猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
「結論から言うわ。天童アリスと六津井シホを、このままにしておくことはできない」
リオは、まっすぐ前を向いたまま言った。
部屋の中の目が、一斉にリオに集まった。
モモイが、アリスの前で両手を広げる。ネルの眉が、ぴくりと上がった。
「……リオ」
ヒマリが、車椅子を少しだけリオの方に向けた。
声は静かだった。でも、膝の上の手が、ぎゅっと握られていた。
「それは、どういうつもりで言っているのですか?」
「言葉どおりの意味よ」
リオは、ヒマリの方を見なかった。
「エリドゥを奪われている今の私が言っても、説得力はないかもしれないわね。けれど、今回の件で問題は何一つ解決していないの」
リオの目が、壁のモニターの中のエアを見た。
「今回は、たまたまエアとKeyがぶつかり合って、エアが勝利したわ。だから、丸く収まったように見えているだけ。天童アリスと六津井シホを調べた先でわかるはずだった危険が、はっきりとした形になって、目の前に出てきただけよ」
リオは、少しだけ息を吸った。
「なら、二人に対して何らかの手を打つ必要があるはずよ」
「あなたは……こんな状況になっても、まだそんなことを言うのですか」
ヒマリが声を低くして、リオをにらんだ。
だけど、リオはひるまなかった。
『一つ、訂正させてください』
エアの声が、二人の間に割って入った。
『私は、世界を滅ぼせるとは言いましたが、そんなつもりはありませんよ。それに、レイヴンはそうならないように行動しています』
「言葉だけなら、何とでも言えるわ。それに、貴女が私たちに話したことが、本当だという保証もない。なら、それを確かめる必要がある。そのうえで手を打っておくことは、何もおかしなことではないわ」
リオは、視線をエアの方に向けて答えた。
エアは、何も言い返さなかった。ただ、画面の中の私の顔が、不機嫌そうになった。
……リオの言うことは、間違っていない。
エアは、コーラルじゃなかった。でも、私が世界を滅ぼせる兵器なのは、変わらない。
私がいるだけで、こうしてみんながもめている。
ルビコンでコーラルを燃やしたのは、どうしてだった?
コーラルがあるだけで、みんなが奪い合って、争いが起きたからだ。
なら、私たちも同じだ。
「……リオの言うとおり」
みんなの目が、今度は私に向いた。
「エアがコーラルじゃなくても、私とアリスは、世界を滅ぼせる兵器。いるだけで争いを生むなら、コーラルと変わらない……だから、やっぱり、いなくなった方がいい」
「シホ……」
ヒマリが、私の名前を呼んだ。
私は、ずっと床だけを見つめていた。
「あ……」
装置の中で、アリスが小さく声をもらした。
ミドリとユズに支えられて、アリスがゆっくりと体を起こす。青い目が、ゆらゆらと揺れていた。
「でも……シホの、言うとおりです」
「アリス……?」
モモイが、アリスの方に振り返った。
「アリスのせいで、モモイがけがをしました。みんなも、アリスのせいで、たくさん傷つきました」
アリスは、自分の両手を見下ろした。
「アリスは……勇者ではなく、魔王ですから。アリスがいるだけで、大切な人たちが苦しんで、傷つくのなら……アリス、は……」
アリスは、ぎゅっと目をつぶった。
「アリスは、このまま消えるのが……正しいのです」
「そんなことない!」
モモイの大きな声が、部屋中に響いた。
「アリスがいたから、私たちはゲームが作れたんだよ! ミレニアムプライスで賞をもらって、部活だって守れたんだよ!」
モモイは、アリスの肩をつかんだ。
「それなのに、アリスが魔王だとか、そう生まれついただとか……だから消えなきゃいけないとか! そんなの、全ッ然意味わかんない!!」
モモイの声が、ふるえていた。それでも、モモイは止まらなかった。
「そんなの、絶対納得するもんか! 私は、アリスと一緒にいたいんだ!」
――それでも私は、人とコーラルの可能性を、あなたと一緒につかみたかった。
モモイの声が、あの夢の中の、エアの声と重なった。
おなかの奥が、かっと熱くなった。
どうしてかわからないけど、モモイの顔を見ていると、がまんできなかった。
「納得できなくても、世界はそうできてる」
自分でも思っていたより、低い声が出た。
モモイが、びくりとこっちを向いた。
「私みたいに力があっても、何も変えられなかった。なら、私に手も足も出なかったモモイが、アリスを守れるの?」
モモイの顔が、こわばった。
『……レイヴン』
耳元で、エアがつぶやいた。
悲しそうな声だった。でも、今はそれも、うるさかった。
「そ、それは……!」
モモイは、一度言葉に詰まって、それでも、ぐっと顔を上げた。
「た、確かに……シホのことは、さっき話で聞いただけで、私たち、何にも知らないよ。だけど……!」
「だけど、なに?」
私は、モモイをにらんだ。
拘束を振りほどこうと、全身に力を入れる。
体中に痛みが走り、目の前がちかちかする。
ぎしり、とアビ・エシュフがきしんだ。
左腕の奥で、何かが嫌な音を立てた。パイルを打ちすぎて、もうずっとしびれていた腕だ。金具に押さえつけられたところが、じんわりと熱くなる。見なくても、血が出ているのがわかった。
どうせ、死ぬつもりだった。
この体がどうなろうと、知ったことじゃない。
『レイヴン! やめてください! このままでは、あなたの体が……!』
エアの声が、ほとんど悲鳴みたいになった。
金具が、もう一度きしむ。
モモイが、一歩後ろに下がった。ミドリが、アリスとモモイの前に飛び出す。
部屋中の空気が、一気に張り詰めた。
ネルが、二丁のサブマシンガンを構えた。C&Cの人たちも、すぐにそれに続く。
エイミも、ショットガンを持ち上げた。銃口が、まっすぐ私に向いている。
そのとき、私の目の前に、誰かが立った。
先生だった。
みんなと私の間に立って、両手を広げていた。
広場で戦ったとき、先生は、私の正面に立っていた。
今は、私に背中を向けている。
"みんな、ちょっと待ってほしいんだ"
先生の声は静かだった。大きな声じゃないのに、部屋の中の全員が動きを止めた。
"いろいろ決める前に、まずはみんなの話を聞きたいんだ。銃を下ろしてくれるかな"
先生は、振り返らないまま言った。
「……チッ」
ネルが舌打ちをして、サブマシンガンを下ろした。それを見て、C&Cの人たちも、ゆっくりと銃口を下げる。
最後に、エイミがショットガンを下ろした。
それを見届けてから、先生がこっちを振り返った。
先生の目が、私の左の手首で止まった。眉が、わずかに寄った。
"エア。シホをアビ・エシュフから下ろしてあげられる?"
『先生……? どういうつもりですか?』
"このままだと、シホがもっとけがをする。それに、押さえつけたまま話を聞くのは、対等じゃないと思うんだ"
「待ってちょうだい、先生。今、暴れようとしたばかりなのに、それは危険よ」
"うん。危ないかもしれない。でも、お願い"
「けれど……」
『……いえ、わかりました』
アビ・エシュフが、ゆっくりと膝をついた。
床が近くなって、目の高さが下がっていき、拘束が外れる。
「エア!? 貴女、何を……!」
驚くリオを横目に、私はふらつく体を何とか立たせた。
左腕が、だらりと下がったまま上がらなかった。指先から、血がぽたぽたと床に落ちていく。
先生が、私の前でかがみこんだ。
体から、また力が抜けた。
さっきまで、あんなに熱かったおなかの奥が、急に冷たくなった気がした。
拘束はもうないのに、先生が目の前にいると、これ以上、暴れられなかった。
"シホ"
先生は、まっすぐに私の目を見た。
"まず、謝らせてほしい"
「……え?」
何を言われたのか、すぐにはわからなかった。
"公園で、シホの大切な人のことを、会ったこともないのに、責任があるって決めつけるみたいに言ってしまった。……ごめん"
先生は、それ以上、何も言わなかった。
言い訳はなかった。ただ、私の前で、じっと何かを待っていた。
どうして、先生が謝るんだろう。
あのとき、先生は間違ったことを言っていなかった。
……ウォルターにも、責任はある。
頭ではわかっているけど、どうしても納得できなくて。
勝手に怒ったのは、私の方だ。
「……先生は、間違ってない」
やっと、それだけ言えた。
"ありがとう。でも、シホを傷つけたのは、本当だから"
先生は、少しだけ笑った。でも、その笑いはすぐに消えた。
私は、何も言えなかった。
先生から、目をそらすこともできなかった。
"それから、聞かせてほしいんだ。シホは、何のために戦ってたの?"
何のために。そんなの、決まっている。
「エアと……」
そこで、言葉が止まった。
エアは、コーラルじゃなかった。
殺さなきゃいけない理由は、もうない。
画面の中の赤い目が、私を見ていた。
私は、そこから目をそらした。
「……アリスを、殺すため」
モモイが、息をのむ音が聞こえた。
アリスは、何も言わなかった。ユズが、アリスの肩に置いた手に、ぎゅっと力を入れたのが見えた。
"……そっか"
先生は、それだけ言った。
怒ることも、否定することもしない。
そんな先生を見ていたら、思っていることが、次々に口からこぼれた。
「世界を、守るため」
"うん"
「受け継いだ遺志を、守るため」
"それが、シホのやるべきことなんだね"
私は、うなずいた。
最後の一つは、言わないでおこうかと思った。
でも、先生は、ちゃんと聞いてくれていたから。
「それで、最後に……私も、死ぬため」
私は、先生の目を見た。
誰かが、小さく声をもらした。ヒマリかもしれないし、エイミかもしれなかった。
先生は、何も言わなかった。
私から目をそらさずに、ただ、私を見ていた。
しばらくして、先生が、ゆっくりと口を開いた。
"シホが、やるべきことは、わかった"
先生は、少しだけ首をかしげた。
"……じゃあ、シホが、やりたいことは?"
私の……やりたいこと……。
答えようとして、口を開けた。
でも、何も出てこなかった。
さっきまでのは全部、やらなきゃいけないことだった。
誰かのため。何かのため。
じゃあ、私は?
私は……何が、したかったんだろう。