猟犬は透き通る空の夢を見る   作:ピンカル

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五十九話:やりたいこと ~エリドゥ編~

 

「結論から言うわ。天童アリスと六津井シホを、このままにしておくことはできない」

 

リオは、まっすぐ前を向いたまま言った。

部屋の中の目が、一斉にリオに集まった。

モモイが、アリスの前で両手を広げる。ネルの眉が、ぴくりと上がった。

 

「……リオ」

 

ヒマリが、車椅子を少しだけリオの方に向けた。

声は静かだった。でも、膝の上の手が、ぎゅっと握られていた。

 

「それは、どういうつもりで言っているのですか?」

 

「言葉どおりの意味よ」

 

リオは、ヒマリの方を見なかった。

 

「エリドゥを奪われている今の私が言っても、説得力はないかもしれないわね。けれど、今回の件で問題は何一つ解決していないの」

 

リオの目が、壁のモニターの中のエアを見た。

 

「今回は、たまたまエアとKeyがぶつかり合って、エアが勝利したわ。だから、丸く収まったように見えているだけ。天童アリスと六津井シホを調べた先でわかるはずだった危険が、はっきりとした形になって、目の前に出てきただけよ」

 

リオは、少しだけ息を吸った。

 

「なら、二人に対して何らかの手を打つ必要があるはずよ」

 

「あなたは……こんな状況になっても、まだそんなことを言うのですか」

 

ヒマリが声を低くして、リオをにらんだ。

だけど、リオはひるまなかった。

 

『一つ、訂正させてください』

 

エアの声が、二人の間に割って入った。

 

『私は、世界を滅ぼせるとは言いましたが、そんなつもりはありませんよ。それに、レイヴンはそうならないように行動しています』

 

「言葉だけなら、何とでも言えるわ。それに、貴女が私たちに話したことが、本当だという保証もない。なら、それを確かめる必要がある。そのうえで手を打っておくことは、何もおかしなことではないわ」

 

リオは、視線をエアの方に向けて答えた。

エアは、何も言い返さなかった。ただ、画面の中の私の顔が、不機嫌そうになった。

 

……リオの言うことは、間違っていない。

 

エアは、コーラルじゃなかった。でも、私が世界を滅ぼせる兵器なのは、変わらない。

私がいるだけで、こうしてみんながもめている。

 

ルビコンでコーラルを燃やしたのは、どうしてだった?

コーラルがあるだけで、みんなが奪い合って、争いが起きたからだ。

 

なら、私たちも同じだ。

 

「……リオの言うとおり」

 

みんなの目が、今度は私に向いた。

 

「エアがコーラルじゃなくても、私とアリスは、世界を滅ぼせる兵器。いるだけで争いを生むなら、コーラルと変わらない……だから、やっぱり、いなくなった方がいい」

 

「シホ……」

 

ヒマリが、私の名前を呼んだ。

私は、ずっと床だけを見つめていた。

 

「あ……」

 

装置の中で、アリスが小さく声をもらした。

ミドリとユズに支えられて、アリスがゆっくりと体を起こす。青い目が、ゆらゆらと揺れていた。

 

「でも……シホの、言うとおりです」

 

「アリス……?」

 

モモイが、アリスの方に振り返った。

 

「アリスのせいで、モモイがけがをしました。みんなも、アリスのせいで、たくさん傷つきました」

 

アリスは、自分の両手を見下ろした。

 

「アリスは……勇者ではなく、魔王ですから。アリスがいるだけで、大切な人たちが苦しんで、傷つくのなら……アリス、は……」

 

アリスは、ぎゅっと目をつぶった。

 

「アリスは、このまま消えるのが……正しいのです」

 

「そんなことない!」

 

モモイの大きな声が、部屋中に響いた。

 

「アリスがいたから、私たちはゲームが作れたんだよ! ミレニアムプライスで賞をもらって、部活だって守れたんだよ!」

 

モモイは、アリスの肩をつかんだ。

 

「それなのに、アリスが魔王だとか、そう生まれついただとか……だから消えなきゃいけないとか! そんなの、全ッ然意味わかんない!!」

 

モモイの声が、ふるえていた。それでも、モモイは止まらなかった。

 

「そんなの、絶対納得するもんか! 私は、アリスと一緒にいたいんだ!」

 

――それでも私は、人とコーラルの可能性を、あなたと一緒につかみたかった。

 

モモイの声が、あの夢の中の、エアの声と重なった。

 

おなかの奥が、かっと熱くなった。

どうしてかわからないけど、モモイの顔を見ていると、がまんできなかった。

 

「納得できなくても、世界はそうできてる」

 

自分でも思っていたより、低い声が出た。

モモイが、びくりとこっちを向いた。

 

「私みたいに力があっても、何も変えられなかった。なら、私に手も足も出なかったモモイが、アリスを守れるの?」

 

モモイの顔が、こわばった。

 

『……レイヴン』

 

耳元で、エアがつぶやいた。

悲しそうな声だった。でも、今はそれも、うるさかった。

 

「そ、それは……!」

 

モモイは、一度言葉に詰まって、それでも、ぐっと顔を上げた。

 

「た、確かに……シホのことは、さっき話で聞いただけで、私たち、何にも知らないよ。だけど……!」

 

「だけど、なに?」

 

私は、モモイをにらんだ。

 

拘束を振りほどこうと、全身に力を入れる。

体中に痛みが走り、目の前がちかちかする。

 

ぎしり、とアビ・エシュフがきしんだ。

左腕の奥で、何かが嫌な音を立てた。パイルを打ちすぎて、もうずっとしびれていた腕だ。金具に押さえつけられたところが、じんわりと熱くなる。見なくても、血が出ているのがわかった。

 

どうせ、死ぬつもりだった。

この体がどうなろうと、知ったことじゃない。

 

『レイヴン! やめてください! このままでは、あなたの体が……!』

 

エアの声が、ほとんど悲鳴みたいになった。

 

金具が、もう一度きしむ。

モモイが、一歩後ろに下がった。ミドリが、アリスとモモイの前に飛び出す。

 

部屋中の空気が、一気に張り詰めた。

 

ネルが、二丁のサブマシンガンを構えた。C&Cの人たちも、すぐにそれに続く。

エイミも、ショットガンを持ち上げた。銃口が、まっすぐ私に向いている。

 

そのとき、私の目の前に、誰かが立った。

先生だった。

 

みんなと私の間に立って、両手を広げていた。

広場で戦ったとき、先生は、私の正面に立っていた。

今は、私に背中を向けている。

 

"みんな、ちょっと待ってほしいんだ"

 

先生の声は静かだった。大きな声じゃないのに、部屋の中の全員が動きを止めた。

 

"いろいろ決める前に、まずはみんなの話を聞きたいんだ。銃を下ろしてくれるかな"

 

先生は、振り返らないまま言った。

 

「……チッ」

 

ネルが舌打ちをして、サブマシンガンを下ろした。それを見て、C&Cの人たちも、ゆっくりと銃口を下げる。

最後に、エイミがショットガンを下ろした。

 

それを見届けてから、先生がこっちを振り返った。

先生の目が、私の左の手首で止まった。眉が、わずかに寄った。

 

"エア。シホをアビ・エシュフから下ろしてあげられる?"

 

『先生……? どういうつもりですか?』

 

"このままだと、シホがもっとけがをする。それに、押さえつけたまま話を聞くのは、対等じゃないと思うんだ"

 

「待ってちょうだい、先生。今、暴れようとしたばかりなのに、それは危険よ」

 

"うん。危ないかもしれない。でも、お願い"

 

「けれど……」

 

『……いえ、わかりました』

 

アビ・エシュフが、ゆっくりと膝をついた。

床が近くなって、目の高さが下がっていき、拘束が外れる。

 

「エア!? 貴女、何を……!」

 

驚くリオを横目に、私はふらつく体を何とか立たせた。

 

左腕が、だらりと下がったまま上がらなかった。指先から、血がぽたぽたと床に落ちていく。

 

先生が、私の前でかがみこんだ。

 

体から、また力が抜けた。

さっきまで、あんなに熱かったおなかの奥が、急に冷たくなった気がした。

拘束はもうないのに、先生が目の前にいると、これ以上、暴れられなかった。

 

"シホ"

 

先生は、まっすぐに私の目を見た。

 

"まず、謝らせてほしい"

 

「……え?」

 

何を言われたのか、すぐにはわからなかった。

 

"公園で、シホの大切な人のことを、会ったこともないのに、責任があるって決めつけるみたいに言ってしまった。……ごめん"

 

先生は、それ以上、何も言わなかった。

言い訳はなかった。ただ、私の前で、じっと何かを待っていた。

 

どうして、先生が謝るんだろう。

 

あのとき、先生は間違ったことを言っていなかった。

……ウォルターにも、責任はある。

頭ではわかっているけど、どうしても納得できなくて。

勝手に怒ったのは、私の方だ。

 

「……先生は、間違ってない」

 

やっと、それだけ言えた。

 

"ありがとう。でも、シホを傷つけたのは、本当だから"

 

先生は、少しだけ笑った。でも、その笑いはすぐに消えた。

私は、何も言えなかった。

先生から、目をそらすこともできなかった。

 

"それから、聞かせてほしいんだ。シホは、何のために戦ってたの?"

 

何のために。そんなの、決まっている。

 

「エアと……」

 

そこで、言葉が止まった。

 

エアは、コーラルじゃなかった。

殺さなきゃいけない理由は、もうない。

 

画面の中の赤い目が、私を見ていた。

私は、そこから目をそらした。

 

「……アリスを、殺すため」

 

モモイが、息をのむ音が聞こえた。

アリスは、何も言わなかった。ユズが、アリスの肩に置いた手に、ぎゅっと力を入れたのが見えた。

 

"……そっか"

 

先生は、それだけ言った。

怒ることも、否定することもしない。

そんな先生を見ていたら、思っていることが、次々に口からこぼれた。

 

「世界を、守るため」

 

"うん"

 

「受け継いだ遺志を、守るため」

 

"それが、シホのやるべきことなんだね"

 

私は、うなずいた。

最後の一つは、言わないでおこうかと思った。

でも、先生は、ちゃんと聞いてくれていたから。

 

「それで、最後に……私も、死ぬため」

 

私は、先生の目を見た。

 

誰かが、小さく声をもらした。ヒマリかもしれないし、エイミかもしれなかった。

 

先生は、何も言わなかった。

私から目をそらさずに、ただ、私を見ていた。

 

しばらくして、先生が、ゆっくりと口を開いた。

 

"シホが、やるべきことは、わかった"

 

先生は、少しだけ首をかしげた。

 

"……じゃあ、シホが、やりたいことは?"

 

私の……やりたいこと……。

答えようとして、口を開けた。

でも、何も出てこなかった。

 

さっきまでのは全部、やらなきゃいけないことだった。

誰かのため。何かのため。

 

じゃあ、私は?

 

私は……何が、したかったんだろう。

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