猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
今後は決まった時間に更新できるように心がけます。
数分も経たないうちに、部屋を出て行ったエイミが、ビニール袋を提げて戻ってきた。
袋の中から取り出されたのは、パウチパックに入ったゼリー飲料、カップに入ったおかゆ、そしてプリンだった。
「どれがいい? 胃に優しいものを選んできたつもりだけど」
エイミに聞かれるが、どれが何なのか分からない。
「……いちばん簡単なもので」
私は少し迷った後、一番簡単に補給できそうなものを頼んだ。それを聞いたエイミは、パウチパックをこちらに渡してきた。
しかし、パッケージの仕組みが理解できない。しばらくパックをひっくり返したり、端を引っ張ったりしてみたが、中身を取り出す方法が分からなかった。
「……これ、どうやって開けるの?」
「えっ。嘘でしょ、キャップ捻るだけだよ?」
「キャップ……?」
私が聞き返すと、ヒマリとエイミは顔を見合わせた。
「あなた、まさか本当にこれの開け方と食べ方が分からないんですか?」
「口からご飯を食べるやり方、覚えてない」
私が答えると、二人は何とも言えない顔で押し黙った。
「後で詳しく話を聞かせてもらいますけど、まずは食事が先ですね」
ヒマリがため息まじりに言い、エイミが私の手からパックを取って、上部のキャップを捻って開けてくれた。
「ほら。ここから吸うの」
「分かった」
パックを受け取り、教えられた通りに吸い口を咥え、中身を吸い込んだ。
「――っ」
冷たくて、甘い。
ほのかな酸味がゼリーと一緒に口の中に広がり、喉を潤していく。ずっと忘れていた『味』という感覚が脳を刺激して、思わず目を丸くした。
「……どうですか?」
「……おいしい」
久しぶりの感覚に戸惑いながらも、そのまま夢中で飲み続けてしまう。
あっという間にパックの中身を吸い尽くし、もう少し飲みたかったなと思いながら、空になったパウチを置く。
だけど、視線が自然と、机の上に置かれている別のゼリー飲料へと向いてしまった。
「……食べる?」
「……一個だけで終わりじゃないの?」
私がエイミに問いかけると、彼女は確認を取るかのようにヒマリのほうを向いた。つられて私も向き直ると、ヒマリがくすりと笑う。
「長期間食べていなかったのなら一気に食べるのは危ないですが、そのゼリーをもう一つくらいなら大丈夫でしょう。無理をしない程度なら、食べても良いですよ」
その許可が出たあと、私はおずおずと二つ目のパックに手を伸ばした。自分でキャップを捻って開け、今度は少しゆっくりと、その甘さを味わうように飲み始める。
「……なんだか、迷い込んだ小動物にエサをあげている気分ですね」
「うん。リスとかハムスターみたい」
二人が私を見て何かヒソヒソと話していたが、私はゼリーの味に夢中で、気にも留めなかった。
◆
二つ目のゼリーを飲み終わる頃、ヒマリが真剣な表情で口を開いた。
「さて、落ち着いたところで質問の時間です。……口から食べるのが久しぶりというのは、どういう意味ですか? あなたは前の世界で、どのような暮らしをしていたんです?」
私は空になったパックを机に置き、前の世界でのことについて話すことにした。
「私は、『強化人間』という、改造人間だった」
「改造人間……」
「強化人間は、ACを操作するために手術して、人間を作り変えるもの。私の受けた手術は古い世代のものだったから、後遺症も酷かった」
「後遺症、ですか」
「自力で歩くこともできなかった。生命維持装置に繋がれてたから、栄養は点滴で取っていた」
手術を受ける前の記憶はあまりない。でも、自分から進んでこんな手術を受けたわけじゃないと思う。借金のせいか、どこかで拾われたのか。どうせろくな理由じゃないだろう。
私が話し終えると、ヒマリは辛そうに顔を歪めていた。この空気を変えるためにも、今度は私から質問することにした。
「次は、私の番」
「えっ? あ、はい。なんでしょう?」
「この耳」
私は自分の頭から生えている犬耳を指差した。
「前の私に、これは生えてなかった。これは何?」
「何だと言われましても……キヴォトスではごく普通の人種の一部ですよ。特に珍しいものではありませんし、機能的にも普通の耳と変わりません」
「……じゃあ、この頭の上のは? これも前は無かった」
私が頭上の輪を指差すと、ヒマリは少し考え込むような仕草をした。
「それは『ヘイロー』と呼ばれるものです。キヴォトスの生徒なら誰もが持っているものです。物理的な実体はないので触ることはできませんし、私たちが起きている時……つまり、意識がある時にだけ存在して、眠ったり気絶したりして意識を失うと消えてしまうという性質を持っています」
「……それだけ?」
「いえ、それ以外にも意味はあるとされています。例えば、私たちキヴォトスの住人は、銃弾を受けたり爆発に巻き込まれたりしても、致命傷につながることはほとんどありません。人によっては常人離れした身体能力を発揮できたりもするのですが、それはひとえに、このヘイローのおかげだとも言われています」
その説明を聞いて、私はハッとした。
てっきり、誰かに拾われて新しい強化人間手術をされたのか、それとも身体を機械みたいに作り替えられたのかと疑っていた。
だけど、この耳も、ヘイローも、頑丈さも、キヴォトスなら誰もが持っている当たり前の力だというのだ。
もしかしたら、今の私は――ただの、普通の人間に戻れたのかもしれない。
そう考えると、肩の力が少しだけ抜けたような気がした。
◆
それからしばらくの間、お互いの世界のことについて色々と話をした。でも、お互いの常識が違いすぎて、話の辻褄を合わせるのにずいぶん時間がかかった。
「……ふぅ。一通りお互いの話は聞けましたが、さすがに疲れましたね……。それに、もうこんな時間ですね」
ヒマリがモニターの時計を見上げて息を吐く。気づけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「今日のところは解散にして、明日にしましょう。……ところでレイヴン、あなたは寝泊りする場所はあるんですか?」
「……ない」
「でしょうね。仕方ありません、今日はこの特異現象捜査部の仮眠室を貸してあげます」
ヒマリの提案で、私はこの部室で夜を明かすことになった。
エイミは自分の部屋に帰るみたいだけど、ヒマリは「得体の知れない子を一人にしておくわけにはいきませんからね」と言って、一緒に泊まってくれるらしい。
「とはいえ、泊まり込みの準備なんてしていませんからね。エイミ、少し手伝ってください。着替えを取りに寮まで戻ります」
「うん、わかった」
二人は私を部室の奥にある小さな仮眠室へと案内すると、「大人しく待っているんですよ」と言い残して、一緒に外へと出て行った。
残された私は、あてがわれたベッドの上に座って、二人が戻ってくるのを静かに待つことにした。
◆
夜のミレニアムの廊下を、ヒマリとエイミが並んで歩く。ヒマリの手元にある携帯端末には、部室内に仕掛けられた監視カメラの映像が映し出されていた。
『…………』
カメラ越しのレイヴンは、仮眠室のベッドにちょこんと座ったまま、大人しく待機している。
「……ねえ、部長」
「はい、なんでしょう?」
「あの子、どうするの。……本当に、毎日命のやり取りをしてたみたいだけど」
「ええ。彼女の語った過去が事実なら、あの子は非常に危うい存在であることは間違いないでしょう」
ヒマリは端末の画面を見つめながら、静かに目を伏せた。
「ですが……ゼリー飲料を飲んで目を輝かせていたあの顔は、間違いなく年相応の、ただの女の子のものでした。危険だからといって、あんな過酷な環境で育った子を放り出すことなんて、私にはできません」
「……うん。悪い子じゃなさそう」
「まずは、特異現象捜査部で引き取って、キヴォトスの常識を教えるところからですね。様子を見ながら、ミレニアムに入学させられないかも検討してみましょう」
ヒマリの言葉に、エイミも小さく頷いた。
「ですが、いくつか気になる点もあります。話を聞く限り、キヴォトスの外から来たのは間違いないでしょうが……なぜ、あの廃墟の『棺』の中から出てきたのか」
「もしかして、私たちが調査してた『デカグラマトン』に関係する?」
「その可能性も高いですが、それ以上に気になるのは『アリス』との関係性です」
ヒマリは顎に手を当て、少しの間思案してから口を開いた。
「廃墟で目覚めたという時点で、アリスと関係があるのは間違いないとみていいでしょう。それに、空腹で座り込んでしまったと本人は言っていましたが、そのようなエネルギー切れの状態になっているときに、普通の人間なら戦闘行為はおろか、普通に歩くことすら困難なはずです」
「じゃあつまり、あの子は普通の人間じゃないってこと?」
「……リオがあなたにどこまで伝えているのかはわかりませんが、その可能性も十分にあるとだけ言っておきましょう。ただ、それ以上に気になるのが、彼女がキヴォトスの外についての記憶を持っていることです」
ヒマリは端末の画面を指先でなぞる。
「アリスは目覚めたときは機械的で、およそ記憶と呼べるものは持っていませんでした。今でこそゲーム開発部の一員として楽しく過ごせていますが、それもすべて目覚めてから身に着けたものです。それに比べて、レイヴンはキヴォトスの外の記憶をしっかりと持っていました。彼女の振る舞いと話の矛盾のなさからして、嘘ではないでしょう」
「そして、これらの情報を踏まえると彼女は……ミレニアムが誇る天才美少女ですら、彼女の正体はわからないということですね」
「……結局分からないんじゃん」
エイミがジト目を向けると、ヒマリは得意げに胸を張った。
「違います、分からないことが分かったのです。彼女の正体の手掛かりは、彼女自身が証言していますからね」
「目覚めた場所ってこと?」
「その通りです。彼女は何もなかったと言っていましたが、それは彼女にとって有益なものが何もなかったという意味です。彼女に関する手掛かりは、必ずあの廃墟にあるはずです」
「じゃあ、まずはそこを調査するってことでいいの?」
「そうしたいところですが、それより先にいろいろとするべきことがありますから」
「それって、会長に報告すること?」
ヒマリは顔をしかめながら肯定する。
「……あまり気は進みませんが、報告だけはしておきましょう」
「どうして? 報告して調査が進展するなら効率的だよ」
「そうですね。ですが、彼女が危険な存在である可能性があるなら、合理性しか頭にないアレが次にどうするかなんて、簡単に想像できます」
ヒマリがリオの冷徹な表情を思い浮かべ、思わず眉をひそめる。
「ですが、さすがにまだ何もわかっていない今の状態で、そこまで極端な選択はしないでしょう。どのみち、レイヴンの正体を探るためには、廃墟の調査は必要になりますからね」
それから二人は自室で着替えや宿泊の準備を済ませ、部室へと戻った。
念のためにもう一度レイヴンの様子を確認すると、彼女はベッドの上に横たわっていた。腹部は微かに上下しており、いつの間にか眠りに落ちたようだ。
「……おやすみなさい、レイヴン」
ヒマリは起こさないようにそっと呟くと、エイミを帰し、自身は別室へと向かった。
この作品でのキヴォトス内のヘイローの扱いですが、私たちが持っている情報と同じレベルの情報がキヴォトス内の常識として扱われるようになっています。
ヒマリについては自身のヘイローの形を把握しているような描写もあるため、ヘイローについては他の生徒より詳しいという独自設定です。