。

だけど、自分から友達を傷つけたことなら、ある。……本当に、思い出したくもない。

 

だから、アリスがここにいるのは、きっと正しい。

私も、アリスも、ここにいれば、もう誰も傷つけなくて済む。

 

「アリスは、リオに連れてこられたの?」

 

私がそう聞くと、アリスは、ゆっくりと首を横に振った。

 

『いいえ。アリスも、自分の意志で来ました』

 

アリスは顔を上げた。

その目は、さっきよりも少しだけはっきりとしていた。

 

『アリスは魔王だから、仕方ないって思いました。でも、やっぱりみんなと会えなくなるのは、寂しいです……』

 

アリスの声が、また小さくなる。

 

『だから、シホとお話がしたかったのです。アリスは、モモイを傷つけました。でも、シホは誰も傷つけていません。なのに、どうしてここに来たのですか?』

 

その言葉に、今度は私の肩がこわばる。

アリスは、少しだけ迷うように目をふせて、それから、もう一度こっちを見た。

 

『教えて、くれますか? ……シホは、怖くないのですか?』

 

私は、すぐには答えなかった。

アリスは、ルビコンのことを知らない。話すなら、また最初からになる。

 

「答えてもいい。でも、長くなる。……このまま話しても、いい?」

 

私はそう言って、確認を取るように画面の中のリオを見た。

 

『……後にしなさい』

 

リオは、少しだけ間を置いて言った。

 

『二人とも、起きたばかりでしょう。先に身支度をしなさい。その間に、天童アリスの検査を済ませるわ』

 

『……はい』

 

アリスが小さくうなずいて、画面が消えた。

壁が、灰色に戻る。

 

ヒマリが、ベッドの端に体を寄せた。車椅子に移るのを手伝ってほしい、という合図だと思う。

私はヒマリを抱え上げながら、アリスの言葉を思い出していた。

 

怖くないのか、と聞かれた。

答えは、すぐには出てこなかった。

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