猟犬は透き通る空の夢を見る 作:ピンカル
「ただいま、部長。買ってきたよ」
エイミに連れられて特異現象捜査部の部室に戻ると、ヒマリは端末に向かって何かの作業をしていた。
私の手には、タオルや歯ブラシ、シャンプー、それにエイミが選んでくれた何着かの服が入った袋が握られている。
ヒマリは私が買ってきたものを一通り確認して、うんうんと頷いた。
「ええ、日用品は特に問題ありませんね。……ですが、そちらは?」
ヒマリの視線が、私が持つ二つのアサルトライフルに向けられた。
「……両手で撃てた方が火力が出るから。こっちの方が、私は慣れてる」
私がガンショップでエイミに言ったのと同じように説明すると、ヒマリは少しだけ目を丸くしてから、面白そうに微笑んだ。
「なるほど、両手で拳銃ではなく、アサルトライフルを扱うのですか。そちらの世界での戦い方についても色々と聞きたいところですが……とりあえず、今は後回しにしましょう」
「わかった。それで……朝言ってた仕事は?」
買ってきたゼリーはさっきの朝食で消費してしまったし、今は日用品と武器を支給してもらった状態だ。
準備金をもらった以上、早く言われた仕事をこなさないと落ち着かない。私が尋ねると、ヒマリはコンソールから手を離してこちらを向いた。
「ええ。あなたの次の仕事は、『身体検査と精密検査』を受けることです」
「……検査?それは、仕事と関係ある?」
ただ身体を調べられるだけだ。それが私に任せる仕事だと言われても、なんだか腑に落ちない。私が首を傾げると、ヒマリはくすりと笑った。
「もちろん、立派な仕事ですよ。私たちは今、ある現象について調査しているのですが、あなたが目覚めたあの廃墟は、その調査対象と深く関わっている場所なのです。そんな場所から現れたあなたを調べることは、私たちの調査に対して非常に有益な情報をもたらす可能性が高い。……つまり、あなたは貴重な『情報源』なのです」
なるほど、そういうことか。私に情報源としての利用価値があるから、お金を出して色々と調べるんだ。
しかし、それは以前までの仕事とはかけ離れた内容ということもあり、それを仕事と言われてもどうも違和感がある。
都合よく扱われている感じがするけど、仕事は仕事だと納得することにした。
「わかった。その調査対象って、何?」
私が情報源になるのなら、相手のことも知っておいた方がいい。そう思って質問すると、ヒマリは少しだけ声を潜めた。
「『デカグラマトン』。それと、廃墟にいる『預言者』と呼ばれる機械たちです。……何か心当たりは?」
「……でかぐらまとん。知らない」
私が正直に首を横に振ると、ヒマリは少しだけ肩の力を抜いて、冗談めかすように笑った。
「ふふ、知らないならそれで大丈夫です。むしろ、あなたから関わりがあるなんて言われたら、余計にややこしくなっていただろうと思いますからね」
そう言うと、ヒマリは車椅子を動かして私の前に出てきた。
「さて、そういうわけですから、さっそくこれから検査に向かいましょう」
「これから?明日とかじゃなくて?」
エイミが驚いたように聞き返す。確かに、まだ日は落ちていないとはいえ、それなりに時間は経っている。ヒマリはエイミのほうを向いて答えた。
「ええ。本来なら、空腹で倒れていた時点で連れていくべきだったのですが、彼女が平気そうにしていたので悠長に構えてしまいました。たまたま都合がついて、これから検査できる場所が見つかったのですよ」
ヒマリはそこで言葉を区切り、私の方を見た。
「ただし、シホはまだ学籍の手続きが終わっていませんし、事情が特殊すぎます。もし普通の医者に診せて騒ぎになれば、あなたも色々と動きづらくなるでしょう。ですから、このミレニアム最高の天才清楚系美少女ハッカーである私が、直接あなたの検査を行うことになりました」
「わかった。お願いする」
よくわからないけど、どうやらヒマリが私の身体を調べてくれるみたいだ。
人目に付くリスクを避けるのは、こちらとしてもありがたい。私が素直に頷くと、横にいたエイミが、少しだけ目を細めてヒマリを見つめているのに気がついた。
エイミは何か言いたげだったけれど、結局小さく息を吐いて、何も言わなかった。
「では、私はシホを案内します。エイミは、これから『先生』がいらっしゃるそうなので、ここまでの案内をお願いできますか?」
「……先生?」
聞き慣れない言葉に、私が反応する。ヒマリはにっこりと笑って言った。
「ええ。私たちの先生であり、信頼できる大人です」
信頼できる、大人。その言葉を聞いて、真っ先に
先生とは、ヒマリにとってのそういう存在なのだろう。ひとまず深く追求しなくてもいいだろうと考え、私は小さく頷いた。
「じゃあ、私は先生を迎えに行ってくるね」
「はい、よろしくお願いします。ではシホ、行きましょうか」
そういうとヒマリの車椅子が動き出し、エイミも続けて部屋から出る。私は買ったばかりのアサルトライフルを持ち直し、ヒマリの背中を追って歩き始めた。
◆
ヒマリに付いていき案内された部屋に着くと、まずは健康状態や体のサイズを調べられた。
そのあと、色んな機械を引っ張ったり、握ったり、上に乗って走ったりという運動もさせられた。
最後のほうはベッドに寝かされ、体にコードやパッドをいくつも貼り付けられて、よくわからない機械で色々な検査が行われた。
変な機械を使って身体を動かしたり、ずっと寝転がっていたりして気が張ってしまい、一通り終わる頃には、ミッションの時とは違う疲れ方をしてしまった。
「お疲れ様でした。とりあえずの検査はこれで終わりです」
ヒマリが手際よく機械の片付けを終えて、私に声をかける。
「何か、わかった?」
私が尋ねると、ヒマリはこちらを向いて答えた。
「そうですね。他の人に比べて、あなたの筋力が異常に高いことが分かりました」
「……他には?」
「今のところは調査中ですね。詳しいことが分かったら、またお伝えします」
分からないにしては、やけにあっさりとした返事だった。まあ、調べる時間も必要だし、そんなものなのかと思った。
ヒマリに言われて、検査用の服から着替えてから部屋を出る。そこには、ヒマリとエイミだけでなく、見知らぬ大人の男の人が立っていた。
私が近づくと、その人がヒマリの方を見た。
"ヒマリ、この子がさっき言ってた……"
「ええ、そうです。彼女が例の子ですよ」
「……」
私はその人をじっと見た。武装はしていないし、体つきもひどくひ弱に見える。ただの、大人の男の人だ。
「自己紹介しましょうか。彼女は……」
「どく……」
私はヒマリの言葉を遮って、いつもの癖で『独立傭兵』と名乗りそうになってしまった。だけど、さっき新しい名前をもらったばかりだと思い出し、慌てて口を閉じる。
「……間違えた。六津井シホ」
名乗り直すと、男の人が不思議そうに首を傾げた。
"間違えた?"
「ええ。アリスの時と同じで、元の名前が人の名前ではなかったので、私が名付けたのですよ」
"なるほど。元の名前って?"
ヒマリの言葉を聞いて、男の人がますます不思議そうな顔をする。私は、自分の本当の名前を口にした。
「……C4-621。独立傭兵、レイヴン」
私がそう名乗ると、男の人は少し驚いたように目を見開いた。
"えっと……レイヴンが、名前でいいのかな?"
「レイヴンはコードネーム。名前は、621」
"それは……"
男の人が言葉に詰まる。やっぱりこの番号を名前というのは、キヴォトスでは変だと思われるのかもしれない。
「先生。彼女には特殊な事情があります。詳しいお話はまた後ほどしましょう」
ヒマリがそう言って、無理やり話を区切った。
『先生』 エイミが迎えに行った、信頼できるらしい大人。
私は先生の顔をじっと見つめた。先生はまだ少し困ったような顔をしていたけれど、すぐに私に向かって、優しく笑いかけた。
"かっこいい名前だね。……もしかして、六津井シホって、その名前の語呂合わせなのかな?"
私が小さく頷くと、ヒマリが車椅子の上で得意げに胸を張った。
「ええ、その通りです!そこに気がつくとはさすが先生。やはりこの超天才清楚系美少女である私の感性は、万人にも通じる完璧なものだということですね」
"うんうん、ヒマリはさすがだね"
「うふふ、ええ、そうでしょうとも。うふふふふふ……」
先生に褒められて、ヒマリはすごく嬉しそうに笑っている。
「先生、部長をあんまり調子に乗らせないで……」
エイミが呆れたようにため息をついた。私が名乗ったときの少し重たかった空気が、三人のやり取りでいつのまにか元に戻っていた。
"そういえば、もうこんな時間だね。せっかくだし、みんなでご飯でも食べに行かない?"
先生がそう提案した時にふと外の景色を見てみると、いつの間にか空が赤くなっていた。
「部長、シホはご飯食べられるの?」
エイミが聞くと、ヒマリは頷いた。
「ええ。検査した結果、内臓の機能に問題はありませんでした。普通の食事なら問題なく食べられますよ」
ご飯。つまり、補給だ。私は、またあのゼリーを飲めるのだと思って、自然と背筋が伸びた。
"じゃあ、シホは何が食べたいかな?"
先生に聞かれて、私は迷わず答える。
「ゼリー飲料」
"えっ?うーん……ご飯といえばご飯だけど……"
先生が困ったように頭をかく。
「シホ、ゼリー飲料はあくまで非常時のための食事です。今日はせっかくですから、通常の食事も試してみましょう」
困った先生の代わりに、ヒマリがそう教えてくれた。
「……あれより、おいしいの?」
ゼリー飲料だって、十分すぎるくらいおいしかった。あれよりおいしいなんて、いったいどんな食べ物なんだろうか。
「ふふっ。もちろんおいしいですよ。せっかくだから、色々なものが食べられるファミレスに行きましょうか」
「うん、全員が食べたいものを頼めるし、効率的だと思う」
"それじゃあ、決まりだね"
あれより、おいしいものがある。その事実を知って、私は思わず目を見開いた。
早くそれを確かめたくて、私は三人の後について歩き出した。
本作では、ヒマリの持つ「全知」という学位を、「文字通りあらゆる分野に明るい」という意味で扱っています。
その道のトップレベルの専門家には及ばないものの、並の専門家に迫るほどの幅広い知識を持っている設定です。