猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

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五十五話:あの時の答え

ヒマリが、メインタワーの電源を落としたらしい。

だけど、通信機から聞こえてきたヒマリの声は、どこか納得していないみたいだった。

 

『おかしいですね。本来なら、これでエリドゥごと止まるはずでしたが……システムがまだ生きています。リオ、あなた、まさか隠した予備の電源でも用意していましたか?』

 

『……いいえ、そんなものはないわ。タワーに入る電源を落としたなら、それで終わりのはず……』

 

二人とも、少しの間黙った。

リオの声は、嘘をついているようには聞こえなかった。こんなときに、嘘をつくはずもない。

 

『……まあ、ひとまず、彼女のハッキングは止められたようです。復旧される前に、手を打ちましょうか。あなたがまいた種、もちろん刈り取ってくださいますよね?』

 

『……ええ。言われなくても、そのつもりよ』

 

ヒマリの声が、いつもの調子に戻った。

キーを叩く音が二つに増えたから、たぶんヒマリもリオを手伝っているのだろう。

 

『くっ……! なぜ、このような……!』

 

アリスみたいな声が、苦しそうに言った。二人に邪魔されているのかもしれない。

 

私は、残りの階段を一気に跳んだ。

上りきって、廊下を走る。リオの部屋の扉は、開いたままになっていた。

 

中に飛びこむと、部屋は非常用の明かりで薄暗かった。

壁中のモニターは紫色に染まっていて、真ん中に『Divi:Sion』の文字が浮かんでいる。モモイのゲーム機に出ていたのと、同じ文字だ。

 

リオと、車椅子のヒマリが、並んで端末に向かっていた。

二人とも、飛びこんできた私を見ようともせず、画面だけを、真剣に見つめていた。

 

そして、装置の中には、アリスが座っていた。

 

ケーブルにつながれたまま、上体を起こしている。

目は赤く染まったまま、おでこに汗をにじませて、すごく嫌そうな顔をしている。

でも、リオもヒマリも見てなくて、何もないところを、じっとにらんでいた。

 

部屋の中は、キーの音だけが鳴っている。

通信で聞いたとおり、いったん危ないところは過ぎたらしい。

 

でも、まだ終わったわけじゃない。確実に、終わらせる。

私は、左腕のパイルバンカーを構えて、アリスの方へ一歩踏み出した。

 

苦しそうなアリスの顔が、ちらりとこっちを向いた。顔が、もっとゆがんだ。

 

「シホ」

 

画面から目を離さないまま、ヒマリが私の名前を呼んだ。

さっきまでとは違った声に、肩がびくりとはねた。

 

「オイタはダメですよ。それに、今アリスに手を出したら、ハッキングされているシステムがどうなるかわかりません。……そこで、待っていてくださいね?」

 

ヒマリが、ほんの少しだけ、こっちに顔を向けた。

その顔も目も、笑っていなかった。

 

「……うん」

 

私は、パイルバンカーを下ろした。

ヒマリの言うとおり、今アリスに何かしたら、何が起きるかわからない。

 

だけど、油断はしない。

何かあったら、すぐに動けるように、アリスから少しだけ離れたところに立つ。

 

少しして、廊下の方から重たい足音と推進器の音が近づいてきた。

入口に目を向けると、トキがアビ・エシュフの大きな腕を、扉の枠にぶつけないようにしながら入ってきていた。

 

トキは、部屋の中を見回した。

端末に向かうリオと、ヒマリ、装置の中のアリス。そして、その横で待っている私。

私と目が合うと、トキは何も言わずに、私の隣まで来て、同じように立ち止まった。

 

リオもヒマリも、私たちの方を見る余裕はないみたいだった。

 

キーを打つ音だけが、部屋の中に響く。

私は、アリスから目を離さなかった。

 

「くっ……! レイヴン……!」

 

アリスが、今度ははっきりとこっちを向いた。

赤い目が、私をにらみつけていた。苦しそうに、肩で息をしながら。

 

「あなた……もしかして、既に……!」

 

私が何かしたと思っているみたいだけど、何のことかわからなかった。

首をかしげると、アリスはいらいらしたように、また顔をゆがめた。

 

「これで……!」

 

「終わりよ!」

 

ヒマリとリオが、同時に最後のキーを叩いた。

 

アリスの体からふっと力が抜けて、糸が切れたみたいに装置の中に倒れこむ。

それと同時に、壁のモニターから『Divi:Sion』の文字が消えた。

 

部屋の中にいた全員が、同時にほっと息を吐いた。

 

「……何とか、押し返せましたね」

 

ヒマリが、車椅子の背もたれに体をあずけた。

 

「エリドゥのリソースがあったとはいえ……我ながら、よくやれたと思います」

 

「……そうね」

 

リオは、まだ端末から目を離していなかった。

 

「あら? 何やら浮かない顔をしていますね。もしかして、ここまで私の思いどおりに事が運ぶのは、あなたにとってはあまり気分がよくありませんでしたか?」

 

「……そうでは、ないわ」

 

リオは、ゆっくりとヒマリの方を向いた。

 

「ヒマリ。貴女が落とした電源システムは、一体どこの制御下にあったものかしら?」

 

「変なことを聞きますね。メインタワーの電源の制御系統は、一つだけでしょう?」

 

「……ええ。そのはずよ」

 

リオは、紫色じゃなくなったモニターを見上げた。

 

「なら、一体なぜ……」

 

そのとき、部屋が明るくなった。

 

非常用の薄暗い明かりが消えて、いつもの白い明かりに戻る。

止まっていた機械の音が、遠くの方から、少しずつ戻ってくる。

 

「システムが、復旧した……?」

 

リオが、眉をひそめた。

 

「ヒマリ、まだ気を抜くのは早いわよ」

 

「ええ。……ですが、私は何もしていませんよ? あなたが戻したのでもないのですね?」

 

リオが、小さくうなずいた。

二人が、顔を見合わせた。

 

リオが、装置の中のアリスを見た。

アリスは、目を閉じたまま動かない。眠っているようにしか見えなかった。

 

続けて、リオは私を見た。

急に見られても、心当たりなんて、何もない。

よくわからないけど、とりあえず首を横に振っておいた。

 

『申し訳ありません。メインタワーの電源システムは、私が復旧させました』

 

突然、部屋のスピーカーから声がした。

その声を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねた。

 

指の先が、冷たくなっていく。

頭の中が、じんとしびれる。立っているはずの床が、ふわふわして、うまく踏めない。

 

リオとヒマリが、私の顔を見て、すぐに部屋の中を見回した。

トキが、アビ・エシュフの腕を持ち上げて、身構える。

 

『驚かせてしまいましたね。ですが、私はそこにいる「名もなき神々の王女」でもなければ、「Key」を名乗ったシステムでもありません』

 

壁のモニターの一つが、ぱっと切り替わった。

みんなの目が、一斉にその画面に向いた。

 

『初めまして、みなさん。私は、ルビコニアンのエアと申します』

 

そこに映っていたのは、私だった。

私と同じ顔。同じ髪。同じ背丈。

 

ただ、その目は、さっきのアリスと同じように、赤く染まっていた。

 

『そして……また会いましたね、レイヴン』

 

その声は、夢の中で聞いた声と、まったく同じだった。

 

……なら、これも、夢なんじゃないか。

目を開けたら、ヒマリの部屋のベッドの上で、全部なかったことになっていたりしないか。

 

でも、床はふわふわしたままで、目は覚めなかった。

 

耳鳴りがするたびに、本当は、少しだけ思っていた。

エアが、私の中にいるんじゃないかって。

そのたびに、そんなはずないって、考えないようにしてきた。

 

耳鳴りがしなくなったのは、この部屋の装置につながってからだった。

エアがいなくなったんだと、思うようにしていた。

 

……違った。

いなくなったんじゃない。私の中から、ここに出てきたんだ。

 

私が、装置につながったから。

 

どうしよう……

どうしよう どうしよう どうしよう……!

 

「……エ、ア……」

 

「待ってください。エアというのは……まさか、シホが最後に倒したという……」

 

ヒマリの声が、少しだけふるえていた。

 

『ええ、その通りです。私は、レイヴンと戦い……そして、敗れました』

 

画面の中の私が、少しだけ目をふせた。

私の顔なのに、私がしたことのない顔だった。

 

『ですが、キヴォトスに来たのは、まったくの偶然です。私の意志ではありません』

 

「では、貴女は……さっきのKeyというものと、同じ存在……!」

 

リオが、画面をにらむように言った。

だけど、エアは首を横に振りながら答えた。

 

『残念ながら、彼女たちについては、私もあまり詳しくはありません。なので、その質問には答えることもできないのです』

 

「……それは、どういうことかしら?」

 

『色々と聞きたいことがあるのはわかります。ですが……まずは、レイヴンと話をさせてください』

 

心臓が、また跳ねた。

画面の中の赤い目が、まっすぐに私を見ていた。

 

『レイヴン。あの時の答えを、持ってきました』

 

『――私は、あの場所で終わりにするのではなく……あなたと共に、未来をつかみたかった』

 

エアの声は、静かだった。

それは、私を責める声じゃなかった。もう手に入らないものの話を、しているみたいな声だった。

 

『……あなたの答えを、聞かせてくれますか?』

 

あの時が何のことかは、すぐにわかった。

先生とケンカする前に見た、エアと会った夢だ。

 

何が正しくて、何が間違っているのか。

あの夢を見てから、ずっと考えていた。考えても、わからなかった。

 

私の選択は、正しかったのか。

 

「私は……私、は……」

 

声が、うまく出なかった。

のどの奥に、何かがつかえているみたいだった。

 

「わ、たし……は……!」

 

燃える空が、頭の中に浮かんだ。

最後に聞いた、あの声も。

 

「間違って、いない……!」

 

画面の中のエアが、悲しそうな顔をした。

でも、がっかりしている顔じゃなかった。私の痛いところを、エアも一緒に痛がっているみたいな顔だった。

 

その顔を見たら、おなかの奥が、かっと熱くなった。

 

「間違ってない!」

 

自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。

 

「責任を果たそうとして、何かを切り捨てる覚悟を持ってる人が! 自分の人生をかけてまで、危険を取り除こうとした人が!」

 

「――あの人の選択が! 間違ってていいわけがない!」

 

部屋の中が、しんとした。

 

ヒマリも、リオも、トキも、目を見開いて私を見ていた。

リオだけは、私じゃない何かを見ているみたいに、目が揺れていた。

 

『レイヴン……あなたは、まだ……』

 

エアは、そこで言葉を切った。

 

……そうだ。

ヒマリが言っていた、私の中に眠っている、まだわからない力。キヴォトスを滅ぼすかもしれないもの。

 

それは、エアだったんだ。

なら、やることは一つだ。

 

――もう一度、エアを殺す。

 

でも、どうやって?

エアには、体がない。前みたいに、C兵器を乗っ取っているわけでもない。

 

「リオ! エアを殺すには、どうしたらいい!?」

 

リオの肩が、びくりとはねた。

ぼうっとしていたところを、急に呼ばれたみたいだった。

 

「……彼女は、もうエリドゥのシステムの中に入りこんでいる。AIとも呼べる存在を、殺す方法なんて……」

 

リオは、そこで口を閉じた。

リオでも、エアを何とかする手段は思いつかないみたいだ。

だけど、早くしないと……!

 

『……心配いりません、調月リオ。こうなることも、予測はしていました。……もっとも、なってほしいとは、思っていませんでしたが』

 

その瞬間、隣でトキが体を折り曲げた。

 

「ぐっ……! う、あぁっ……!」

 

「トキ!?」

 

リオが叫ぶと同時に、アビ・エシュフの手足から、がしゃん、がしゃんと金具の外れる音がする。

そして、トキの体が機械の中から押し出されるように、床に転がった。

 

「エアといったわね! 貴女、一体何をしたの!?」

 

『Keyにシステムを乗っ取られる前に、私がエリドゥのシステムを乗っ取りました』

 

エアは、落ち着いた声のまま言った。

Keyから取り返したと思っていたリオとヒマリが、驚いて目を見開いた。

 

『あなたたちが取り返したと思っていた制御は、私の手に渡っていたのです』

 

「そんな……! まさか、電源システムが完全に切れなかったのも……!」

 

『はい。完全に落とされると困るので、一部の接続を維持させてもらいました』

 

背中が、冷たくなった。

エアが、エリドゥを持っている。この都市の、全部を。

ここには、ヒマリもリオもいる。下には、先生たちもいる。

 

『レイヴン。心配しなくても、この都市や、世界を滅ぼそうなんて考えていません』

 

そんなの、信じられるわけがなかった。

エアをにらみつけるように見ていると、がしゃん、と音がした。

 

音のほうを見ると、トキがいなくなったはずのアビ・エシュフが、ひとりでに立ち上がっていた。

空っぽの手足が、中に誰かが入っているみたいに動く。背中の推進器が、低くうなりを上げる。

 

『リベンジマッチと、いきましょうか』

 

エアの声が、スピーカーと、アビ・エシュフの両方から聞こえた。

 

『そして、あなたの言う「強いやつ」として……私の言うことを、聞いてもらいます』

 

次の瞬間、アビ・エシュフのガトリングが火を噴いた。

私はとっさにパイルバンカーを盾にして、弾丸を受ける。

その弾の雨の中を、アビ・エシュフがまっすぐ突っこんできた。

 

私はその突進をかわしきれず、正面からぶつかってしまう。

アビ・エシュフに押されたまま、私の体は部屋の扉を突き抜けて、廊下を横切って、その先の大きなガラス窓にたたきつけられた。

 

ガラスが一瞬だけ持ちこたえて、それから、割れる音がした。

飛び散るガラスの向こうに、空があった。

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