猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
ネルは、難しい顔をしたまま何も言わなかった。
私と目が合いかけて、すぐにそらされる。
「悪く思わないであげて。元々、C&Cはセミナー……正確には、私直属のエージェントなの。そこに私的な感情はないわ。私の命令に、粛々と従うだけ」
リオは、ネルの方を見ないまま言った。
「ネルが相手では、ゲーム開発部だけで抵抗できないことはわかっているでしょう。仮に抵抗したり、外に助けを求めたりしても――」
リオが軽く手を上げると、廊下から重い駆動音が響いた。
一メートルほどの機械の兵隊が、何台も部室になだれ込んでくる。その銃口が、私たちを囲むように並んだ。
「この周囲は、すでにAMASで掌握しているわ。救援が間に合うことはない」
ミドリとユズが、アリスに寄り添うように身を寄せた。
「さあ、仕事の時間よ。ネル、アリスを回収してちょうだい」
ネルは、何も言わずに目を閉じた。
「ネル先輩……」
アリスが、複雑な顔でネルを見上げた。
助けを求めているようにも、謝っているようにも見える顔だった。
その声に、ネルが長いため息をついた。
「……アリスを連れていきてぇから手を貸せって、それだけ聞いて来てみりゃあ、なんだそりゃ」
ネルの目が、ゆっくりと開く。
「なんもわかってねぇヤツを、誘拐しろってか?」
次の瞬間、ネルの二丁の銃が火を噴いた。
狙いは、並んでいたAMASと、その奥にいるリオだった。
一番近くにいたAMASが、リオの前に飛び出して盾になる。装甲に弾が当たる甲高い音が、部室に何度も響いた。
リオは目を見開いたまま、AMASの陰に身を隠した。
"ネル……!"
思わず声が出た。
ネルがこちらについてくれたことに、少しだけ胸をなでおろす。けれど、ここで撃ち合いになってはいけない。
「……ネル先輩?」
アリスが、不思議そうに目を瞬かせた。
「しかも、あのシホってチビまで、てめぇのところにいるだと? ……ふざけんな。そんな依頼、受けてられっかよ!」
ネルは銃口をリオに向けたまま、吐き捨てるように言った。
「もう、てめぇに付き合う義理はねぇよ、リオ!」
リオは、ゆっくりとAMASの陰から身を起こした。
その顔には、怒りよりも、落胆の色が浮かんでいた。
「……そう。少しだけ、期待していたのだけれど」
誰に向けた言葉なのか、私にはわからなかった。
けれど、それはネルを責める声には聞こえなかった。
リオの声が、また冷たく戻る。
「……でも、こうなることも想定していたわ。だから、C&Cの全員ではなく、貴女だけを呼んだの」
「あぁ? 何が言いてぇんだ?」
「――トキ」
その名前が聞こえた瞬間、ネルの背後に、誰かが音もなく現れた。
"ネル、危ない!"
ネルの背中に、鋭い一撃が叩き込まれる。
ネルは体勢を崩しながらも、続けて繰り出された攻撃をかわし、床を転がって距離を取った。
「誰だてめぇは!?」
そこに立っていたのは、メイド服を着た生徒だった。
彼女はネルから目をそらさないまま、スカートの端をつまんで、優雅にお辞儀をした。
「はじめまして、先輩。そして、先生。C&C所属、コールサイン04。飛鳥馬トキです」
「C&C……? 五人目……?」
ミドリが、呆然とつぶやいた。
「背後から奇襲たぁ、舐めた真似してくれるじゃねぇか。……覚悟はできてんだろうなぁ!?」
"ネル、待って……!"
奇襲されて頭に血が上ったネルに、私の声は届かなかった。
ネルは一気に踏み込み、トキに蹴りを叩き込む。トキは両腕で受け止めたけれど、勢いまでは殺せずに、後ろへ大きく押し下げられた。
ネルはそのままの勢いで、周りのAMASに銃口を向ける。
AMASが一斉に撃ち返してくるけれど、ネルは弾の間をすり抜けるように動き回りながら、一体、また一体と撃ち倒していった。
あっという間に、ネルは部室にいたAMASのほとんどを破壊してしまった。
動かなくなった残骸を足で踏みつけて、ネルはリオに向き直る。
「はっ! んなザコで、足止めになるわけねぇだろうがよ!」
「……やはり、AMAS程度では、貴女を止められないというわけね」
用意したAMASが無力化されたというのに、リオは少しも慌てていなかった。
仕方ないといった様子で、視線をトキへと移す。
「――トキ。武装の使用を許可するわ」
「イエス、マム」
そう言うと、トキは着ていたメイド服の上着を脱ぎ捨てた。
そして、その上に兵士が身につけるような装甲や装備が、次々と重なっていく。
「モード2、移行完了」
「はぁ? 何をゴチャゴチャと――」
「トキさんの服が……」
"……姿が、変わった?"
ただ着替えたのではないということは、なんとなくわかった。
けれど、それが何なのかを確かめる前に、トキの姿がぶれた。
その動きは、さっきまでとはまるで比べ物にならない。
トキはネルの周りを円を描くように駆けながら、四方から攻撃を仕掛けていく。
「そっちか!?」
ネルが照準を合わせて撃つ。けれど、トキはそれを紙一重でかわし続けた。
「チッ、クソ……ちょこまか動くんじゃねぇ!」
ネルの弾が、部室の壁や床に穴を開けていく。舞い上がった煙と、倒れたAMASの残骸。
その中に紛れるようにして、トキの姿がふっと消えた。
「てめぇ、一体どこに……」
ネルが銃を構えたまま、辺りを見回す。
その背後に、音もなく影が立った。
「ネル先輩、うしろ……!」
ユズが叫ぶのと、トキが飛びかかるのは、ほとんど同時だった。
「舐めんなっつってんだろ!」
ネルは振り返りざまに身をひねり、トキの攻撃をかわしながら、蹴りで迎え撃った。
トキの目が、わずかに見開かれる。それでも、トキはその蹴りを正面から受け止めてみせた。
リオが、小さく息をのむのが聞こえた。
さっきまでのトキなら、今の一撃で吹き飛んでいたはずだ。けれど、トキはその場から一歩も下がっていなかった。
「やるじゃねぇか!」
ネルが、楽しそうに笑って銃を構え直す。
その瞬間、横から銃声が響いた。
いつの間にか現れていたAMASが、ネルに向けて発砲したのだ。思わぬタイミングで攻撃を受けたネルの体が、ほんの一瞬だけ揺れる。
トキはその隙を見逃すことなく、ネルの腕を取り、流れるような動きで床に押さえつけていた。
"ネルが、あっという間に……"
「あんなに速い動き、見たことない……」
「あ、あうぅ……」
「てめぇ! 今のはタイマンの流れだっただろうが! 離しやがれ!」
ネルが、床に押さえつけられたまま暴れる。
「そんなことは、一言も言っていません」
トキは焦った様子を見せることなく、平らな声でそう言った。
「そうやって暴れると、曲がってはいけない方向に腕が曲がりますよ、先輩。……皆さんも、下手に動かないでくださいね。無駄な抵抗は、おすすめしません」
トキの視線が、私たちの方に向けられる。
残ったAMASたちも、威圧するようにじりじりと距離を詰めてきた。
「……うっ!」
「……!」
ミドリとユズが、その場で身をすくめた。
トキが身につけている見たこともない装備から、私は目を離せなかった。
"それは、一体……"
「私の作った特殊武装よ。念のため、準備しておいてよかったわ」
リオは、何事もなかったかのようにそう言うと、AMASの方に向き直った。
「改めて……AMAS。アリスを回収しなさい」
アリスの肩が、びくりと跳ねた。その目に、涙がにじんでいる。
「……!!」
「ちょ、ちょっと待っ……!」
ミドリとユズが、とっさにアリスの前に出ようとした。
「動かないで。……関係のない子を、傷つけたくないの」
リオの冷たい声が、二人の足を止めた。
その目を見て、本気だと感じとったのだろう。二人は震えながら、その場に立ち尽くした。
"やめて、リオ"
「……それは、私のセリフよ」
リオは、疲れたように目を伏せた。
「私も、対立などしたくないわ。貴方と敵対する気も、憎まれる気もない。……さっきも聞いたわね。大人である貴方が、真っ先に動くべきだったのではないか、と」
"さっきも言ったけど……私は、問題を解決するために、生徒を傷つけることはできないよ"
「――いつまで、そんな戯言を吐き続けるつもりなの!」
リオの声が、部室に響いた。
今日初めて聞く、感情をむき出しにした声だった。
「アリスとシホは、この世界を終焉へと至らせる、恐るべき兵器よ。二人とキヴォトスの全生徒を秤にかけるまでもないでしょう? ……それでもなお、貴方が動かないというのなら」
リオは目を閉じて、小さく息を吐いた。
次に目を開けたとき、その赤い目は、もう揺れていなかった。
「二人のヘイローは、私の手で破壊する」
その目を見て確信した。
リオは今、この瞬間に、覚悟を決めたのだ。
"リオ、待ってほしい。もしかして、君は……"
リオは、私の言葉には答えなかった。
私の横を通り過ぎて、まっすぐにアリスの方へ歩いていく。
「違う……!」
その前に、ミドリが割り込んだ。
「アリスちゃんは……勇者だよ! だって、光の剣を……勇者の証の『スーパーノヴァ』を持ってるもん!」
ミドリが指さした先には、部屋の隅の壁に立てかけられた、アリスの光の剣があった。
「光の剣……エンジニア部が作った、あのおもちゃ?」
リオは、レールガンを一瞥した。
「……そう」
それだけ言って、手元の端末に指を滑らせる。
レールガンに灯っていた光が、すっと消えた。
"スーパーノヴァの電源が……消えた?"
ミドリは、言葉を失ったまま、光の消えたレールガンを見つめていた。
「満足かしら? 光の剣は、もうないわ。……これで、証明は終わり」
「アリスの、剣が……ゆうしゃの、あかしが……」
アリスの声が、震えていた。
泣きそう、ではない。アリスは、もうほとんど泣いていた。
「ミドリ……ユズ……」
アリスが、二人を見る。二人とも、何もできずに唇をかんでいた。
アリスの視線が、床に押さえつけられているネルに移る。
「くそっ! 離せ! おい、チビ! じっとしてないで、反撃しろよ!」
「ネル先輩……」
そして、アリスは私を見た。
その目は、助けを求めるというよりも、道に迷った子どものように揺れている。
「先生……」
"……アリス"
「……全部、アリスがいるから、起きたことなんですか」
"違うよ、アリス。君一人のせいで起きたことなんて、ないんだ"
アリスは、リオの方に向き直った。
「アリスが、魔王だから……」
リオは、何も答えなかった。
ただじっと、アリスの言葉を待っている。
「アリスがここにいたら……また、同じことが起きるんですね」
"何が起きたのか、これからどうすればいいのか。それを、みんなで考えよう。アリスが一人で答えを出さなくていい"
アリスは、私をちらりと見た後、長い間黙っていた。
「……シホは、自分で決めたのですね」
"アリス……?"
「アリスには、どうすればいいのか、わかりません」
アリスは、胸の前で両手をぎゅっと握った。
「でも、シホは、自分で決めたって。……シホは、どうして、そう決められたんですか?」
それは、リオに向けた言葉ではなかった。
ここにはいない、シホに向けた言葉だった。
「アリスは、それを、シホに聞きたいです」
"シホに聞きたいなら、一緒に聞きに行こう。一人で行かなくていいんだ"
「……大丈夫です、先生」
アリスは、私の方を見て、少しだけ笑った。
だけど、うまく笑えていなかった。
「アリスは、先生に怪我をさせたくないです。ミドリも、ユズも、ネル先輩も。……モモイも。モモイが怪我をしたとき、胸が、すごく痛かったです。だから、もう、誰にも怪我をさせたくないんです。……アリスは、自分で行きます」
「ダメ、アリスちゃん!」
ミドリが叫んだ。ユズは、声も出せずに首を振っていた。
「てめぇ、チビ……!」
床に押さえつけられたまま、ネルがうめいた。
「……安心しなさい、今すぐに壊すわけではないわ。言ったでしょう、安全に破壊するための検査が先よ」
リオが、静かに口を開いた。
そして、アリスから目をそらすように、少しだけ顔を背けた。
「だから……そうなる前に、別れの挨拶ぐらいはさせてあげる」
さっきの叫び声とは別人のような、静かな声だった。
アリスは小さくうなずいて、私たちの方に向き直った。
「先生。今まで、ありがとうございました。みんなも、アリスと一緒に冒険してくれて、ありがとうございました」
アリスは、一度だけ、深く頭を下げた。
「モモイが起きたら……アリスが、ごめんなさいって言っていたと、伝えてください」
アリスは、リオの方へ歩いていった。
機械の兵隊に囲まれて、私は、一歩も動けなかった。
リオは、アリスがそばに来たのを確かめると、最後に私の方を振り向いた。
「……もし、私の言葉で貴方たちを傷つけたのなら、すべてが終わった後に、改めて謝罪させてちょうだい。では、失礼するわ」
リオとアリスの姿が、部室の外へ消えていく。
二人の足音が聞こえなくなるまで、機械の兵隊たちは、一つも銃口を下ろさなかった。
やがて、兵隊たちも、トキと一緒に去っていった。
床に倒れたままのネルが、悔しそうに拳を床に叩きつけた。ミドリは、その場に座り込んで泣いていた。ユズは、さっきまでアリスが座っていた部屋の隅を、ずっと見つめていた。
その壁には、光の消えたレールガンが、立てかけられたまま残されていた。