The Amazing Spider-Man 4: Rage of the Taken 作:たきび/まもる
数日後の夕方、ピーターは再びあの倉庫を訪れていた。以前は何もなかった入口の横には、簡単な鍵と呼び鈴が取り付けられている。シャッターは閉まっており、ピーターがベルを押して少し待ってみても、中から返事はなかった。
「……いないのかな。」
そう呟いたところで背後から足音が聞こえ、振り返ると、作業着姿のオットーが立っていた。肩には工具の入ったバッグを掛けており、一日の仕事を終えたばかりなのか、顔には疲れが残っている。
「ピーター。」
「オットー。」
オットーは少し笑った。
「待たせたか?」
「いや、今来たとこ。」
オットーは鍵を取り出してシャッターを開けると、ピーターを中へ促した。
「入れ。」
ピーターは何気なく倉庫へ足を踏み入れたが、すぐに立ち止まった。
以前とは、かなり様子が変わっている。
切れていた照明は交換され、古い作業台の上には工具や部品が整理されている。壁際には中古のパソコンや測定器、分解された機械が並び、古い設備にも手が入れられて、いくつかは再び動かせる状態になっていた。奥には簡素なベッドまで置かれている。
どれも新しいものではなく、寄せ集めの中古品や修理した廃品ばかりだった。それでも、この場所はもう、以前のような放置倉庫には見えなかった。
ピーターはゆっくり中を見回す。
「……すごい。」
オットーは工具バッグを作業台へ置いた。
「そうか?」
「いや、だってこの前までほとんど廃墟だったじゃん。」
オットーは肩をすくめる。
「時間と手間だけはあるからな。」
そう言うと、倉庫の隅に置かれた簡素な棚へ向かう。そこには電気ケトルとインスタントコーヒー、それにどう見てもリサイクルショップで買ってきたようなマグカップが置かれていた。片方には大きく「I ♥ NY」と書かれており、縁が少し欠けている。
オットーはカップにインスタントコーヒーを入れ、湯を注ぐ。
「砂糖は?」
「そのままで。」
ピーターは差し出されたカップを両手で受け取り、一口飲む。熱いが、味はごく普通のインスタントコーヒーだった。
そのまま何気なく倉庫の中へ視線を巡らせていると、一つの作業台で目が止まる。そこだけは大きな布が掛けられ、何かが隠されていた。
コーヒーを飲みながらそちらを見ていると、オットーもその視線に気づく。
「気になるか?」
ピーターが振り返ると、オットーはにやりと笑っていた。
ついさっきまで日雇い仕事の疲れを残していた男とは思えない。新しい玩具を誰かに見せたくて仕方がない子供のような顔だった。
オットーはマグカップを置き、作業台に掛けられた布を掴む。
「では――」
勢いよく布を引き剥がす。
その下から現れたのは、一基のロボットアームだった。
太い金属フレームと剥き出しの鋼材で組まれ、関節部にはモーターやアクチュエーターが取り付けられている。側面には配線が這い、ところどころには溶接痕も残っていた。洗練されているとは言い難く、むしろ工業機械そのもののような無骨さがある。
ピーターは思わず一歩近づいた。
「これは?」
オットーへ目を向けると、いつの間にか頭にはヘッドセットが装着されていた。こめかみ付近にはいくつものセンサーがあり、そこから伸びたケーブルがパソコンへ繋がり、さらに制御装置を経由してロボットアームへ伸びている。
オットーが目を閉じ、眉間に少し力を入れる。
低い駆動音とともに、ロボットアームがゆっくりと持ち上がった。一度止まったあと、今度は横へ動く。
しかし、動きはかなりぎこちない。
突然、関節が大きく跳ねた。
ピーターは反射的に身体を引き、アームの先端が作業台すれすれを横切る。
「おっと。」
オットーが再び集中すると、アームはどうにか止まり、今度はゆっくりと向きを変える。危なっかしくはあるが、確かにオットーの意思へ反応して動いていた。
ぎこちなく空中で止まったアームを見ながら、オットーは少し得意げに言う。
「名付けて、『ぶきっちょアーム』。」
ピーターが思わず吹き出した。
「ぶきっちょアーム?」
「名前だよ。わかりやすいだろう?」
オットーは当然のように答えるが、目の前ではアームが小刻みに震えている。
「……だが。」
その直後、アームがまたガクンと妙な方向へ動いた。
オットーはそれを見ながら、わずかに眉をひそめる。
「ぶきっちょすぎるのが考えものでね。」
ピーターはまだ笑いを堪えながら、ぎこちなく動くアームとオットーのヘッドセットを交互に見る。
「どうやって動かしてるの?」
オットーはヘッドセットを軽く指で叩く。
「脳波インターフェースだ。」
ピーターの目が少し見開かれる。
改めて周囲を見れば、中古のパソコンに寄せ集めの測定器、古い工作機械ばかりで、その中央にこのロボットアームがある。
「すごい……。」
ピーターはアームへ近づく。
「これ、全部一人で? 脳波インターフェースまで?」
オットーは少し得意げに眉を上げる。
「見直した?」
ピーターは笑う。
「いや、もともとすごいと思ってたけど。」
オットーは満足そうに頷くが、その横でぶきっちょアームがまた妙な方向へ傾いた。
二人が同時にそちらを見る。
オットーは少し肩をすくめた。
「まぁ、この設備なら上出来と言えるんじゃないか。」
ヘッドセットを外して作業台へ置くと、オットーはふと思い出したように言う。
「そういえば、私の研究についてちゃんと話したことはなかったな。」
ピーターはマグカップを持ったまま頷く。
「ネットでは色々話したけど、貴方自身のことはあんまり。」
「そうだったか。」
オットーはぶきっちょアームを見る。
「元々、私が研究していたのは、人間と機械を繋ぐ技術だ。人間の意思を機械へ伝える。逆に、機械から得た情報を人間へ返す。」
ピーターもアームへ目を向ける。
「だから脳波インターフェース?」
「ああ。昔、オズコープにいた頃から続けている研究だよ。」
ピーターの表情が変わる。
「オズコープ?」
「ノーマン・オズボーンに直接誘われた。当時の私は神経信号と機械制御の研究をしていてね。彼は随分と興味を示していた。」
オットーは少し懐かしそうに笑う。
「研究費も設備も、望めば大抵のものは用意してくれた。研究者にとっては、まさに夢のような環境だったよ。」
ピーターは黙って聞いていたが、少し間を置いて尋ねる。
「……でも?」
オットーが苦笑する。
「わかるか。」
「なんとなく。」
オットーは椅子へ腰掛ける。
「会社は次第に、私の研究を別の方向へ使いたがるようになった。」
「軍事利用?」
オットーの表情から笑みが薄れる。
「人間を補助するための技術だった。失われた身体機能を補ったり、人間だけではできないことを機械に手伝わせたりする。少なくとも、私はそのつもりで研究していた。」
そこで少し間を置く。
「だが、会社にとってはそうではなかったらしい。」
ピーターはマグカップを両手で持ちながら聞いている。
「それで辞めたの?」
「辞めた、というと聞こえがいいな。」
オットーは小さく笑う。
「クビになった。」
ピーターの顔が曇る。
「研究成果も会社に残った。契約上はオズコープのものだ。それからは、まともな研究施設を使うことも難しくなった。たぶん圧力だな。」
オットーはぶきっちょアームへ目を向ける。
「……そんな時に、フィスクが声をかけてきた。」
ピーターは何も言わず続きを待つ。
「設備をくれた。金も。研究を続ける場所も。その代わり、私は彼のために兵器を作った。」
オットーは自嘲するでも、言い訳するでもなく続ける。
「そして三年前、君に捕まった。」
ピーターが少し顔をしかめる。
「捕まえたっていうか……。」
「捕まえただろう。」
「まあ……結果的には。」
オットーが少し笑う。
「だが、あれで良かった。少なくとも、フィスクの下で研究を続けるよりはな。」
ピーターはしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「僕の父さんも、オズコープにいた。」
今度はオットーがピーターを見る。
「父親?」
ピーターは少し迷ってから続ける。
「リチャード・パーカー。」
オットーの表情が変わった。
「リチャード・パーカー……。」
すぐには言葉が出てこない。オットーは目を細め、記憶の奥からその名前を探るように少し考え込む。
やがて、何かを思い出したように顔を上げた。
「いたな。」
ピーターが身を乗り出す。
「知ってるの?」
「いや、直接話したことはない。」
オットーは首を振る。
「部署が違った。彼は異種間遺伝子研究の方だったはずだ。私は神経工学と機械制御だ。フロアで顔を合わせたことくらいはあったかもしれないが……。」
少し考える。
「だが、名前はよく聞いた。」
ピーターは黙って続きを待つ。
「優秀な研究者だったよ。特に遺伝子工学の分野では、社内でもかなり評価されていた。ノーマンとも近かったはずだ。」
ピーターの眉がわずかに動く。
「ノーマン・オズボーンと?」
「ああ。少なくとも普通の研究員という扱いではなかったと思う。」
オットーは記憶を辿るように、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「彼の研究には、会社もかなりの資金を入れていた。それだけ期待されていた、ということだろうな。」
ピーターは手元のコーヒーを見る。
「……そうなんだ。」
オットーはしばらくピーターの顔を眺める。
「なるほど。」
ピーターが顔を上げる。
「何?」
オットーは少し笑う。
「似ているのかもしれないな。父親に。」
ピーターは困ったように笑う。
「会ったこともないのに?」
オットーは二本の指を立て、そのまま自分の目元を指す。
「ここだよ。」
ピーターが首を傾げる。
「目?」
オットーは笑う。
「科学を好きな目をしている。」
ピーターは一瞬きょとんとしたあと、少し照れたように笑った。
「……そうだ。」
誤魔化すように視線をぶきっちょアームへ戻す。
「マシンの神経制御って、脳波インターフェースだけ?」
オットーもアームを見る。
「あぁ。私の構想ではそうだが……。」
ピーターはコーヒーを一口飲む。
「例えば、マシンと人間の脳とか神経の間で、直接情報交換する方法ってないのかな。」
オットーがピーターを見る。
「直接?」
「ああ、でも神経にケーブルを繋ぐとかじゃなくて。」
ピーターはカップを持ったまま、指先で軽く頭の横を指す。
「人間側の神経信号を、もっと細かく読み取るんだ。それを機械が理解できる形に変換して、逆に機械側の情報も人間に返す。そういう橋渡しができれば、脳波だけよりずっと細かく制御できるんじゃないかなって。」
オットーの表情から、さっきまでの笑みが消れる。代わりに、研究者としての集中した顔になる。
「……そうか……!」
ピーターが少し驚くが、オットーはそれに構わず作業台へ向かう。
「ナノマシンによるニューロマッピング……。」
さらにパソコンへ目を向ける。
「AIの深層学習。」
ピーターも考え始める。
「神経信号の個人差をAI側で学習させれば……。」
「そうだ。」
オットーは急いでホワイトボードへ向かう。
「固定された信号変換ではなく、使用者に合わせてインターフェースそのものを適応させる。」
ペンを走らせ始めたオットーの背中を見ながら、ピーターは少し笑う。
ただ照れ隠しに思いつきを口にしただけだった。それなのに、オットーはもう夢中になり、ホワイトボードへ数式や単語を書き込んでいく。
「脳波そのものを読ませるんじゃない。神経活動をナノマシンで拾って、個人ごとの信号パターンをAIに学習させる。」
ピーターも立ち上がり、ホワイトボードの横へ行く。
「それなら、使えば使うほど精度も上がる。」
「ああ。」
オットーは振り返らずに答える。
「人間が機械に合わせるんじゃない。機械の方が、人間を理解する。」
ピーターは感心したように頷く。
オットーは神経信号、ニューロマッピング、学習モデル、フィードバック、制御といった要素を書き込みながら考えを組み立てていく。しばらくしてようやくペンが止まると、ホワイトボードを見上げたまま小さく息を吐き、ピーターへ振り返った。
「ありがとう、ピーター。」
「え?」
オットーは満足そうに笑う。
「素晴らしいクリスマスプレゼントだ。」
ピーターは少し慌てる。
「そんな。僕はただ……ほら、思いつきを言っただけっていうか。」
「良い閃きというのは、大抵そういうものだ。」
オットーは再びホワイトボードへ向き直り、完全に研究へ意識を戻している。ピーターはそんな様子を見て苦笑し、まだ少し残っていたインスタントコーヒーを飲み干した。
その後、オットーは必要なナノマシンを手に入れるため、企業への問い合わせや研究資料の確認、見積依頼を繰り返していく。しかし、届くのは高額な見積もりや販売条件ばかりで、送ったメールに返事すらないことも多かった。検索画面や資料の中には、ROXXON、ALCHEMAX、A.I.M.といった企業名も一瞬だけ現れる。
一方で、倉庫にあるアームの研究は着実に進んでいた。
最初の一基は剥き出しだった配線が整理され、関節や先端のクローも作り直されて、以前より滑らかに動くようになっていく。
やがて二基目が加わる。ヘッドセットを装着したオットーの意思に従い、一本が部品を持ち上げる横で、もう一本が別の工具を取る。まだ多少ぎこちなさは残っているものの、二本のアームを同時に動かすことには成功していた。
その間にもナノマシンに関する連絡は続き、販売不可という回答や高額な価格、厳しい契約条件を前に、オットーは小さく息を吐く。
倉庫ではさらに三基目が完成し、アーム同士が作業を補助し合うようになる。一本が部品を固定し、別の一本が溶接箇所を支え、もう一本が工具を差し出すことで、オットー自身の手も合わせて複数の作業が同時に進んでいく。
さらに時間が経つと、四基目まで完成する。
四本のアームは、最初の「ぶきっちょアーム」と比べれば外見も動きもかなり洗練されていた。それでも鋼材や駆動部は剥き出しのままで、工業機械らしい無骨さは残っている。
オットーが考えると、四本のアームはそれぞれ別の作業を行いながら、互いの動きを邪魔することなく動く。
機械側の研究は、着実に完成へ近づいていた。
しかし、パソコンの画面にはまた新しい拒否通知が届いている。
オットーはそれを見たあと、四本のアームへ目を向ける。
片方だけが、どうしても足りない。
F.E.A.S.T.では、ピーターがテーブルの上で支援物資を整理し、その隣ではメイが書類をまとめていた。
「そういえば、オットーさんは元気なの?」
ピーターが顔を上げる。
「うん。この前、研究室にも行ってきた。」
「研究室?」
「古い倉庫なんだけどね。僕が見つけて、今はそこを借りてる。」
ピーターは少し笑う。
「中もすごいよ。ほとんど自分で直して、機械も集めて。」
メイも笑う。
「ここにいた時も、壊れたものを見つけると何でも直してくれてたわ。」
「うん。そういう人なんだ。」
ピーターは少し手を止める。
「仕事はまだ見つかってないけど、日雇いしながら研究を続けてる。」
メイの表情が少し曇る。
「大変そうね。」
「……うん。」
ピーターは少しだけ考えたあと、手元の箱を見ながら言う。
「でも良い人なんだ、すごく。」
メイは少しだけ笑う。
「いい人といえば。」
ピーターが嫌な予感を覚えたように顔を上げる。
「……なに?」
「ピーターには、そういう人はいないのかしら。」
「!?」
ちょうど口にしていたコーヒーを、ピーターは危うく吹き出しかける。
「げほっ……! ちょ、やめてよ、おばさん。」
メイは平然としている。
「なにを? 貴方もそろそろいい歳でしょう?」
「そんな。」
ピーターは咳き込みながらカップを置く。
「仕事で忙しいんだよ。」
「じゃあ仕事でいい出会いはないの?」
「ないよ、そんなの。」
即答したあと、言葉を続けようとする。
「それに……。」
そこでピーターの言葉が止まる。
メイの表情が変わる。
「ああ……。」
ピーターは何も言わない。
メイは静かに続ける。
「ごめんなさい、ピーター。そんなつもりじゃなかったの。」
ピーターは少しだけ困ったように笑う。
「いいよ。」
それ以上は何も言わず、再び支援物資の整理に戻る。メイも何も言わず作業を続け、F.E.A.S.T.の中にはいつも通り人々の話し声が流れている。
その時、ピーターのポケットでスマートフォンが震えた。
取り出して画面を見ると、差出人はジョージ・ヒルだった。
ピーターの表情が少し変わる。
メイがそれに気づく。
「仕事?」
ピーターは画面を見たまま答える。
「……まぁ、そんな感じ。」
その夜、警察署の屋上でスパイダーマンはジョージ・ヒルと会っていた。ヒルが屋上の中央に立つ一方で、スパイダーマンは少し離れた給水塔の縁にしゃがみ込み、下にいる彼を見下ろしている。
「それで?」
ヒルは手にしていたファイルを軽く持ち上げる。
「最近、キングピンの残党について妙に正確な情報が入ってくる。拠点、取引場所、時間。写真まで付いてる。」
スパイダーマンが首を傾げる。
「しかも全部、匿名だ。」
ヒルはファイルを開く。
「最初はタレコミ屋かと思った。」
数枚の写真を取り出す。そこには倉庫や路地、車、遠くから撮影された取引現場などが写っていた。
「だが、これを見ろ。」
スパイダーマンは給水塔の上から身を乗り出す。
一枚は高い位置から建物の隙間を抜くように撮影され、別の一枚は地上からではまず撮れない角度から写されている。
その写真を見た瞬間、スパイダーマンの脳裏にフェリシアの顔が浮かぶ。しかし、それをヒルに話すつもりはなかった。
「……へぇ。」
ヒルが見上げる。
「心当たりがあるのか?」
「さぁ?」
「おい。」
スパイダーマンは肩をすくめる。
ヒルはため息をついた。
「情報の精度は高い。実際、これで二件潰せた。」
ファイルを閉じる。
「いくら確度が高いっていっても、罠の可能性もあるだろ。」
スパイダーマンは少し考える。
「僕もそうでしょ?」
ヒルが眉をひそめる。
「何がだ。」
「匿名の協力者。」
ヒルは言葉に詰まる。
「それはお前……。」
スパイダーマンは黙って見下ろしている。
ヒルはしばらく睨んだあと、諦めたように息を吐いた。
「……そうだな。お前の勝ちだ。」
スパイダーマンが少し得意げに首を傾げる。
ヒルはファイルを脇に抱える。
「この『匿名の協力者』のことは信用するよ。スパイダーマンのお墨付きだしな。」
スパイダーマンは何も言わず、マスクの下で少し笑っている。
ヒルはそのまま話を続ける。
「まあ、今のところ情報は全部当たってる。フィスクがいなくなった後も、残った連中は勝手に商売を続けてるらしい。」
スパイダーマンは給水塔の上で頷く。
「頭を潰しても、全部なくなるわけじゃないか。」
「ああ。」
ヒルは少し疲れたように答える。
「むしろ小さく散らばった分、面倒になったところもある。」
スパイダーマンは立ち上がる。
「じゃあ、僕も見つけたら知らせるよ。」
「勝手に突っ込むなよ。」
「努力する。」
ヒルが顔をしかめる。
「その言い方、信用できないな。」
スパイダーマンは軽く手を振ると給水塔から飛び降り、ウェブを放って夜の街へ消えていった。
ヒルはその姿を見送り、小さく息を吐く。
深夜の倉庫では、四本に増えたアームが作業台の周囲で動いていた。一本が部品を固定し、一本が工具を運び、もう一本が配線を支え、最後の一本がオットーの手元を補助している。
最初の「ぶきっちょアーム」と比べれば、その動きはかなり滑らかになっていた。
オットーは作業を続けながら、時折パソコンの画面へ目を向ける。受信トレイには企業からの返信や問い合わせへの回答が並んでいるが、どれも欲しい答えではない。
やがてオットーは手を止めた。
画面には、オズコープから届いたメールが開かれている。
四本のアームも、主人の思考に合わせるように静止する。
オットーは椅子へ深く腰掛け、改めて内容を読む。
研究用途であっても、個人への提供はできない。購入も不可。共同研究の申請も、現在は受け付けていない。
しばらく画面を見つめたあと、別のウィンドウを開く。
これまで送った問い合わせ、見積依頼、研究機関への連絡、企業から届いた資料。その数は、すでにかなりのものになっている。
どこも駄目だった。
オットーは眼鏡を外し、目頭を押さえる。
「……参ったな。」
四本のアームは静かに待機している。
オットーは顔を上げ、その一本へ手を伸ばす。するとアームもゆっくりと動き、オットーの手元へ近づいてくる。
以前のような危なっかしさは、ほとんどない。
オットーが指を動かすと、アームのクローもそれに合わせるように滑らかに動く。
機械側は、ここまで来た。
オットーはアームを見つめたあと、再びパソコンへ目を向ける。
画面の片隅には、オズコープのロゴが表示されている。
オットーはしばらく、それを見つめていた。
昼のオズコープ・タワー。
白く清潔な研究フロアでは、防護服を着た研究員たちが行き交い、ガラスの向こうでは精密機器が静かに動いている。モニターにはナノテクノロジーやAI、神経制御に関するさまざまな研究データが表示されていた。
巨大企業オズコープは、ノーマン・オズボーンを失った今も動き続けている。
その一角で、若い研究員が端末に表示された古い研究データを眺めていた。
画面の隅には、研究者名が記されている。
OTTO OCTAVIUS.
若い研究員は首を傾げる。
「オクタビアス博士って誰?」
隣にいた研究員が画面を覗き込む。
「ああ。昔ここにいた研究者だよ。神経接続と機械制御の基礎理論をやってた。」
若い研究員は資料をスクロールし、数式や神経信号の解析、制御アルゴリズム、機械とのインターフェース設計を追っていく。
「これ、本当に十年以上前のデータですか?」
「ああ。」
「今読んでも全然古くない。」
隣の研究員は軽く頷く。
「だから今でもアーカイブに残ってる。基礎理論は一級品だったんだろうな。」
若い研究員はさらに画面を追う。
「じゃあ、なんで辞めたんです?」
「詳しくは知らないよ。会社と揉めたって話だけ聞いた。」
隣の研究員は少し間を置いてから付け加える。
「その後、キングピンのところにいたらしいけどな。」
若い研究員が顔を上げる。
「キングピン?」
「ああ。三年前の事件で逮捕された。」
若い研究員はもう一度、画面に表示された名前を見る。
OTTO OCTAVIUS.
その横には、現在の研究にも引用されている理論やデータが並んでいる。
「……もったいないですね。」
隣の研究員は肩をすくめる。
「さあな。」
二人はそのまま作業へ戻り、端末にはオットー・オクタビアスの名前だけが残されていた。