The Amazing Spider-Man 4: Rage of the Taken 作:たきび/まもる
冬の朝。よく晴れた空の下、ニューヨーク州立刑務所の重い扉がゆっくりと開き、暗い建物の中からオットー・オクタビアスが姿を現す。
キングピン事件から三年。事件への全面的な捜査協力と重要証言によって刑は大幅に軽減され、収監後も模範囚として過ごしていたオットーは、三年の服役を経て仮釈放となった。
建物の外へ数歩進んだオットーは、そこで足を止める。長く薄暗い室内で過ごしていたせいか、冬の朝日がひどく眩しく感じられ、思わず目を細めて片手を顔の前にかざした。雲ひとつない青空の下、乾いた冷たい空気が肌に触れる。
その背後から、刑務官の声が飛んでくる。
「オクタビアス。」
オットーが振り返る。
「もう戻ってくるなよ。」
一瞬だけ目を丸くしたオットーは、やがて苦笑した。
「ああ。……努力するよ。」
その後、オットーは刑務所前のバス停で、小さな荷物を手に一人ベンチへ腰掛けていた。やがてバスが到着すると、静かに立ち上がって乗り込む。
バスはマンハッタンへ向かって走り、窓の外の景色も少しずつ変わっていく。広い道路と低い建物の並ぶ住宅地を抜けるにつれて交通量が増え、建物も次第に高くなり、やがて遠くに高層ビル群が見え始める。
オットーは窓際の席から、黙ってその景色を眺めていた。
三年。たった三年であり、街そのものが大きく変わったわけではない。それでも、久しぶりに見るニューヨークの景色は、どこか知らない街のように感じられた。
マンハッタンに到着し、バスのドアが開く。オットーは乗客たちの流れに押されるように外へ降りると、その場で立ち止まった。
車のクラクションが鳴り、人々が絶え間なく行き交っている。巨大な広告が並び、高層ビルが頭上を埋め尽くす。三年ぶりに触れる都会の喧騒が一気に押し寄せ、オットーはしばらく周囲を見回していた。
しかし、誰も彼を見てはいない。人々はスマートフォンを見ながら歩き、あるいは急ぎ足で目的地へ向かい、オットーの横を次々と通り過ぎていく。
やがてオットーも、その人波の中を歩き始めた。
狭い不動産屋の店内。カウンターの向こうでは、担当者がパソコンの画面を見ながら必要事項を確認している。
「現在のお勤め先は?」
オットーは少し間を置いて答える。
「……今はない。」
担当者の指が止まる。
「収入証明は?」
「ない。」
「保証人は?」
今度はオットーが答えなかった。
担当者はそこでようやく顔を上げる。
「それだと、ちょっと厳しいですね。」
「安い部屋で構わない。」
「そういう問題じゃないんです。」
その対応に悪意があるわけではなく、ただ事務的で、そっけない。
「仕事が決まってから、また来てください。」
オットーはしばらく担当者を見たあと、小さく頷いた。
「……そうか。」
店を出ると、再び冬の冷たい風が吹きつけてくる。オットーはコートの襟を少し立て、そのまま街を歩く。道行く人々は彼の横を次々と通り過ぎ、誰も立ち止まらず、声をかける者もいない。
もちろん当然のことだった。彼らはオットーのことなど知らない。
それでも、三年ぶりに戻ってきたニューヨークは、以前より少しだけ冷たく感じられた。
オットーは人波から少し離れた場所で立ち止まり、コートの内ポケットへ手を入れる。取り出したのは一通の手紙で、何度も読み返したためか、封筒の端は少し傷んでいる。
収監中、ピーターから送られてきたものだった。
手紙を開くと、そこには近況を知らせる何気ない文章や研究の話が書かれている。そして最後の方には、いくつかの連絡先が書き加えられていた。
その中でも一つだけ、赤いペンで大きく囲まれている。
『困ったらココ!』
その下には、F.E.A.S.T.の住所。
さらに余白には、ピーターの電話番号も書かれていた。
オットーはしばらくその番号を見つめたあと、スマートフォンを取り出して画面を点ける。しかし、もう一度手紙へ目を落として考えた末、電話番号を入力することなくスマートフォンをポケットへ戻した。
手紙を丁寧に折り畳み、赤い丸で囲まれた住所を確認すると、オットーは顔を上げる。
そして、F.E.A.S.T.へ向かって歩き始めた。
F.E.A.S.T.の扉を開けた瞬間、暖かい空気がオットーを包む。外では冷たい風が吹いているが、建物の中にはしっかりと暖房が効いており、人々の話し声や食事の匂いが満ちている。奥からは誰かの笑い声も聞こえてきた。
派手な場所ではない。それでも、外の街とは明らかに空気が違っていた。
オットーは入口で少し立ち止まり、コートの襟を下ろして手袋を外す。受付では年配の女性が書類に目を通しており、オットーはカウンターまで進むと、必要事項を書いた用紙を差し出した。
女性はそれを受け取り、記入された名前を確認する。
「オットー……オクタビアスさん?」
その瞬間、オットーの肩がわずかに強張る。
「……はい。」
名前を知られている。その事実から、三年前の事件を覚えられているのではないかという考えが一瞬頭をよぎる。キングピンの兵器開発に関わっていた男。犯罪者。前科者。ここでも、それを理由に追い出されるのかもしれない。
オットーは無意識に女性の表情を窺った。
しかし女性は少し首を傾げると、ぱっと表情を明るくする。
「もしかして、ピーターの言ってたオットーって、貴方のことかしら?」
「ピーターを?」
予想していなかった言葉に、オットーは面食らう。
「えぇと……。」
女性は笑った。
「ごめんなさい。まだ名乗ってなかったわね。メイ・パーカー。ピーターの叔母よ。」
「ああ……。」
そこでようやく話が繋がり、オットーの緊張が少し解ける。
メイは受付の書類を整えながら話を続ける。
「以前は看護師の仕事を中心にしてたんだけど、ピーターも家を出て自立したでしょう? それで少し働き方を変えたの。今は病院の仕事を減らして、空いた時間にここで支援活動を手伝ってるのよ。」
オットーは少し驚いたようにメイを見る。
「そうだったんですか。」
「ピーターから、貴方のことは何度か聞いてるわ。」
その言葉に、オットーはまた一瞬だけ身構える。
しかし、メイが続けたのは別の話だった。
「科学の話ができる、とても頭のいい人だって。」
オットーの表情から、少しだけ力が抜ける。
「……彼らしい。」
メイも笑う。
「でしょう?」
F.E.A.S.T.の中は暖かかった。
それは暖房のせいだけではなく、三年ぶりに戻った街で、オットーが初めてそう感じられる場所だった。
その頃、ESUではピーター・パーカーが研究室の机に向かい、パソコンの画面に並ぶデータを睨んでいた。キーボードを叩いて資料をまとめ、ホワイトボードへ数式を書き込み、教授や学生たちと議論を交わす。研究室だけでなく実験室や図書館にも足を運び、時間を見つけては論文を書き、修正し、また書き直していた。
夕方になると、研究室を出たピーターは人目のない場所へ入り、数秒後には赤と青のスーツを身にまとったスパイダーマンとしてニューヨークの空へ飛び出す。
ある路地裏では、二人組の男が一人の男性から財布を奪おうとしていた。飛んできたウェブが一人の手を壁へ貼りつけ、もう一人が振り向いた時には、スパイダーマンが目の前へ着地している。
別の交差点では、凍結した路面で車が滑り出し、横断歩道へ突っ込む寸前でスパイダーマンのウェブに引き止められる。
ビルの屋上では逃げる男を追いかけ、隣の建物へ飛び移ろうとして落ちかけたその身体をウェブで掴み、そのまま引き上げる。
「逮捕される前に死なないでよ。」
夜になれば、負傷者を救急隊員へ引き渡し、その場を離れた次の瞬間には、もう別の場所へ向かってウェブを放っている。
キングピンはもういない。彼が築いていた巨大な犯罪組織も、その力を失った。
それでも、ニューヨークから犯罪が消えたわけではない。事故は起き、誰かが誰かを傷つけ、助けを必要とする人間もいる。
そして、そのたびにスパイダーマンは街のどこかに現れていた。
F.E.A.S.T.の正面玄関が開き、大量の段ボール箱を抱えたピーターが入ってくる。
「よいしょ……。」
食料品や日用品など、寄付された支援物資だった。箱は胸元どころか顔の高さまで積み上がっており、普通なら台車を使うような量だが、ピーターは多少前が見えにくそうにしているだけで、重そうな様子はない。
受付の奥にいるメイを見つけると、積み上げた箱の向こうから声をかける。
「おばさん! これどこ?」
メイが振り返り、ピーターの抱えている大量の箱を見た瞬間に眉をひそめた。
「ピーター! 物資は裏口からって何度も言ってるじゃない!」
「あ。」
ピーターは立ち止まり、積み上げた箱の横から顔を覗かせる。
「……そうだっけ?」
「そうよ! 正面は利用者の出入りがあるんだから。危ないでしょう?」
「ごめん。」
ピーターは箱を抱えたまま器用に身体の向きを変える。
「じゃあ裏に――」
「もう入ってきちゃったんだから、そのままでいいわよ。」
「あ、いいの?」
メイは呆れたようにため息をつく。
支援物資を所定の場所へ置き終えたピーターは、軽く手を払ってフロアへ戻る。その途中、子供たちが遊んでいるスペースへ目を向けると、一人の少年が小型のラジコンロボットを床の上で走らせていた。
しかし、ラジコンは進もうとするたびに片側へ曲がり、少し走っては止まってモーターが空回りするような音を立てている。少年が何度操作してもうまく動かず、困った顔をしたところへ、一人の男が近づいてくる。
ピーターから見えるのは、その後ろ姿だけだった。
男は少年の前へしゃがみ込む。
「ちょっと見せてくれるか?」
少年からラジコンを受け取ると、男はポケットから小さな工具を取り出し、底面を開けて配線やギアを確認する。接点を調整し、ほんの数分で蓋を閉じると、少年へ返した。
「やってみて。」
少年がコントローラーを操作すると、ラジコンは今度こそまっすぐ走り出す。旋回も滑らかで、さっきまでの引っ掛かるような動きは消えていた。
少年の顔がぱっと明るくなる。
「すごい!」
何度かラジコンを走らせたあと、少年は男を見上げた。
「ありがとう、オットー!」
ピーターの表情が変わる。
その後ろ姿を見た時から、どこか見覚えがあった。しかし、今の一言で確信した。
男が振り返る。
オットー・オクタビアス。
懐かしい顔を見たオットーは、一瞬驚いたように目を見開き、すぐに破顔する。
「おぉ、WebHead!」
その呼び名を知っている人間は、ほとんどいない。かつてピーターが科学コミュニティサイトで使っていたハンドルネームだった。
ピーターも思わず笑顔になる。
「オットー!」
嬉しそうに駆け寄ったピーターは、そのまま立て続けに質問する。
「いつ出てきたの? なんで連絡くれなかったの? 元気? 体は大丈夫? 仕事は? 研究は続けてる? 今は何を研究してるの?」
オットーが答える間もなく、さらに続ける。
「僕も今ESUで研究しててさ。前に話してた――あ、それで論文も一本通って、今度は別のテーマもやってて、それから――」
「お、おいピーター。ストップ、ストップ。」
オットーが両手を上げ、ようやくピーターの口が止まる。
「あ。」
そこで初めて、自分が一方的に喋っていたことに気づく。
「……ごめん。」
オットーは苦笑した。
「三年分を一度に聞くつもりか?」
ピーターも照れくさそうに笑う。
「ちょっと嬉しくて。」
「それは見ればわかるよ。」
ピーターは一度息を整える。
「……じゃあ、一個ずつ聞く。」
オットーは笑った。
「ああ。そうしてくれ。」
F.E.A.S.T.の一角で、ピーターとオットーは壁際のベンチに並んで腰掛けていた。周囲では利用者やスタッフが行き交い、少し離れた場所からは子供たちの声も聞こえている。
二人はしばらく、ESUのことやニューヨークのこと、三年の間に変わった店のこと、昔科学コミュニティサイトで話していた研究のことなど、取り留めのない話を続けていた。
会話がひと段落したところで、ピーターは改めてオットーを見る。
厚手の作業着に、使い込まれた靴。袖口には薄い汚れも残っており、その格好は研究者のものには見えなかった。
ピーターは少し言葉を選ぶ。
「……仕事は?」
オットーは特に気にした様子もなく答える。
「探してるんだがな。やはり厳しい。」
口調は世間話でもするように軽かったが、その顔には隠しきれない疲れがあった。
「今は日雇いで、なんとか食い繋いでる。F.E.A.S.T.も支援してくれてるし、意外となんとかなるもんだな。」
そう言って肩をすくめ、少し笑う。
「今はスポットの仕事もスマホで募集するんだ。便利だよな。昔なら、朝から仕事を求めて歩き回らなきゃならなかった。」
オットーは明るく話している。少なくとも、そう努めているようにピーターには見えた。
ピーターの表情が曇ると、オットーもすぐにそれに気づく。少しだけ間を置いたあと、穏やかに言った。
「……気に病むんじゃない、ピーター。」
ピーターが顔を上げる。
「これは私の問題なんだ。君のせいじゃない。」
オットーはまっすぐ前を見たままそう続け、ピーターはすぐには何も答えなかった。
F.E.A.S.T.を出たピーターは、冬の冷たい空気の中を歩きながら、さっきのオットーとの会話を思い返していた。
疲れた顔と、汚れた作業着。
『これは私の問題なんだ。君のせいじゃない。』
その言葉が頭の中に残っている。
ピーターは小さく息を吐き、そのまま路地へ入る。辺りに人がいないことを確認してバッグからマスクを取り出すと、次の瞬間にはスパイダーマンとしてビルの間へ飛び出していた。
暗くなった気持ちを振り払うようにウェブを放ち、ニューヨークの夜空を大きく飛び回る。
夜。ブルックリン、イースト・ニューヨーク。
マンハッタンの摩天楼から遠く離れた、古い倉庫や工場が並ぶ一角。夜になると人通りもほとんどなく、閉じたシャッターと古びた街灯ばかりが並ぶ中、一棟だけ明かりの灯った倉庫がある。
その内部には何人もの男たちが集まり、テーブルの上には現金と、ドラッグの詰め込まれたケースが置かれていた。
売人がケースを閉じ、相手の男が金を差し出す。
取引が成立した、その瞬間。
白いウェブがケースに張り付き、突然宙へ引き上げる。
「!?」
男たちが一斉に見上げると、倉庫の梁には、ドラッグのケースを片手に持ったスパイダーマンがしゃがみ込んでいた。
「何してるの? 良い子は寝る時間だよ!」
男たちは一斉に拳銃を抜く。
スパイダーマンは首を傾げた。
「悪い子たちだった!」
直後、一斉に銃声が響く。
倉庫の外から見ると、静かな夜の工業地帯で、その建物の窓だけが無数のマズルフラッシュによって激しく明滅していた。連続する銃声に混じってガラスの割れる音や、何かが壁へ叩きつけられる音が響き、一瞬だけ人影が窓を横切る。
やがて銃声は少しずつ減っていき、最後の一発を残して静かになった。
倉庫の中では、最後に残った男が吹き飛ばされ、その身体へウェブが飛ぶ。そのまま壁へ貼り付けられた男は声を上げる。
「てめぇ! おぼ――」
さらにウェブが飛び、今度は口を塞ぐ。
「んんんん!!」
スパイダーマンは肩についた埃を払いながら、改めて倉庫の中を見回す。
壁際には古い配電盤があり、照明にはまだ電気が通っている。天井には古びた大型クレーンが残され、奥には作業台や工具棚、それに長く使われていない機械設備が並んでいた。
どれも古く、埃をかぶっている。
それでも、まだ使えそうなものは多い。
スパイダーマンは倉庫の中央に立ったまま、しばらく周囲を見回した。
「……ふぅーん?」
翌日、ピーターはオットーを昨夜の倉庫へ連れてきた。
重いシャッターが開き、中へ入ったオットーはしばらく黙って内部を見回す。高い天井に古いクレーン、作業台、使われなくなった機械設備が残されており、広さだけなら十分すぎるほどある。
「……ピーター。」
少し戸惑った顔で振り返る。
「これは?」
「昨日、ちょっと見つけたんだ。」
ピーターはそう答えながら倉庫の中へ入り、すでに必要な確認を済ませていることを説明する。
「ちゃんと調べたよ。ここ、ずっとほとんど使われてない倉庫で、管理してる不動産屋にも確認した。」
「勝手に使っていい場所ではないんだな?」
「もちろん。」
ピーターは苦笑する。
「そこは最初に確認した。建物自体が古いし、設備もこのまま。場所も場所だから、ずっと借り手がついてないらしい。だから家賃もかなり安い。」
ピーターが金額を伝えると、オットーはもう一度、倉庫全体を見回す。
高い天井、古いクレーン、作業台、使われなくなった機械設備。
さっきまで戸惑っていた表情が、少しずつ変わっていく。
何をどこへ置くか。どの設備が使えるか。何を直せば動くのか。
オットーはすでに頭の中で、この場所の使い道を組み立て始めていた。その目には久しぶりに研究の話をしている時の光が戻り、少しぎらつくほどの熱ささえ感じられる。
「……借りるよ、ここを。」
「え? 即決?」
「この条件で迷う理由があるか?」
オットーは古いクレーンを見上げ、わずかに口元を緩める。
「十分すぎる。」
ピーターは倉庫の外へ出ると、一度だけ振り返る。開いたシャッターの向こうでは、オットーがすでに倉庫の中を見回しており、その頭の中では、この場所を研究室へ作り替える作業が始まっているようだった。
ピーターは少しだけ笑い、近くの路地へ入ってマスクを被る。
やがてスパイダーマンは勢いよく空へ飛び出し、冬のニューヨークを軽快にスイングしていく。
街には少しずつクリスマスの気配が広がり始めていた。店先にはリースが飾られ、街路樹にはイルミネーションが灯り、通りには赤や緑の装飾が増えている。人通りの多い場所では、クリスマスソングも流れ始めていた。
その街並みの上をスパイダーマンが飛び抜けていく。
遠くのマンハッタンのビル群の中には、オズコープ・タワーがそびえている。
その外壁もまた、クリスマスに合わせて赤と緑にライトアップされ始めていた。