猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
メインタワーの上の階に着くと、リオの部屋の扉は、さっき私がエアに押し出されたときのまま、大きくひしゃげていた。
扉の手前の廊下の窓も割れたままで、風がひゅうひゅうと入ってきている。
先生たちが先に入って、そのあとに私を乗せたアビ・エシュフが続く。
「お待ちしていました、先生。それに……」
部屋の真ん中で、車椅子のヒマリが待っていた。
ヒマリは先生に笑いかけて、それから、私の方を見た。
「……シホも、おかえりなさい。ずいぶん手ひどくやられてしまいましたね」
そう言って、ヒマリは心配そうに眉を下げた。
私は、ヒマリの顔を見ていられなくて、目をそらした。
部屋の奥に、アリスがいた。
アリスが横になっている装置のそばに、リオとトキが立っていた。
トキは、アビ・エシュフを外されたときの、体にぴったりした服のままだった。
二人とも私と目が合うと、気まずそうに下を向いた。
モモイたちは、私の顔を見て、それから装置に気づいて目を見開いた。
「アリス!」
モモイが、真っ先に駆け出した。ミドリとユズも、すぐに続く。
三人は装置のふちに手をついて、のぞきこむようにアリスの顔を見た。
「寝てる……だけ、だよね?」
ユズが、アリスの口元に手をかざした。
「息は、してる……よかった……」
そのまま、その場にへたりこみそうになって、ミドリに支えられていた。
私は、その様子を見ながら、手と足に力を入れてみた。
金具がどれくらい固いのか。どこか一つでも外れないか。
ずきり、と体中に痛みが走った。
「っ……」
息が止まって、目の前が一瞬だけ白くなる。
全力で動けば一つぐらいは外せるかと思ったけど、無理だった。
『動かないでください、レイヴン。けががひどくなるだけです』
すぐ耳元で、エアの声がした。
それでも、体の力は抜かなかった。アリスがまた暴走しないかどうか、わからないから。
「ん……」
装置の中で、アリスのまぶたが、ぴくりと動いた。
部屋の中の全員が、息を止めた。
視線がアリスに集まり、トキがリオの前に半歩出る。私も思わず力を入れてしまって、また体がずきりと痛んだ。
アリスの目が、ゆっくりと開いた。
――青い目だった。
赤じゃない、いつものアリスの目だ。
「モモイ……? ミドリ……ユズ……?」
アリスは、ぼんやりと三人の顔を順番に見た。
「どうして……ここに……?」
「どうしてって、そりゃ、家出したアリスを迎えに来たんだよ!」
モモイが、怒っているみたいな、泣いているみたいな声で言った。
「アリスちゃん、早くここから出よう!」
「帰ろう、アリスちゃん……」
ミドリとユズが、アリスの手を片方ずつ握る。
「あ……」
アリスは、握られた手を見下ろした。
「アリスは……アリス、は……」
その続きは、出てこなかった。
アリスは、助けを探すみたいに、ぐるりと部屋の中を見回した。先生を見て、ヒマリを見て、アビ・エシュフの中の私を見て、少しだけ目を見開いた。
それから、最後にリオの方を向いた。
リオは、アリスの目を受け止めて、小さく息を吐いた。
「……その前に、状況を整理させてちょうだい」
リオは、部屋の中のみんなを見回した。
「正直に言うわ。私も、何が起こったのか把握しきれていないの」
「ええ、私もです。ですので、まずは……エリドゥを乗っ取ったという方の話を、聞かせてもらえますか?」
ヒマリが、私の方を――私を乗せているアビ・エシュフの方を見た。
『わかりました。では、私の方から話をさせてもらいます』
壁のモニターの一つが、ぱっと切り替わった。
そこには、さっき見た姿と同じ、赤い目をした私が映っていた。
「えっ、あれ!? 画面の中にシホが!?」
「お姉ちゃん、よく見て。目の色が……!」
ミドリの声で、モモイとユズも、はっとしたように顔をこわばらせた。
モモイがアリスの前に一歩出て、ユズがアリスの手を握り直す。
赤い目は、アリスがおかしくなったときと同じ色だ。三人とも、それを知っている。
先生がモモイたちの前に立って、いつもと同じ顔で画面を見上げていた。
"改めて、よろしくね。エアちゃん"
『……先生、あまり馴れ馴れしくされても困ります。私のことは、エアと呼んでください』
画面の中の私が、迷惑そうに眉を寄せた。
私は、自分の顔でもあんな表情ができるんだなと、ぼんやり考えていた。
"あっはい……。ごめんなさい……"
先生が、しゅんと肩を落とした。
なんとも言えない空気が、部屋の中に流れた。
アスナだけが「エアちゃん、照れてる~?」と笑って、アカネに口をふさがれていた。
「で?」
その空気を、ネルの声が割った。
ネルは銃に手をかけたまま、画面をにらみつけていた。
「さっきも言ったけどよ。あたしはまだ、お前を信用したわけじゃねーからな。お前は結局、あたしらの敵なのか、味方なのか、どっちなんだよ」
『戦いを続けるつもりは、ありません。味方か、と言われると……一応は、そうなります。ただ、私があなた方に協力したのは、レイヴンを――シホを止めるためです。それ以上でも、それ以下でもありません』
エアは、ネルをまっすぐ見返した。
「……ふん」
ネルは鼻を鳴らしたけど、銃からは手を離した。
「アリスは? アリスは、大丈夫なの?」
モモイが、身を乗り出すように聞いた。
『アリスには、何もしていません。気を失っていただけです』
「……Keyを名乗った存在は、どうなったのかしら」
リオが、横から口をはさんだ。
『……あのシステムは、私がエリドゥから追い出しました。行き場はほかにありませんから、今はおそらくアリスの中にいるはずです』
モモイの肩が、びくりとはねた。
アリスも、自分の胸のあたりを見下ろした。
「……では、なぜ今は表に出てこないの?」
リオが、低い声で聞いた。
『さぁ。そこまでは、私にもわかりません』
エアの声は、さっきまでより少しだけ冷たかった。
リオは一瞬だけ言葉に詰まったけど、すぐに小さく咳ばらいをして、エアに向き直った。
「……貴女はいったい何者なのか、教えてちょうだい」
『……そうですね。まずは私とレイヴンについて、話をさせてもらいます。……ここにいる皆さんに、知っておいてほしいので』
画面の中の赤い目が、部屋の中をゆっくりと見回した。
ゲーム開発部の三人。C&Cの人たち。エイミ。最後に、私。
それから、エアは話しはじめた。
私とエアが、キヴォトスの外の、ルビコンという星から来たこと。
私はそこで、アーマード・コアっていう大きな人型の兵器に乗って、傭兵をしていたこと。エアは、私の頭の中にだけ聞こえる声だったこと。
ルビコンでは、企業同士が星の資源を奪い合っていたこと。
二人で、たくさんの仕事をこなしたこと。エアは、私の相棒だったこと。
最後に、私たちは別々の道を選んで、戦ったこと。
「ロボに乗って、傭兵!? 企業に、謎の惑星……! ねえミドリ、これ、新作ゲームの舞台にできるんじゃない!?」
モモイは、ルビコンの話が新鮮だったのか、目を輝かせていた。
「お姉ちゃん、今はそういう話じゃないでしょ……」
ミドリはモモイの服を引っぱりながら、それでも、ちらちらと画面を見ていた。
「……でも、ロボットは、ちょっと見てみたいかも」
「ロボに乗って、ドンパチやり合ってたってわけか。……悪くねぇな。そのアーマード・コアってやつ、どんくらいでけぇんだ?」
ネルまで、腕を組んで身を乗り出している。
アリスだけは、楽しそうな二人の顔と、私の顔を、何度も見比べていた。
口を開きかけては、閉じる。アリスは、この先の話を知っている。前に、私が話したから。
ユズが、そんなアリスに気づいて、心配そうにそっとアリスの肩に手を置いた。
「……アスナ先輩?」
C&Cの、狙撃銃を背負った人が、隣のアスナに声をかけた。
さっきまで一番うるさかったアスナが、ずっと黙っていた。
「どうかしましたか?」
「ん~……すっごく面白そうなんだけどね」
アスナは、画面の中のエアを見たまま、首をかしげた。
「それよりも、なんか、やな感じがするんだ~」
画面の中のエアが、わずかに目をふせた。
リオも、トキも、ヒマリも、先生も、同じような顔をしていた。この先の話を、知っている人たちの顔だった。
エイミは、その顔を一人ずつ見て、それから、黙って眉を寄せた。
エアの赤い目が、私の方を向いた。
『……レイヴン。この先も、話していいですか』
この先。
何のことか、すぐにわかった。
正直に言うと、知られたくなかった。
みんなが、何て言うのかわからない。
みんなが、私をどう見るようになるのか、わからない。
でも、これは私の罪だ。
その道を選んだのは、私だ。
「……うん」
自分でも聞こえるかどうかの声で、私は答えた。
『……すみません、レイヴン』
エアは、みんなの方に向き直った。
『レイヴンが私と戦ったのは、大切な人から受け継いだ遺志を、果たすためでした。そして、その遺志は……コーラルという物質を、ルビコンもろとも燃やし尽くして、根絶させることでした』
部屋の中から、音が消えた。
はしゃいでいたモモイの顔が、そのまま固まった。
『私は、それを受け入れることができず、レイヴンと対立し……そして、敗れました』
エアの声は、ずっと落ち着いていた。
『その後のことを、私は知りません。ですが、レイヴンの話を聞く限り……ルビコンは、かつて星を焼いた「アイビスの火」と同じように、コーラルの炎に飲みこまれたのでしょう。……そして気がついたら、私たちは二人とも、キヴォトスにいたのです』
誰も、何も言わなかった。
モモイは、口を開けたままだった。ミドリが、両手で口をおさえている。ユズは、アリスの肩に手を置いたまま、私から目をそらした。
ネルは、わけがわからないという顔で、モニターを見つめていた。C&Cの人たちも、しんと静まりかえっていた。
エイミは、私を見ていた。
怒っている顔でも、怖がっている顔でもなかった。どういう顔をすればいいのか、わからないみたいな顔だった。
先生も、私を見ていた。
でも、先生の顔だけは、さっきから何も変わっていなかった。
……やっぱり、こうなる。
みんなの顔を見ていたくなくて、私は顔をふせた。
本当は、どこかに行ってしまいたかった。でも、アビ・エシュフの中じゃ、どこにも隠れられなかった。
『……私自身のことも、話しておきます』
エアが、静かに話を戻した。
『私は、そのコーラルの中で生まれた、変異波形と呼ばれる存在です。こちらには似たような存在がないので……私のことは、意志を持ったAIのようなものだと思ってください』
「一つ、確認させてください」
ヒマリが、少しだけ車椅子を前に出した。
「今のお話でも、以前シホから聞いたお話でも、コーラルは、星を燃やし尽くすほどの、とても危険なものでした。――エア。あなたは、今もそのコーラルなのですか?」
体が、勝手にびくりと動いた。
金具が鳴って、また体中に痛みが走った。
コーラルだったエアが、今はエリドゥの制御を握っている。なら、また新しい火種になる。
そうならないためにも、私は、エアをもう一度――
『いいえ』
エアは、はっきりと言った。
『少なくとも、今の私はコーラルではありません。キヴォトスの空気の中にコーラルはありませんし、レイヴンの体の中にも、コーラルらしい反応はありません』
画面の中の赤い目が、一瞬だけ、私の方を見た。
『今の私は……高性能なAIに近いもの、と言った方が正しいでしょう』
嘘だ、と言い返せなかった。
エアは、私に嘘をついたことがない。今だって、そんな感じはしなかった。
コーラルじゃないなら。
エアを、殺さなくてもいい……?
そう思った瞬間、体から、ふっと力が抜けた。
アビ・エシュフに支えられていなかったら、そのまま崩れ落ちていたかもしれない。
ヒマリは、少しだけ考えるように目を閉じて、それから小さくうなずいた。
「……その言葉が本当かどうか、今の私たちに確かめる手段はありませんが。ひとまず、そういうことにしておきましょうか」
「なら、次はこちらから聞かせてちょうだい」
リオが、一歩前に出た。
「私たちの調査では、六津井シホは『名もなき神』の遺産であり、世界を終わらせるために造られた兵器よ。……それは、事実なのかしら」
『おそらく、そうなのでしょう』
エアは、あっさりと言った。
『ですが、私も詳しいことは知りません。私がキヴォトスで目を覚ましたのは、つい最近のことですから。レイヴンがデカグラマトンの干渉を受けた、そのときです。私たちのことなら、調べていたあなたたちの方が、よほど詳しいと思いますよ』
「デカグラマトンの干渉を受けたとき……」
ヒマリが、はっと顔を上げた。
「それはもしかして、シホが廃墟で目覚めたときのことですか?」
『そうです。外から、無理やり中に入りこまれる感覚がありました。私はその干渉から身を守るために抵抗して、はね返しました。……レイヴンが目を覚ましたのも、そのときです』
ヒマリが、小さく息をのんだ。
前にヒマリが話していたことと、同じだった。
『それからは、レイヴンを通して、外のことはわかるようになりました。でも、私の方から何かをすることは、できませんでした』
エアは、そこで一度言葉を切った。
『一度だけできたのは……Keyが、デカグラマトンと同じようにレイヴンを乗っ取ろうとしたときです。そのときも抵抗して、はね返しました。それからは、少しだけですが、レイヴンに声を届けられるようになりました。……はっきりとした言葉には、なりませんでしたが』
「それが、シホの耳鳴り……」
ヒマリが、ぽつりとつぶやいた。
耳鳴りがするたびに、うるさいと思っていたけど、どこか懐かしい感じもしていた。
あれは全部、エアだったんだ。
『それから、この部屋の装置にレイヴンがつながれたときです。私は、エリドゥの中に入りました。レイヴンが壊されそうになったら、システムを奪うか、邪魔をできるように。……もちろん、気づかれないように、こっそりと』
リオの顔が、少しだけこわばった。
やっぱり、耳鳴りが止まったのは、エアが私の中からエリドゥに移動したからなんだ。
『本当は、全部が落ち着いてから、レイヴンと話をするつもりでした。でも、そうしているうちに、Keyがエリドゥを乗っ取ろうとしはじめたので……仕方なく、先にこちらでエリドゥを掌握させてもらいました』
「……貴女がそのエリドゥを握っている今、いったい何ができるの」
リオが、恐る恐るといった様子で聞いた。
エアは、少しの間黙っていた。
画面の中の赤い目が、もう一度、部屋の中を見回した。
『エリドゥのような設備と資源があれば、レイヴンの体を完全に直して、本来の力で動かすことができます。……その気になれば、世界を滅ぼすこともできるでしょう』
部屋の空気が、張り詰めた。
みんなが身構えるのがわかったけど、エアは気にしていないみたいに続けた。
『ですが、逆に言えば、設備と資源がなければ大したことはできません。レイヴンは拠点を定めて、そこから出撃を繰り返すことを想定して作られています。拠点がなければ、レイヴン一人でできることは限られています。……アリスも、おそらく同じでしょう』
アリスの肩が、小さくふるえた。
世界を滅ぼせると言われて、自分のことが怖くなったのかもしれない。
私は、ガレージでアセンブルを整えて出撃を繰り返すだけで、世界を滅ぼすことができると言われても、よくわからなかった。
それに、理由もないのに、そんなことをするつもりもない。
なら、私は――
その先を考えようとして、頭の中が真っ白になった。
リオは、しばらく口元に手を当てて黙っていた。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……とりあえず、貴女と六津井シホのこと。それから、今の状況については、理解したわ」
リオの目が、アビ・エシュフの中の私を見て、それから、装置の中のアリスを見た。
「なら、次は――六津井シホと天童アリスをどうするか。それを、決める必要があるわね」