猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
シャワーを浴びて、体に溜まっていた熱や汚れを洗い流した。温かいお湯が肌を叩く感覚は、ルビコンの簡素な洗浄室よりもずっと心地よかった。
脱衣所に出ると、かごの中に新しい服が畳んで置いてあった。ヒマリが言っていた着替えだろう。昨日のうちに用意してくれたらしい。
言われた通りに着込んで、髪を簡単に乾かしてから部室に戻る。そこには、ヒマリだけでなくエイミも立っていた。
「あ、レイヴン。シャワー終わったんだ」
エイミの言葉に続いて、車椅子に乗ったヒマリが申し訳なさそうに、けれどどこか自信ありげに微笑んだ。
「ふふ、サイズはどうですか?まだきちんと採寸する時間がなかったので、ひとまず近くの店で買える簡素な服を用意しました。ちゃんとした服を買うまで、今はそれで我慢してくださいね」
エイミがじっと私を見て、小さく頷く。
「うん、でも似合ってるよ」
似合っていると言われても、よくわからない。ただ、動くのには特に問題ないように感じる。
「……大丈夫」
私が短く答えるとヒマリは満足そうに頷き、パンと手を叩いた。
「さて、レイヴン。これからのことについて話し合いましょう。まずは、あなたの日常に必要な日用品を揃えに行きます」
「日用品……?」
「ええ。銃もそうですが、歯ブラシやタオル、着替えの予備などです。ひとまず今日は、必要最低限のものを買い揃えてもらいます」
ヒマリの言葉に、私は思わず首を横に振った。
「いらない」
「おや、なぜですか?」
「物をもらうには、お金が必要」
私がきっぱりと言うと、ヒマリは溜息をつきながら、すこし嬉しそうな顔をした。
「そう言うと思いましたよ。ですから、これはただの施しではありません。あなたに頼みたい仕事があるのです」
「仕事……ミッション?」
「ええ。その仕事を引き受けてもらうための『準備金』として、先払いでお金を支給します。ですから、遠慮なく使いなさい」
前払い報酬なら、筋が通る。仕事に必要な経費だと思えば、受け取るのに問題はない。
「わかった。ミッションの内容を聞かせてほしい」
「ふふ、やる気があるのは良いことですが、詳しい話は買い物を終えてからです。焦る必要はありませんよ」
ヒマリは私の質問を軽くかわすと、楽しそうに言葉を続けた。
「それと、出かける前に大切なことを決めましょう。あなたの『名前』です」
突然の提案に、横にいたエイミが首をかしげる。
「名前……?でも、レイヴンって名前があるじゃない。呼び方を変えるのは非効率だと思うけど」
「エイミ、レイヴンというのは彼女のコードネームのようなものです。本名も聞きましたが……C4-621なんて、とても人の名前とは思えません」
「……あ、そっか。学籍とか口座を作るのに使えないんだ」
「その通りです。ですから、キヴォトスで生きていくための正式な名前が必要です」
私はふたりのやり取りを黙って聞いていた。
ルビコンでは『レイヴン』か『621』と呼ばれていれば何も問題なかった。でも、この世界では書類に書くための名前がないと、生活すらできないらしい。
よくわからないけれど、言われた通りにしておいた方が良さそうだ。
ヒマリはあらかじめ考えていたのか、手元の端末を見ながら微笑んだ。
「ということで、私があなたの新しい名前を考えました」
ヒマリは端末を操作し、モニターに短い文字を映し出した。
「――『六津井(むつい)シホ』。あなたの名前は、今日からこれです」
「むつい……シホ」
「ええ。語呂合わせで『621』から六津井、『C4』からシホです。……どうですか?」
前にもらったG13とは違う、自分の名前。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。自分に新しい記号が与えられたような、そんな感覚。
「……シホ。わかった。それでいい」
「えぇ、もちろん受け入れてもらえると思っていましたよ。何せ、この超天才清楚系病弱美少女ハッカーが、その完璧な頭脳をフル活用して導き出した名前なのですから」
ヒマリは自分が考えた名前が受け入れられて嬉しいようで、胸を張りながら微笑んでいる。少しの間ヒマリはニコニコと笑っていたが、満足したのかエイミに向き直った。
「では早速、エイミ。シホさんを連れてお買い物に行ってきてください」
ヒマリは行かないのだろうかと思っていると、エイミも同じだったのか、小さく首を傾げる。
「部長は一緒に行かないの?」
「私はこれから別の用事があるのです。シホの口座や学籍の手配など、やるべきことが山積みですから。……才能のある美少女は、いつでも引っ張りだこなのですよ」
「そっか。じゃあ仕方ないね。行こう、シホ」
「エイミ?もう少し私との別れを名残惜しむというか、せっかく得られた千載一遇のチャンスを不意にするような悔しさを滲ませたり「じゃあ、いってきます」……エイミ!?」
ヒマリがいっしょに行けないことについてしゃべっている間に、私はエイミに促されて部屋を後にした。
◆
最初に到着したのは、街角にある小さな店だった。透明なガラスの向こうに、食べ物や小さな道具がたくさん並んでいる。
「ここはコンビニ。手軽に食べ物や日用品が買える場所だよ」
エイミに教えられながら店に入る。部室にあったゼリー飲料がもうなかったので、補給も兼ねて買いに来たのだ。
エイミはカゴを取り、棚から商品を選んでレジに持っていく手順を丁寧に教えてくれた。
お金はヒマリから渡されたカードを機械にかざすだけで決済が終わった。支払いについては、ルビコンでのやり方に近くてわかりやすい。
店を出て、近くのベンチに座る。朝食がまだだったので、買い揃えたゼリー飲料を飲むことにした。
「……ん」
チューブをくわえて吸い込むと、口の中に甘酸っぱい味が広がった。昨日飲んだものとは違う味がする。これも、すごく美味しい。
「シホ、美味しそうに飲むね」
エイミが少しだけ口角を上げて言う。私はパウチを口から離して、こくりと頷いた。
(味のある食事って、やっぱりいいな……)
味のしない点滴を、エネルギー補給のためだけに流し込んでいた頃とは大違いだ。私はそのまま、夢中になってパウチを飲み干した。
朝食のパウチを飲み干した後、私たちは『ガンショップ』というお店に来た。
店内には、大小さまざまな銃が壁や棚にずらりと並んでいる。
ガラス張りの明るいお店で、堂々と武器を売っている。ルビコンでは、新しいパーツや弾薬は企業から直接データを買ったり、ウォルターが裏で手配してくれたりするものだった。
こうして普通にお店で武器が売られているのを見ると、ここは随分と安全で、しっかりした街なんだと思った。
「昨日も言ったけど、キヴォトスでは銃を持ち歩くのは普通のことだから、ここで自分の銃を買うよ」
ショーケースを眺めていると、エイミが隣でそう教えてくれた。
しかし、昨日からどうも信じられないのが、キヴォトスでは日常的に銃を撃ちあう環境だということだった。
「……こっちの人は、撃たれても本当に死なないの?」
銃は敵を排除するための道具だ。相手を殺さないように撃つなんて、私にはよくわからない。私がじっと見つめると、エイミは少しだけ困ったように目を伏せた。
「うーん……流石に何発も撃ち込まれ続けたりしたら死んじゃうよ。でも、大体はその前に気絶するし、殺すつもりでそこまで撃ち続ける人はほとんどいないから」
なるほど。すぐに死なないから、簡単に引き金を引けるんだ。
そういわれて、要するにACに対して攻撃するのと、キヴォトスで人に向けて銃を撃つことは、ほとんど同じ意味になるのだと思った。
もちろん、当たり所が良ければあっさり死んでしまうけど、殺さない程度に加減して攻撃するのはそんなに難しくない。
そう考えると引き金が軽くなるのもなんとなくわかるし、自分の身を守るための武装が必要になるのも理解できた。
私は再び店内の棚に目を向けた。やっぱり、ACで使う武器とは形がかなり違う。
見れば何となく使い方は分かるけど、私が探しているような、レーザーやパルスを使った特殊な兵装は見当たらない。
「自分が使いやすい武器を言ってくれたら、一緒に探すよ」
エイミがそう言ってくれたので、私は以前使っていた武装を素直に伝えることにした。
「レーザーハンドガン。それと、パルスブレード。背中には、上に打ち上げてから落ちてくるプラズマミサイルがほしい」
私がそう言うと、エイミはきょとんとして、それから少し申し訳なさそうに頭をかいた。
「ごめん。流石にそういうのは無いかな……ちょっと、シホがいたところの技術力をなめてたかも」
やっぱり、そう都合よく見つかるわけではないらしい。なら、実弾武器を中心とした
「なら、レーザーじゃない、普通のアサルトライフル。あと、近接戦で使える武器。それと、肩に乗せて撃つミサイルはある?」
「ミサイル自体はあるけど、肩に固定して撃つようなのはないよ。アサルトライフルはいくつか種類があるけど……近接で使える武器はここには置いてないかな。小刀とかナイフとか、あるにはあるけど、素直に銃で撃った方が強いから、取り扱っているお店はほとんどないと思う」
近接武器がないといわれ、少し困ってしまう。私の得意な戦術は、銃やミサイルで牽制して相手の体勢を崩し、隙ができたところにブレードを叩き込んで一気に仕留めるやり方だ。
それができないとなると、戦い方を変えないといけない。
ひとまず、近接武器は後回しにして、銃だけを選ぶことにした。
棚からいくつか手に取って、重さやグリップの感触を確かめる。 選んだのは、一番癖がなくて使いやすそうなアサルトライフル。それを二つ持っていった。
「あれ、二つ? 流石に二つもいらないと思うけど……」
「いる。二つ必要」
エイミが不思議そうにするので、私は実際に銃を両手に持って説明した。
「前は両手と両肩に武器を積んでた。そのやり方に慣れてる。ミッションに合わせて武器を変えるのが一番いいけど、今はそんなに武器は買えない。だから、汎用的なアサルトライフルが二つ欲しい」
両手で一丁ずつ銃を持つ。ルビコンの傭兵たちが『ダブルトリガー』と呼んでいたスタイルだ。今は肩に武器がないのに加えて近接武器もないので、せめて両手でそれなりの火力を出せるようにしておかないと不安が残る。
「へえ、両手にアサルトライフルを持って使うんだ。変わったやり方だね。……ちょっと、シホの戦い方が気になるかも」
エイミは少しだけ感心したように言って、ヒマリのカードでライフルの代金を払ってくれた。
それぞれの手にアサルトライフルを持ち、指をトリガーの横に添える。手の中に金属の重みを感じて、少しだけ、自分の中のスイッチが切り替わる感覚があった。
一通り感触を確かめたあと、一緒に買っておいた
移動中はこうしておかないと不便だが、この位置ならいつでもすぐに銃を構えられる。
「それじゃあ、行こうか。次は日用品を買いに行くよ」
エイミに促され、私は両脇にライフルを提げたまま、お店の外へと歩き出した。
筆者自身の銃の知識はサバゲ―を少しかじった程度のものです。
銃の扱いやミリタリー的な表現は大まかなイメージで描写しています。
もし間違いや矛盾などがあれば、コメントにて教えていただけると助かります。