「ならん。青溟剣は雲嶽山の至宝。誰とも知れぬ者に渡すことなどできん」
雲嶽山の道着を纏う、厳めしい表情の男性は告げる。
歳の頃は初老に差し掛かったくらいだろうか。鍛え上げて日に焼けた肉体や立派な髭、何より皺の寄った眉間から、実際にはもっと歳上のようにも感じる。
陸衡舟、と名乗ったその人物は、雲嶽山の古株で宗主に継ぐまとめ役であるらしい。随分と偏屈な態度にも思えるが、そもそも無茶を言ってるのはこちらなので普通に残当である。そりゃあ家宝みたいなものをそう簡単に渡せないよね。
「一応、相応の対価は用意していますが……」
「対価の問題ではない。青溟剣は雲嶽山の誇り。その力は人々のために振るうべきものであり──私情で無闇に振り回してよいものではないのだから」
取り憑く島もない、とはこのことだろう。月城さんの提案に、しかし彼には妥協の意思がまるで感じられない。状況が許すのであれば実力行使すら厭わぬほどの拒絶を感じる。どうして剣主でもない彼がそれほどに拘るのか。それは分からないけど──まあ、何度も言うようにこの新エリー都では悲劇のひとつやふたつ、例の如くありふれたものなので、彼も彼でそれなりに事情があるのだろう。
「まあ待て。青溟剣は無辜の民を救うべくして振るう──それは尤もな話だ。しかし、そこな誰とも知れぬ者……“旅人”こそが、今まさに衆生のため、各地のホロウを潰して回っている張本人だぞ」
「なに……?」
それに対するは雲嶽山の十三代目宗主こと儀玄さん。旅立つ直前に旅人へ告げた、零号ホロウ攻略に際する発言に嘘は無かったようで、彼女は彼とは真逆に、いっそ積極的と言ってもいいレベルでの援護射撃をしてくれる。
流石の偏屈な雲嶽山古株も、宗主である彼女の言葉には耳を傾けざるを得ないようで──それでも内容のぶっ飛び具合故にか、彼は眉間の皺を更に深くして旅人を睨み付ける。
「お主が……? いや、そうだとしてもだ。青溟剣は既に雲嶽山の者──葉瞬光を剣主として選んだのだ。かの剣の契約は強固。何人たりとも決して断ち切ることは叶わぬ……!」
「だからそれを試す。彼女は初めからそう仰っています。加えて他でもないH.A.N.Dからの保証付きです──仮に彼女のことを信じられなくても、よもやお国の要請まで不当に突っ撥ねるおつもりでしょうか、陸老師」
「釈淵……!」
ここまで頑ななのは、やはり彼にも相応の理由があるのか。とはいえ、既にこの案に反対しているのは彼だけで、他の面子は口々に賛成の意を示している。
下手したら家宝の剣がプルセナスホロウに侵蝕されて使い物にならなくなる可能性すらあるのに、何故かすんなり話が進んでいてなんか逆に怖い。でも、今更旅人が変な剣の契約如きに影響される未来が見えないし、他でもない雲嶽山のお偉いさんが良いって言ってるから多分大丈夫なんだろう多分。多分きっとめいびー。
「あ、あの、お兄ちゃん……?」
しばらくして。
明らかに苛立っている古株さんを尻目に──というか多分意図して彼を無視しているシーエン?さんが、別室で待機していたらしい噂の剣主さんの手を引いてこちらへ歩み寄ってくる。
シーエンさんと同じ髪色の、胸元が別れた旗袍が特徴的な女性。シーエンさんへの呼び方や似通った尻尾からして兄妹なのだろうか。さっきから彼は殊更に協力的なのがちょっとだけ不気味ではあるけど、まあ協力してくれる分には別に構わないか……。
「え、っと……あ。ワタシは葉瞬光。青溟剣の剣主……デス」
「私は蛍。よろしく」
「ドウモ……」
声ちっさ。
見るからに緊張、あるいは困惑した様子の瞬光と名乗った女性。まああんな厳格そうな古株さんが幅を利かせている道場なら、彼女のように気弱そうな性格の人は肩身が狭かったりもするか。それにしたって仮にも至宝の担い手なのだから、もう少しくらい威張っても良い気はするけど。
常日頃からあの古株さんとかに“この未熟者が!”って叱られたりしてたのだろうか。あたしも最近、日毎に自尊心がガリガリと音を立てて削られている感覚がするから、多少は気持ちが分からなくもない。でもこんな立派な道場の後継ぎ(?)がそんな有様とは世知辛い……。
「棺桶?」
「………まあ間違ってはいない」
そうして遂に渡された青溟剣を見て、その剣とは到底思えない外観を指して旅人は言う。多分鞘?みたいなものなんだろうけど、それにしては厳つ過ぎて絶対まともなモノじゃないんですがそれは。
「ここまで話を進めておいてなんだが、そこな青溟剣は人智を超えた力の代償に使用者の五感を奪う曰く付きの剣だ。そのゴツい封印はそれを少しでも抑制させるもの。陸の方針に賛同するわけではないが、ただでさえホロウ攻略の鍵と言えるお前さんが、此処で無用なリスクを背負う必要はない」
「へぇ……?」
いや五感を奪うて。
サラッと言っていいレベルの代償じゃなくて草も生えない。それはその子も緊張するでしょう。もう諦めた方がいいんじゃないかな。そもそも旅人ならそんな変な武器を使わなくても武器の侵蝕を都度吸い取りながら戦うとか普通に出来そうだし。
その旨を耳打ちすると、しかし旅人は「でもせっかくのイベント武器だし」とどこ吹く風。いや多分それ武器じゃなくて触ると皮膚が爛れる毒キノコとかと同類なんだけどいいの?????
「………。………問題なさそうだね?」
「マジか。……いや、お前さんをそもそも我々の基準で測ることこそが無礼か」
「多分これ、五感が代償ってわけじゃなさそう。生命力っていうか、世界との繋がりがホロウ側に引き寄せられて曖昧になる、みたいな? ほら、ホロウ空間って外から見たら真っ暗だし、最終的には世界全てがあんな感じに見えるんだと思う」
「………なるほど」
剣を封印から解いて、とても至宝とは思えない禍々しい刀身の剣をぶんぶん振り回しながら旅人は言う。説明を聞いてるととても大丈夫そうには思えないが、旅人が大丈夫って言うならホントに平気なんだろう。ガチで。
眼鏡を押さえて神妙な顔をするのはシーエンさん。先の代償の話を鑑みると、彼が陸師範に強い言葉を用いてやや強引に話を進めようとした理由もなんとなく察してしまう。そりゃそんな剣を妹が持ってるとか怖いよね。
「契約は……いえ、貴女はどうして平気なのかをお聞かせ頂いても?」
「感覚でいいなら……多分この剣?からしてもこの現象は不可抗力に近くて、万有引力みたいに互いの存在の器の差によって人間側が引き寄せられちゃう感じだと思う。
でも、その。自慢みたいになっちゃうけど、私ってそういう存在の器的なアレが、いわゆる星海に匹敵してるから問題ない、みたいな……」
それは素直に自慢していいのでは?????
さらっと明かされる新情報。“星海の”って枕詞はつまりそういうことだったと……そりゃあホロウくらいじゃ相手にもならないわけだ。この星さえも飲み込めずにいるホロウ如きが、天空の星々を許容する海に対抗できるわけがない。
「つまり、それは逆に。貴女が剣側の存在を吸収することも可能である、という認識でよろしいでしょうか」
「出来るよ。……何なら、そっちの子で試してみる? あ、でもこの剣にも多分悪気があるわけじゃないと思うよ? ヒトがいずれ重力に屈して土へ還るように、きっとそういうモノだってだけ、かな」
「ええ。きっと貴女が言うならそうなのでしょう。──妹のこと、お願いできますでしょうか」
いいよ。と軽いノリで、いつもあたしにやってるように、瞬光さんに向けて手を翳す旅人。さっきの説明なら旅人が瞬光さん側の生命エネルギーを引き寄せてしまわないか少し心配になったが、それについては「流石に林檎と毒蛇の区別くらいはできる」とのこと。むしろ林檎を傷付けずに毒蛇だけを駆除するのって難しいのでは、と思ったが、まあ比喩の話だし旅人のやることだし問題はないだろう。
うぞぞぞ、とホロウ由来故なのか、あたしたちの視覚的にも確認できるエネルギーの移動は想像の5倍は長く続き、それがエーテル侵蝕耐性に倣えばどの程度のものか判別はつかないが、先の彼女の雰囲気から察せられるものはあった。
「どうかな?」
「凄い……! じ、実は最近、
あの量でちょっとだけ……?? 妙だな……。
まあ追及はすまい。あたしがクリティホロウの危険区域に一日滞在した際の侵蝕量の十倍はあった気がするけど、多分この子もすっごい侵蝕耐性があるんだろう多分きっと多分。
しばらくその様子をどこか悲しそうな、どこか険しそうな、そんな複雑な表情で見ていた儀玄さんは、やがて意を決したように告げる。
「………。………問題がないようなら、雲嶽山十三代目宗主の名において、零号ホロウの攻略が完了するまで、正式に“青溟剣”を貸与させてもらう」
「──感謝致します。謝礼に関しましては……」
「不要だ。H.A.N.Dも今は零号攻略に向け色々と入り用だろう? 瞬光の件だけで貰いすぎなくらいだ。あの様子では、本番ともなれば私如きが手出し出来るかも分からんしな」
月城さんの言葉に被せるようにして謝礼すらも突っ撥ねる彼女。さらっと期限を延ばしていたり、いっそ壊れてくれと願ってそうな辺り、ガチでやばい剣を渡されたんじゃと今更に実感が湧いてくる。そもそも雲嶽山の至宝なのに宗主が握ってない時点でもうね。この世界ってホント厄ネタに溢れてるなぁ。
で。
「ここがプルセナスホロウ……」
スロノス区の南。ポート・エルピスやファンタジーリゾートから見えるラマニアンの共生ホロウを北へ置き去りにした辺りまで南下して、ようやくそのホロウは姿を拝むことが叶う。
途中で寄ったH.A.N.D本部では生きた心地がしなかった。むしろ物資を補給してくれたり謝礼金を非公式にくれたりと至れり尽くせりではあったが、いつ何時不意打ちで捕縛されるか戦々恐々だったあたしはさぞかし見ものだっただろう。
「プルセナスは禁域だから照ちゃんも入るのは初めてだねぇ……うわぁまっしろ」
一歩前に踏み出して、その異様な光景を端的にウサギのシリオンの女性が呼び表す
ダイアリンさんは置いてきた、これからの戦いについて来れそうにない──いや冗談じゃなくて、普段からあの謎の超技術フラフープ(?)をメイン武装とする彼女は、プルセナスではすぐ役に立たなくなるだろうという、曰く“ボス”さんからの冷静な判断だそうな。なおダイアリンさんはついてくる気満々だったけど、もう一人の監視さんに無理矢理引き摺られていきました。
身長こそダイアリンさんを大きく下回る彼女は、しかしフィジカルならあの真斗くんをも凌ぐ力を秘めている。ちなみにそんなヒレグロザメの尾を特殊な薬品で加工して作ったという特注の大剣を軽々担ぐ彼女を見て、旅人が「その手があったか」とばかりに冷凍マグロを取り出した時は流石に止めさせて貰った。それで行けるならさっきの代償剣借りた意味がまるまる無くなっちゃうのでほんと勘弁してください。
また、当初は真斗くんもついてくる予定だったのだけど、戦力的には十分過ぎるのと女所帯に男が付いてくるのもあれだろうという紳士的な理由で却下された。アリスちゃんも使い捨ての武器を愛用しているとのことで付いてくる気満々だったそうだけど、こちらも武器を造る装置の方が壊れかねないので没に。うーん改めて条件が厳しい。
まあ、それくらいじゃないとわざわざ変な剣を借りた意味が……なんかさっきも予想外の方向でこれ言った気がする。行けるのかな冷凍マグロ……そもそも旅人ならあの場でパッと浮かばなかっただけで、生きてる武器とか普通に持ってそうな気もする。まあいいや。
「本当に真っ白だね……」
真っ白。砂浜とか雪景色とかそうじゃなく、照さんの言葉は文字通りの意味。まるで色素が抜け落ちたかのような、どころか二次元の世界に迷い込んだかのような光景。
“メリノエ”と呼ばれるプルセナスホロウの共生ホロウは、まだグレースケールの差によって立体感を把握することが出来たらしい。けれどこのホロウはその濃淡すら消え失せて、自分が立っている場所ですら曖昧になってしまう。
「ここではエーテリアスが視覚を補助してくれる。あいつらの通る場所は安全だ」
いやそれすっごく難しいと思うんですけど。
名案だ。みたいなノリで無茶振りをする“虚狩り”さん。この人は多分補助がなくても普通に歩けるのだろう。でも旅人はともかくあたしや照さんは当然厳しいので、いつもの通り旅人にお願いする。
「じゃあ早速……おお面白い」
「だんだんと世界に色が……はぇぇすっごい。……ねぇ照ちゃん思ったんだけどこのホロウ、本気で“旅人”がいないと攻略不可能だったんじゃない????」
明け透けな感想に全力で同意する。でもなんか普通にこのホロウを調査してそうな虚狩りさんが隣にいるから感覚が狂う。
ちなみにH.A.N.Dがこのホロウを調査する場合、専門の薬品を周囲に散布して視界を確保することが大前提なんだそうな。そりゃそうだ。ただそれも時間経過で白くなってしまうから捜索が難航してるとか。こんなんどうやってマトモに攻略しろと。
ただ、今この場には“旅人”がいる。既にホロウ探索にも慣れ、裂け目を介す必要もなくなった彼女ならば、周囲のエーテルを根刮ぎ浄化すればこの異常な空間も元通りに。
しかし当然、そんなことをすればエーテル帯を生息域とするエーテリアスが本能から旅人を狙ってくるわけで──今まではそれも旅人が対処していたのだが、今回の場合は、
「これは良いな。不器用な私にも、何をするべきか明白だ」
ずばん、と。明らかに剣の射程よりも遠くのエーテリアスを巻き込んで、旅人を取り囲んでいたブラストスパイダーの集団があっという間にノイズへ還る。
ドローンなどの小型機械から
「此度の修行は、零号攻略に直結する──となると俄然、励み甲斐があるな」
「………」
本気で小蝿でも払ったかのような態度で、涼しく告げる彼女に戦慄する。
彼女のような人物がいるならば、或いはこの世界も捨てたものじゃないかもしれない──思わずそう感じてしまうほど、その剣尖はあまりに圧倒的だった。
頑張るけどエタったら本当にごめんなさい