猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
ヒマリが、メインタワーの電源を落としたらしい。
だけど、通信機から聞こえてきたヒマリの声は、どこか納得していないみたいだった。
『おかしいですね。本来なら、これでエリドゥごと止まるはずでしたが……システムがまだ生きています。リオ、あなた、まさか隠した予備の電源でも用意していましたか?』
『……いいえ、そんなものはないわ。タワーに入る電源を落としたなら、それで終わりのはず……』
二人とも、少しの間黙った。
リオの声は、嘘をついているようには聞こえなかった。こんなときに、嘘をつくはずもない。
『……まあ、ひとまず、彼女のハッキングは止められたようです。復旧される前に、手を打ちましょうか。あなたがまいた種、もちろん刈り取ってくださいますよね?』
『……ええ。言われなくても、そのつもりよ』
ヒマリの声が、いつもの調子に戻った。
キーを叩く音が二つに増えたから、たぶんヒマリもリオを手伝っているのだろう。
『くっ……! なぜ、このような……!』
アリスみたいな声が、苦しそうに言った。二人に邪魔されているのかもしれない。
私は、残りの階段を一気に跳んだ。
上りきって、廊下を走る。リオの部屋の扉は、開いたままになっていた。
中に飛びこむと、部屋は非常用の明かりで薄暗かった。
壁中のモニターは紫色に染まっていて、真ん中に『Divi:Sion』の文字が浮かんでいる。モモイのゲーム機に出ていたのと、同じ文字だ。
リオと、車椅子のヒマリが、並んで端末に向かっていた。
二人とも、飛びこんできた私を見ようともせず、画面だけを、真剣に見つめていた。
そして、装置の中には、アリスが座っていた。
ケーブルにつながれたまま、上体を起こしている。
目は赤く染まったまま、おでこに汗をにじませて、すごく嫌そうな顔をしている。
でも、リオもヒマリも見てなくて、何もないところを、じっとにらんでいた。
部屋の中は、キーの音だけが鳴っている。
通信で聞いたとおり、いったん危ないところは過ぎたらしい。
でも、まだ終わったわけじゃない。確実に、終わらせる。
私は、左腕のパイルバンカーを構えて、アリスの方へ一歩踏み出した。
苦しそうなアリスの顔が、ちらりとこっちを向いた。顔が、もっとゆがんだ。
「シホ」
画面から目を離さないまま、ヒマリが私の名前を呼んだ。
さっきまでとは違った声に、肩がびくりとはねた。
「オイタはダメですよ。それに、今アリスに手を出したら、ハッキングされているシステムがどうなるかわかりません。……そこで、待っていてくださいね?」
ヒマリが、ほんの少しだけ、こっちに顔を向けた。
その顔も目も、笑っていなかった。
「……うん」
私は、パイルバンカーを下ろした。
ヒマリの言うとおり、今アリスに何かしたら、何が起きるかわからない。
だけど、油断はしない。
何かあったら、すぐに動けるように、アリスから少しだけ離れたところに立つ。
少しして、廊下の方から重たい足音と推進器の音が近づいてきた。
入口に目を向けると、トキがアビ・エシュフの大きな腕を、扉の枠にぶつけないようにしながら入ってきていた。
トキは、部屋の中を見回した。
端末に向かうリオと、ヒマリ、装置の中のアリス。そして、その横で待っている私。
私と目が合うと、トキは何も言わずに、私の隣まで来て、同じように立ち止まった。
リオもヒマリも、私たちの方を見る余裕はないみたいだった。
キーを打つ音だけが、部屋の中に響く。
私は、アリスから目を離さなかった。
「くっ……! レイヴン……!」
アリスが、今度ははっきりとこっちを向いた。
赤い目が、私をにらみつけていた。苦しそうに、肩で息をしながら。
「あなた……もしかして、既に……!」
私が何かしたと思っているみたいだけど、何のことかわからなかった。
首をかしげると、アリスはいらいらしたように、また顔をゆがめた。
「これで……!」
「終わりよ!」
ヒマリとリオが、同時に最後のキーを叩いた。
アリスの体からふっと力が抜けて、糸が切れたみたいに装置の中に倒れこむ。
それと同時に、壁のモニターから『Divi:Sion』の文字が消えた。
部屋の中にいた全員が、同時にほっと息を吐いた。
「……何とか、押し返せましたね」
ヒマリが、車椅子の背もたれに体をあずけた。
「エリドゥのリソースがあったとはいえ……我ながら、よくやれたと思います」
「……そうね」
リオは、まだ端末から目を離していなかった。
「あら? 何やら浮かない顔をしていますね。もしかして、ここまで私の思いどおりに事が運ぶのは、あなたにとってはあまり気分がよくありませんでしたか?」
「……そうでは、ないわ」
リオは、ゆっくりとヒマリの方を向いた。
「ヒマリ。貴女が落とした電源システムは、一体どこの制御下にあったものかしら?」
「変なことを聞きますね。メインタワーの電源の制御系統は、一つだけでしょう?」
「……ええ。そのはずよ」
リオは、紫色じゃなくなったモニターを見上げた。
「なら、一体なぜ……」
そのとき、部屋が明るくなった。
非常用の薄暗い明かりが消えて、いつもの白い明かりに戻る。
止まっていた機械の音が、遠くの方から、少しずつ戻ってくる。
「システムが、復旧した……?」
リオが、眉をひそめた。
「ヒマリ、まだ気を抜くのは早いわよ」
「ええ。……ですが、私は何もしていませんよ? あなたが戻したのでもないのですね?」
リオが、小さくうなずいた。
二人が、顔を見合わせた。
リオが、装置の中のアリスを見た。
アリスは、目を閉じたまま動かない。眠っているようにしか見えなかった。
続けて、リオは私を見た。
急に見られても、心当たりなんて、何もない。
よくわからないけど、とりあえず首を横に振っておいた。
『申し訳ありません。メインタワーの電源システムは、私が復旧させました』
突然、部屋のスピーカーから声がした。
その声を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねた。
指の先が、冷たくなっていく。
頭の中が、じんとしびれる。立っているはずの床が、ふわふわして、うまく踏めない。
リオとヒマリが、私の顔を見て、すぐに部屋の中を見回した。
トキが、アビ・エシュフの腕を持ち上げて、身構える。
『驚かせてしまいましたね。ですが、私はそこにいる「名もなき神々の王女」でもなければ、「Key」を名乗ったシステムでもありません』
壁のモニターの一つが、ぱっと切り替わった。
みんなの目が、一斉にその画面に向いた。
『初めまして、みなさん。私は、ルビコニアンのエアと申します』
そこに映っていたのは、私だった。
私と同じ顔。同じ髪。同じ背丈。
ただ、その目は、さっきのアリスと同じように、赤く染まっていた。
『そして……また会いましたね、レイヴン』
その声は、夢の中で聞いた声と、まったく同じだった。
……なら、これも、夢なんじゃないか。
目を開けたら、ヒマリの部屋のベッドの上で、全部なかったことになっていたりしないか。
でも、床はふわふわしたままで、目は覚めなかった。
耳鳴りがするたびに、本当は、少しだけ思っていた。
エアが、私の中にいるんじゃないかって。
そのたびに、そんなはずないって、考えないようにしてきた。
耳鳴りがしなくなったのは、この部屋の装置につながってからだった。
エアがいなくなったんだと、思うようにしていた。
……違った。
いなくなったんじゃない。私の中から、ここに出てきたんだ。
私が、装置につながったから。
どうしよう……
どうしよう どうしよう どうしよう……!
「……エ、ア……」
「待ってください。エアというのは……まさか、シホが最後に倒したという……」
ヒマリの声が、少しだけふるえていた。
『ええ、その通りです。私は、レイヴンと戦い……そして、敗れました』
画面の中の私が、少しだけ目をふせた。
私の顔なのに、私がしたことのない顔だった。
『ですが、キヴォトスに来たのは、まったくの偶然です。私の意志ではありません』
「では、貴女は……さっきのKeyというものと、同じ存在……!」
リオが、画面をにらむように言った。
だけど、エアは首を横に振りながら答えた。
『残念ながら、彼女たちについては、私もあまり詳しくはありません。なので、その質問には答えることもできないのです』
「……それは、どういうことかしら?」
『色々と聞きたいことがあるのはわかります。ですが……まずは、レイヴンと話をさせてください』
心臓が、また跳ねた。
画面の中の赤い目が、まっすぐに私を見ていた。
『レイヴン。あの時の答えを、持ってきました』
『――私は、あの場所で終わりにするのではなく……あなたと共に、未来をつかみたかった』
エアの声は、静かだった。
それは、私を責める声じゃなかった。もう手に入らないものの話を、しているみたいな声だった。
『……あなたの答えを、聞かせてくれますか?』
あの時が何のことかは、すぐにわかった。
先生とケンカする前に見た、エアと会った夢だ。
何が正しくて、何が間違っているのか。
あの夢を見てから、ずっと考えていた。考えても、わからなかった。
私の選択は、正しかったのか。
「私は……私、は……」
声が、うまく出なかった。
のどの奥に、何かがつかえているみたいだった。
「わ、たし……は……!」
燃える空が、頭の中に浮かんだ。
最後に聞いた、あの声も。
「間違って、いない……!」
画面の中のエアが、悲しそうな顔をした。
でも、がっかりしている顔じゃなかった。私の痛いところを、エアも一緒に痛がっているみたいな顔だった。
その顔を見たら、おなかの奥が、かっと熱くなった。
「間違ってない!」
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。
「責任を果たそうとして、何かを切り捨てる覚悟を持ってる人が! 自分の人生をかけてまで、危険を取り除こうとした人が!」
「――あの人の選択が! 間違ってていいわけがない!」
部屋の中が、しんとした。
ヒマリも、リオも、トキも、目を見開いて私を見ていた。
リオだけは、私じゃない何かを見ているみたいに、目が揺れていた。
『レイヴン……あなたは、まだ……』
エアは、そこで言葉を切った。
……そうだ。
ヒマリが言っていた、私の中に眠っている、まだわからない力。キヴォトスを滅ぼすかもしれないもの。
それは、エアだったんだ。
なら、やることは一つだ。
――もう一度、エアを殺す。
でも、どうやって?
エアには、体がない。前みたいに、C兵器を乗っ取っているわけでもない。
「リオ! エアを殺すには、どうしたらいい!?」
リオの肩が、びくりとはねた。
ぼうっとしていたところを、急に呼ばれたみたいだった。
「……彼女は、もうエリドゥのシステムの中に入りこんでいる。AIとも呼べる存在を、殺す方法なんて……」
リオは、そこで口を閉じた。
リオでも、エアを何とかする手段は思いつかないみたいだ。
だけど、早くしないと……!
『……心配いりません、調月リオ。こうなることも、予測はしていました。……もっとも、なってほしいとは、思っていませんでしたが』
その瞬間、隣でトキが体を折り曲げた。
「ぐっ……! う、あぁっ……!」
「トキ!?」
リオが叫ぶと同時に、アビ・エシュフの手足から、がしゃん、がしゃんと金具の外れる音がする。
そして、トキの体が機械の中から押し出されるように、床に転がった。
「エアといったわね! 貴女、一体何をしたの!?」
『Keyにシステムを乗っ取られる前に、私がエリドゥのシステムを乗っ取りました』
エアは、落ち着いた声のまま言った。
Keyから取り返したと思っていたリオとヒマリが、驚いて目を見開いた。
『あなたたちが取り返したと思っていた制御は、私の手に渡っていたのです』
「そんな……! まさか、電源システムが完全に切れなかったのも……!」
『はい。完全に落とされると困るので、一部の接続を維持させてもらいました』
背中が、冷たくなった。
エアが、エリドゥを持っている。この都市の、全部を。
ここには、ヒマリもリオもいる。下には、先生たちもいる。
『レイヴン。心配しなくても、この都市や、世界を滅ぼそうなんて考えていません』
そんなの、信じられるわけがなかった。
エアをにらみつけるように見ていると、がしゃん、と音がした。
音のほうを見ると、トキがいなくなったはずのアビ・エシュフが、ひとりでに立ち上がっていた。
空っぽの手足が、中に誰かが入っているみたいに動く。背中の推進器が、低くうなりを上げる。
『リベンジマッチと、いきましょうか』
エアの声が、スピーカーと、アビ・エシュフの両方から聞こえた。
『そして、あなたの言う「強いやつ」として……私の言うことを、聞いてもらいます』
次の瞬間、アビ・エシュフのガトリングが火を噴いた。
私はとっさにパイルバンカーを盾にして、弾丸を受ける。
その弾の雨の中を、アビ・エシュフがまっすぐ突っこんできた。
私はその突進をかわしきれず、正面からぶつかってしまう。
アビ・エシュフに押されたまま、私の体は部屋の扉を突き抜けて、廊下を横切って、その先の大きなガラス窓にたたきつけられた。
ガラスが一瞬だけ持ちこたえて、それから、割れる音がした。
飛び散るガラスの向こうに、空があった。