猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

51 / 52
五十話:正しい選択肢

身支度といっても、やることはあまりなかった。

顔を洗って、髪を整えて、着替えるだけ。私の分はすぐに終わるから、残りの時間はヒマリの手伝いをする。

 

ヒマリの髪は長いから、とかすのに時間がかかる。

いつもなら、とかしている間もヒマリはずっと何か話している。今日の紅茶の葉っぱのこととか、エリドゥの部屋の趣味が悪いこととか。

今日は、あまり話さなかった。

 

「シホ」

 

「なに」

 

「……いえ。何でもありません」

 

鏡の中のヒマリは、少しだけ笑って、また前を向いた。

 

身支度が終わったころ、扉が開いてAMASが入ってきた。

私はヒマリの車椅子を押して、部屋を出た。

 

迎えに来たAMASについていき、装置のある部屋に向かう。

部屋に着くと、リオと、その近くに水着みたいな格好をしたトキが立っていた。

リオがこっちに気づいて、顔を上げた。

 

「おはよう。……来たわね」

 

トキもこっちを向いて、小さく一礼する。部屋には、まだアリスの姿はなかった。

 

「さっきの検査では、アリスに異常は見られなかったわ。直接会わせても、問題はないはずよ」

 

リオはそう言って、ちらりとトキの方を見た。

 

「でも、何が起きるかはわからない。念のため、トキを待機させているわ。貴女たちも、気をつけておいてちょうだい」

 

それから、リオはヒマリの方を見た。

 

「約束どおり、貴女にも立ち会ってもらうわ。安全かどうか、自分の目で確かめなさい」

 

「……ええ。そうさせてもらいます」

 

ヒマリは、他に何も言うことなく、ただそれだけ答えた。

 

リオが手元の端末を操作すると、反対側の扉が開いた。

その奥から、AMASに囲まれたアリスが入ってくる。

 

アリスは、私を見つけると足を止めた。

 

私は、思わず身構えた。

アリスとの距離は、十歩くらい。前にゲーム開発部でアリスの様子が変わったときは、もっと近かった。

 

今のアリスの目は、青いままだった。頭も痛くならないし、耳の奥も静かなままだ。

 

リオの前のモニターに、細かい数字や線がいくつも流れている。リオはそれをしばらく見てから、小さくうなずいた。

 

「……問題ないわ。近づいても構わない」

 

それを聞いて、私とアリスの肩から力が抜けた。

アリスは、ゆっくりこっちに歩いてくる。私の前で止まって、それから、車椅子のヒマリにぺこりと頭を下げた。

 

「ヒマリ先輩も、こんにちは」

 

「ええ。……こんにちは、アリス」

 

ヒマリは、やさしい声で答えた。

ただ、その表情は明るいものではなかった。

 

アリスはもう一度、私の方を向いた。

 

「シホ。さっきの続きを、聞かせてくれますか」

 

私は、確かめるようにリオの方を見た。

 

「検査の準備に、少し時間がかかるわ。……その間なら、構わない」

 

リオはそう言って、モニターの方を向いた。

 

それから私は、先生に話したときや、ヒマリとリオに話したときと、同じことを話した。

 

三回目だから、もう声はふるえなかった。

でも、言い終わってから、いつの間にか手をぎゅっと握っていたことに気づいた。

 

最初のほうは、アリスも楽しそうに聞いていた。でも、話が進むにつれて、だんだん顔が暗くなって、最後のほうは、今にも泣きだしそうな顔になっていた。

 

「そんなことが……あったんですね……」

 

「そう。だから、私はここに来た」

 

全部話し終わってから、私はアリスの最初の質問に答えた。

 

「私は、もうルビコンを燃やした。キヴォトスも、燃やすかもしれない。だから、そうなる前に、壊してもらう」

 

アリスは、うつむいたまましばらく黙っていた。

それから、小さな声で聞いた。

 

「……シホは、怖くないのですか?」

 

通信のときと、同じ質問だった。

あのときは、すぐに答えが出てこなかった。

 

今までさんざん殺してきたくせに、殺される側の気持ちを考えたことなんてなかった。

ヘイローを壊されるのは、どんな感じなんだろう。

痛くて苦しいのかもしれないし、思ったより何も感じないのかもしれない。

だけど、一つだけわかっていることがある。

 

「……壊されるより、滅ぼす方が、怖い」

 

口を開いたら、思っていたよりすんなり出てきた。

車椅子の肘かけに乗っていたヒマリの手が、少しだけ動いた。

 

アリスは、私の答えをゆっくり考えているみたいだった。

 

「……シホの言うことは、アリスにもわかります」

 

アリスは、顔を上げて、胸の前で両手を握った。

 

「でも……それは、本当に正しい選択肢なのですか?」

 

「正しい」

 

迷っているアリスを切り捨てるように、私はすぐに答えた。

 

アリスの顔が、くしゃっとゆがんだ。

泣きそうで、どこかが痛むような顔。大切なものが壊れたときみたいな顔だった。

 

どうして、アリスがそんな顔をするのか、私にはわからなかった。

 

「アリスも、正しいと思ったから、来たんでしょ」

 

アリスの顔がこわばって、そのままぴたりと止まった。

何か言おうとして、またうつむいてしまう。

 

モニターの音だけが、部屋に響いていた。

 

「……その選択肢が、正しいのなら。ミドリとユズが、泣いていたのも……正しいのですか?」

 

うつむいたまま、アリスが言った。

 

その言葉を聞いて、アリスがここに来ると言ったとき、ミドリとユズがどんな顔をしていたのか思い浮かべた。

そして、寝る前に聞いたヒマリの言葉も。

 

「それは……」

 

正しいと言い切ろうとして、言葉がそこで止まった。

 

すぐ横で、ヒマリが息を吸う音がした。

ヒマリの方を見ると、ヒマリは口を開きかけていた。

 

でも、ヒマリは何も言わなかった。

そのまま口を閉じて、私から目をそらした。

 

私は、アリスの方に向き直った。

 

「……正しい」

 

口から出た言葉は、さっきより小さかった。

アリスが、顔を上げる。

 

「泣けるのは、生きてるから。死んだら、泣くこともできない」

 

アリスは、私の目をじっと見つめてきた。

その顔は、さっき見たときと同じでくしゃっとゆがんでいた。

 

「……そう、ですね」

 

しばらくして、アリスはリオに向き直った。

 

「……アリスも、検査を受けます」

 

リオが、こっちを振り返った。

話が終わるのを、待っていたみたいだった。

 

「……そう。準備ならできているわ」

 

リオは、私が使っていた装置へとアリスを案内して、そのまま横にさせる。

 

「うう……思ったより冷たいです……」

 

「すぐ慣れる」

 

私がそう言うと、アリスは、少しだけ笑った。

今日、アリスが笑ったのは、たぶん、それが初めてだった。

 

リオが、手元の端末を動かしはじめる。

それから、少しだけ手を止めて、モニターの横に置いてあった別の端末を手に取った。

 

「預かっていた端末を返すわ。アリスの検査を、手伝ってちょうだい」

 

リオは、ヒマリに向けて端末を差し出した。

だけど、ヒマリはそれを受け取ろうとはせず、端末をちらっと見て首を横に振った。

 

「お断りします」

 

「……理由は?」

 

「シホが私のお願いを聞いてくれないので、悲しくて悲しくて、紅茶とクッキーしか喉を通らないんです」

 

ヒマリは、片手をほっぺたに当ててため息をついた。

 

「こんな状態では、とても検査のお手伝いなんてできません。部屋で、ゆっくりさせてもらいますね」

 

お願いというのは、たぶん、寝る前のことだろう。

ヒマリは私に生きてほしいと言っていたけど、そのお願いは聞けなかった。

 

ヒマリの声は、ちょっと拗ねているみたいだけど、わざとらしい。部室でよく見かけた、いつものヒマリだった。

 

なんだか変だと思ったけど、私は何も言い返せなかった。

 

リオは、しばらくヒマリを見ていた。

それから、差し出していた端末を元の場所に戻した。

 

「……異論があるなら、部屋に戻っておとなしくしていてもらう。そう言ったわね」

 

「ええ。ですから、そうさせていただきます」

 

リオが小さくため息をついて手を振ると、AMASが一台、ヒマリの車椅子の後ろについた。

 

「ヒマリ。私も……」

 

私が言いかけると、ヒマリは首を横に振った。

 

「シホは、ここにいてあげてください。アリスも、一人では心細いでしょうから」

 

装置の中から、アリスがこっちを見ていた。

確かに、少し不安そうな目だった。

 

「……わかった」

 

ヒマリは、アリスに小さく手を振って、AMASと一緒に部屋を出ていった。

 

   ◆

 

検査は、私のときと同じように進んだ。

 

装置の内側から、ケーブルの先がアリスの体にくっついていく。アリスは一瞬びくっとしたけど、すぐにおとなしくなった。

しばらくすると、アリスのまぶたが、ゆっくり下りていった。

 

私は、装置の横に座ってアリスの顔を見ていた。

アリスは完全に眠っているようで、私と同じように、夢を見ているのかもしれない。

アリスは、どんな夢を見てるんだろう。

 

リオは、ずっとモニターの前で端末を操作していた。

トキは、リオのそばを離れず、アリスと私を警戒する様子を見せていた。

 

検査が続いている途中で、AMASがお昼ご飯を運んできた。

私はそれを受け取って食べるけど、リオとトキは手を付けなかった。

 

「二人とも、食べた方がいい」

 

「……後で食べるわ。そこに置いてくれるかしら」

 

「私も、リオ様の調査が終わるまでは、遠慮しておきます」

 

二人は、モニターを見たまま答えた。

昨日の夜、ヒマリに「食べなさい」と言っていたのは、リオの方だったのに。

 

私はご飯を食べながら、モニターを流れていく文字を見ていた。

何が書いてあるのかは、ひとつもわからない。でも、リオの顔を見ていると、悪いことは起きていないんだと思う。

 

アリスの胸が、ゆっくり上下している。

私も、ここに寝ていたとき、こんな顔をしていたんだろうか。

 

そんなことを考えていると、突然、部屋の明かりが赤く変わった。

それと同時に、耳が痛くなるくらい大きな音が、部屋中に鳴り響く。

 

私は、とっさに腰に手をやったけど、その手は何も掴まなかった。

そういえば、武器は最初にいた部屋の床に置いたままだった。

 

私が慌てていると、アリスが装置の中で目を開けた。

 

「な、何ですか……?」

 

「動かないで」

 

リオがアリスに命令するけど、あまり慌てた様子はない。

だけど、さっきとは別のモニターに目を向けて、指を走らせていた。

 

「リオ様。エリドゥの外周に、侵入者です」

 

トキの声は、いつもと同じで平らだった。

でも、その体は、いつでも飛び出せるように構えていた。

 

よく見てみると、リオが見ているモニターには、小さな人影がいくつも動いていた。

どうやらエリドゥの外側の映像みたいで、所々煙が上がっている。

 

「……やはり、来たのね」

 

リオは、小さく息を吐いた。

 

アリスが、装置の中で体を起こそうとして、ケーブルに引っ張られた。

 

「もしかして……みんな、ですか?」

 

「ええ。ゲーム開発部に加えて、C&C。それに、エンジニア部と……外部からの通信。これはおそらく、ヴェリタスのメンバーね。……そして、先生も」

 

先生、という言葉に、肩が少しだけはねた。

私が知る限り、ミレニアムの中でアリスと関わりのあるメンバーが、全員エリドゥに乗り込んできたみたいだった。

 

私は、赤くなった部屋の中で、映像の中の人影を見ていた。

 

仲間を取り返したいなら、力ずくで取りに来る。

ルビコンでは、そういうのはよくあることだった。

 

だからまあ、友達が多いアリスなら、そうなるだろうと思った。

 

リオは端末の操作をやめて、画面に地図を出した。

 

「トキ。ポイントAに向かって、C&Cの迎撃をお願いするわ」

 

「イエス、マム……ほかの戦力への対応は、どうなさいますか?」

 

「ポイントBには、すでにアバンギャルド君を配置してあるわ。おそらく、相手は貴女を警戒して戦力を分散させるはず。なら、その手に乗ったうえで、想定外の戦力を当ててやればいい」

 

「承知しました」

 

トキは、リオの指示を受けてすぐに部屋から出ていった。

アリスは、不安そうな顔でモニターを見つめていた。

 

「トキがいないと、想定外の事態に対応できないから、迎撃が終わるまでアリスの調査は中断するわ。だけど、侵入者がいる以上、監視下から外すこともできない。悪いけれど、しばらくこのままここにいてもらうわ」

 

「わかった」

 

「……はい」

 

リオはそう言うと、またモニターに向き直って手を動かし始めた。

だけど、さっきリオが言っていたことで、一つ気になることがあった。

 

「リオ」

 

「……何かしら?」

 

「アバンギャルドって、誰?」

 

ポイントBに配置されているというアバンギャルド君は、こっちに来てから聞いたことのない名前だった。

トキと一緒で、侵入者の迎撃を任せられるぐらいだから、リオからはかなり信頼されているはずなのに。

 

「……アバンギャルド君は、人ではないわ。私が手掛けた、戦闘用ロボットのことよ」

 

そう言うと、リオは端末を操作して、画面を切り替えた。

目を向けると、そこには何とも言えない顔をした、四本腕のタンク型ACのようなロボットが映し出されていた。

 

「心配しなくても、アバンギャルド君の性能は保証するわ。四本の腕にはそれぞれシールドとバズーカ砲、ガトリングガンとアサルトライフルを装備させて、あらゆる状況に対応できるようにしてある。脚部はキャタピラにしてあって、市街地戦に特化した移動性能になっているのよ」

 

画面を見ながら説明するリオは、気のせいだろうか、どこか楽しそうに見えた。

改めて見てみると、確かにリオの言っていた通りの装備をしていた。

アリスは、画面を見たまま、少し楽しそうに口を開いた。

 

「これは、なかなかの強敵ですね! レイドボスのように、みんなで協力しないと倒すのに苦労しそう……ですね……」

 

アリスの声は、だんだん小さくなっていった。

あのロボットが、誰と戦うことになるのか。それに、気づいたみたいだった。

 

リオはその様子を見て、少し複雑そうな表情を浮かべた。

その表情のまま、今度はこっちに向き直った。

 

「……そういえば、貴女はアーマード・コアと呼ばれるロボットに乗って戦闘していたそうね。貴女の目から見て、アバンギャルド君はどう映るかしら」

 

私は、アバンギャルドの装備を見て、自分が乗ったとすればどう戦うのかを考える。

 

「……武装が四つあるのは、とても便利。キヴォトスでは空を飛ぶためのブースターがない分、タンクにして地面を走るのに向いてるのも、いいと思う」

 

「……見た目については、どうかしら?」

 

見た目というのは、たぶん装備のことじゃなくて、ペイントやエンブレムのことだと思う。

格好いいとは言えないけど、見た目で強さが変わるわけじゃないから、そこはリオの好きにすればいい。

 

「リオがいいと思うなら、それが一番いい。……それより、アセン。下に比べて上が大きいから、ちょっとバランスが悪い。武装を変えないなら、四脚にした方がいい。街の外でも、いろんな場所で戦えると思う」

 

リオは、少し意外そうな顔をした。

 

「……なるほど。エリドゥでは不要だったけれど、外での戦闘を考えるなら、今後は多脚型も視野に入れておくべきね」

 

リオはそう言って、手元の端末を操作した。

ACとは違うから、すぐにアセンを変えられないだろうけど、今後は四脚型のアバンギャルドも配備されるのかもしれない。

 

ふと横を見ると、アリスはまだ、外の映像が映ったモニターを見つめていた。

装置の縁をつかんだ手に、ぎゅっと力が入っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。