猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
それからも、調査は続いた。
モニターだらけの部屋には窓がないから、外が暗くなったのかどうかはわからない。
でも、AMASが夕ご飯を運んできて、夜になったんだとわかった。
「リオ。もう一度、つないでください」
ヒマリが、モニターを見たまま言う。
リオは何も言わずに、手元の端末を動かした。
装置の内側から、ケーブルの先がまた私の体にくっついてくる。
感覚が遠くなって、気づくと、燃えているミレニアムに立っていた。
しばらくすると、体が下に落ちていくような感じがして、目が覚める。
見えるのは、さっきと同じ天井。
「……もう一度、お願いします」
その夜、私は何度も燃えるミレニアムを見た。
何度行っても、景色は同じだった。
つながれていない間、私は装置の中で横になったまま二人を見ていた。
リオとヒマリは、それぞれ別の画面の前にいる。
昼間は、顔を見ないままずっと何か話していたのに、今はほとんど話さない。口を開くのは、私をつなぐときくらい。
リオは、ずっと自分の画面だけを見ていた。ヒマリの方を、一度も見なかった。
夕ご飯は、机の端に置かれたまま冷めていった。
「……ヒマリ、夕食を食べなさい」
リオが、画面を見たまま言った。
「食事をとらずに作業するのは、効率が落ちるわ。非合理的よ」
お昼に、ヒマリがリオにしていたのと、反対だ。
ヒマリは「ええ」とだけ答えると、スプーンを何度か口に運んで、また画面に戻った。
夜が深くなっても、二人は止まらなかった。
ヒマリの声は、だんだんかすれていった。ときどき目をこすって、また画面に顔を近づける。
いつもなら、病弱な美少女がどうとか言い出しそうなのに、そういうことは一度も言わなかった。
リオの方は、今朝と同じ顔だった。眠そうにも、疲れているようにも見えない。
私も、眠らなかった。
眠れとは言われなかったし、眠ってしまったらつなぐときに困ると思った。
装置の冷たさは、もう気にならなかった。
どれだけ調査が続いたのかわからなくなってきたとき、扉が開いてAMASが入ってきた。
運んできたのは、パンとスープだった。
いつの間にか、朝になっていたらしい。
それを見て、ヒマリの手が止まった。
ヒマリは、しばらく画面を見つめていた。それから、ゆっくりと背もたれに体をあずけた。
「……何も、見つかりませんでした」
小さくて、かすれた声だった。
リオが、自分の画面から顔を上げる。
「……そう」
リオの目が、ほんの少しだけヒマリの方へ動いて、すぐに画面へ戻った。
「こちらは、準備が整ったわ」
リオは、画面を見たまま続けた。
「あとは、天童アリスを確保するだけ」
ヒマリの肩が、小さく動いた。
一晩中、リオが別の画面で何をしていたのか。それで、わかった。
ヒマリがどれだけ探しても、私の中に危ないものは見つからなかった。リオの準備も終わった。
……問題がないなら、それでいい。
「……リオ」
ヒマリが、かすれた声のまま顔を上げた。
「アリスを迎えに行くのなら、私も一緒に行きます。あの子は今、自分のしたことに、一番傷ついているはずです。そんな子を、一人で知らない場所に連れてくるつもりですか。……それに、あなたに任せたら、あの子にどんな言い方をするか、わかったものではありません」
リオは、すぐに答えた。
「貴女を外に出すわけがないでしょう」
ヒマリは何か言い返そうとして、口を開いた。
でも、声が出る前に、リオが続けた。
「それに、二人とも一晩寝ていないでしょう。部屋に戻って、休みなさい」
「……あなたこそ、寝ていないでしょう」
「私は慣れているわ」
リオはそう言って、ヒマリに手を差し出した。
「端末も預かるわ。私が戻るまで、貴女には何もさせない」
ヒマリは、差し出された手をしばらく見ていた。
それから、今まで使っていた端末を、ゆっくりとリオの手に乗せた。
最後のケーブルが外されて、私は装置から体を起こした。一日中横になっていたせいか、体が少し重い。
部屋の出口を見てみると、AMASがそこで待っている。
私はヒマリの車椅子の後ろに回って、持ち手を握った。
部屋を出る前に振り返ると、リオがこっちを見ていた。
目が合うと、リオはすぐに画面の方を向いた。
◆
戻るあいだ、ヒマリはずっと何か考えているようで、一言もしゃべらない。
ヒマリの部屋に戻ると、後ろで扉が閉まった。
徹夜したから、眠くて疲れているのもあるんだと思う。
だけど、それ以上にヒマリは悔しそうな表情をしていた。
車椅子をベッドに寄せて、ヒマリをその上に移す。
抱えたヒマリの体は、昨日の朝より重く感じた。たぶん、ヒマリが自分で力を入れていないからだろう。
私もベッドに上がって、前と同じように、ヒマリに背中を向けて端っこで横になった。
「シホ」
後ろから、ヒマリの声がした。
「……なに」
「一つだけ、お願いがあります」
シーツがこすれる音がして、ヒマリが少しこっちに寄ってきたのがわかった。
「死なないでください」
耳のすぐそばで聞こえた声は、さっきよりもかすれていた。
「あなたに、死んでほしくないんです。……生きたい、と。一度だけでいいですから、あなたの口から、そう言ってください」
私は、すぐには何も言えなかった。
言えば、ヒマリは少しだけ安心するんだと思う。
でも、言ったら、それは約束になる。
ファミレスの約束にも、まだ返事をしていない。守れない約束は、もうしたくなかった。
「……ごめんね」
それだけ言った。
ヒマリは、何も言わなかった。
その代わりに、後ろから回ってきた腕が、私をぎゅっと抱きしめた。この前の夜よりも、ずっと強い力だった。
背中に、ヒマリの額が押しつけられる。ヒマリの息が、ふるえていた。
私は、その腕をほどかなかった。
しばらくすると、ヒマリの息がだんだんゆっくりになっていった。
一晩中起きていたから、もう限界だったんだと思う。すぐ後ろから、寝息が聞こえてくる。
それでも、ヒマリの腕の力はゆるまなかった。
私は、その腕の中で目を閉じた。
◆
目が覚めたのは、部屋が急に明るくなったからだった。
まぶしくて、目を細めながらまぶたを開ける。
壁の大きな画面がついていて、その中にリオが映っていた。
『……起きたかしら』
どれくらい眠っていたのかはわからない。窓がないから、外が明るいのか暗いのかもわからない。
でも、頭はさっきよりずっとすっきりしていた。
背中の後ろで、ヒマリが小さく身じろぎした。
回されていた腕が、ゆっくりほどけていく。
私が体を起こすと、ヒマリもベッドの上で起き上がろうとした。
手を貸して、背中を枕にもたれさせる。
「……月すら恥じらう乙女の寝室に、ずいぶんと無遠慮ですね。もっとも、下水を流れるあなたは、月を見上げることすらないのでしょうが」
ヒマリの声は、まだ少し眠そうだったけどいつもの言い方に戻っていた。
寝起きのせいか、いつもより少し不機嫌になっている。
『……いつもの調子に戻ったようね』
リオは、あきれたような、疲れたようなため息をついた。
顔をよく見ると、少し疲れているみたいだった。たぶん、昨日からまだ一度も寝ていないのだろう。
『天童アリスを確保したわ』
それ以上は相手にせず、リオは端的に報告してきた。
アリスを迎えに行ったから、きっとそうだろうとは思っていたけど、それを聞いたヒマリの肩がこわばるのが見えた。
「……あの子に、何を言ったのですか」
『六津井シホと同じで、事実を伝えただけよ』
それだけ言って、リオは私の方を見た。
『天童アリスは、ここから離れた区画にいるわ。それで……彼女が、貴女と話したいと言っているの』
「私と?」
『ええ。昨日決めたとおり、まずは通信越しだけよ。どうするかは、貴女が決めなさい』
アリスが私と話したいことって、何だろう。
ヒマリが、私の顔を見た。
断る理由は、特に思いつかなかった。
「いいよ」
『……そう』
画面が、二つに分かれた。
片方には、リオ。もう片方には、私がいた部屋と同じような薄暗い部屋。
その部屋のベッドの端に、アリスが座っていた。
長い髪も、制服も、いつもと同じ。
でも、背中にあの大きな武器はなかった。
こっちに気が付いたアリスが、ゆっくり顔を上げる。
『……シホ』
いつものような、元気な声じゃなかった。
ゲーム開発部で見ていた笑顔もなかった。
アリスの目を見た瞬間、私は少しだけ身構えた。
モモイのゲーム機が勝手に動いたとき、アリスの目は赤くなって、私は頭をかき回されるみたいになって、立っていられなくなった。
でも、画面の中のアリスの目は、青いままだった。
頭も痛くならない。耳の奥も、静かなままだった。
『本当に、シホもここにいたのですね』
アリスは、少しだけ笑おうとして、うまく笑えていなかった。
『リオから、聞きました。シホも、アリスと同じだって。……それから、シホは、壊されることを、自分で受け入れたって』
アリスが、不安そうな顔でこっちを見る。
『本当ですか?』
「うん。本当」
私の答えに、アリスは何も言わなかった。
膝の上で、両手をぎゅっと握っている。
「アリス、どこもケガはしていませんか」
ヒマリが、横から声をかけた。
いつもより、ずっとやさしい声だった。
『はい。アリスは、大丈夫です。……でも』
アリスの声が、小さくなった。
『モモイが……アリスのせいで、ケガをしてしまいました』
「……だけど、モモイは生きてる」
気づいたら、私はそう言っていた。
どうしてそう言ったのかは、自分でもよくわからなかった。
『……はい、知っています。でも、アリスが、モモイを……』
アリスはうつむいて、そのまま黙り込んでしまった。
私は、何て言えばいいのかわからなかった。
大丈夫、とは言えない。アリスがしたことは、もうなかったことにはできない。
知らないうちに、というのは、私にはわからない。
だけど、自分から友達を傷つけたことなら、ある。……本当に、思い出したくもない。
だから、アリスがここにいるのは、きっと正しい。
私も、アリスも、ここにいれば、もう誰も傷つけなくて済む。
「アリスは、リオに連れてこられたの?」
私がそう聞くと、アリスは、ゆっくりと首を横に振った。
『いいえ。アリスも、自分の意志で来ました』
アリスは顔を上げた。
その目は、さっきよりも少しだけはっきりとしていた。
『アリスは魔王だから、仕方ないって思いました。でも、やっぱりみんなと会えなくなるのは、寂しいです……』
アリスの声が、また小さくなる。
『だから、シホとお話がしたかったのです。アリスは、モモイを傷つけました。でも、シホは誰も傷つけていません。なのに、どうしてここに来たのですか?』
その言葉に、今度は私の肩がこわばる。
アリスは、少しだけ迷うように目をふせて、それから、もう一度こっちを見た。
『教えて、くれますか? ……シホは、怖くないのですか?』
私は、すぐには答えなかった。
アリスは、ルビコンのことを知らない。話すなら、また最初からになる。
「答えてもいい。でも、長くなる。……このまま話しても、いい?」
私はそう言って、確認を取るように画面の中のリオを見た。
『……後にしなさい』
リオは、少しだけ間を置いて言った。
『二人とも、起きたばかりでしょう。先に身支度をしなさい。その間に、天童アリスの検査を済ませるわ』
『……はい』
アリスが小さくうなずいて、画面が消えた。
壁が、灰色に戻る。
ヒマリが、ベッドの端に体を寄せた。車椅子に移るのを手伝ってほしい、という合図だと思う。
私はヒマリを抱え上げながら、アリスの言葉を思い出していた。
怖くないのか、と聞かれた。
答えは、すぐには出てこなかった。